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都内医学生君へ
2012年12月29日(土)
在宅医療を早くから研修する意義についての質問だ。
よく同じようなことを聞かれる。
在宅医療というキーワードに隠された何か、に気が付いて欲しいわけだ。
在宅医療とは、
患者にとっては=ホーム、だが、医療者にとっては=アウエイ、だ。
病院医療はその逆。
今ある病院は昔は無かった。
医療の高度化に伴い、集約化が優先されるようになり「病院の時代」が始まった。
そして現在に至るまで、病院=患者さんにとってはアウエイの状態が続いている。
病院死が在宅死を上回ったのは、1976年(昭和51年)のこと。
医学生君はまだ生まれていない。
しかし私は高校生だったが、つい最近のことだ。
医療の歴史を振り返ると、これはごく一部の現象であることに気がつく。
病院という言葉に違和感を持てますか?
病(やまい)の院(いん)。
病人を集めてどうするだい。
病人さんにとって、アウエイの地に集められていいことなど何もない。
病気を負っているひとは、自由に移動できない。
だから自由な移動を提供し、確保してあげるのが、人権ってもんじゃないか。
ところが、”やまいの院”では、閉じ込めて、縛り付けて、眠らせる。
それを、死ぬまで続けることが、
よし、とされる場だ。
よーく考えれば、異常な場であるのだ。
よく病院嫌いのひとがいるが、実はそれが正常なのだ。
あんなところを好きな人のほうが絶対に異常である。
私は多くの病院嫌いの患者さんを診ている。
”やまいの院”で病気が治るんだったらいいだろうが、治せもしない人に対しても
画一的に、囚人扱いをする場、それが医療者が象牙の塔として仰ぐ”病院”だ。
囚人規則に従わない人間には、不良患者というレッテルを貼り処遇が検討される。
病院では患者だが、病院を一歩出れば、生活者になり、社会人に戻れるのだ。
囚人服は必要なくなり、消灯時間もない。
外出許可は不要となり、移動という自由を取り戻すことができる・・・
”ザイタク”という言葉は、”やまいの院”へのアンチテーゼに過ぎないことに
気が付いただろうか。
今の病院医療は患者視点になっていない。
それを病院医療者が知らないこと自体が最大の問題だ。
そのために泣いている患者さんが沢山いる。
それに気がつき始めている都内医学生君は、すでにエライ!
”ザイタク”という言葉は、その象徴にすぎない。
医療者が患者さんに合わせるということの象徴。
医療は患者のためにある。
医療者のためにあるわけではない。
そんな単純なこと、と思うだろう。
私も医学生の時はそう思っていた。
しかし、ほとんんどの病院医療者は忘れている。
町医者も含めて、医療が患者さんのためにある、という根本的事実を
忘れている医者が、9割を超えているんじゃないかな。
自分の生活のためであり、自分の保身のためであったりする。
そんな”ザイタク”に、「エビデンス」を求められても、正直、意味がよく分からない。
エビデンスを問う役人のための?その保身のためのエビデンスでは意味がない。
在宅におけるエビデンス構築はそこを見違えないように配慮しためればならない。
さて、低学年のうちから、在宅を勉強する意味があるかどうかについて。
あるに決まっている。
早ければ早いほどいい。
私は医学部に入学したその日から在宅に関わっていた。
社会医学研究会に入り、無医地区活動に精を出した6年間だった。
自分でいうのもヘンだが、その辺のポット出の在宅医とは基礎が違う。
”ザイタク”というものに関わって34年が経過した。
都内医学生君の世代が、私のようコースを歩むことはできないだろう。
時代が違うので仕方がない。
今は専門医の時代だ。
ちなみに私の時代は、博士号の時代だった。
在宅専門医やプライマリケア専門医や総合診療専門医の時代だ。
それはそれでひとつも目標だから、一里塚として通過すればいいだろう。
しかしそんなもんがあろうがなかろうが、患者さんには何の関係も無い。
専門医をいくつも持っている医者より、専門医ゼロのほうが患者さんに
真に支持されているケースをいくらでも見る。
すなわち、医者は、科学を診る目と人間を診る目の両方を
鍛えないと、患者さんの役に立つ医師に絶対になれない。
あとひとつ付け加えるなら、絶対的な「体力」だ。
病気をしないことも、良医の条件だ。
私は、大学に行かずに、野球もやっていた。
とにかく、インフルで休むようなヤワな体力なら、臨床医を諦めたほうが世のためだ。
体力に自信のある人は、医者に向いている。
頭は関係ない。
ただし、医師国家試験に振りまわされるレベルなら、問題だ。
グループホームや介護施設でボランテイアをすることが、
都内医学生にとっては、一番の勉強になるだろう。
医者以外からのほうが教えられることが、遥かに大きい。
年を取ると変なプライドが出る。
余計な打算が働く。
だから、”ザイタク”を知るのは、早ければ早いほどいい。
もうすぐ、”やまいの院”の時代はピークを迎える。
これからは”地域の時代”であることだけは、忘れないでほしい。
患者さんの役に立つ”イシ”を目指してください。
この記事へのコメント
「やまいの院」・・・ウワー絶対行きたくない。
なんとわかりやすいネーミングなんでしょう。
実は私も「病院嫌い」です!笑
Posted by チズ at 2012年12月29日 01:22 | 返信
都内でも都外でも、医学生の皆様に読んで欲しいです。
暮れのインフル流行期のご多忙の中、言葉を尽くした真摯なご助言に感謝です。
模擬患者は教育ツールなので、授業に参加してもこういうことを医学生に話すのはNG、
それは教員のお仕事ですから。
でも以下のお言葉は、まさに金言と思いました。
医学生の皆様 大きなお年玉を受け取って 新しい年に活用してくださいね!
