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「平穏死という親孝行」論争

あなたさえいなければ・・・・

2013年03月05日(火)

はやくも、「平穏死という親孝行」の読者から様々な意見を頂戴している。
賛否両論がある。
実はそれは表面的な反応であって私が本当に言いたいことを理解している人は多くはない。

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実は、「平穏死・10の条件」を読みました!と言いながらも、
死ぬ直前に、胃ろうを希望される御家族がおられた。

また、「胃ろうという選択、しない選択」を読みました!と言いながらも、
真顔で中心静脈栄養を強く希望される家族も少なくない。

ちょと待ってよー!と、
著者としては言いたくなる。

読むことと、理解することは全然別なのだ。
また、買っただけで、ほとんど読んでいない人も多いだろう。

人に伝えることは本当に難しい作業。

平穏死・3部作に書いてあることが、お医者さんに理解してもらえるまで
これから何年かかるのだろうか?
もしかしたら、自分が生きている間には、理解されないかもしれない。


16世紀のイタリアのフィレンツエで、ガリレオガリレイは、
地動説を唱えた。
しかし天動説の人に、牢屋に入れられた・・・

それと同じ。

論争は、いつか決着がつく。

平穏死は、ブームでも綺麗ごとでもなんでもなく、
「真実」そのもの。

しかし、本当に理解されない。

不思議だ・・・

色眼鏡を捨てて、素直に考えて欲しい。

「平穏死・10の条件」を、市民に話すと、みんな納得してくれる。
しかしエライお医者さんに話すと、みんな首をひねりながら聞いている。
全然、納得していないのだ。

天動説を信じている人に、地動説を説いた時の反応なのだ。
むしろ、地動説を知らない人の方が、素直に信じてくれるから面白い。

だから、日刊ゲンダイ火曜日の連載タイトルは「医者も知らない平穏死」なのだ。
本音では、「医者が一番理解できない平穏死」としたいことろなのだが・・・

難しい話より、分かりやすい話の方から!
という人には、是非、「平穏死という親孝行」のほうからでも、三部作を読んで欲しい。
http://jump.cx/oyakoukou

私の医者人生28年の全てをこめて書いた3部作。

「あなたさえいなければ・・・」の意味を、もし理解できたら
この本が分かる素質があります。

そんな程度かもしれない。

分かる人には分かる。
しかし、分からない人には、いくら時間をかけて説明しても一生分からない。

それが、「平穏死」という、生き方。

分かるかな?

