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憲法96条を巡って
2013年05月04日(土)
96条改正に賛成(自民、みんな、維新)と、反対(民主、公明、共産)に別れている。
実は、観たばかりの映画「リンカーン」にも、96条の3分の2について描かれていた。
映画では、リンカーンの熱意で、3分の2以上が実現し、法改正された。
わが国では憲法9条を改正するために、まず96条を改正しようとしている。
これは、ゆゆしき問題だと思う。
憲法9条に賛成でも反対でも、96条には大きな意味があると思う。
映画「リンカーン」でも、そうだった。
過半数というのが民主主義だというならば、
3分の2というのは、和の精神だと思う。
大事な決定の際には、和をもって臨むべきだ。
それが3分の2であり、96条なのだ。
場合によっては、4分の3でもいいはずだ。
現在の国会議員は、一票の格差や選挙区制度もあり、公平に選ばれているとは限らない。
その欠点を補うことが、96条の意味だと思っている。
どこかの新聞は、96条改正は、9条改正への裏口入学だと書いてあったが、
まったくその通りだと思った。
私は、96条の改正には、絶対反対だ。
ハードルは、3分の2でかまわない。
と書いていたら、JMMから、タイムリーな分析が入ってきたので
以下、転載させていただく。
「憲法改正論議、アメリカの場合はどうなっているのか?」
■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第625回
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今の時期に本当に必要なのかはともかく、日本の憲法論議は政権与党が次回7月の
参院選で「憲法96条の改正」を争点に戦うと宣言してしまった以上、議論としては
深めて行かねばなりません。そんな中で、ちょうど日本で公開されているスティーブン・スピルバーグ監督の作品『リンカーン』が、同じように憲法改正を扱っているということで話題になっているようです。
話題というのは、この映画の主要なストーリーが憲法改正問題という一点に集約されているからです。『リンカーン(原題も同じ)』というタイトルからは、リンカーン大統領の伝記映画を想像しますが、実際のスピルバーグ作品はそうではありません。南北戦争回避のために複雑化した政局の中でのリンカーンも、その政局を戦った政敵を内閣に取り込んだ(実は大変に興味深いのですが)政治ドラマも出て来ませんし、また南北戦争の主要な戦闘も、有名なゲティスバーグ演説も出て来ません。演説については若い兵士が言及するだけです。
ストーリーは、「奴隷制の禁止」をうたった憲法修正13条をどうやって議会を通過させるかという一点に絞られているのです。この問題を中心として、戦闘を終わらせて改めて統一したアメリカをどう再建してゆくのかというテーマへのリンカーンの姿勢、そして悲惨な戦争に対する思い、更には、北部に残る奴隷制への賛否両論をどう政治的合意へ導いていくかという政治ドラマを描いているのです。
さて、この憲法修正問題ですが、日本では先ほど申し上げた96条の改正問題として、「憲法改正の発議」を議会の「3分の2」から「2分の1」にすることの是非が大きな問題になっているわけです。この『リンカーン』の中では正に「3分の2」を獲得するべく、賛成側と反対側が政治的な駆け引きをしているわけです。アメリカの合衆国憲法は、まず議会の3分の2の賛成がないと発議ができないようになっているからです。
この点に関して言えば、映画の緊迫したドラマを見れば「国家の分裂を避けるためには、議会の2分の1の発議では不足であり、最低でも3分の2の賛成を得ないといけない」という制度は納得感が強いし、またその「ハードルが高いからこそ」そこへ至るには、真摯な議論や激しい論争を行う必要があり、仮に「2分の1」となれば議論も安易なものになりそうだ、そんな印象を持つ可能性は高いと思います。
印象論というのはもしかしたら適切ではなく、そもそも「3分の1」か、あるいは「2分の1」かという議論を冷静に行うための材料として、この映画が示している合衆国憲法の改正手続きの実際というのは、参考になると思います。
ですが、日本での憲法改正論議にあたって「アメリカは発議には議会の3分の2」を要求している、その様子は「映画『リンカーン』を見れば分かる」というだけでは勿体無いと思うのです。というのは、アメリカの憲法については、その改正方法についてもう一つ大きな特徴があるからです。
それは、「批准(ラティフィケーション)」という問題です。アメリカの合衆国憲法は、議会で発議された後に「国民投票」で決めるというシステムにはなっていません。その代わりに、各州による批准を要求しているのです。その基準はなかなか厳しいもので、全州の4分の3が賛成しないと発効しないということになっています。
どうしてこのように厳しい基準になっているのかというと、それはアメリカの建国の経緯に関係があります。最初にワシントンをリーダーとした「英国王に対する反乱軍」が独立戦争に突き進み、その過程で1776年には「英国から離脱する」という独立宣言を行なって、最終的には戦争に勝利したのです。ですが、この時点では合衆国憲法はスンナリと成立しませんでした。最初は州の連合体に過ぎなかったアメリカの人々の中には、「連邦政府を作る」ということに懐疑的なグループがあったからでした。