≪すなわち、医者は、科学を診る目と人間を診る目の両方を
鍛えないと、患者さんの役に立つ医師に絶対になれない。
あとひとつ付け加えるなら、絶対的な「体力」だ。≫
31日から国内ミステリーツアーに出かけるので、これが今年の最終コメントになるでしょう。
どこに行くのやら、地名もホテルも??
旅行に行ってもホテルのパソコンでアピタルは読んでますよ。
一年間楽しませていただきました。皆様佳いお年を♪
Posted by 梨木 at 2012年12月29日 01:56 | 返信
この度は質問させていただいた件に関して、詳細にご回答いただき非常に感謝いたします。
先生のおっしゃる通り、医師がアウェイの状況で患者に接するところを見て、患者中心の医療を考えさせるものが在宅医療にはあると、僕も感じています。
いまは僕としては、学生が在宅医療にどうやったら興味をもつのかアプローチを考えていまして今回は質問させていただきました。在宅は病院へのアンチテーゼの一例にすぎず、先生が学生の意識を在宅に向かわせるためだけに、見学を受け入れているわけではないということはよくわかりました。
今の時代でも、医者以外から人間を診る視点を教えてもらう環境へアクセスすることは大いに可能です、学生が主体的に動けばの話ですが。
Posted by 都内医学生 at 2012年12月30日 10:51 | 返信
梨木さんの仰るように、私も、大変ありがたいお言葉と、感じました。
しかし、いつ呼び出されるか分からないとか、朝から晩まで身を粉にして働いていらっしゃる、お医者さんは、体力のある方しか、続かないとのことでは、患者の方も、恐縮です。
戦前の良心的なお医者さんは、身体を壊して、悪くすると、亡くなられたそうです。
なるべく、夜中の往診とかは避けて、医師の訪問診療は月二回で、点滴は看護師さんにお願いするとか、合理的にして頂きたいと、願います。
患者も家族も協力します。
頭が悪いので、具体的には、分かりませんけれど。
Posted by 大谷佳子 at 2012年12月31日 02:37 | 返信
病の院!
なんと的を得たネーミングでしょう。
入院するまではわからなかったですけれど、本当にそのとおりでした。
心の底から、一日でも早く退院したいと思いました。
でも、お医者さんの激務の状況も、このとき初めて知りました。
クリスマス、お正月、そのあと2月まで40日ほど入院しましたが、
手術を含め担当してくださったお医者さんは、朝早くから深夜まで激務で働いていらっしゃいました。
私を含め、重症患者の急変があれば、お休みの日でもすぐ駆けつけられる体勢でいらしたので、本当に休む暇などないようでした。
でも、いつも元気でいらっしゃるので、一日一回先生が病室に来て処置してくださるのが、とても楽しみでした(とても痛かったですけど 笑)。
処置と処置の間の移動の時間にも、廊下を歩きながら携帯電話で、受け持ちの患者さんの次の受け入れ先を探したりしていらっしゃる声も聞こえました。
とてもではないですが、あの体力は、私には(多分他の多くの人にも)想像もつかないです。
あ、そうそう、今日のアピタルの親分、子分のお話、とても面白かったです。
Posted by ノンノン at 2013年01月02日 06:14 | 返信
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突然のコメントで失礼いたします。
自分は現在都内で医学部4年です。2年の時に医師が在宅医療で活躍している現場を見学させて頂き、自分も将来、在宅医療をやりたいと思うようになりました。自分の経験から、低学年のうちから在宅医療を見学するのは、医師の働き方の1つとして新たに視点が広がったり、患者さんとのコミュニケーションのあり方を考えるきっかけになったりと、非常に意義のあるものであると考え、他の医学生にも広めていきたい(勉強会を開くなど)と考えています。
そこで質問なのですが
長尾先生も低学年から在宅医療を見学するのに意義があると賛成してくださると思いますが、実際にその意義を示せる客観的なデータであったり、そういった考えに反対する方を目の前にしてその意義をきちんと伝えるための論拠はお持ちなのでしょうか。(僕や慶応の岡田さんの例は1つのケースにしかすぎないと思っております)
僕が何もアクションを起こさなくとも、これからは医学生の高学年や初期研修で在宅医療研修はどんどんと取り入れられていくでしょう。それだけで十分なのであれば、僕はアクションを起こす方向性(低学年から在宅を見学するようはたらきかけること)を考え直します。(都内医学生)
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今週も研修医君が来ていて同じような問答をしていた。
若い人に興味を持ってもらうのはとても嬉しい。
だた、私は在宅医療を賛美している訳でなない。