市民の1割が目覚めたのに、
医療者の、0.01%も目覚めていないという
喜劇のような話。

もし「私は平穏死の意味が分かるぞ!」という若い医師や看護師がおられたら、
是非、コメントを書き込んでください。

「分かります」だけで、いいです。
お待ちしています。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

確かに、一回か、二回読んだだけでは、ちょっと理解するのは、難しいです。
私は昔から、慌てて答案を書いて、アウトになる癖があります。
早く、感想を書いた方が良いかなと思ってしまって...。
近所の人達や、友達や、介護職の人達も、私が在宅介護をしている事に対する反応は様々です。
うちに母に歯科衛生士の主婦が来てくれていたのですが、少し離れたところに実家のお母さんがいると話していましたが、急に、歯科の仕事を止めると言うので、歯医者さんがあわてていらっしゃいました。何でも、実家のお母さんを引き取って、介護するんだそうです。その為に、ヘルパー2級を取るために、研修会に通うとのことで、歯医者さんが困っていました。何人も雇っているのですが、一人は産休、今度は介護休暇と言うわけです。
先日来た歯科衛生士は子供もまだ小さいので、働く気は全く無かったのに、歯科医院のクリスマス会に呼ばれて、行ったら、先生に「そろそろ、うちで働かない?」と言われて、働くことになったとのことです。この不況下に、羨ましい話です。
私の大学時代の友達も、実家のお母さんを引き取りました。そのお母さんも、先日娘のそばで亡くなりました。
中学校時代の友達は、お姉さんの主人が、お母さんを熱海の介護付きマンションに入れる事を主張して、そうなったのですが、自分の部屋で、体操をしていて、転倒して、慢性硬膜外血腫になって、「介護が必要になったら、出て行ってくれ」と言われて、自宅で介護することを考えています。
私は誰にも、自宅で介護するように勧めたわけでは有りません。
ただ、既に、自分の親を、何らかの理由で、病院で亡くした人は、私が母を自宅介護している事を快くは思って無いと思います。
親の介護をしながら、働ける人もいますが、今は不況で、直ぐクビになりますからね。
とにかく、在宅介護している人は親孝行、してない人は親不孝と言うような、単純なものではないように思います。
ドイツなど、ヨーロッパでは自宅介護する人にも、なにがしかの、手当が出ているように聞きましたが、日本では何も補償は有りませんから、何か他でアルバイトでもしなければいけないわけです。これまでの職業でクビになれば、それこそ水商売でもしなければ生きていけませんからね。親の介護の為に水商売で、働いているのは美談なのか、堕落なのか?イエス.キリストではありませんが「罪なき者のみ、石を持て」です。
長尾先生は確かに、努力家だと思います。母の担当医もブログを見て「真面目な人やねえ」と言っていました。でも、社会全体から見れば、エリート層だと思います。
長尾先生は正義感が、強い。でも、社会の中間層や、底辺に居る人を、皆一律に評価はできないと思います。別に、法律を、犯しているわけではないのです。ただ、医療や介護の世界の全体を認識してないのです。厚生省が急に「在宅介護」にハンドルを切って来ても、急には、人は自分の生活を変えられないのです。
どこの町にも、長尾先生がいらっしゃるわけではありませんしね。
私も、長尾先生が問題提起なさった事は良かったと思っています。
ただ、何ていうか、桃太郎みたいな正義感で、裁かれると、ちょと、恐いなあと思います。
自分が青鬼や、赤鬼になって、退治されてしまうような気がします。
「あの人さえ、いなければ」の意味もわかりました。
遠くに離れて住んでいる長男が母親の平穏死を邪魔すると言う事ですね。
そんな長男を育てた、お母さんにも、責任があるんじゃないでしょうか?
長尾先生の書かれてこの本を材料に、是非親子で話し合って貰えば良いのではないでしょうか?
私も、これから、何回も、読み返してまた、感想を聞いて頂きたいと思います。
では、失礼します。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月05日 02:15 | 返信

栄養士です。
分かります。

Posted by kayabuki110 at 2013年03月05日 05:48 | 返信

アメリカの看護師です。わかります。というよりも、平穏死をできなかった場合を痛いほどわかります。アメリカでもその理由のほとんどが、家族の希望です。

Posted by Midnight Nurse at 2013年03月05日 09:57 | 返信

わかります。
昨日も平穏死という言葉は使いませんでしたが、そういう方向になりました。

Posted by 医師です。 at 2013年03月05日 11:48 | 返信

6年目の呼吸器内科の医師です。がん専門病院をやめ、在宅医になる予定のものです。先生の著書、ブログ毎日拝見させていただいております。がん専門病院と在宅両方の死を見てきて、先生のおっしゃる平穏死、よくわかります。患者さん、ご家族は治療を抗がん剤を崇拝し、最後まで抗がん剤に生き方を合わせています。抗がん剤のために生きているくらいに思えてしまいます。医者は病院と自分の面子を大いに気にしながら治療を行います。誰も、患者さんのしたいことして穏やかに最後の時間を自分らしく過ごし、平穏死を迎えるという方向を見ていません。これでは平穏死は選択肢にも挙がりません。なので、病気になる前に、治療が始まる前に、平穏死という選択肢を知ってもらえるように、僕は診療をしていきたいと思います。患者さんには最後まで出来るだけ自分を見失わず生きていって欲しいです。先生を心から尊敬しています。お体に気をつけてください。松山でお会いできたらすごい嬉しいです。本にサインをもらいに行ってしまうとおもうのですが、よろしくお願いいたします笑

Posted by イチカワ at 2013年03月05日 02:00 | 返信

97歳の母が長尾先生にお世話になっている者です。3年ほど前に長尾先生と出会い、夢?だった在宅での看取りが可能になり今は安心して在宅での介護生活を送っています。我が家は母と娘の私との二人暮らしです。母の認知症がわかってから13年になる介護生活は正直泣き笑いの連続でした。「施設を探したら?」「娘が親の犠牲になることはない」などなど回りの方にいろいろ言われました。でも私の中では、母は娘の私が看るべきというより看たいという気持ちしかありませんでした。母を介護することは私の人生において余分のことではないし、生きていくなかでの人生の一部だと思ってたからです。最近、気になるのは、親が認知症になったら介護が大変だから、施設だ、病院だと、最初から在宅が選択の中に入っていないことが多いような。介護ってそんなに悪いものなんかな~。暗いものなんかな~。こう書いたからって、もちろん様々な理由で預けざるをえない人たちがいることもわかっています。預けることが悪いばかりとも思っていません。ただ預けっぱなしという家族がいるという話も耳に入ってきます。母と一緒にいたいという単純な気持ちで介護を始めた私です。一人で母と向き合う日々は、命と向き合う日々です。でも人が老いていく姿をこれほど学ばせてもらえることに感謝しています。

