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患者のために医者がいる
2013年06月10日(月)
しかし、医療のために患者がいる,、とい勘違いしている医者がいるのも事実。
尊敬する長寿医療センターの大島総長がとても大切なことを話しておられる。
医療を行うために医師がいる
- 大島伸一・国立長寿医療研究センター総長に聞く◆Vol.1
専門医中心の医療、今のニーズに対応できず
2013年5月28日 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
「私が言っていることは、普通の医療人であれば、皆が当たり前に思っていること。タブーのように思われていたことを、私が口に出して言っただけ」。こう語るのは、政府の社会保障制度改革国民会議の構成員を務める、国立長寿医療研究センター総長の大島伸一氏。「フリーアクセスの制限」などを提言し、同会議の8月の取りまとめに向け、その言動が注目される大島氏に、現在の医療に対する問題意識や医療改革の方向性についてお聞きした(2013年5月16日にインタビュー。計4回の連載)。
――先生は4月19日の国民会議で、(1)必要な時に適切な医療を、適切な場所で、最小の費用で受けることができる医療へ、(2)「病院で治す」医療から、超高齢社会に合った「地域全体で、治し・支える医療」へ、(3)個人の全ての要求に応えることは、不可能ということを前提にした制度の再編――などを提言されています(資料は、国民会議のホームページに掲載)。この提言の背景にある、医療の現状に対する問題意識を教えてください。
まず一番基本的なことから話します。医療提供体制を考えるには、どんな患者がいて、どのような医療が必要とされているのかを検討しなければならない。それが分かって始めて、「このような医療を提供しなければいけない」ということが分かる。次に、最も適切な医療を行うには、どんな医療資源、つまり医師やモノなどが必要かという流れになる。
つまり、どんな医療が必要なのかをきちんと押さえずに、制度や仕組みの話が最初に来てしまうのは、おかしい。
「医療を行うために医師がいる」。大島伸一氏は、医療の当たり前の原則が崩れつつある現状を懸念する。
――議論の順番が違う。
そうです。では、なぜこんなことをあえて言うか。川喜田愛郎先生(編集部注:細菌学者、医学史学者)が1982年に、「病気があって医学が生まれ」「病人のために医療があり」と言っています。これは当たり前のことで、その逆はあり得ない。私は19日の国民会議で、この二つに「医療を行うために医師がいる」をつけ加えて発表しています。
では、なぜこんな当たり前のことを、20世紀後半のあの時代に言わなければいけなかったのか。それを改めて考えた。これは推測ですが、川喜田先生は、当たり前の原則が壊れ始めており、「医学のために病気がある」「医療のために病人がいる」といった本末転倒の医療提供の在り方が定着しつつあることを危惧していたのではないか。その危惧が当たり、今、そうした展開になっている。
最近、あえて言うようにしているのは、「医療の形」は、「医師の形」だと。完全ではないけれど、ほぼイコール。どこでどんな医師が、どのような医療を提供しているのかを見れば、「医療の形」が見える。このように「医師」という切り口で見てみると、今ちょうど議論されているのが専門医度。
――この4月に、厚生労働省の検討会は報告書をまとめました(『「医師不足」消える、専門医制度の最終報告』を参照)。
日本には、医師が約29万人いるが、専門医はそれ以上いると言われている。外国の方と話していると、「それは、どういうことなんだ」と不思議がる。国民が、普通に考えてもそうでしょう。20世紀は、専門医ばかりを養成してきた。そうした医療を20世紀は徹底的に追求してきた。
この成果は非常に大きいもので、ある時期までは、意味や価値があることだったのだけれども、今の時点でどうか。医療費ベースで見ても、約37兆円のうち半分以上を人口の24%の高齢者が使っている。75歳以上でも、医療費全体の3分の1以上。しかもこの傾向は、さらに高まる。高齢化率が30%、40%になっていくような時代では、医療費の70%、80%を高齢者が使う構造になるのではないか。
20世紀に徹底的に追求してきた専門医中心の医療は、高齢者にもピタリと当てはまるのかを考えた時に、「それはちょっと待てよ」と。素人が普通に考えても、今必要な医療は20世紀と本当に同じなのか、疑問に思う。
こうした理屈で考えていくと、「20世紀型の医療とは、いったい何だったのか」という疑問がわく。『広辞苑』の「医療」の項目を見ると、「医術で病気を治すこと」としか書いていない。少し考えれば、「ちょっと変じゃないか」と思うでしょう。「緩和医療と言うけれど、あれは医療ではないのか」と思う。「終末期医療」もそう。
「高齢者、高齢者」と言うけれど、昔は高齢者がいなかったのか。そんなことはない。昔も高齢者はいたけど、数が少なかった。だから、医療は「治す」ことが中心になり、しかも「治す」ことが極めて発展段階にあったために、サイエンスをベースとしてどんどん成果を挙げてきた。
――戦後、結核や各種の感染症を克服してきたことが象徴。
そうした成功体験が確実にある。その結果として寿命を延ばすことに成功し、長寿社会ができた。医療が大きな貢献をしていることには間違いない。
