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100年の逆行
2014年05月01日(木)
認知症の人の鉄道事故に関する名古屋高裁の判決は、100年の逆行を意味する。
1900年の精神病者監督法では、精神病者を座敷牢に監禁することを定めたのだ。
しかし現在は憲法25条に定める基本的人権の時代なのだが、100年逆行している。
1900年の精神病者監督法では、精神病者を座敷牢に監禁することを定めたのだ。
しかし現在は憲法25条に定める基本的人権の時代なのだが、100年逆行している。
病院における座敷牢の実態が、4月19日の読売新聞に紹介されている。
記事はこちら
このとうりであり、よくぞレポートしてくれました、という感じ。
では、なぜこうなるのか??
それは監禁するから。
座敷牢に入れば、誰でもこうなる。
だからこそ「基本的人権」という近代概念が登場したのだ。
裁判長はそんなことも知らずにこんな汚点を残したのだろうか。
移動という尊厳を奪うことは、生きる気力を奪う。
それでも頑張ろうと、脱出を試みるかもしれない。
問題は、介護者に責任を賠償責任を求めたことにある。
負担するのは、大認知症時代を包含していく”社会”である。
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このとうりであり、よくぞレポートしてくれました、という感じ。
では、なぜこうなるのか??
それは監禁するから。
座敷牢に入れば、誰でもこうなる。
だからこそ「基本的人権」という近代概念が登場したのだ。
裁判長はそんなことも知らずにこんな汚点を残したのだろうか。
移動という尊厳を奪うことは、生きる気力を奪う。
それでも頑張ろうと、脱出を試みるかもしれない。
問題は、介護者に責任を賠償責任を求めたことにある。
負担するのは、大認知症時代を包含していく”社会”である。
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この記事へのコメント
発生してしまった損害は、ご本人の遺産から負担するのが本来だと思います。それを遺族が「遺産はあるけれども、法律上払わないで済むものであれば払いたくない」という話なら単なる私利私欲の問題で、他人のわたくしには全く興味のない話ですが、ご本人の遺産がない場合に、発生した損害を誰がいかに負担すべきかという話であれば、まさに深刻な社会問題だと思います。
今回事件はどちらなのでしょうか?
個人の問題(たとえば偽造論文)が社会問題(たとえば教育問題)にすり替えられて物事の本質が曖昧に論じられる風潮があり、つい素直に事案をみることができなくなってしまう残念なわたくしです。
Posted by 野島 at 2014年05月03日 04:58 | 返信
認知症の人は、自殺や、過失で線路内に入ったわけではないのです。簡単に入れたから入ったのです。
鉄道会社が損害賠償の請求をするのなら、私が遺族だったら轢き殺された家族の賠償請求をします。鉄道会社には誰でも簡単に線路内に入れないようにする義務があるのではないですか?もしこれが、小さな子供が線路内に入って轢き殺されたならどうなんでしょう?認知症の人は、認知力も判断力も病気によって奪われていて、状態としては幼児と同じだと思います。轢き殺された上に損害賠償を請求されるなんて、認知症の人の人権はどうなっているんでしょうか?
介護者が認知症の人を閉じ込めたらイコール虐待、イコール犯罪者になってしまうから、この部分では認知症の人の人権は認められているわけですよね。介護者には厳しすぎる。一人で介護する人も多くなってきているのに、24時間見守りなど人間わざじゃありません。これからどんどん認知症の人が増えていくというのに。病気で苦しむ上にこんな扱いを受けるなんて最悪の病気ですよね。介護者の苦しみは本人より深いのです。その人をこれ以上苦しめないでください。もしどうしても介護者に責任を負わせるというなら、徘徊する認知症の人はいつでもすぐに施設に受け入れられるように整備して、待機ゼロにするべきだと思います。
Posted by きーちゃん at 2014年05月11日 02:56 | 返信
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