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医療崩壊と医療事故調
2013年11月30日(土)
医療事故調のあり方を巡って、数年間議論が続いているが前に動かない。
もし警察など医療に素人の第三者が入ろうものなら、医療崩壊はますます加速する。
医療事故調に警察などの第三者を入れるべきだという意見がある。
いっけん、もっともに聞こえるかもしれない。
しかしもしそんなことをしたら、医療崩壊は必ず加速する。
こうした一連の動きについて、とても分かりやすい文章が
MRICから流れてきたので、以下、転載させていただく。
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医療崩壊を招きかねない医療安全事故調査委員会(事故調)
鈴木内科医院
鈴木 博之
2013年11月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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厚労省は医療者の責任追及をあきらめきれず、医師会や各学会の幹部らと共に前近代的な体質を持った事故調を完成させるべく動き出している。このままの内容で法制化すると確実に医療は委縮し、医師の管理化は進み、医療は崩壊していくものと予想されるが、WHOをはじめとする先進国の個人の責任追及を戒める流れに逆らってでも、強引に完成を急いでいるようにみられる。
田舎の老開業医の身でありながら、救急を含め内科全般を病院業務としてきた若いころの経験から医療の未来を案じて一文をしたためる次第である。
(1)医療関連死について
米国において入院患者の0.5%が医療の介在により亡くなっていることが発表され、医療の業務においては医療関連死が身近な問題であることが露呈した。医療関連死は原因不明のことも多く、また予期せぬことであることから、患者、医療者の対立に陥りやすく、双方にもっともな理由があるため解決困難に陥ることが多い。
1.現場の状況
唐突な死に対して、患者家族は驚き戸惑いそして、目前の医療担当者に疑いの目を向けるのが一般である。担当医師自らも何が起こったかわからない場合が多い。
2.患者側の求めるもの
医療者との関係がよい場合は、ここまでしてくれたのだからとあきらめる場合もあろう。しかし突然の身内の死に、患者側の持って行きようがない感情のはけ口を眼前の医療者に向けられることがふつうである。
さらに、医師の説明不足や隠蔽の疑惑を感じたり、医療者の判然とした過誤がある場合には医療に不信が高まり、合点がいかない場合は訴訟となる。現実の患者団体の追及は厳しい。医療事故に関する会議に出ると、患者団体は「何を泣き言言っている」「娘を返せ、謝れ」と過激な発言は後を絶たない。
患者が求める裁判の目的は真相究明、謝罪、補償、(再発防止)であるが、刑事であれ民事であれ訴訟となっても、警察も裁判官もしょせん素人であり、真相究明はできるはずもなく、原告被告とも疲れ果て不満足な結果に終わることが多かった。また、民事裁判では裁判費用も数百万を要し、適切な鑑定人を依頼するのが困難であることから裁判自体の敷居も高い。
そのため、真相究明のためには医療専門家を集め法律家の監視のもと、国が主導して事故調を作ることを期待するようになる。
3.医療者の側の立場からの主張
(非がないのに責められる思い)
突然の患者の死に対し、家族に力及ばなかったことを詫びたいと思う。それに対し、患者側は死ぬはずがないのに死んだのだから間違いがあったに違いないと医療者を疑う。医療者は、疑われたことに対し落胆し、また憤りを覚え、医療を誠実に行い、努力してきたことに対する患者側の反応に、今までの行為を否定された思いで、納得がいかない。医療者の努力を評価しない例として妊産婦死亡があげられる。お産に際しての母体死は医療介入なければ100人に一人といわれているが、日本では先人の努力により2万人に一人という世界一のレベルに達した。国民にとってお産は安全なものと認識され、亡くなった際はまず医療人の過誤を疑うような傾向になっている。
