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すぐそこにある多剤投薬
2013年08月31日(土)
減らしても減らしても気がつけばまた増えているのが現代お薬事情。
10種類以上の抗精神薬を飲みながら働いている人を前にするとどうしたらいいか分からない。
きつい薬が4種類。
ゆるい薬が4種類。
その間が、3種類。
こんなに飲まないと本当にいけないの?
素朴な疑問が当然浮かぶ。
減らしてあげたい・・・
そうおもいながら、若き患者さんの顔を眺める。
結構、元気そうだ。
言われなかったら、こんなにたくさん飲んでいるひとだと到底分からない。
でも知ってしまったからには、減らして差し上げるのがせめてもの良心か。
しかし減らして、もし具合が悪くなったら?
暴れちゃったら?
いろんな場面がふと頭に浮かぶ。
事件になり、私が責められている様子。
結局、減らせなかった。
いつか誰かが減らしてくれるだろう。
いつも、まさに希望的観測で終わってしまう。
現実は、その投薬に新たな薬が加わる方向に動くだけだろう。
生活習慣病のお薬も同じだ。
15~20種類ものお薬を飲んでいる方が時々おられる。
糖尿病が3つ。
血圧が3つ。
心臓が2つ。
サラサラ関係が2つ。
コレステロール、尿酸、胃薬、漢方、痛み止め、睡眠薬、便秘、胃薬、で18種類!
正確には飲んでいる、ではなく、18種類を飲まされている。
それにしても凄い数だ。
もし脳梗塞になったらサラサラの薬を飲んでいたかが問われる。
飲んでいなかったら、なんだそのためにそうなった、と言われるかも。
ガイドライン医療が、デフェンスメデシンを造る。
それはいいとしても、ガイドラインが縦割りのままだと、薬の数が増えるだけ。
胃潰瘍を予防する胃薬も同じだ。
もしこれを飲んでいなくて、胃潰瘍で吐血したら・・・
結局、サラサラの薬も胃潰瘍の薬も認知症の薬も、
あとで何かの拍子に文句を言われる可能性がある。
もし医療裁判になれば、負けるだろう。
そんな考えが頭をよぎった時には、やっっぱり薬は減らせない。
デフェンス・メデシン
という言葉が頭を駆け巡る。
患者のためというより、自分の立場を護るための医療になってしまう。
多剤投薬は、各科が速急に取り組む課題であると思う。
お金の問題というより、患者さんの尊厳を守るという意味での話だ。
話が少し変わるが・・・
巷では医療否定本が花盛り。
医師が悪者に描かれている。
真に受けた患者さんは、懐疑の目から診療に入る。
患者さんと医師の信頼関係構築に時間がかかる場合が増えている。
医師は危険を察知して、余計にデフェンスメデイシンに傾く。
医療否定本が、デフェンスメデシンを加速している。
本来は、デフェンス・メデイシンと否定本は別に論じるべき問題。
どこかに、論理の飛躍が生じている。
がんセンターの外来に、放置療法の週刊誌の切り抜きを持った患者が来る。
肝腎の説明の前に放置療法の話をしなければならず、無用な労力を要する。
否定本を持ちあげたメデイアは、内容の是非はともかく、売れればいいのだ。
いわば週刊誌ポピュリズムとして医療記事になり各紙がこぞって煽ってきた。
橋下徹氏と同じ。
メデイアは煽るだけ煽っておいて、あとは、叩く。
医療否定本も橋下政治とどこか似ているところがある。
それなりの効果はあるのだろうが負のほうが大きくなる。
裸の王様に、「王様は裸だよ」と言ってみた。
しかし側近やファンたちからは、「裸であるというエヴィデンスを示せ」と返ってきた。
オウム真理教の教祖を思い出してほしい。
高学歴のひとほど、あれにはまってしまった。
信者さんは、私のくだらない本など読まないほうが絶対にいい。
100人いれば100人とも、必ず怒り狂うだろう。
私の本から得るものは何もない。
ただ放置療法と聞いて迷っている人、
がん検診を受けるかどうか迷っている人に読んでほしい。
私の本には、エビデンスは一切書いていない。
100%、経験だけで書いている。
そこがまた、信者さんが一番怒り狂うところなのだろうが。
まあ”信者さん”なので、それは当然のことだろう。
いつか、世間が重視する”エビデンス”の本当の意味について書いてみたい。
エビデンスはいくらでも間違うし、操作もできる。
メタアナリーシスで有意差が出て、やっとこさ、といった感じ。
