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北海道新聞にも

2013年06月25日(火)

24日の北海道新聞の「興味深人」というコーナーで、
胃瘻問題と、リビングウイルについて解説させて頂いた。
先日の日本老年医学会での講演直後のインタビュー記事だ。
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北海道の知人から、さっそく「見たよ」との連絡があった。

http://www.drnagao.com/pdf/media/otherpaper/doushin130624.pdf

北海道は、先日、札幌と静内で講演させて頂いたばかり。

秋には、北海道在宅医療フォーラムにもお呼び頂いている。

お医者さん、看護師さん、患者さん、ケアラーさんがまじくって
終末期の問題を考えるきかっけになってくれれば嬉しい。

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この記事へのコメント

北海道新聞 生活部 御中

 平成25年6月24日(月)の「興味深人」の「胃ろう」の記事について、お尋ねと意見を申し上げます。何となく平易な文章表現で説明されていますが、わかりずらい部分があったり、ちょっと違うのではないですか?という内容が見受けられます。以下、具体的に述べます。

 まず、記事の上段の「胃ろうをつけてよかった」と思えるケースです。記事の一節では「認知症が進むと食べ物がうまく食べられなくなり、体力が落ちます。~。」という状況が、胃ろうの使用に適しているという説明がありますが、この状況が具体的にどういう容態を指すのか、説明をお願いします。福祉・介護関係の仕事が長い私には、この容態が具体的に全く頭に浮かびません。
 いくつか私が知っている事例が思いつきますが、「認知症が進むと食べ物がうまく食べられなくなり、体力が落ちます。~。」という状況が「単に技術的・物理的に食べ物を口に運べなくなる場合」を指しているのであれば、これは「食事介助」により解決しますから胃ろうの対象にはなりません。口に入れるお手伝いで解決します。
 同様の状況が「単に食欲が低下してくる場合」を指しているのであれば、これは認知症の方に限らず年齢を重ねれば誰でも出てくるものです。いわゆる「食が細る」状態ですが、これは身体状況が全体的に低下してきているわけで、胃ろうの活用に適さないという「老衰の終末期などで、医師疎通もできなかったり自分の唾液さえも誤嚥してしまう状況」と、程度の差があっても本質的に同じ状況です。胃ろうで栄養補給してもいずれは衰弱していきますから、記事にあるように口から食べられるように回復していく可能性は低いと思います。
 
 他、私が経験した印象に残る患者さんで「60歳代で身体的に全く健常の方が、重度の認知症の症状で「食べる」という本能の行為を忘れてしまった」という珍しい事例があります。胃ろうで栄養補給をしているおかげで、一日中、施設内を歩き廻っていますが、言葉は話せないし奥さんの顔も忘れてしまっているほどの重症の認知症です。このような患者さんについて、胃ろうの適否について審判を下しているお医者様のご意見をいただきたいものです。
 

 話は戻りますが、「楽しく生きるための胃ろう」を行う条件として挙げている「認知症が進むと食べ物がうまく食べられなくなり」という状況が具体的にどういう状況を指すのか、説明をお願いします。その上での話ですが、そもそも延命の一手段である胃ろうが「楽しく生きるため」に活用される事例などほとんど存在しないように思いますが、いかがですか?

 ところで、そのほとんど存在しない「楽しく生きるための胃ろう」の事例が私の父の事例です。パーキンソン病という神経難病でしたが、恐らくは薬の影響だと推定していますが、突然、原因不明の半昏睡状態になりました。医師の説明ですが、遠まわしな表現を使いましたが「パーキンソン病でああ(半昏睡状態)なったら、あとは死ぬのを待つだけ」いう意味合いのことを言われました。しかし、胃ろうをつけました。この状況は、この記事で言うところの「回復が期待できない場合」であり「不幸な胃ろう」に該当していました。
 その後、3.4カ月の間、意識が戻るのを期待して、あてもなく胃ろうで栄養補給を継続していましたが、「肺炎」を発症して一時危篤になりました。死亡を示唆されましたが「愛する家族に死んでほしくない」という当たり前の願望により、急性期病院に搬送をお願いしました。
 救急搬送された病院では「かなり悪いですね。約束できませんよ」ときつい一言を言われて、当然「これが最後」と覚悟しました。しかし、きついことを言っておきながら、この医師、実は大当たりでした。肺炎とともに原因不明の半昏睡状態を回復させました。
 その後、胃ろうで補給した栄養をバネにしてリハビリに取り組み、口からの食事を再開させて、それから8年間、車椅子であるも通常の食生活を楽しむことができました。最近亡くなりましたが、この記事でいう「不幸な胃ろう」のお手本を実践したことになりますが、終わってみれば「8年間の幸福」を享受しました。


 そこで、意見です。そもそも「胃ろう」というものは、食べられなくなった方のための栄養補給の一つの手段です。患者が食べられなくなった際に医師が行うべきことは、胃ろうをつけることが、是か?非か?の審判を下すのではなく、「胃ろう」という栄養補給の手段があるという情報を正確に伝えることにあります。もちろん、良い結果が期待できる場合もあれば悪い結果になる恐れがあること、或いは、私の父のように「結果」を待たなければ、それがわからない場合があることも、きちんと説明すべきです。そして、十分説明した結果、それを採用するかしないかを決めるのは、患者と家族です。それはまさに、今、当たり前になっているインフォームド・コンセントです。

 胃ろうに「幸福」も「不幸」もありません。食べられなくなった際に利用する「道具」です。十分な説明を受けた上で、この道具を積極的に利用することで、かけがえのない命を守っていただきたいと思います。もちろん胃ろうを使わない選択肢を選んでも、かけがえのない命を守ることに違いはありません。悩んで決めたことを実行して、結果として、それが「幸福だったか?」「幸福ではなかったか?」は、それぞれが感じ思うことです。
 医師の役割は、情報の提供までです。人様の命に図々しく立ち入るのは止めましょう。
 

 お返事いただけますか?

Posted by 東條 at 2013年06月25日 09:02 | 返信

AERAの13.6.24の“「スル―スキル」ネットの悪意をかわす極意”p24で、「ディスりメンション」攻撃的メンションは無視するのが基本です。」と書いてあります。
ソフトウエア開発会社「クレイジーワークス」代表で、SNSでの炎上事例に詳しい村上福之さんは「ディスる」とはネットスラングで、[相手をののしったり、軽蔑したりすることを意味する]として、無視するのが一番と書いてあります。

長尾先生は本名ですが、残念ですが、コメントしていらっしゃる「東條さん」は複数と考えられるし、何処の何方か不明ですから、無視しても良いと思います。

Posted by こねこ at 2013年06月26日 01:29 | 返信

>医師の役割は、情報の提供までです。人様の命に図々しく立ち入るのは止めましょう。

何か脅迫めいていますね。
本筋を理解せず、うわべだけの理屈がほとんどですが、この人の言いたいことはこの一言に尽きるのでしょうね。
エスカレートして暗殺されないようにお気を付け下さい(冗談半分、本気半分)

Posted by 桜 at 2013年06月26日 09:22 | 返信

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