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近藤理論と近藤現象
ハーメルンの笛吹き男にしたのは誰なのか?
2013年12月13日(金)
近藤氏の近著を読まれた市民から感想文が届いた。
近藤誠をハーメルンの笛吹き男にしたのは誰なのか?と書かれている。
近藤理論の誤りを指摘し、近藤現象として検証している私から見て、正論だと思う。
【近藤誠を、ハーメルンの笛吹き男にしたのは誰なのか?】
~「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人 を読んで~
今までの氏の本の中で、一番論拠が薄く、キツネにつままれたような心持ちになった。
100万部のセールスを記録した「医者の殺されない47の心得」。
どうやら、今年一番売れた本は、本書になりそうだ。
これは、がん治療以外の健康法に対する心得も書いてあり
著者お得意のがんもどき理論、がん放置療法にかかわる事以外は、それほどおかしくはない説も(かといって真新しさは何もないが)
47の心得のうち、3割~4割は、まあ、真っ当な事が書いてあると思えた(たとえば長寿の秘訣など、たいして当たり障りのないものに関しては)。
そしてここにきて、100万部セールスの後に出した本のタイトルが、コレである。
そもそも、タイトルと中身が矛盾している。
なぜなら、近藤氏の今までの著作からの、飛躍と混乱が見られるからだ。
「本物のがん」には、いつか命を奪われる。
「がんもどき」なら、心配ない。
それが近藤氏の自説のベース。しかし、近藤氏はここにきてもまだ、
100%「がんもどき」と断定できる論拠も実績もひとつも出していない。
おそらくは、「がんもどき」。ほぼ確実に、「がんもどき」......当たり前だが、そういう言い方しかできないのだ。
もし近藤氏がある患者さんに対し、ほぼ「がんもどき」と診断して、その人が死んだなら?
「残念ながら、実はがんもどきではなくて、本物のがんだったようですね」
それで逃げられる。もしくは
「手術がよくなかった。私のところに来る前にやった抗がん剤治療に殺されたんでしょう」
と言えばいい。一度だって断定していないのだから、訴えられることもない。
ならば、こんな、断定的なタイトルをどうしてつけるのか?
それ自体が、「罪」である。たとえ、出版社の思惑とはいえども。
しかも今回は説得力を補強したいがためか、
今、全国の病院においておそらくほぼ「良性腫瘍」と診断されている話さえも、
氏は、「がんもどき」の範疇に入れてしまった。
これは大きな問題だ。
たとえば、氏は、マンモグラフィで見つかる乳がんは、99%、「がんもどき」と言い張る。
ちょっと待って、これは、正しくは、マンモグラフィで見つかる腫瘍は、99%「良性」ということを
あえて悪意を持ってこう書き換えているのではなかろうか。
同じく、PSAで見つかった前立腺がん、というのも、
病理の現場では良性腫瘍と判断されているものさえ、意図的にそう書いているだけのことではないか。
どの病院でも、はじめから「良性腫瘍」と診断しているものまで「がんもどき」にされては、
そりゃ、世の中「がんもどき」だらけである。
胃や大腸ポリープ、子宮筋腫等、その他良性の腫瘍が、転移もせずに、無害なものであることは、
どんな医者だって当たり前に、普通に患者に伝えている。
「それでも邪魔になるほど大きくなれば切りましょう」と多くの医師は言うだろう。
つまり、そもそもが、誰も「がん」とは診断していないものさえ、
本書では、「がんもどき」とされ、「それなのに医者は切ろうとするのだ」と主張している。
おいおい・・・前提からして、これは悪意がないだろうか?
