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スピリチュアルペインが分かる医療者、分からない医療者

2013年03月26日(火)

末期がん患者さんが、がん拠点病院から紹介され、自宅に帰って来た。
紹介状には、「この患者さんは在宅では無理だから、ホスピスに行くことになっている」
と書いてある。でも病院の医師が勝手に決めていいのかな。
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自宅を訪問し、一番に、私が放つ言葉は、決まっている。

「ご出所、御苦労さまです」

みんな笑う。
本人も笑う。
苦笑いだが。

そこで気を良くして、必ず、こんな言葉が口をつく。

「せっかく家に帰ったのだから、元気になりましょう。
 楽しいこと、全部やりましょう。
 食べに行きましょう。
 旅行をしましょう!」・・・・

これで、患者さんは少し反応を示してくれた。
末期がんの患者さんは、100%、うつ状態。
笑顔が出ることだけが、私たちの宝物。

次にこんな言葉が出てくる。

「痛いよね。いくら麻薬を貼っていても痛いよね。
 我慢しているから、頓服も1日にたった1包しか飲まないんだ。
 でも、もっと飲んでもいいだよ」

「私が肉体の痛みを全部取りましょう。
 魂の痛みは難しいど、、肉体の痛みは、俺が取ります。
 そして、魂の痛みも取っていきますからね」

患者さんの顔を見ると、涙がこぼれている。
無表情だった顔に、涙が流れている。
どうも魂の琴線に触れちゃったみたい。

「やっぱり・・・」

多くの患者さんは、スピリチュアルペインを抱えている。
大きすぎてどうしようもない魂の痛みは、もう忘れている。
それを思い出すかのように、涙で反応してくれる。

在宅の醍醐味って、このあたりにあるのかな。

スピリチュアルペイン。

これが分かる医療者と分からない医療者に大別される。
介護も一緒だ。
魂の感受性なので、個人差が相当ある。

入院そのものがスピリチュアルペインの原因だなあと、思う時がある。
自宅に帰った途端、別人のように、活き活き元気になる患者さんを見る度に、そう思う。
常に迷いが生じるのが、現場であるということ。

スピリチュアルペインが分かる医療者(わかろうと努力している真面目な方も)と、
全く分からない医療者(介護者も同じ)がいる。
当然かもしれないが、患者から見てこれでいいのでしょうか。

しかし、今からでも遅くない。
スピリチュアルペインを感じ取られる医者を育てたい。
スピリチュアルペインこそが、医療への原点だと思う。








 

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この記事へのコメント

>スピリチュアルペインを感じ取られる医者を育てたい。
クリック百回位押したいです! 有難うございます。

現代の小学校から大学までの教育制度の中で
科学者の一人と自負している医師は
「目に見えないスピリチュアなんて、どうしてあるとわかるの?」と
言うかもしれません。診ているのは肉体(のパーツ)?
でも、「無い」と証明することはもっと難しいのでは?

せめて「あるかもしれない」という畏敬の念をもって
命の終わりを迎えようとしている人の魂の痛みに
向き合って下さる医師が増えますように。

そして宗教界の方達こそ(なぜならスピリチュアを知っている方達だから)
自分の宗教のプロパガンダというのではなく
必要としている人の傍らで、自分の弱さが強さにもなるという不思議を
語り、聴き、共にいてほしい。
「苦しむ人のそばにいるのが私の仕事」と言っていたマザーテレサは
宗教の違いは全然意に介してなかったと聞いていますから。

Posted by 梨木 at 2013年03月26日 06:43 | 返信

今アップされたのを見たら、2回もルが抜けていました。スピリチュアルが正しいですね。
日本語も間違う時ありますが、外国語はもっとです。お詫びして訂正いたします。

Posted by 梨木 at 2013年03月26日 11:49 | 返信

>「無い」と証明することはもっと難しいのでは?

そうだと思います。
あることを証明はできても、ないこと「無」を証明することは難しい。
何かゼロの概念に似ているような気がしますが、スピリチュアという魂の領域の問題はそれこそその人の感性の問題だと思いますし、論理的に証明しようとして出来る事ではないと思います。

以前の記事の中で長尾先生はたしか空海を信奉していらっしゃると言われていたと思いますが、長尾先生は患者さんが何宗の人であれ人間として向き合い、その人の苦しみをのぞこうとしておられる。
本当の宗教者はそうあるべきだと思います。
どんな宗教であれ宗教である以上、人の苦悩を除くと言うことにその目的があるはずです。
自分の信じた宗教を根本として他人の苦しみを除こうとする行為は、宗派を超えて「人を救う」と言う共通の行為に繋がっていると思います。
「人の苦しみを除く」という人間としての共通の、具体的な課題に直面した時、あの人は何宗だから・・などという意識は当然あってはならない事だと思います。
それぞれの宗教の教義の次元での論争はあっても、人間共通の課題の、具体的取り組みに対しては宗教の枠を超えて全ての宗派が力を合わせるべきだと思います。

どんなに優れた宗教を信じていても、信じる者が人間である以上思いやりの深さを含め一人一人の持つ力は違うと思いますし、長尾先生が法曹界や宗教連盟から子供じみた嫌がらせをされたように、今の世の中正しいことが正しいと通りにくくなっている。
人の心が乱れに乱れ、極端にいえば欲望を中心とした自分の考えしか見えなくなっている。
だからこそ、その思考を正し高める為に宗教が必要なのだと思います。

患者の心に寄り添い、患者の苦悩を基準にした行動を貫く努力を続けられている長尾先生のように、どの世界でも人の心に寄り添い、「人」の豊かさを目的にした人物が現れる事を切に願いたいです。

Posted by 桜 at 2013年03月27日 01:29 | 返信

桜様

素晴らしいフォロー、有難うございます。
一番読んで欲しい方々が 読んで下さったら嬉しいですね。
今、桜の季節・・・my season が楽しい日々でありますように。

Posted by 梨木 at 2013年03月27日 11:18 | 返信

「無い」と証明することは不可能です。今日は正しくとも明日は「有る」とわかるかもしれません。明日わからなかもしれないけれどあなたの生きている間にわかるかもしれません。あなたの生きている間でなくて何百年後に「有る」とわかるかもしれません。こう考えると、有ることは証明できても無いことは証明できないことがお分かりになると思います。

Posted by つつじおやじ at 2013年03月28日 03:54 | 返信

つつじおやじ様

ほんとに・・・
古代から現代まで、なんと多くのことが「有る」と分かってきたことでしょう。
殊に数学の定理とか、自分の苦手分野なのでなおさらその「発見」に感動します。
自分は見られないかもしれないいろいろのこと、
未来ではどんな答えがあるのか楽しみです。

Posted by 梨木 at 2013年03月29日 01:09 | 返信

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