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認知症は本当に病気なのか?

2013年03月24日(日)

3年以上、毎週連載している産経新聞・兵庫版の土曜日の「DR和の町医者日記」
抗がん剤シリーズ16回のあとは、認知症ケアシリーズに変わった。
第1回の昨日は、「認知症は本当に病気なのか?」、「発見、日野原病」で書いてみた。
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産経新聞認知症ケアシリーズ第1回   老化に伴う脳の萎縮

                   認知症は。本当に病気なのか?

 

 私は54歳。高校生の時に比べて明らかに記憶力が低下しています。子供と神経衰弱をしたら絶対に勝てません。最近、人の名前を覚えられなくなりました。2日前の食事内容を思い出すのにかなり時間がかかります。漢字が出て来ないことがあります。「ひょっとして認知症が始まった?」。そんな言葉が頭をよぎる時があります。もちろん、単なる物忘れと「認知症」は違うものとされています。しかし「認知症」という言葉が普通に使われる現代。昔は、「痴呆」や「ボケ」でしたが、いつしか「認知症」へ。私は「認知症」という言葉に違和感を覚えます。正確には、認知機能が低下することなので、「認知機能障害」というべきです。しかしそれを省略して「認知症」と短縮形で使われます。毎日、何度も使う言葉ですがどこか引っかかっています。まあ、それはいいとして、そもそも「認知症」は本当に病気なのでしょうか?なーんて話から始めてみましょう。


 脳の機能は年齢とともに低下します。CTで診ると脳は徐々に萎縮します。腰が曲がり、膝が変形し、皮膚のシミは増えるので、脳の委縮は当然、と言えます。全身が縮むのに、脳だけ縮まない方が、不自然だと思いませんか?脳の中でも、最近の記憶や難しい思考回路に関わる部分が障害されると日常生活に支障が生じ、時に、他人の助けを要します。しかし認知症の人は全ての機能を失ったわけではありません。今している会話は充分に成立するし、食事が美味しいか不味いかなど、快、不快ははっきり分かります。認知症になれば脳の全ての機能が失われる訳ではなく、一部の機能が低下するだけなのです。歩く速度が遅くなるのと、どれだけの違いがあるのでしょうか。


 先日、始発電車で101歳の日野原重明先生と出会いました。先生は100歳を超えた今も、現役のお医者さんです。背中は少し曲がっていますが、脳は縮んでいないようです。全身は縮むのに脳だけ萎縮していない日野原先生を、どう考えたらいいのでしょうか?もしかしたら、脳だけ縮まない日野原先生の方が「異常」かもしれません。もしそれを病気と呼ぶなら、私は、日野原病」と命名します。もしかしたら「認知症」が正常で、「日野原病」が異常ではないのか?そのように考えたほうが合理的だと思う、最近の私です。 


 認知症の人が300万人を超えたと報道されています。日本社会が高齢化しているので増加して当然でしょう。長生きすれば認知症になる確率が高まります。ある専門家は、近い将来、認知症の人が高齢者の6割を超える、と予測しています。そうなると、まさに認知症=多数派=正常?、認知症でない=少数派=異常?、となる時代が来るかもしれません。そんな中、認知症を特別な病気として隔離するという手法に違和感を覚える人は、まだ少数です。とはいっても、暴言を吐いたり、夜中に寝なかったり、幻覚があったり、対応に苦慮する場合もあるのは事実。また、数は少ないとはいえ若年性認知症への対応は、現実的な課題です。今週からしばらく、新しい認知症ケアについて考えてみたいと思います。


 私事で恐縮ですが、先月末に「平穏死という親孝行」という本が世に出ました。これで平穏死3部作となりますが、よろしければ、ご一読ください。

 

キーワード  若年性認知症

1864歳で発症する認知症の総称。65歳を過ぎれば若年性と呼ばない。厚労省の調査では27,00035,000人と推定されている。働き盛りの若年者の認知症は社会や家族に大きな影響を与え注目されている。

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この記事へのコメント

ネットで読んだ記事で、英国かヨーロッパの国と記憶していますが、修道院で亡くなった尼僧の方々の脳を解剖したところ、明らかにアルツハイマー型認知症に罹患しているはずのに、生前、何の症状も出ていなかった方々が少なくない、という内容でした。修道院で日々精進に励むような生き方が、発症を抑えていたのではないか、という推論でした。
透析脳症のように一定の元素などの毒素を過剰に取り込んだ結果発症する場合と、血管が詰まったり切れたりした場合、すなわち物理的原因が明確でない場合には、認知症は老化の一部であって病気ではないような気がします。しかし「一部の機能が低下するだけなの」ではないから本人に関わりある人達、特に家族が困るわけです。
被害妄想や暴力、暴言、徘徊、幻視、妄想、異食、トイレがわからない、などの、いわゆる「周辺症状」と呼ばれている行為が無ければ、程度の差はありますが「一部の機能が低下するだけなの」だと思います。
この「周辺症状」の発現の仕方には、本人の性格と生き方が色濃く反映されると思います。
尼僧の生活が良い、と言うつもりはありませんが、自己肯定できるような生活環境で自己を確立して生きることができれば、周辺症状の出ない「一部の機能が低下するだけ」の脳の老化で生涯を終えることができるように思えます。
現実的には、人と関わって「家族」の一構成員となることが半ば人間の義務であるかのような世の中です。するべきだと言われるから結婚して「家族」を維持するために自分を殺して我慢し続けて、自分の人生とじっくり向き合うこともなくいつの間にか年老いた人々が大半を占めるのではないでしょうか。
また、内助の功と誉めそやされる縁の下の力持ちみたいな妻に支えられて、男はやりたい放題やるのが当たり前だという日本古来の家族意識に縛られている老人がたくさんいることも事実です。
そういった老人が、特に、自分の家で家族によって介護されていると、被害妄想や暴言などの周辺症状が出やすいと思います。
そういった老人を、他人の中に入れると急に礼儀正しい紳士・淑女になったりします。本人の社会性と、他人からよく思われたい、という意識を利用したほうが良いのです。
自宅で家族だけに囲まれて生活していると、我儘放題言いたい放題やりたい放題、トイレをオシッコでビショビショにしたまま、妻に掃除させて悦に入っている異常な老人が、介護施設では一度もはずさすきちんと便器の中にオシッコできるのです。
認知症診断が出ているか否かに関わらず、老人特有の特殊な心理状態があると思います。高齢者心理を学習した介護のプロが上手に接すると、老人自身の良い面が発揮されて本人にとっても家族にとっても良い結果をもたらすと思います。

Posted by komachi at 2013年03月25日 04:18 | 返信

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