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ステンレスのリアカー
2013年01月11日(金)
いつもと変わらない独特のお声を拝聴して、元気が出るやとても嬉しかった。
その立谷市長が書かれたステンレスのリアカーの文章が届き、どこか懐かしかった。
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郷土蔵
この記事は相馬市長立谷秀清メールマガジン 2012/12/12号 No.274 より転載です。
福島県相馬市長
立谷 秀清
2013年1月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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この度の震災により、相馬市では主に海岸部の集落に甚大な被害を受けた。避難誘導にあたった消防団員をはじめ多くの尊い命が失われたことは周知の通りだが、一方、避難によって辛うじて助かった人々も生産活動や生活の拠点を失った。生活・産業の回復の為の、国の復興予算をはじめ世界中からの善意により、復興住宅の一部が完成、また高台移転のための造成工事に着工するなど、復興に向けて市民一丸となって長い坂を歩んでいる。しかしながら、被災者全員が終の住家に納まり、産業が以前のように蘇るまでは相当の期間とエネルギーを要するものと改めて覚悟している。
このような状況の中で見落としてならないことのひとつに、流失家屋の中には、近世・近代以降の生活や生産様式を今に留める民俗資料を、生活の中で収蔵してきた古民家や土蔵が多く含まれていたという事実がある。磯部地区の代々続いた農家や、原釜地区の明治時代から続いた味噌醤油屋の土蔵をはじめとする古民家などが流された。これらの古い建築物の中には近世・近代以降の生活用品や、農業のための道具・什器が収蔵されていたので、相馬市にとっては生活文化遺産の損失だった。海岸部の民衆の記憶までを津波は流し去ったのだ。
一方、市民の中には以前から民俗資料が喪失してゆくことを懸念して収集活動をしてきたグループがいる。最近、地域の民俗資料とも言うべきこれらの生活の記憶が失われないようにとのご厚意の下、現在保有している農道具や什器や生活用品を相馬市に寄贈いただいた。
実は民俗資料も、うかうかしていると消失してしまうことを実感させられるようなエピソードがあった。
我われは昨年の夏から、仮設住宅の一棟一棟の間をリヤカーで訪問販売することを始めた。車を持たないとか足腰の弱い買い物弱者のため、また訪問販売することによって独り暮らしの老人などをチェックし孤独死対策とするため、それとリヤカーの周りに人が集まりコミュニティ形成の一役を買ってほしいためなど、いろいろな目的で始めた。私の子供のころの原釜にはスーパーなどは勿論なく、豆腐や納豆を売りに来るリヤカーの周りには、かっぽう着をきたおばさんたちがいつも集まっている光景があった。
ところが訪問販売を開始するにあたって、思い出に出てくるリヤカーを相馬市いっぱい探し回ったが、驚いたことに一台もなかった。21世紀のデジタル社会は、あの昭和の郷愁あふれるリヤカーを相馬市に一台とて残さなかったのである。仕方なく販売用に購入したのはステンレス製の折りたたみ式(#1)。コンパクトで軽量・堅牢だが、味気のないこと甚だしい。ステンレスリヤカーは、役には立つが情に乏しく見える。あの黒い鉄製の枠に付いた太めのタイヤと木製の台座が懐かしい。
多分、昔のリヤカーくらいなら他の町に行けばあるかもしれない。しかし大切なことは、リヤカーを牽いていたあの時代の地域の結びつきこそ、今度の震災復興に一番の原動力になるに違いないと思って、みんなで力を合わせて様々な対応をしてきたことである。だから相馬市としては、農家や町屋敷の庶民の生活の様子を残していくことも必要と考えている。
今回の民俗資料の寄贈を契機に、来年度改築を予定している歴史文化財資料館の隣に、郷土の暮らしの記憶を留めるための郷土蔵を造り、相馬藩伝来の文化資料と対比して庶民の生活文化を展示することにした。木造総2階建て、上下で80坪の建物になるが、1階にはかつての生活を再現できるよう自在鍵が下がった囲炉裏を作ってみたい。また、市民の知恵を拝借しながら、何を展示するかなど委員会を作って運営したいとも考えている。今回いただいた民俗資料だけでも十分な量になるが、これから市民に公開していけばさらに珍しいものが集まるだろう。
相馬を訪れる方々にも是非ご覧いただきたい。いま仮設住宅で助け合いながら暮らしている原釜や磯部の人たちはもとより、相馬地方の民衆が形成してきたコミュニティの記憶の断片を、後世に伝えていきたいと願っている。
(#1)http://www.city.soma.fukushima.jp/topics_contents.asp?offset=380&kijino=9301039
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