Posted by yokotan at 2013年03月05日 02:02 | 返信

新聞記事もブログも10の条件も読ませてて頂いています。有りのままの世界を人が受け入れる事の困難さに長尾先生のように気づいた人はいつの時代にも居たように思います。そのような人の何人かは目だってしまって苦渋を舐めるのだと思います。しかし同時にその苦渋の何倍もの充実も手にすると思います。長尾先生の仰っている事はごく自然ですので賛否が議論なる事自体、多くの人がその人なりの現実を持っており、その現実が有りのままの世界とは一致しないためにその多くの人が苦しみを感じ、有りのままの世界を説明する人を攻撃したり擁護したりしている様に思えてなりません。「分かります」と言いたいのですが言ってしまうと長尾先生にも有りのままの世界に対しても失礼になってしまいます。

Posted by 異端者 at 2013年03月05日 02:56 | 返信

80代で肺炎になり、IVHで中心静脈栄養を受け、全身が水で膨れ上がり、苦痛のうめき声を上げる父の主治医から「やれるだけのことをやりましたが、」ともう長くはないということを告げられた時、IVHを抜いてもらい自宅に連れて帰りました。退院後それまで出なかったおしっこが出るようになり、全身の浮腫も半分くらいにまでヘりました。しかし呼吸の苦しさは続いて、ときどき吠えるような苦しみの声を上げる。どんなにかつらかったことでしょう。退院の2週間後、静かに息をひきとりました。
 その後、母が肺炎になったとき、もう父のようなことには、との思いで兄弟を説得し、中心静脈栄養、胃瘻、を断りました。「親を見殺しにするのか」「なぜ胃瘻をしない」と挑む医師に負けないでそのことを貫き、母は火が消えるような最後を迎えました。これで良かった、と思いつつも、そのあとずっと本当に本当に良かったのか、正しかったのか、と私の心のなかに声がありました。
 長尾先生のブログや本と出会ってそこに答えがありました。
「あれでよかったんだよ」と肩を叩いてもらえたような気がします。
ありがとうございます。長尾先生に出会えてよかった。
「延命治療」を断るのは本当に大変なことです。でも、やってよかった。
これから1人でも多くの人に語って行きたいと思っています。

Posted by 50代 看護師 at 2013年03月05日 05:58 | 返信

先生の三部作 読ませて頂きました。
私の父は大きな事故から4年5ケ月。救命救急に搬送 一命をとりとめ人工呼吸器。面会時間が許す限り
父の傍で呼びかけ。麻酔で眠らせ、6回の皮膚移植手術。2ケ月余りで呼吸器離脱。感染はいつも3種類の菌があり高熱続き 3ケ月余りでやっとHCUに移り、面会時間のみスピーキングカニューレに主治医が交換して下さり、3ケ月にして父の声を聞く事ができ、どれだけ嬉しかったかしれません。
ちなみに麻酔から覚醒していくのにも時間がかかり、毎日 玉のような汗。意識ははつきりしていて、手を握り返してくれたり、私が泣くと父も泣いていました。
看護師さんがカレンダーを作ってくれ、毎日記してが日課になりました。
主治医の先生は本当に良くして頂きました。搬送されて、2ケ月が過ぎた頃 どうしても私用て休まなければ
ならないと家族に話て下さいました。その時初めて気づきました。搬送されてから、先生 午前午後の面会時
いつも 説明に来て頂いていたのです。アルブミンの数値や状態の説明。高熱の原因。抗生剤の投与。耐性菌
などなど 素人の私達に理解しやすく、同じ質問にも、懲りることなく。今から4年6ケ月前ですが、
父は先生の懸命な治療のおかげで命を今日に繋げてると本当に感謝しています。
その後、大学病院への転院。大きい手術が待っていました。
ここでも父は辛い辛い治療を5ケ月。ずっとICUで過ごしていました。誤嚥性肺炎を繰り返していたので
胃瘻を造設。説明を受け署名。考えるなんて余裕もなく、選択肢なんてありませんでした。翌日手術。
その後、転院。紹介状には廃用性?と書かれていたのを目にした時、体が怒りに震え狼狽しながらも、
主治医によろしくお願いしますとしか言えなかった。
その後も色々ありました。機会があれば、また、投函しますが、気切も延命のひとつなんでしょうか?
胃瘻もそうですが、声が出せないというのも… 本人の気持ちを思うと……
しかし、今も父との時空がある。感謝しています。