そこで憲法を作るにあたっては、連邦政府を作って一方的に「各州は政府に従え」という命令を発することは全く考えられなかったのです。ジェファーソンなどの「建国の父」たちは、そこで国家分裂を防ぐために憲法の本体には「各州と連邦政府の関係」をしっかりと明記することにし、同時に憲法が発効するには「全13州のうちの9州の賛成=批准」が必要だとしたのです。
このプロセスが、今に残る「州の自治」という考え方になり、また憲法の改正には「全州の4分の3の州の批准」が必要だという規定になっているわけです。この場合に「各州による批准に何年かけて良いか」を規定するという問題があるのですが、それは各発議のたびに決めるということになっています。つまり議会の発議が行われてから順に各州での批准を求めていくが、4分の3が賛成しないうちに期限が経過してしまった場合は、この改正発議は無効になってしまうのです。
例えば、過去の例ですと、ERAという略称で呼ばれる「男女平等条項」つまり合衆国憲法を修正して男女をあらゆる意味で平等にするという案のケースがあります。内容は男女は平等だというシンプルなもので、原案が議会に提案されたのは1923年、その後は例えば1950年代にアイゼンハワー大統領が上下両院の連合議会を開いて発議をするように動いたのですが、うまく行かず、最終的に議会の発議ができたのは1972年と、発議まで半世紀を要したのです。
その後の批准も北東部や太平洋沿岸では順調に進んだのですが、南部から中西部までの諸州が批准に苦労する中で当初設定された期限の1979年が来てしまったのです。そこで当時のカーター大統領と議会は「3年の延長」という特別法を設けて期限を延長したのですが、結果としてはその1982年になっても「3州が足りない」ということで、改正案は廃案になっています。
ちなみに、男女平等規定の追加を「誰が潰したのか?」というと、それは全米婦人協会という団体です。21世紀の現在では全く影響力がなくなりましたが、20世紀を通じてこの種の団体はアメリカで強い影響力を持っており、例えば妊娠中絶反対や、良妻賢母思想のプロパガンダ、更には夫婦の合、夫による強要はレイプではないなどという現在では「トンデモ」としか言いようのない主張もしていたのです。悪名高い禁酒法を推進したのもこうした勢力でした。
では、このERAは現在どうなっているのかというと、例えば各州の憲法の中でこの「男女平等」を明確に謳っている州は21州に上り、合衆国憲法のERは批准しなかったにも関わらず、自州の憲法ではERAを掲げている州が5州(フロリダ、イリノイ、ルイジアナ、ユタ、ヴァージニア)あるそうです。
では、この5州は「もう一度連邦のERAが提案」されたらすぐに批准するかというと、そうは単純ではなく「そんな実務レベルのことまで連邦に規定されたくない。自分たち州の憲法で十分」などという「へそ曲がり」の姿勢を取るかもしれないので、これはやってみないと分かりません。
その反対に、現在でも「批准プロセスは有効」だという意見もあります。というのは、各州が各州の憲法に従って州議会で「ERA批准」を行ったという「州の態度表明」は極めて厳粛なものであり、従って当初設定された「批准の期限」が来ても「連邦法としては失効しても、州憲法の権威においては失効していない」というのです。頭がクラクラするような理屈ですが、「連邦というのは便宜的に設置したものであって、指揮命令系統上は州の上位機構ではない」という合衆国設立の理念から考えると、全くの詭弁とも言えないのです。
ところで、批准問題ですが、映画『リンカーン』には思わぬ効果がありました。この映画に出てくる「合衆国憲法修正13条(奴隷制禁止)」に関して、ミシシッピ州では批准手続きが終わっていなかったのです。勿論、この合衆国憲法修正13条に関しては、映画にあったようなプロセスを経て発議がされ、その後にこれまた映画にも出てくるスワード国務長官(デヴィッド・ストラザーンが好演していました)が主導して、当時の36州(南部復帰後)の4分の3を超過する「28州目の批准」がされた時点で即時発効となっています。
勿論、大変に重要な修正条項ですから、残りの州も順次批准をして行っています。つまり憲法修正としての発効後も、政治的には意味があるのでその後も淡々と批准は続いたのです。ところが、ミシシッピ州だけは、正確に言うと州議会での批准は1995年に完了しているのですが、批准を連邦政府に届ける手続きがされていなかったのです。映画が全米で話題となる中、「批准の手続きが完了していないのは州として恥ずかしい」ということで急いで手続きが行われ、結果的にこれで全州の批准が完了したことになります。
ここまで延々と「憲法改正に関する批准」のお話をしたのには3つの理由があります。一つは地方分権とか道州制という問題です。本気で道州制を推進するのなら、このように「憲法改正の批准権」を持たせるぐらいの「真剣度」が必要ではないかと思うのです。日本の場合は「先に州ありき」という国の成り立ちがありわけではありませんが、地域による国政への姿勢の違いというのは小さな国の割にはものすごいバリエーションがあるわけです。地域を割った上で、順に議論を進めていくという形で、改正論議を深めるという観点は必要と思われます。