もともと、医療関連死はグレーゾーンが大きく、死因をはっきりさせることが難しい場合が多い。明らかな過誤があっても病気の経過や患者の条件があり、医療者の行為(過誤や最善の選択をできなかったこと)の死に対する割合など決められないことがふつうである。通常の経過を経ていても急死をする場合もあり、例え過誤であったにせよ、死亡に至るまで様々な過程が入るもので原因を極めるのは容易なことではない。そんなことも考慮されず、直接医療にかかわったばっかりに責められるのは納得できない。
(医療は成功報酬の業務ではない)
医療に求められることは誠実に遂行することであり、結果的に亡くなることに責任を取るといった契約ではない。例え原因が過誤であったにせよ、人間のやることである以上避けられず責任追及すべきではない。一般的に医療者を運転手になぞらえる主張がみられるが、医療は生死の境での業務であり、安全が当たり前の業務と比べることが筋違いである。ちょっとした過誤でも死につながるのである。
さらに、過誤の責任を問われるのであれば危険な病気を引き受ける医師はいなくなる。マスコミにもてはやされた「神の手」であっても間違いは起きている。日本の医療保険はいつでもどこでも低廉な医療費で水準の高い医療を提供するシステムをめざしており、医療は成功報酬の体系とはなっていない。過誤を許さないなら、保険料を含んだ高額な費用を設定しなくてはならない。実際医師の給与も安く抑えられ、仕事としては全く危険度に見合わない。
(医療保険の制約)
医療保険の制約から、少ない医師、パラメディカル、事務員の中で働いていることや十分な設備を整えられずに過誤の起きることも予想され、その制約の中での過誤を責められることは不条理である。
もし、設備に費用をかけられれば、過誤の危険を最大限排除するシステムを作ることができるし、人手に余裕があればより十分なチェックができ、無理な労働(当直明けなど)が減らせ、過誤の可能性を少なくできる。結局、この問題は経済的な問題でもある。国民がどれだけの安全性を求めそれに見合った医療費を支払うかによる。
また、患者との信頼関係が保てない状況であっても、法律上の制約から医療を実施しなくてはいけないことも大きい。
(裁判は医療の素人に裁かれる)
裁判になると医療の素人である裁判官に裁かれることになるため、医療常識では納得できない判決が出る場合もある。裁判は保険制度による制限や正月、夜間、救急など医療の悪条件などあまり考慮されない。裁判は判官びいきの判例が見られるといわれ、公正な判断より、弱い立場の側に立つようである。
4.医師法21条
大病院による過誤事件が相次いだため厚労省は平成12年に21条の解釈を改め、異状死を外表の異状という元々の犯罪協力的な内容から医療関連死も含むものとし、全例を警察に届け出るように要請したため、医療の素人である警察が医療に介入する事態となり、平成24年の新解釈が出るまで大いに混乱が続くことになる。
(2)現在の事故調論議
1.医療関連死を巡る混乱収拾のための動き
解決策として医療の専門家が法律家と一緒になって症例を検討し結論を出すことで、警察介入をとどまらせる仕組みとするべく、医師会、内科学会、外科学会などが中心になって調査委員会の設立を厚労省に働きかけた。法制化寸前まで進んだものの、事故調の組織設計上、故意でなくとも警察通報が入っていること、民事訴訟、行政処分の急増が考えられることなどから反対論が起こり、民主党の政権誕生とともに沙汰止みになっていた。
そのなかで平成24年、厚労省幹部から医師法21条を本来の解釈である外表異状のあるものだけ届け出でるように発言があった。したがって警察への届け出は不要となり、警察の介入は避けられる事態になったため、医療者側として事故調設立は急ぐ要件ではなくなった。
