- << 京都、東大阪、藤井寺
- HOME
- 平穏死病院が増加中 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
勘三郎さんの死に学ぶ
2013年02月09日(土)
近藤誠先生が、抗がん剤と手術で亡くなったと書いているが、私の見解は全く違う。
勘三郎さんの死への私の解釈とみなさんへのメッセージを込めて書いた。
http://www.drnagao.com/pdf/media/sankei/sankei130209.pdf
抗がん剤シリーズ第11回 勘三郎さんの死に学ぶ
タバコ病と医療の不確実性
勘三郎さんは食道がんに対する2クールの抗がん剤治療を受けました。その3週間後に、12時間に及ぶ外科手術を受けました。切除した組織の段端に1ケのがん細胞も見つからず、完全に切除できました。手術自体は100%成功。しかし手術6日目に、大量の嘔吐がありました。胆汁を含む胃液が肺に入り、突然の呼吸困難になりました。なぜ、嘔吐したのかについては分かりませんが、嘔吐→誤嚥性肺炎を契機に勘三郎さんの容態は一気に悪化しました。手術時に肺が普通のひとの3分の2だったそうです。また経過中、動脈中に二酸化炭素が貯まったということから、勘三郎さんの肺が肺気腫ないし慢性閉塞性肺疾患(COPD)のような状態だったと想像します。それで肺炎が治らず命取りになったのではないか。がん患者さんはがんで亡くなるとは限りません。勘三郎さんの手術後4ケ月間は、がんではなく肺炎との闘いでした。最終的には、肺の基礎疾患が響いてきました。そもそも食道がんができたのも、肺炎が治らなかったのも、タバコが原因です。
某文芸誌に慶応大学の近藤誠先生が「中村勘三郎さん がん治療への疑問」と題して、自説を述べられていました。「抗がん剤+手術」だけが選択肢ではなかったはず、との見出しです。食道全摘術は妥当だったのか?抗がん剤治療を行ったから肺炎が起きたのではないか?放射線治療のほうがよかったのでは?と主張されています。私はかなり違う意見です。抗がん剤治療も手術も特に問題が無かったが、肺が弱っていたことが術後の誤嚥性肺炎を乗り切れなかった原因だと。私と近藤先生が一致するのは「放射線治療の余地があった」、という点です。
術前にリンパ節転移が判明していたので、担当医から「治る確率は12%」と説明されていたそうです。勘三郎さんの手術自体がひとつの「賭け」だったのです。しかし外科医は、その賭けに勝ちました。ただ術後、胆汁を含む胃液を嘔吐して「肺がやけどをした」ことが致命傷になりました。しかしあくまで結果論で、不可抗力であったと想像します。
「医療の不確実性」という言葉をご存知でしょうか。医療は、生身の人間が相手ですから、100%確実ということはありえません。いくら安全性の高い手術でも上手くいかないことがあれば、その逆もあります。医療ミスではありません。ミスが無くても結果が悪いことが現実にあるのです。やってみないと分からない部分があるのが、医療です。食道全摘術後の経過中に重症肺炎が起きる可能性は1%と言われています。しかしたまたまその1%が、勘三郎さんの身に起こってしまったのではないか。
結局、勘三郎さんの死は「タバコ病」と「医療の不確実性」が原因であったと思います。タバコで食道がんになり、それは何とか乗り越えたものの、COPDでつまづいた。以上が勘三郎さんの全経過への私の見解です。当代きっての人気歌舞伎役者の死はたいへん残念です。日本中のひとが何があったのか?と思ったことでしょう。勘三郎さんの無念さを想像すると胸が痛みますが、我々は彼の死に何かを学ぶべきだと思います。
キーワード COPD
従来、慢性気管支炎や肺気腫と呼ばれていた疾患。COPDになると正常な呼吸が困難になり、せき、たん、息切れなどの症状がみられる。日本には500万人もの患者さんがいるが、多くはまだCOPDと診断されていない。
- << 京都、東大阪、藤井寺
- HOME
- 平穏死病院が増加中 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: