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在宅医療と栄養療法
2013年05月26日(日)
全国で活躍している在宅医と栄養学のエキスパートが集まった。
今日は市民、病院医療者、そして在宅医と、胃ろうの話をしたことになる。
一番感じるのは、胃ろうの問題は、医療者がいくら上から目線で論じても
正直、なんの解決にもならない、ということ。
ハッピーな胃ろう生活をおくるためには様残なノウハウが必要になる。
医療者はそれを教えるために常にスキルアップに務める義務がある。
あと、市民がよく勉強して賢い患者になることが、一番大切だ。
それしかない!と感じた1日でもあった。
東京や大阪という大都会より、北海道の新日高町という田舎のほうが、
胃ろう問題に関する理解度が、格段に高いということが分かった。
胃瘻に関する理解が低い順番を挙げよう。
1 偉いお医者さんや、偉い看護師さん
2 マスコミ
3 弁護士
4 宗教家
5 学校の先生
逆に理解度の高い人たちも挙げておこう。
1 託老所のようなボランテイアをやっているおばちゃん、おかあちゃん
2 田舎のグループホームの経営者や職員
3 後期高齢者
4 一般市民
5 偉い役職や肩書が無い、医師、看護師、ケアマネ
もうおわかりだろう。
延命治療や終末期医療の諸問題は、
専門家や知識人、あるいはメデイアが
勝手に造りだしている、「医原病」なのだ。
実は私は、「医原病」を考えるようになって、35年目になる。
医学部の時から尊厳死の勉強会をしていた。
昨日の日経新聞の夕刊でカールベッカーさん(京大の教授)の
インタビュー記事をご覧になっただろうか?
http://www.drnagao.com/pdf/media/related_article/nikkei130525.pdf
私と全く同じことを、なんと外国人が書いておられる。
このブログを読んで頂いている方は、不思議に思うだろう。
長尾はアホみたいに、「平穏死、平穏死」と叫ぶのだ?と。
今日も、日本中に延命治療で苦しんでいる患者さんが沢山いるのだ!!!
彼らのご家族から、悲痛な叫び声が、毎日毎日、私のもとに届くから。
もちろん、全部にお返事はできない。
またお返事しても解決にはならない。
だから、全国を飛び回って、少しずつ理解者を増やすしかない。
賢い市民、目覚めた患者を増やすしかないのだ。
あるいは、頭が凝り固まった医療者には、時には劇薬を盛らないと
気が付いてもらえない。
そして、真反対の報道を続けるメデイアには、正しい情報を
教えてあげないといつまでも間違った報道を垂れ流すことになる。
自分のライフワークは、「尊厳生」である。
そのために医者になった。
父親の自死から目指した医師の道。
それは、35年前とまったく変わっていない。
周囲の人からは不思議がられる。
しかし、私は初心のとうりに、生きている。
ただそれだけなのだ。
理解できない人もいるだろう。
しかしいつか、自分はその当事者になった時に、私の言葉に気が付くだろう。
今週は、東京を4往復、というか東日本を4往復した。
北海道で講演し、大阪で講演し、東京でコメントを述べる。
こんな不思議な1日は、長い人生でも、そうはないだろう。
北海道は、3度。
大阪は、30度。
東京は、20度。
この温度差を1日の中で体感する日は、素晴らしい一日。
今週は、1日、休診した。
患者さん、スタッフには、多大なご迷惑をかけて申し訳ない。
しかし今は、自分はそれをやるべき時だと思っている。
やればやるほど、その想いが強くなる。
これから帰阪し、夕方まで尊厳死協会関西支部の理事会だ。
夜は、高校と医局の後輩である梅村さとし議員を応援する会だ。
梅村氏は、臓器移植法案を作ってくれた人。
これにより、多くの子供さんの命が救われた。
そんな梅村氏の国会での業績の一旦を御紹介したい。
以下、彼が昨日書いた文章。
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今日4本目の講演は岸和田市医師会にて。2009年7月の臓器移植法改正の舞台裏をお話しました。
この時、国会では、いわゆる「党議拘束」が外され、議員一人一人の判断で、採決することとなっ ていました。
私は「A案」に賛成でしたが、一人一人の議員の部屋を、アポイントをとって、訪問して、説明して、質問に答えて、リクエストの資料を再度お届けして…と、100人以上の議員を「個別訪問」しました。
半年以上かかりました。
そして参議院でこの法案(A案)が可決されました。
しかしマスコミには「脳死を一律に人の死と定める法律」と報道されて大変困惑しました。
そんなことはどこにも法律に書いていませんし、そんなことを法律に書いたら大変なことになるはずです。
この法律は「移植推進」を主目的にし...ているわけではありません。
「臓器提供をしたい方」「臓器提供をしたくない方」両方の権利を守る法律です。
そして、法律を作るだけでなく、その後も移植コーディネーターの育成やグリーフケアの推進などを私はサポートしています。
小児救急の充実により、「脳死」にできる限り陥らない体制作りも進めなければなりません。法律は「作って、はい、おしまい」ではないのです。
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素晴らしい!