しかし、近年、検討会など再度法制化の流れが出てきて、来年5月には法律案ができるようである。検討会では問題意識を持った医師も出席していたが、彼らの意見は通りにくく、患者団体、法律家の意向に沿う形で話が進められ、医療を良くしていこうというよりも、医療人は隠蔽体質があるから監視管理してという意識を感じる。医師会、各医学会をも含めて検討されているようだが、少数幹部で検討され、最前線の若い勤務医の意見は汲みとられていない。
2.検討されている事故調の良い点は、以下のようなものであろう。
その道の専門家が揃えば真相究明に近づくことはあるかもしれない。
医療者にとって果てることのない患者側のとの話し合いからある程度解放される。
第三者であり専門家であることから双方の信頼が得られやすい。
患者側はいきなりの不幸に際し、事故調を介することは現実を受け入れやすくする。また、患者側は結果が出るまでの数か月が冷静さを取り戻す期間となる。
警察の介入が控えられる。
3.検討されている事故調の悪い点は、
(個人の責任追及の恐れ)
個人の責任を追及しないと謳いながら、個人追求の道を残していることが一番重要であり、警察へ通報される恐れがある。患者代表も裁判の代わりになるものと位置付ける発言をしている。結局、医師団による疑似裁判となり、法律の素人に法的な違法の度合いを判断される不安がある。
特筆すべきは医療関連死の全例が中央に報告することが義務化され、自らの医療の良し悪しのチェックを受けることになるということだ。事故調の調査になると一方的で黙秘権もないし、再審請求など誤審に対する配慮がない。
民事裁判の患者側の一番のハードルは鑑定書であるが、できあがった報告書はオーソライズされた鑑定書となり、民事訴訟が急増する恐れがある。そして、訴訟になると精神的、時間的多大な負担が医師に生じる。
今でさえ、民事では訴訟が増加し、日本でも病院の掛け金が支払限度を超える異常事態になり業務を取りやめていく損害保険会社が増えている。アメリカのお産では100万円かかるが、そのうちの医師の取り分は40万で損害保険会社が60万という。今後は日本でも同様な事態が想定される。
さらに、報告書はやはり素人である役人に確たる根拠を与え、行政処分も急増する恐れがある。
(遠のく真相究明)
免責がないため医師側は不用意に事実を表明できず、反省も口にできない。誠意を尽くして、自らに不利なことを反省点として挙げれば挙げるほど自らを窮地に貶める。結局、真相究明に至らない。さらに、学会での失敗例報告は医療の進歩に重要であるが、伏せられる傾向にあると聞く。
ガイドラインに則っているかにより判断されることも重要である。学会は官僚に後押しされてガイドラインを陸続と作っているが、アルゴリズムに正確に乗る症例などめったにいない。EBMに基づいて作られるというが、日本人を対象にした文献は少なく、糖尿病や狭心症にみられるように白人と日本人では病気の内容が異なっており、誤りの起こる可能性がある。また、医療の進歩により、今まで誤りといわれてきたことが覆ることもしばしばあり、常に正解ということではない。ガイドライン偏重となると医療の多様性がなくなり、進歩が止まる。
さらに、ガイドラインを作ることが自らの首を絞めることになっている。裁判官には重宝されて判定の材料になっているのである。その面の影響を考慮された内容になっていないので学会には再考を望む。
そのほか、グレーゾーンが大きく、真相究明は困難なものが多いことが予想されるのに無理に判定がなされる可能性がある。また、後出しジャンケンのように結果から見て判断される恐れがある。医療行為の最中の判断の良し悪しを評価すべきである。さらには、誰が裁いているのか公表されず、本当の専門家であるか、考え方に偏りがないかなどの疑念が残り、公正ではない。
(今後の医療に対する影響)
萎縮医療を引き起こし、特に外科、産科、救急では重症者の引き受け手に困るようになる。関連死に巻き込まれることを避けるため、危険な患者を避けるようになり、若い医師は危険な診療科を専攻しなくなる。そのため、一次病院の手術や重症患者は二次病院に回され、二次病院の患者は三次病院に回され、結局高次病院では患者が回らなくなる事態となる。救急を受けるのはよほど条件の良い場合に限られ、たらいまわしは増える。