Posted by エール at 2013年03月06日 12:57 | 返信

長尾先生、いつも読ませていただいてます。
とてもわかります。病院で歯科衛生士をしております。
ジャスペンでのあのお気持ちもよくわかりました。

Posted by 空 at 2013年03月06日 02:34 | 返信

よく分かります。老健で医療職として働いています。癌の治療中の父もいます。胃瘻とか延命とかそういうものとはへだたりのある最後の迎え方、あるようなきがします。
再発、、、入院、、数ヶ月の延命のための抗がん剤
闘病、頑張れ世代の高度成長期世代を支え家族にパラダイムシフトを。

Posted by 月へ行く at 2013年03月07日 08:07 | 返信

わかります。
群馬県の看護師です。
自らの手を汚さずに、医者の手を借りて家族は家族(患者)を苦しめるのです。
しかし医療者も家族もそれが悪いことだと思っていません。
信念対立は価値観の違いで大きくなる一方です。
先生の考え方がもっと多くの医療者に伝わることを祈っています。

Posted by 古賀恵海 at 2013年03月07日 09:59 | 返信

平穏死三部作よみました。
とってもよくわかります。
回復期の医師です。

Posted by 若くはない医師 at 2013年03月09日 08:06 | 返信

ちゃんと死ぬことって、ちゃんと生きていくこと以上に難しいんだと感じています この超高齢化社会でこういったことを浸透させるべきと考えます 家族の希望…なんでしょうか? 希望なんでしょうか? それを断ったら退院してくれと言われたら困るからNOと言えないのではないのでしょうか  私は職業柄家族とも死についてよく話します まだ未経験なので、実際はわかりませんが、放せず・しゃべれず・拘縮し・おむつで…変わっていく親を見たくはありません

Posted by 老人病院看護師 at 2013年03月10日 04:15 | 返信

今日、本屋に行って、「清流」という雑誌を探しましたが、本屋では、売られていないそうです。それで、かわりに、近藤誠先生の「医者に殺されない、47の心得」と言う本を購入しました。「患者よ、癌と闘うな」と言う本を昔読んで以来久しぶりです。
近藤先生の本は、過激ですが、あくまで、私個人の健康について、考えたら良い話なので、笑いながら、そういう事もあるなあと気楽に読めます。
過激と言うと、近藤先生の仰っている事の方が過激なんですが、長尾先生の著作では「親の死に方は子供の責任である」と書いていらっしゃるので、父の死に方を思い出して、胃が痛くなります。全て子供の責任にされても、親はタバコをやめなかったり、かかった医療機関が良かったり、藪医者だったり、子供だけの責任とは言えないと思います。
二年前、兵庫県介護支援専門員協会で、初めて長尾先生にお目にかかった時、こういうお話をなさっていらっしゃいました。尼崎か近隣の町で、高齢の患者さんの在宅医療で、訪問すると、ケアマネジャーが、かってに、患者さんを認知症と診断して、何処か施設に入所させた方が良いというような話を、担当医である、長尾先生抜きに話ている。患者はというと、よくみると、どう診ても「硬膜外血腫」であるので、家族とケアマネジャーに「この人は硬膜外血腫じゃないか!手術したら、直ぐこれらの症状はとれるのに!」と長尾先生が言っても、まだケアマネジャーは納得しない。医療知識が無いのに、医者に診せて診断を仰ごうともしない」と言うお話でした。
その患者さんは、何処かの医療機関で、慢性硬膜外血腫の治療を受けて良好な結果を得られたのでしょう。と言う事は、在宅医療であったが、長尾先生の「硬膜外血腫」との診断で、医療機関内での治療となった訳ですから、在宅で居ればそれで良いと言うわけではないのですね。
私の父も基本的に在宅医療でした。担当の在宅医もいました。でも、何かと言うと、「救急病院に行って!」と連発する医者でした。なんども救急病院に入院して、無事に退院してきました。最後に、入院して、そして、生きて変えることは無かったのです。
それは子供である私の能力を超えて居たと思います。
長尾先生は、「何もかも子供の責任だ」と仰っているけど、患者である、親が苦しんで死ぬ事には、家族にも責任がありますが、患者本人にも、そして医療機関にも責任があると、思います。
医師の何の責任もなくて、家族にだけあるというのなら、何のために、医師の資格があるのですか?
突然電話してきて「あんたのお父さん死んでるよ!何分で来れるの?」と言われて驚いて車で、母と駆けつけました。、
「葬式は近所のベルコでしてね。うちはベルコと提携してるから」と言われましたけど、父の遺言で、COOPで密葬にしました。
私は、亡き永井明先生や、近藤誠先生は好きですけど、旧帝大卒のお医者さんは大嫌いです。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月14日 03:11 | 返信