政治が子供の命を救った、まさにいい例だ。
これぞ医系の国会議員の仕事だ。
ところで、この「臓器移植法」を、「リビングウイル法」に置き換えたらどうだろう。
そして、「子供の命」を、「高齢者の尊厳」に置き換えて、考えてみたい。
実は、梅村氏は、尊厳死についてももうやっているのだ。
咋年9月には、野田総理に「平穏死って知っていますか?」と聞いた。
もちろん総理の答えは、「知らない」だったが、
今年2月には、麻生副総理と安倍総理が、「リビングウイルの法的担保が
必要だ」という議論を展開したのが、この梅村氏なのだ。
こんな議員もいることを多くの人に知って欲しい。
尊厳死(平穏死)も梅村氏が、全面的にサポートしてくれている。
もちろん、苦しんでいる患者さんのため。
それをメデイアは、「誰のため?」と来る。
決まっているじゃないか。
患者を思わない医者がどこにいるというのか!
患者の利益を考えていないのは、メデイアのほう。
詳しくは、私と梅村氏の3冊目の共著「梅ちゃん先生国会奮闘記」を読んで欲しい。
そして、どれほど歪んだ報道が横行しているかも、是非知って欲しい。
何度も言うが、我が国のメデイアは、生命倫理に関しては核心を避けている。
しかし、たった一人の勇気ある議員のおかげで、尊厳死議論が
着々と進んでいる。
もし梅村氏が次回、議席を失うことがあれば、国家数十年の損失になる。
これは、真実だ。
その意味で、今夜は、我が国の将来を占う重要会議になる。
今夜も深夜まで、頑張るぞ!
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この記事へのコメント
海外でメディア関連となる勉強をし帰国しました。比較することはできないのかもしれませんが、私は、日本のマスコミ会は怖いです。
きちんと勉強をしたり責任を持つ姿が、あまり見受けられません。
加えて、マスコミ関係勤務(?)を自慢する方、それに酔っている方を見かける機会が多くありました。今も生活をしている場所柄、不思議で不愉快な方によく出会います。
テレビはもちろん、新聞も雑誌も、自分自身の考えを持って、そこにある情報を得ること、知識を蓄えることをしなければ、穏やかな生活(QOLの確保)は望めなくなる、または、生きていることができなくなる、と危機を感じます。
けれど、それを理解したり、学ぶ力はいつまで保たれるのでしょうか。
私は医師ではないし、現時点で、他の方までサポートをする能力も気力もありません。
ただ、自分自身の将来を考えるとき、高齢者となるまで生きていることができたならば、今、頭が動いている間にできることをしておこうと思います。
できることの一つに、自分の子供を始め、若い人たちの教育をきちんとするべきだと思い、伝えて行かなければならないと考えています。
子供たちへの教育は大切です。
少子高齢化と共に、子供への放置も虐待も、問題だと思います。
将来の自分たちを支えるのは子供たちです。子供の可能性は未知数です。大人の都合だけで、その芽をつまないでもらいたいと願います。
Posted by よしみ at 2013年05月27日 10:45 | 返信
カールベッカーさんのお書きになったものを読みました。長尾先生が白人であれば今よりは少しは受け入れやすかったかもしれません。
Posted by 異端者 at 2013年05月27日 02:24 | 返信
埼玉在住の高橋広行と申します。いつも奮闘お疲れ様です。揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、気になりましたので書き込みます。
名も無い普通の市民 ⇒名前の無い市民はいません。市民で良いと思います。
我が国のメデイアは、生命倫理に関しては北朝鮮以下。
⇒具体的な名は出さない方が良いと思います。
Posted by 高橋広行 at 2013年05月27日 11:22 | 返信
私は、日経は取っているのですが、殆ど読みません。
カール.ベッカー氏の「死を迎える前に」「一日を大事に反省込めて」の記事は長尾先生のご指摘で初めて、読みました。
● 死をタブー視する社会を変える教育を。
● 死はすべての終わりではない。
● 末期の過ごし方は素直に考えたい。
