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医学の進歩の否定?
2013年11月28日(木)
患者よもっと賢くなれと書いたら、エライ怒られたが、
ネットがあるから、いろんな角度から勉強してほしい、と願っている。
長尾和宏・長尾クリニック院長に聞く
Vol.2◆医学の進歩の否定につながる懸念
「患者はもっと賢くなってほしい」との思い
http://www.m3.com/iryoIshin/article/185584/
医学の進歩の否定につながる懸念 - 長尾和宏・長尾クリニック院長に聞く◆Vol.2
2013年11月26日(火) 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
――近藤先生は、苦しく、不満や不安を持っている患者の声を受け止める役割となった。
迷える患者にとっては「教祖」のような存在、と言ってもいい。それに対し、批判を言うような僕は、返り血を浴びる。ネットなどで徹底的に攻撃される。「教祖」に仕立てた張本人は、文藝春秋でしょう。スポンサーが「菊池寛」賞など、お墨付きまで与えている。
「本を上梓したのは、患者さんにもっと賢くなってほしい」という思いから」(長尾和宏氏) |
――その文藝春秋が、『週刊文春』に、長尾先生の反論を掲載した。
はい。『週刊文春』の11月14日号に、僕の取材をまとめた記事が載っています。先々週も1日講演を取材し、また先週も取材に来て、やっと理解してくれるようになった(編集部注:インタビューは2013年11月7日に実施)。「僕たちは、間違ったことをやってきたのではなかいか」と、ようやく気付き始めたのかなと思った。
『週刊文春』記事のタイトルの候補として、編集者が当初考えたタイトルは、『近藤誠は人殺し』のような過激なもの。正直、自分たちが持ち上げた医師を、人殺し呼ばわりするのか、と驚きましたが。
けれども、それはやめてもらった。校了直前になって、『近藤誠先生、あなたの“犠牲者”が出ています』が提示され、「もう変えられない」と観念。“犠牲者”という言葉は使いたくなかったけれど、出版社側が「どうしても」と押し切り、そのまま掲載されたというのがいきさつです。
――改めてお聞きしますが、『「医療否定本」に殺されないための48の真実』で一番、主張されたかったことは。
本を上梓したのは、近藤先生に何かを言いたかったわけではなく、患者さんにもっと賢くなってほしいという思いからです。僕が最近出版した本の印税は、全て東日本大震災の被災地支援に充てています。僕は医師ですから、本で儲けるつもりはありません。本を出すのは、虚栄心か、功名心か、目立ちたいのか、などといろいろ叩かれますが、それは違います。「賢い患者」になってもらうため、正しい情報を患者さんに伝えしたいだけです。医療の基本はインフォームド・コンセント下での患者の自己決定と医師との信頼関係であり、誤った情報に基づいて判断したのではダメだと言うことを啓発しているのです。
――長尾先生には、本の上梓以降、近藤先生との対談のオファーも各社から来ているとお聞きしています。
はい。けれども、全部断っています。単独インタビューだけはお引き受けしました。原発に賛成か反対か、TPPや混合診療に反対かどうかについては、議論ができる。しかし、「がんもどき理論」「がん放置療法」は、極論の妄想とも言え、論理的に反論するのは難しい。それは神崎先生(Vol.1の記事を参照)も言っていますが、論理が破たんしているからです。
――医学的な議論だったら、同じ土俵に立ち議論できますが、そうではない。
一般の人の中には、「がん放置療法」は世紀の大発見だと本気で思っている方もいる。天道説が地動説に変わるような、大発見だと。しかし、真実はそうではない。
ただ、終末期の延命治療については今、大きな転換期にあります。僕は、平穏死を唱えていて、2012年夏には『「平穏死」10の条件』を上梓していますが、一般向けの講演会には呼ばれても、医療界からはなかなか声がかからなかった。僕を呼ぶかどうかが、医療界では“踏み絵”になっている。石飛幸三先生や中村仁一先生など、僕と同じような主張をされている先生方も、事情は同じだとお聞きします。
――昨年、インタビューをさせていただいた時、同様のことを言われていました(『「延命治療大国、日本」へのアンチテーゼ』を参照)。
病院の職員が講演会を企画しても、幹部が中止したこともあった。開催する場合でも、場所は病院外だったこともあります。先日もある病院が講演会を企画したところ、理事長が怒ったらしく、結局は地元の医師会館でやったのですが、300人も参加者が来た。その理事長も聞きに来ていたのですが、「なんだ、そんな話だったら、院内でやればよかった」と。聞いてもらえば、理解してもらえる。最近はやや変わってきており、大学などからも講演を依頼されるようになりました。
それでもまだ多くの人は、平穏死を信じていない状況にあり、医師や看護師の多くは、平穏死を一生知らずに、仕事を終えるのでしょう。石飛先生や中村先生も、平穏死を言い出すまで長年かかったと言っています。いくつかの大学病院の先生に、「平穏死はできますか」と聞いたことがあるのです。そしたら、「うちはできません。大学病院では、最期の最期に、延命治療をやらないことは考えられません」と。僕と、近藤先生は終末期医療に関しては同じだと考えている人も多いようです。
――それはなぜでしょうか。
「医療は不要」という点で、同類だと思われるのでしょう。しかし、僕が唱える「平穏死」は、医療を否定しているわけではなく、終末期に不要な医療はしなくていい、緩和医療は必要という主張です。命を助けられる医療はもちろん否定なんてしない。医療はものすごく発達している。発達しすぎて、時にやりすぎることもある。しかし、歴史的に見ても医療自体は可能性に溢れるのに、全否定しても、患者さんの幸せにはつながりません。
――先生は「平穏死」を押しつけているわけではない。
もちろんです。平穏死したい人の意思を尊重したいだけ。終末期医療のことと、助けるための治療を分けて考えている。しかも、抗がん剤治療は、パラダイムシフトの前夜にあります。分子標的薬が進歩し、FAS(脂肪酸合成酵素)阻害薬やがん幹細胞療法などの研究も進んでいます。抗がん剤の副作用が大幅に軽減され、効果が高い薬が出る前夜なのです。もちろん、これを奏功させるための遺伝子検査が可能な時代になった。ただ、どこまで保険で認めるか、という問題もあり、TPPや混合診療の問題とも絡んできます。
既にヒトの全遺伝子が簡単に調べられるようになっている。家族ががんになったら、遺伝子を調べる。乳がんの予防的切除に代表されるように、予防医療も広がってきています。
【掲載スケジュール】
Vol.1◆『「医療否定本」に殺されないための48の真実』上梓のわけ
返り血を浴びても、間違いは正す
Vol.2◆医学の進歩の否定につながる懸念
「患者はもっと賢くなってほしい」との思い
Vol.3◆「近藤誠現象」は検証の必要あり
臨床経験に基づく情報発信を続ける
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