硬膜外血腫ではなく、硬膜下血腫でした。お詫びして、訂正します。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月14日 12:09 | 返信

親に延命治療を希望する子供には責任があると思いますが、
親であれ誰であっても、その死に方に、誰かに責任はないと思います。
(もちろん事件性がある場合は別ですが。)

基本的には自分の健康は自分に責任があります。
しかし、医者にかかることによって逆に病気を悪化させることが事実、あります。

医者の在り方が問われていると思います。医療行政の責任が問われていると思います。

ひとつ、言えることは、時代が急激に変化しているのです。
急激に寿命が伸び、半病人で長生きする人達が大半を占める日本になっているのです。
同時に、ちょっと前までは想像もしなかったようなロボットみたいな高齢者の「生存のさせ方」(すなわち管まみれ)が、なぜか日本で普及してしまったのです。

医療従事者は、病人を第一に考えるので、その世話をすべて家族に押し付けようとします。
家族が世話をすること、家族が介護をすることを、当然として話を進めてきます。
その、医療者側のペースに巻き込まれる必要はありません。堂々と自分の生活を守る主張をしなければ自分が潰されます。

私は、10年後くらいには、現在の家族介護者が認知症になっていくと予想しています。
「長期にわたるストレスが脳を縮め認知症を引き起こす可能性」は、ほぼ周知の事実となっています。
ですから認知症患者はものすごく増えます。
「介護が楽しい」なんてウソですよ。本音だとしたら、その程度のちょっとした介護で済んでいる、ということです。

医療関係者や行政側が、いつ終わるとも知れない要介護者の日常の世話や介護を、家族介護者に押し付けることによって、将来の認知症予備軍を大量生産しているのです。
家族介護者は、時間制限無し、無料、無期限の精神的肉体的疲弊で自分の人生を潰しています。

Posted by komachi at 2013年03月14日 02:19 | 返信

私は初めから、知能指数も低いんです。
ケアマネジャーとしては、私の父の担当医や、父の死んだ救急病院は、お勧めしません。
私の取った、態度の何処から、間違えたのか、私の取った介護体験は全部間違っていたのでか、父が死んで以来7年間ずっとそればかり考えています。
確かに、呆けてきたのか、初めから、アホなんです。
長尾先生は御父君の亡くなられた責任がお母様にあるとお考えなんじゃないでしょうね。
お父様も、何に悩んでいらっしゃるのか、ハッキリ仰って、自衛隊なんか、さっさと、おやめになれば、今でも、お元気に生きていらっしゃったのだと、私は思います。
ごめんなさい。他人の心の中には行ってはいけないのに、ヘンな憶測をしてしまいました。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月14日 04:43 | 返信

私から、介護保険をお願いしておきながら、家の中には行ってくる、歯科衛生士さんに言われた言葉に敏感になってしまいます。「お母さんが原発の本を読んでいらっしゃるなんて、先見の明がある!」と言われて、「いや、東北大震災が起きてから、本屋さんのベストセラーのコーナーに置いてあったから購入しただけです」と言っても、「いや、先見の明があるのよ!」と言い張るのです。先生に申し上げて、歯科衛生士を変えて貰いました。家の中のものに評価を下す人は多いので、できるだけ片づけているのですが、隠し損ねた本も目ざとく見つけて「あれは○○ですね」と言われると、疲れがどっとでます。母が認知症のお蔭で、何故私のプライバシーが無いのかしら?と思いますが、掃除をしてない私が悪いんだから、どうしようもありません。パリサイ人が多いなあと思いますが、自分も誰かに対して、パリサイ人なのかもしれません。

Posted by 大谷佳子 at 2013年03月14日 10:37 | 返信

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