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「新専門医制度」の影にあるもの
2014年05月19日(月)
管理医療が悪いとは言わない。
現に国民皆保険制度のもとで日々診療をしている。
ただ「新専門医制度」の影に、必要以上に萎縮させる管理を感じるのは私だけか。
現に国民皆保険制度のもとで日々診療をしている。
ただ「新専門医制度」の影に、必要以上に萎縮させる管理を感じるのは私だけか。
新専門医精度はいいようで問題。
今までファジーだったものが今後は明確になる可能性が高い。
ぬるま湯から熱湯ならばいのだが、冷水になる可能性もある。
ファジーなままを願う心がどこかにある。
それは、「専門医なんて関係ない」という気持ちの裏返し。
かと言って、総合診療専門医が、本当の意味での総合医になれるとは思わない。
この辺の感覚は上手く表現できない。
総合医は、資格ではなく、一生かけて目指すものであるという想いがどこかにある。
以下、平岡先生の論文をMRICから転載させていただく。
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医の倫理から見た『新専門医制度』の問題点
この原稿は『大阪府保険医雑誌』2014年5月号、特集「総合医と専門医」より転載です
健保連大阪中央病院 顧問
平岡 諦
2014年5月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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【はじめに結論を】
『新専門医制度』(文献1)は「プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)」に基づいて、「中立的な第三者機関」が運営することになっています。何となく判るようで騙されそうになりますが、ここに『新専門医制度』の問題が潜んでいます。問題とは、「中立的な第三者機関」が、実は厚労省の意向を受けた「現場の医師を統制するための官僚機構」だということです。天下り先にもなるでしょう。そして、それを隠すためにプロフェッショナルオートノミーという言葉が使われているのです。
プロフェッショナルオートノミーという言葉について説明します。大事な点ですので、少し長くなりますが辛抱して付き合ってください(詳しくは拙著(文献2)参照)。
世界医師会(WMA)は、ナチス政権下のホロコースト(大量虐殺)に多数の医師が関与していたことを反省して、戦後、「患者の人権を守る」ための医の倫理を発表し、各国の医師会に推奨してきました。特に重要な点は、患者自身、個々の現場の医師、そして医師会(医師集団)、三者それぞれに自立independence、つまり主体性を求めたことです。
まず患者の自立です。それは医師からの自立、すなわち「お任せの医療」から「自己決定の医療」への転換です。医師に依存していては自身の人権を守れない時があるからです。医師および医師会の自立とは、国や製薬企業など、医師・患者以外の第三者の意向からの自立です。「法や命令という国の意向が、医師を介して、患者の人権問題を起した」のがナチ医学です。医師に主体性が無かったために起きたのです。そして戦後、医師には第三者の意向からの自立(主体性)が求められました。なお関与した医師たちは、罪刑法定主義に基づき「悪法も法、だから守っただけ」という言い逃れ(「悪法問題」と呼ばれています)をしましたが、ニュルンベルグ医師裁判では自然法の「人道に反する罪Crime against humanity」(法定するまでもない罪刑)によって死刑をも言い渡しました。最後に医師会の自立です。患者の自立を支援する自立した医師、しかし、第三者の意向が強い時には個々の医師だけでは弱いので、個々の医師を支援するための医師会としての自立を求めたのです。
WMAは、そのような在り方が哲学者カントの自律autonomyの概念に相当することから、それぞれの在り方をpatient autonomy (患者としての自律)、clinical autonomy (個々の医師としての自律)、そしてprofessional autonomy (医師会としての自律)と呼んでいます(カッコ内は著者訳です)。
日本医師会(日医)は日本の医療界を代表してWMAに加盟しています。しかし日医の医の倫理は「患者の人権を尊重する」だけで、時には第三者の意向を優先することもあるという含みを残すものであり、「患者の人権を守る」とは言っていません。そしてWMAの勧めるprofessional autonomy (医師会としての自律)を果たしていません。その理由は「大日本帝国憲法という国の意向が、日本医学会の医師を介して、731医学という人権問題を起した」ことを反省せずに来ているからでしょう。そこで日医は、自立independenceを含まない、片仮名の「プロフェッショナルオートノミー」を造語して、WMAのprofessional autonomy (医師会としての自律)を隠してきました。このことに関しては、日医に関与する弁護士(法律家)(以下、「日医の弁護士」)(後述)の影響も大きいと考えます。