医師の管理は強まることとなり、ガイドラインから外れる医療はできにくくなり、医療の進歩は止まる。日本の医師は奴隷状態にあると米国のクリントン元国務長官が言ったというが、使命感のみで、大したインセンティブもなくて行ってきた世界一の医療は最低限のことしか行われなくなり、患者との関係も冷ややかなものとなる。さらには、医療関連死を厳罰化することにより新人教育や新しい治療法の開発に支障をきたす。
社会正義から見て、同様の症例であっても、訴訟に訴えた患者側が億を超える補償金を得られ、訴訟を起こさない患者側は何も得られないことがあるというのは不合理である。
4.参考となる事業
(モデル事業)
モデル事業は平成17年から始まり、医師、弁護士で検討し、死因を解明、再発防止を提言していく組織で、事故調のモデル事業として始まった。私は創設期にモデル事業に立ち会った経験(症例12)から、その完成形である事故調が担当医の一生を左右させるほどの間違いのない厳しい結論が出せるような組織となりえるとは思えない。その体験したモデル事業の問題点をあげる。まず、専門家が不足している。どちらかというと病理、法医学が中心で、臨床の医師は2人だけで、全員で5,6人が議論する形であった。しかも、委員は皆多忙で、選任の医師は全員揃うことはなかった。臨床と言っても当該ケースは循環器の症例であり、循環器しかも、カテーテルの専門家の参集が必要であるはずのものの一人もその専門家はいなかった。
モデル事業では委員名は記載なかったが、このような重大な判断を行うのであるから、当然それぞれの名前は公表されるべきである。討議内容も記名の上紙面に載せるべきである。ネット上の攻撃のように、自らは表に出ないで非難するのは不当であるし、無責任な判断をされては当該医師が大いに迷惑する。また、医学上疑問のある発言や文章は検証されて、常に正され、正確な判断に置き換えて名誉回復などもされていかねばならない。したがって、担当医の言い分が付記されるのはもちろんのこと、再審請求も認められねばならない。委員も問題の多い人は適切に更迭させていかねばならない。
大野病院事件(平成18年)でも、検察側は産婦人科の医師の鑑定で話は進んでいたが、鑑定医は産婦人科であっても当該病気の経験のない医師であり、誤った判断がされていた。
事故調の扱う症例は複雑で特殊な病態が多く予想されることから、医師なら誰でもいいわけではなく、何十人ともなる専門家の事前の用意が必要であって、極めて限られたその道の専門家が、しかも複数参加するようにするべきである。そんなことが、この医師不足、医療費ひっ迫の折、可能なのか。
モデル事業の報告を見ると、55例の経過のわかる症例で、刑事訴訟0例、民事訴訟2例、その可能性2例、和解12例、動きなし39例となっている。
(産科無過失補償制度)
産科では特に患者との紛争が多いため、第三者機関の創設を急ぐ要望が多く出されていた。
平成21年に始まり脳性まひに対する補償と分析、再発防止を目的として創設。補償金3000万円。しかし、本来の無過失補償制度とは異なり、過失がなければ保障され、過失あれば医師賠償で償う、というもの。そのため、疑似裁判のように弁護士を交えて、産科学会の幹部10人余りで、ガイドラインに則っているかを判断され、5段階に評価されるという。
また、裁判への道も残され、補償金を元手に、ここでの報告書を裁判の有力資料として利用し、より高い補償金を求めることも可能とした。
しかし、医療者の再審請求、誤審に対する対応は考慮されておらず、誰が判断したのかも明らかにされない。
医療全般に適応を広げていくことも考えられているようであるが、無過失補償を謳いながら責任追及を残している点で矛盾しており問題がある。
これまで補償された414件のうち、損害賠償請求が行われたのは23件(5.6%)で、うち4件が解決済み。
(茨城県中立処理委員会)
茨城県中立処理委員会(対話型ADR)は平成18年より始められ、医師会が資金を出して運営されている。手数料等費用負担が双方にないことが特徴である。委員は、弁護士3人、大学教授やマスコミ代表からなる学識経験者2人、市民代表2人、それに県医師会から3人が加わった10人で構成。
