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認知症の人の鉄道事故裁判

2014年04月30日(水)

認知症の人が介護者が目を離したすきに鉄道内に入り死亡した事件を巡る民事訴訟。
名古屋地裁の一審では、遠くの長男に720万円の賠償命令を出したが、
名古屋高栽の二審判決は、同居の妻(高齢者)に360万円の賠償命令を出した。
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この判決に関する大手メデイアの記事や社説を全部、読んだが、
この事件と裁判の本質に踏み込んだ意見は、皆無だった。

みな傍観者としての意見であり、明確な論評を避けていた。
正直、どう書けばいいのか分からなかったのかもしれない。

私の見解は、結論からいえば
一審判決は、オカシイ。
しかし二審判決は、もっとオカシイ。


720万円から360万円に減額したので、家族に譲歩した形になったので
まあいいじゃないか、というような見方もあるかもしれない。

しかしこの事件の本質は、金額の多少ではなく、
責任の所在をどこに求めるのか、という点にある。

一審では遠くの長男に
二審では同居の妻に賠償責任があると認定しているが、
私はどちらも完全に間違っていると思う。

もちろん、大前提としてこれは故意ではなく事故である。
そしてJR東海には、確かに大きな損害が生じたのも事実である。

では、認知症の人が在宅療養した場合の賠償責任はどこに問うべきか?

家族ではない、社会ではないのか。

認知症になっても住み慣れた町で暮らせるようにするのが
地域包括ケアシステムではなかったのか?

行政は地域包括ケアの旗を振るが、司法は旗を振らせない。
三権分立とはいうものの、この場合は司法はあまりに思慮不足すぎる。

これは稀な事例ではなく、同様の事故がこれから増えてくることが分かっていない。

火事や高速道路逆走なども同様の論理だ。
そうした責任を家族に負わせるということはどんなことなのか、想像してみたらいい。

私が家族なら、在宅療養を容認していた主治医を訴える。
あるいは充分なケアマネッジメントが出来ていなかったケアマネを訴える。

そうなると、どうなるのか?
あとは、拙書、「ばあちゃん・・・」に書いたとうりだ。(まだの人、読んで下さい)

施設や病院に閉じ込めて外に出さない方向性に逆戻りなのだ。
高齢者の半分が認知症に向かおうというのに、それを全部、施設に監禁するなんて・・・

独居、老老認認があたり前になってきているという現実を裁判官は知らないのだろうか。
誰か、裁判長に教えてあげて欲しい。

じゃあ、誰が損害賠償すべきか。
それは、”社会”だ。

”保険”という社会システムで担保すべきだ。
じゃあ、民間保険? それとも公的保険?

多くの人は自動車保険や火災保険のイメージで民間保険と思うだろう。
しかし私は、これこそが、公的介護保険の出番であると考える。

保険とは、そもそも、みんながお金を出し合って、イザという時に備えるもの。
介護保険の原点になるのが、こうした認知症の人の事故対応ではないのか。

ところで、介護保険にそんな財源なんてあるの?

そんな声が聞こえてきそうだ。
しかし、あります!

介護認定審査会制度を廃止して、認定調査員とコンピューターによる
松竹梅の3段階判定にすれば、ただちに百億円単位の財源は生まれるはず。

1人2万円×1000万人として、年間、200億円。(あっていますかね?0が少ない?)

アホな私でもそう思うのだが、裁判長も大手新聞の論説委員さんも誰一人
そのようなことを言われないので、逆に驚いている。

私の言っていること、おかしいですか?

みなさんの両親や身内に必ず認知症の人がいるはずなので
この問題は、決してひとごとでななく、日本人全員が当事者になり得る課題。

認知症の人には放牧系介護を!

そうした主張の自分には、到底受け入れられない判決内容。
是非、最高裁まで争って欲しい。

叶うならば、一緒に闘いたい。
御遺族のためではなく、日本中の認知症の人の人権のために。




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この記事へのコメント

認知症であれ、事故であれ、差をつけない賠償額は当然かとおもいます。
しかし、遠くの長男、同居の高齢の妻に責任あり、というのは、余りにも実際に介護する家族の実情に思いが至ってないような。
24時間ぴったり貼り付くことは無理でしょう、裁判長。
そうなると、国は在宅介護へと言っても、家族は施設や病院に棄てる、閉じ込める覚悟で、本人の意思を重んじることには目を背けなくては、となるのでは。
先生が言われるように、介護保険の無駄を省けば、認知症の事故の保険制度が可能なら、早く設立案を、国会の先生方。議員報酬削減など、省く所は沢山では?
日本は異質な人を排除、というと語弊がありますが、正しい知識を得る前に、病の人を閉じ込める、差別するという歴史を辿ってきたような、ライ病、公害病.・・・。
認知症の正しい知識を得て、地域で支えるシステムを考える、集い場を沢山つくる、集い場さくらちゃんの“見まもりタイ"のような
活動や、子育てから介護まで、研修をしっかり受けさせ、専門職を補佐するようなボランティア、或いはワークシェアする中高年の育成など、認知症は放牧介護を地域で当たり前にできる方法は何かありそうな。
元気な人も、病気になっても、地域で支えあって暮らすことが当たり前の社会、どうしたら?
亡くなられた男性のご遺族、頑張っていただきたいです。

Posted by 小畑ふみこ at 2014年04月30日 03:05 | 返信

認知症の方が、徘徊中に鉄道などに事故にあい損害賠償を請求された
ときに、生命保険や火災保険の特約に個人損害賠償保険特約という
特約に入っていれば訴えられても賠償をしてくれるそうです。
ただ今回の判決を拝見すると、そんな問題では無いとつくずく思います。
地域包括ケアーが全く機能していないようにも思えます。
裁判所は認知症高齢者を座敷牢に閉じ込めておけ!!と言っているように
聞こえてなりません。本当に納得いきません!!

Posted by 匿名 at 2014年04月30日 05:31 | 返信

どうも当該事件は、民法709条要件(故意または過失)故に本人に法的な不法行為の損害賠償責任負担の義務が問えない(これは疑う余地がなく正しい)ことに端を発する私的な問題で、小生が関心ある「認知症の方ご本人が無資力の場合の損害を誰が負担すべきか」という社会的問題ではないようですね。一般論としての先生のお考えには心から賛同致しますが、少なくとも当該事件との関係では当たらないような気がしております。

Posted by 野島 at 2014年05月05日 04:10 | 返信

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