『新専門医制度』では総合診療医が専門医となります。それは多くの医師に総合診療医になってもらうための動機づけになるからです。しかし主目的は別です。それは、医師の地域偏在・診療科偏在による医療崩壊を防ぐ(という厚労省の意向の)ため、「地域別、科別の専門医総枠規制」を設けて「現場の医師の統制強化」を図ることです。このような厚労省の意向に沿った「中立的な第三者機関」という名の「現場の医師を統制するための官僚機構(天下り先)」を作る、それを隠すために使っている言葉がプロフェッショナルオートノミーということです。どうして隠せるのかは後述します。
「現場の医師の統制強化」は、『新専門医制度』だけでなく、医療法改定(2014予定)、全員強制加盟の医師会制度案(2013)や「徴医制」の構想(後述)も出てきて、ますます強められようとしています。統制される現場の医師はもちろん、そのような医師に医療を受ける患者の満足度は低くなるでしょう。また、「現場の医師の統制強化」は医療資源の有効活用から考えても効率の悪いものになるでしょう。これを防いで、主体的で自立した高齢者が、自立した医師の医療を受けるために、WMAの勧める自立した医師会を作る必要があるというのが結論です。そこで為すべき第一は、日医の自立(自律)を邪魔している「日医の弁護士」を締め出すことになります。
【プロフェッショナルオートノミーとは、各分科会に自主規制を強いること】
まず、プロフェッショナルオートノミーという言葉が厚労省の報告書(1)でどのように使われているかです。
■新たな専門医の仕組みは、プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)を基盤として、設計されるべきである。(p.2)
■中立的な第三者機関は、医療の質の保証を目的として、プロフェッショナルオートノミーにもとづき医師養成の仕組みをコントロールすることを使命とし、(後略)。(p.4)
■専門医の認定や基準の作成はプロフェッショナルオートノミーを基盤として行うとともに、(後略)。(p.4)
■新たな専門医の仕組みにおいて、プロフェッショナルオートノミーを基盤として、地域の実情に応じて、研修病院群の設定や、専門医の養成プログラムの地域への配置の在り方などを工夫することが重要である。(p.9)
■専門医の在り方については、新たな仕組みの導入以降、プロフェッショナルオートノミーを基盤とした上で、(後略)。(p.10)
以上の五か所で使われていますが内容についての説明はありません。本報告書を書いた検討会の構成員はその内容を理解されているのでしょうか、それとも判っていて知らぬふりをしているのでしょうか。
カントが使った自律autonomyは、自己規制self-regulationによる自立independenceということです。理性による自己規制で本能から自立する、これが人間性humanityであり、そのようなあり方が人間に尊厳dignityを付与すると言っています。常識での「オートノミー(自律)」は「自律=自分を律する=自己規制(self-regulation)」を意味するだけで、「自立(independence)」が欠落しています。そして「何から自立(independence)するのか」が示されることは、初めからありません。
患者の人権を守るための医の倫理においては、医師とその集団が、国や製薬企業など、医師と患者以外の第三者の意向「から自立する」ことが不可欠です。ところが、「常識的な自律」だと、「何から自立するのか」が無いので、患者の人権が守れなくなってしまいます。
『新専門医制度』で厚労省は、プロフェッショナルオートノミーを「何から自立するのか」を示さない「常識的な自律」の意味で使っています。それによって、「専門家(日本医学会の各分科会)の自主規制(self-regulation)を求める(強いる)」という自らの意向を隠しているのです。求める自主規制が専門医の定員の場合なら、それは「割り当てた専門医数に文句を言うな」ということになります。「プロフェッショナルオートノミーを基盤として」を「各分科会の自主規制に基づいて」に置き換えると『新専門医制度』の内容が良く判ります。2,3番で科別の、4番で地域別の総数規制を示しています。「何となく判るような気がする」のは、このように常識的な意味で使用しているからでしょう。
なお、同じような意向隠しは、日本学術会議から出された全員強制加盟の医師会構想(文献3、4)でも用いられています。このことについても「日医の弁護士」の影響は大きく、後述します。
【総合診療医の必要性と日医の立場】
「あまりにも専門化・細分化しすぎた現代医療の中で、全人的に人間を捉え、特定の臓器・疾患に限定せず多角的に診療を行う部門(Wikipedia)」、それが総合診療科(部)です。多くの医療機関が持つようになりましたが、日本で最初に(1976年以来)、総合診療医を育成するためのレジデント制度(総合診療教育部)を採用したのは天理よろづ相談所病院でしょう。ちなみに、その中心となった今中孝信先生は、私が昭和44(1969)年卒業後、阪大第二内科で研修医であった時の、「鬼軍曹」と呼ばれた病棟指導医でした。