本書では、こうした「悪意のある書き換え」が、他にも多々見られる。
否、悪意ではない。これはもはや、脅しだ。
いくら表現の自由があるとはいえ、一般市民を脅して、金を儲けようとするのは、悪徳商法と言わざるを得ない。
しかも、エビデンスなんてどこにも載っていない。
星の数ほどある医学論文の中から、自分の論拠を補強するのに都合の良いものだけを見つけ出し、
「アメリカでもこう言っている」と付け加える。(それを牽強付会という)。
そりゃ、朝6時から研究室にこもって山ほどの論文に目を通すはずである。
自分にぴったりの論文を見つけるのは、さぞ骨の折れる作業だろうから。
こうした行為の結果が、氏の持論の「エビデンス」と呼ぶにふさわしいかどうかは、ぜひ専門家に判断してもらいたい。
氏が出版した「患者よ、がんと闘うな」から早四半世紀近く。
あの時代に、近藤氏のあの書籍の出版は、「功」か「罪」かと問われれば、「功」のウェイトが大きく占めたと考える。
なぜなら、彼はそもそも「乳がん」のスペシャリストであり、当時、何が何でも全摘してきた乳がんに対し、
温存療法をスタンダードなものにさせ、多くの女性のおっぱいを救ったことに対しては、素直に称賛するし、女性の身としては感謝したい。
命は助かっても、乳房を失われたことにより、恋愛や結婚を手放した女性の悲しみを彼は汲んだのだ。
当時、他の外科医の多くには、「命が助かるんだから、おっぱいの一つくらいで、つべこべいうな」という考え方が蔓延していたわけで。
しかし、だ。
乳がんで得た論拠を、消化器官等に当てはめることから、彼は間違えた。
「功」と「罪」、その天秤はもはや、「罪」の重みに振りきれて壊れてしまった。
「がん」と一言にいっても、内臓によって、
進行も、命へのさまたげ方も、多種多様なはず。
乳がんだけやっていればよかった。
彼をここまで盲目にさせたのには、出版社や雑誌メディアの責任も大きいだろう。
立つ鳥跡を濁しきったのだ。
【ハーメルンの笛吹き】というドイツに伝わる愚話がある。
このストーリーをご存知だろうか。
近藤誠現象とは何か? と考えると、どうしてもこの寓話が脳裏に浮かぶ。
ハーメルンの笛吹き男は、最初は良いことをした。 笛を吹いて、町を荒らし放題だったネズミを駆除し、村人を助けた。
しかし、村人は、笛吹き男に対して、報酬を惜しんだ。
すると、どうだろう? 笛吹き男は、今度は同じ笛を吹いて、子どもたちをさらってしまったのだ。
子どもたちは二度と帰ってこなかった。
笛吹き男を、近藤誠に。
ネズミを、四半世紀前の日本の乳がん治療の実態に。
報酬を、医療界からの称賛に。
子どもたちを......2013年の近藤氏の本の読者に、置き換えて読んでほしい。
しかし、近藤誠現象は、寓話ではない。
今、この国で起きている現実なのだ。
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この記事へのコメント
大変共感しました。amazonに投稿してほしいです。
Posted by 匿名 at 2013年12月13日 07:04 | 返信
近藤医師の著書を読み、上手く表せないけど、何かしっくりこない、違うのでは?と感じていたことを、見事にまとめていただきありがとうございます。
私も是非Amazonのレビューを書いていただきたいです。
Posted by 小畑ふみこ at 2013年12月13日 10:01 | 返信
近藤誠≒ハーメルンの笛吹男説に座布団三枚! 面白くわかりやすいですね。雑誌や出版社(文春などでしょうか)と、当時の医療界にも責任があるということがよくわかります。この明快な笛吹男論を、もっと多くの市民に広めてください。
Posted by 匿名 at 2013年12月15日 10:57 | 返信
感心しました。一市民の方が、新聞記者顔負けこれほど的確な近藤批判を書いて、長尾先生に投稿しているというのに、ドクター方は何をしているのでしょうか。乳ガンだけやっていたらよかったというご意見に賛同致します。もっと発表なさってはいかがでしょうか。
Posted by 元看護婦です at 2013年12月15日 04:33 | 返信
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