では、高齢者に対する医療と、これまでやってきた医療とは何が違うのか。20世紀の「治す医療」は、科学主義で説明が付きやすい医療。近代科学の方法論は、ニュートンの古典力学と、デカルトの要素還元主義をベースにしている。古典力学では、原因があって結果がある。病気には必ず原因がある。要素元主義では、体を要素ごと、つまり臓器ごとに分けて研究を進めていき、原因を突き詰めていく。その結果を積み上げれば、全体が分かるという考え方。
近代科学の方法論を使うことによってものすごい成果を上げてきたものの、本来、人間の体はそのように臓器ごとに分けられるか。確かに若い人では、「腎臓がおかしい」という場合、「肺や肝臓もおかしい」ということはあまりない。一つの臓器の障害の原因を見つけて、徹底的に治す。その結果、全体も良くなる。こうした構造で「治す医療」が生まれてきた。それを支えてきたのが近代科学の方法論であり、一挙に驚異的な成果を挙げて、その結果として、今のような高齢社会になった。けれども、高齢者に対する医療がどうあるべきかについては、深く考えずに来た。そのツケが来ているのが今の状態。
――「老化」とは何か、ということ。
全くその通り。「老化」とは、「ダウンヒル」で、最後は死に至るというプロセス。途中から良くなることはあり得ない。必ず少しずつ体が弱っていく。その過程で、生活習慣病が来る。生活習慣病は、どこかの臓器が一つだけが悪いなどという話ではない。若い頃の健康状態を100点とすると、だんだん低下して、70点とか、60点といったところに生活習慣病が出てきて、全体がおかしくなってくる。
若い頃は「新車」と同じ。「キャブレターやタイヤがおかしい」となれば、そこだけ直せば走るようになる。ところが、40年も乗った車が「何かおかしいぞ」となった時に、一部の部品だけ新車のように直しても、うまく走らない。40年乗ったら、40年乗ったバランスがある。そのバランスに併せるようにしないと、全体の調子は良くならない。人間も同じこと。
――例えば、癌の場合、若い人の胃癌は、早期に見つかり、その部分だけ手術すれば治る。しかし、高齢者の場合、手術しても術後の管理をはじめ、さまざまな問題を抱えることになる。
一部分だけを徹底的に治すことによって、逆にバランスが崩れ、かえって悪くなることも起こり得る。私は、「調和平衡状態」と言っていますが、同じ80歳でも、若い頃を100点とすると、70点の人がいれば、60点の人もいる。70点の人は70点に、60点の人は60点にそれぞれ合わせるべき。
高齢者の場合、全体の機能がどうなっているのかを、丸ごと診ていくことをまずしないとダメで、若い人と、高齢者の医療には根本的な違いがあることを認識するのが第一。医療の中身が全く違うならば、それに合わせた医療資源の準備配置、医療提供体制を考えていかないとおかしい。
しかし、20世紀型の医療のまま来ているものだから、現実のニーズに対応できていない。
社会保障審議会「フリーアクセスの緩やかな制限」を容認
医療保険部会、国保の都道府県化は支持優勢
2013年5月28日 池田宏之(m3.com編集部)
厚生労働省の第63回社会保障審議会医療保険部会(部会長:遠藤久夫・学習院大学経済学部教授)が5月28日に開かれ、社会保障制度改革国民会議への指摘や要望についてまとめた(資料は、厚労省のホームページに掲載)。
取りまとめ案では、フリーアクセス制限の容認や、70-74歳の高齢者の医療費を本則の2割負担に戻す方向性を打ち出し、国民会議の議論を支持。ただ、両論併記となった点も多く、総花的な内容な上、国民会議における医療保険部会の意見の扱いは決まっておらず、国民会議の議論にどんな影響を与えるかは不透明だ。
社会保障審議会医療保険部会の取りまとめは、両論併記の事項も目立つ案となった。
取りまとめ案では、フリーアクセスについては、一定病床数以上の初回の外来受診の定額自己負担導入が中心に取り上げられた。低所得者については負担免除とする方針だが、その判定方法などの技術的課題などが指摘されているが、「フリーアクセスの緩やかな制限に賛成」する方向性となった。70‐74歳の自己負担については、低所得者への配慮を求める意見が盛り込まれているが、基本的に「(2割の)本則にすべき」というまとめとなった。国民会議で、賛成の意見が多かった保険医療機関の指定・取消権限の都道府県への付与については、「全国一律の基準で運営すべき」との意見が大部分を占めた。
ただ、方向性の固まらない論点も多かった。保険料に対する総報酬割の導入では、賛成の意見がある一方、「削減されるのは、公費だけ」「被用者保険からねん出した財源を国保支援に回すのは反対」などと両論併記となった。国保の保険者を都道府県とすることについては、「高齢者医療制度改革会議の取りまとめからの規定路線」と容認する声が多く盛り込まれたものの、「構造的な問題の抜本的な解決を図った上で検討すべき」「(国保保険者の都道府県化を提言した)高齢者医療制度改革会議の議論を(踏まえないまま)飛ばしており、戸惑う」などの意見も盛り込まれた。
国民会議への影響不明
そもそも、今回の取りまとめ自体、国民会議の議論へどのような影響を与えるかは、この5月の3回の医療保険部会を通じても、不透明なまま(『「国民会議の議論には失望した」、不満も相次ぐ』、『保険者委員が「フリーアクセス制限容認」』を参照)。28日の質疑の中で、国民会議で会長代理を務める遠藤氏は、国民会議との連携の在り方を問われ、「連携を取る方向は決まっているが、形は未定。国民会議において、(集約した意見が)どう示されるかも、現時点では不明」と発言。「今後、国民会議の事務局と連携していく」としたが、具体的なイメージは示されなかった。
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