冷静な話し合いの場を提供するのが目的であり裁定は行わないが、この場の中で落としどころが見つけられる場合が多いという。
しかし、医療側にはっきりした瑕疵がない場合やグレーゾーンの際は折り合いがつかない場合が多く、地域性もありこの組織を全国に広げるには難しい面もある。
また裁判の道は閉ざされていないので、患者側としては様子見のための会となる可能性あり、今後訴訟の増加も考えられる。さらに、医療者側としても全てオープンにするわけにもいかず、心からの謝罪も難しい。
62件中合意は30件(半数は100万円以下の見舞金で決着)、不成立は32件(後の解決、動きなし25件、裁判3件)。
(3) 事故調のあるべき姿
個人の責任追及は事故を防ぐ手立てにならないというのは世界の常識であり、現在世界一の医療といわれている水準を維持するために「免責」は不可欠である。
(免責からの真相究明)
患者の訴権は保障されたものであり免責はできないとの法律家の話が前提となって事故調の議論は始まっている。免責の法律が整っていないのなら、代議士に働きかけて法制化させるべきであり、日本医師会は政治に対し、最重要事項として、こういう時こそものを言うべきである。 免責は世界的には無理筋の話ではなくむしろ、WHOでは推奨している。現実に制度化している国もあり、患者の訴権の制限をしている国もある。飛行機事故においても先進国ではパイロットを免責にして再発防止を最優先に真相究明をしているが、日本では免責がないため事故に際してパイロットは速やかに本国に帰るように指示されていると聞く。前近代的な国家とみなされているのである。
免責は逆説的ではあるが、医療関連死からくる患者側との対立を解消する知恵である。免責による洗いざらいの事実の告白により真相に近づき、真の謝罪が可能となる。
(免責は無過失補償と自律を伴う)
無過失補償制度は災害と同様の趣旨から過失の有無にかかわらず、患者側は十分な補償を得ることが重要である。これは患者の対立感情を和らげる面もあり、また、社会正義から訴訟するしないにより受ける利益に大きな差異が起きるのを避ける意味もある。
医師の自律は、医療者のモラルの高さ、プロとしての確かさを確立して国民からの信頼を得て、免責を認められる素地を作るというものである。現在、日本医師会は全員参加や自律を訴えているが、戦略的に動いていないため一般の医師や国民は何を目的としているのかわからない。担当医の能力、知識、倫理観などを判断し、再教育、免許はく奪などを決定し実施することが必要となるが、現在想定されている機関は日本医師会である。
(事故調は院内事故調中心に)
患者と医師の本来の関係を取り戻すことを目指すのが基本にあるべきであり。担当医師の責任において結論を導きだし、患者の納得を得るまで説明する。そこには、大学病院や大病院の速やかな複数の専門家による応援体制を作り、真相に近づけるようにする必要もある。
突然の死に動揺している患者側に対しては、メディエータ-(患者に寄り添って気持ちを汲み取り、冷静に話ができる環境を作り、医療者につなぐ職種)を即座に配置できるように普及させなければならない。
(その他)
事故調の真相究明は困難であることから無理に決着をつけようとせず、患者側の納得と再発防止を中心とする。
プライバシーに配慮しながらできるだけ具体的な報告書を作成し、システムを中心とした実現可能な再発防止策を考案して全国に広めていく。
医療関連死は人が行う医療である限りなくならないこと、金をかけないで便利で安全で水準の高い医療は元々無理な話であること、医療関連死を受け入れる寛容さがなければ医療が成り立たないことなどを十分に国民に啓蒙する。
【略歴】東京医科歯科大学を昭和53年卒業。筑波大学附属病院、北茨城市立病院等での循環器内科中心の勤務を経て、平成元年より利根町にて開業。大野病院事件により医療の将来に危機感を抱き各種勉強会、医師会活動などに参加するようになる。
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