二点目は「時間」の問題です。発議から各州の批准というプロセスにおいて、アメリカでは場合によっては10年近くの年月をかけて議論が継続するわけです。その意味において連邦議会での発議はスタートに過ぎないとも言えます。憲法改正という重さに対する時間感覚として参考にすべきです。
三つ目は「法律論議」です。ERAの問題、あるいは修正13条の問題でも分かるように、憲法のあり方とその効力、改正手続きのあり方に関してアメリカでは建国以来ずっと活性化された議論が続いています。州と連邦のパワーバランスをどうするのか、憲法解釈と判例の問題を徹底的に詰めていって、その先に改正が必要ならやるという「法律論としての成熟と活性化」という問題が憲法論議にはどうしても必要だということです。
この他にも、アメリカの憲法改正に関しては「批准」の問題に加えて、もう一つ「修正条項」と憲法全体の構成の問題が避けて通れません。というのは合衆国憲法というのは3つの部分から出来ているからです。まず本文の7ケ条がありますがこれは「連邦政府の定義」を「州の集合体として州権との位置関係を明確にし、同時に連邦政府の三権分立機構の設計が定義」されているのです。これに加えて「修正1条から10条」までは「権利の章典」と言われ、「本文」を根拠に作られた連邦政府の権力に歯止めをかけるために国民の権利が規定されています。
つまり、憲法自体が「政府の定義」に加えて「州自治の確保による連邦政府の権力への歯止め」と「権利の規定による同じく連邦政府の権力への歯止め」という二重の「権力への牽制」という構造になっているというわけです。更に、この「本文と権利章典」に関しては基本的には「改正はしない」ことになっており、その代わりに重要な改正は「11条以降の修正事項」として追加することになっています。
この「修正条項」のシステムに関しては、日本での改正論議でも「環境権やプライバシー権」などの「加憲」をすべきだとなどという議論があります。ですが、合衆国憲法のこの構造というのは「加憲」がしやすくなっているということに特徴があるわけではなく、また「本文と権利章典」が改正しにくくなっているということだけでもなく、そもそも「本文における連邦政府と州権の規定、三権分立の厳格な規定、権利章典による権力への歯止め」というダイナミックな基本設計がしっかりしているところに特徴があるわけです。
現在の日本における改正論議に関して言えば、96条に関しての「改正のしやすさ」ということばかりが論点になっており、これに続いて「本格改正の是非」などの論点が続いていますが、本稿でここまでお話したような「中央と地方の分権」「改正論議への時間のかけ方」「憲法のダイナミックな骨格」というような大前提についての議
論も必要と思うのです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空
気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ
消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作
は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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この記事へのコメント
>「連邦というのは便宜的に設置したものであって、指揮命令系統上は州の上位機構ではない」
という合衆国設立の理念
>「本文における連邦政府と州権の規定、三権分立の厳格な規定、権利章典による権力への歯止め」
というダイナミックな基本設計がしっかりしているところに特徴がある
ご紹介有難うございます。GWにじっくり読むにふさわしい充実した文章でした。
初めて知った事実も沢山あり、私は現在の日本国憲法の制定過程で
当時占領国であったアメリカのサジェスチョンがあったとしても
良い憲法であったら良しと認める立場の者ですが
この文章を読んで、アメリカの建国の経緯から
自治を尊ぶ人民の意思がつまった憲法が出来た過程を知り
根っこが太いなあと、尊敬の念を持ちました。
この記事に出会ったのを契機に、自分たちの憲法を
しっかり理解して、風潮に踊らされることなく
自分の意思で選択して守っていきたい、と強く感じました。
PS:ところでJMMは医師関係の機関紙ですか?
今日はポチを押しました。感謝。
Posted by 梨木 at 2013年05月05日 04:57 | 返信
世界の諸国が不穏な雰囲気する様相を呈している昨今ですが、
今、論議が活発になっている憲法改正の問題について、大半の人は関心がある、どうでも良いという人、よくわからないひと、様々であるのが現実のようです。
諸国のアメリカやフランスなどではいくども改憲しているにも関わらず、日本においては日本国憲法をまったく一度もも改憲しておりません。
中でも特に平和憲法とよばれることの多い憲法第九条を死守することにすべてを捧げているような人も少なくはないようですが、あなたはどんな風に考えていますか?
Posted by 憲法改正 at 2016年09月02日 07:18 | 返信
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