5%の例外があるのがエビデンス。
例外や間違いの可能性を包含してのエビデンス。
エビデンスはアカデミアの世界で造られる。
週刊誌や書籍ではエビデンスは造れない。
エビデンスはアカデミアの世界でしか通用しない。
いくら本が売れても、アカデミアの世界とは何の関係もない。
王様は自分自身のエビデンスを持ってアカデミアの世界で勝負すべきだ。
科学はそうして発展するしかない分野。
週刊誌やメデイアで科学が発展することはない。
所詮そんな世界で、たとえ1億冊本が売れても、エビデンスとは何の関係も無い。
8月も終わり。
暑いだけで、何も無かった夏。
ダラダラ過しただけの、8月。
しかし墓参りも、わずかな親孝行もできた。
今日は大阪滋慶学園で講演する。
夜は、東大の秋下教授の講演を拝聴。
明日から9月。
忙しい月が始まる。
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この記事へのコメント
「医療否定本がデフェンスメデシンを加速している」ますます、ますますそうなりますね…悲しいかな…ほんとに悲しいかな…うまくいかない?!現実世界ですね。どんな世界が展開されようと、みんな生きるのに必死?!と言うことでしょうか?良いも悪いも…騙すも騙されるも、騙されないも、などなど…いや、そんな区別どころじゃなく…
「命」を左右するのはいったい…なに?だれ?どこ??? 長尾先生、お身体守られますように…♪
Posted by あい at 2013年08月31日 12:07 | 返信
こんばんは、今日も1日お疲れ様です。
講演予定を見るたびに増えていますねぇ~♪
一度、著者である長尾先生を見たいなっと思っていたら、おととい大阪で講演予定を発見し即、申し込みました。そして今日、拝見しお元気そうに見えて何よりでした。
今日は内容より人間観察をしていました(@_@;)
白髪がないなぁ~?自毛?眼鏡は遠近両用かなぁ~?歯は全部自分の歯?いや違うはず、ネクタイのタイピンの止め方が皺しわ、慌ててきたんだろうなぁ~なんて観察してました。失礼しました。
9月になりますね。母が余命宣告を受けた月になります。
“死ぬ時に医者はいらない”本当にいらないです。(あっすいません)
平穏死を選択したのですから、定期的な診察や検査もいらないんですけど・・・・・
患者や家族が困った時に助けてほしいのです。
唯一、疼痛コントロールの薬だけ処方してもらいたいのですよ。
そして医師しか記入できない死亡診断書を書いてくれればいいんです。
どうして医師しか死亡診断書が書けないのでしょうか?
脈が触れず、心音が聞こえず、呼吸が止まり、瞳孔反射がなくなれば死だと私でも判断できます。
実際、現場でも夜間休日はNDARならフラットになってから当直医師をコールします。
当直医師は初めて見る患者を前に、死亡の観察と死亡時間を家族に宣告するだけです。
あらかじめ記入されている(主治医が準備している)死亡診断書に署名するだけです。
母の病を期に、死に方?死ぬ方法?などいろいろ考えるようになりました。
現場で行っている実践と母に行っている実践との違いに大きなジレンマを感じるようになりました。
自分の想いや考えを患者や家族に勧めてしまうのではないかと心配しています。
組織が進む方針から逸脱してしまいますから・・・・・・
困ったものです。(;一_一)
Posted by らら at 2013年08月31日 11:25 | 返信
長尾先生。初めまして。先生のご著書、ブログをご拝読させていています。私は訪問看護師です。悩んでいるときなど、先生のお言葉には飾りだてがなく素直に私の気持にストライクします。ありがとうございます。
先生、現在先生と同じご年齢でしよぅか?55歳男性、中学教末期ガンの患者さまを受け持たせて頂いています。教師という職業に対し、ストレスでこんな病気になった、とちも忙し過ぎた。疲れ果てた。などの言葉を言われます。在宅でのあとわずかな時間どう支援したら良いのか。支援というのはおこがましいのか。ただ安楽に過ごして欲しいと思います。
Posted by 鈴木ゆかり at 2013年09月02日 09:55 | 返信
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