という三つの文章の中で、病院死が八割以上になって、死が知らないもの、怖いものになり、残虐な殺人や、自殺につながるとか、日本の医療が日本人の伝統的な価値観や死生観と相反するのに疑問を持ち、日本的な医療倫理の構築に取り組むとともに、末期患者や遺族のケアをするカウンセラーの育成に力を注いでいると書いていらっしゃいます。
「日本の病院ほど死を迎えるのにふさわしくない場所はありません。欧米の病院と違い、多くの日本の病院は精神をケアする部門がない。臨床心理士による末期患者や遺族へのカウンセリングは大変有益だと信じていますが、日本ではまだ根拠となる研究が不足し、なかなか広がりません」
「そもそも病院は死をみとる場所ではなく、病気を治す場所です。病気と闘って勝つ見込みがあるなら、主治医に頑張ってもらいたいのですが、勝つ見込みがない場合、どういう末期を過ごしたいのかをもっと素直に考えたい」
「私自身も準備しています。保険の共同名義。自分が急病や事故で意識不明になった場合、全ての決定を 委ねる代理決定者も決めています。それから尊厳死宣言。もしよみがえる見込みがないと医師に判断された場合、いたずらな延命措置を全て止めてもらいたい。そして比叡山にベッカー家の墓を確保しました」
「末期患者の多くは人生を振り返り、何が良くて何が悪かったのか、自分で自分を裁きます。それなら末期まで待たず、毎晩、お風呂に入った時や寝る前に(今日はこれで良かったんだろうか)と考えてはどうでしょう。一日を大事にし反省を込めて生きることで、価値観が変わって見えます。」と、カールベッカー氏は述べています。
私(大谷)は「死がすべての終わりではない」ということは理解できませんが、なかなか東西の哲学、宗教学に通じていらっしゃって、仰っている意味は深く、耳を傾ける価値が、おおいに有るように感じました。
Posted by 大谷佳子 at 2013年05月28日 02:34 | 返信
高橋様 大谷様
書き込み有難うございました。
長尾先生のブログですが、いろいろな方の書き込みを通じて
視点を広げられることを嬉しく思っています。
>「末期患者の多くは人生を振り返り、何が良くて何が悪かったのか、自分で自分を裁きます。それなら末期まで待たず、毎晩、お風呂に入った時や寝る前に(今日はこれで良かったんだろうか)と考えてはどうでしょう。一日を大事にし反省を込めて生きることで、価値観が変わって見えます。」
ご紹介いただいたこの文章の「それなら末期まで待たず」の一言が、ズキンときました。
今日はこれで良かったんだろうか に加えて、『少女パレアナ』を見倣い(牧師の娘の物語)
「今日はこんな良いことがあった!」と数えて眠りにつくのも心を安らかにしてくれます。
今夜は(素敵な文章を読めて良かった)と感謝しつつ、夢路をたどれそう…Many thanks!
Posted by 梨木 at 2013年05月28日 05:29 | 返信
梨木さん、お久しぶりです。
そうですね、「少女パレアナ」は、アメリカのエレナ.ポーター夫人の原作で、叔母さんに引き取られた、孤児のパレアナが「良かった捜し」をして、自分の世界も、またパレアナに関わる、周囲の人々にも物事の良い面を心にとめて、楽観的に生きてゆくと、幸せになれる話でした。
私も、最近、いい年をして、少女パレアナのアニメを見て、感激しました。
私は、作者は赤毛のアンのルイス.モンゴメリーかと、勘違いしていました。
ルイス.モンゴメリーも、伯母さんに育てられた、孤児で、カナダの牧師夫人でしたから、ちょっと似てますね。
私に赤毛のアンを教えてくれた、小学校時代の友達は、聖公会の教会にも誘ってくれたんですよ。
最近、小学校の同窓会で、彼女が若くして、亡くなっていた事が分かりました。ほんとうに残念です。
パレアナも、当時のアメリカで一代ブームを起こしたと言う事ですから、このカール.ベッカーさんになんらかの影響があるのかもしれません。
カナダと、アメリカの女性達は、どちらの方が、幸福なのでしょうね?
カナダはケベックの差別が未だ、根強いらしいです。ルイス.モンゴメリー自身も、ケベックの青年との恋愛を、伯母さんに禁じられた事実があるそうです。
ごめんなさい、取りとめも無い話になってしまって。
是非、いつか、おめにかかりたいですね。
Posted by 大谷佳子 at 2013年05月29日 02:09 | 返信
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