「近年の高齢化社会の進行によって、その存在意義が大きくなっている(Wikipedia)」だけにとどまらず、何としてでも総合診療医を増やさなければならない状況になっています。団塊世代の高齢化による後期高齢者の激増から、死亡者数、認知症者数、そして一人暮らし高齢者数の急増が予想されるからです。団塊の世代が75歳になりきるのが約10年後の2025年、高齢者の身体的、精神的、社会的特徴に伴った変化が、今後約20年間の日本社会で予想されます。このような変化が起きても、寝たきり・認知症・孤独死にならないよう、すなわち「高齢者(高齢患者)が人間らしさ(humanity)を守る」ためにはどうすればよいか、そこで必要とされるのが総合診療医(かかりつけ医、ホームドクター、プライマリ・ケア医)です。
「高齢者の人間らしさを守る」ための「現場の医師の在り方」とはどのようなものでしょうか。日医もその考えを発表しています。「高齢者医療と介護における地域医師会の取り組み指針」(2004)、さらに具体化した「在宅における医療・介護の提供体制-「かかりつけ医機能」の充実-指針」(2007)、「『指針』の実現に向けて」(2008)で次のように示しています。
■『将来ビジョンを支える3つの基本的考え方』
1.尊厳と安心を創造する医療。
2.暮らしを支援する医療。
3.地域の中で健やかな老いを支える医療。
『将来ビジョンを具現化するための医師、医師会への7つの提言』
1.高齢者の尊厳の具現化に取り組もう。
2.病状に応じた適切な医療提供あるいは橋渡しをも担い利用者の安心を創造しよう。
3.高齢者の医療・介護のサービス提供によって生活機能の維持・改善に努めよう。
4.他職種連携によるケアマネジメントに参加しよう。
5.住まい・居住(多様な施設)と連携しよう。
6.壮年期・高齢期にわたっての健康管理・予防に係わっていこう。
7.高齢者が安心して暮らす地域づくり、地域ケア体制整備に努めよう。■
日医の考え方には、問題が二つあります。
第一は、「尊厳を創造する医療」、「尊厳の具現化に取り組む」という表現です。「人間の尊厳human dignity」(およびそれから導き出された人権human rights)を普遍的なものと考えるのが世界の流れです(日本国憲法下の日本でも同様です)。しかしこれらの表現から、日医は尊厳を外から与えるものと考えていることが分かります。これは前述の「患者の人権を尊重する」と同じ考えです。外から与えるものと考えているから、「尊重する」が第三者の意向を優先することもあるとなってしまうのです。
第二は、地域医師会、現場の医師に対する提言として発表していることです。尊厳についての認識以外の具体的な内容は素晴らしいものです、WMAの「患者の人権を守る」ための「現場の医師の在り方」に通じています。その内容を自身の行動指針として発表すれば、日医は地域医師会を通じて現場の医師を支援する医師会となれます。日医は何故、自身の行動指針として発表しない(出来ない)のでしょうか。それは日医が現場の医師を統制するための官僚機構の一部となっているからです。言い換えれば日医が自立(自律)していない(すなわち官僚による統制と言う「他律」に甘んじている)からです。
日医が自立(自律)できない理由は、日医にそのような在り方を誘導する「日医の弁護士」の存在が大きいと考えます。戦後すぐには、日本医学会・会長が日医の会長となって日医の在り方を誘導しました(詳しくは拙著(文献2)を参照)。現在、その代わりを果たしているのが「日医の弁護士」と言うことが出来ます。
【二つの医療システム】
(超)高齢化が進み、医療費も上昇し、医師をはじめとした人的資源も限られている現代の日本の医療システム(現代の日本だけではないでしょうが)、限られた資源を最大限活用するためには、二つの方法が考えられます。
一つは高齢者(患者)の自立(自律)を第一とし、それを支援する医師を組織(医師会)でさらに支援する医療システムです。いわば自立(自律)支援型の医療システムです。単に高齢者医療だけでなく、人権意識の高まりとともに、つぎに示す管理統制型の医療システムから自立(自律)支援型の医療システムへの変化(「お任せの医療」から「自己決定の医療」への変化)が世界の流れです。これが先述の、WMAが各国医師会に推奨しているシステムです。
もう一つは、高齢者(高齢患者)を管理し、管理する医師を組織が統制するという医療システムです。いわば管理統制型の医療システムです。その最たるものが「徴医制」(後述)で、現在、日本で進められつつあるシステムです。
前の項で述べたように、総合診療医を増やすことは必要です。『新専門医制度』での問題は、それを官僚による統制機構でやろうとしていることです。「中立的な第三者機関」を設けることは、WMAの勧めるprofessional autonomy (医師会としての自律)を否定することになります。なぜなら「中立的な第三者機関」が、「厚労省の意向が、法人化で独立した日本医学会を介して、現場の医師の統制を強化する」ための機構、すなわち官僚による統制機構になるからです。
このような第三者機関の在り方は、「大日本帝国の意向が、戦前の日本医学会を介して、731医学をも行わせた」という構造を思い起こさせます。これまでの日本医学会は日医の中に置かれていました。日医設立の第一目的は「医道の高揚」です。その中に置かれた日本医学会は「医道の高揚」に反することはできなかったのですが、法人化で独立し、名前も変える日本医学会には「医の倫理」による規制が効かなくなります。国の意向に沿ったことは何でもするようになったということです。
■多くの場合、倫理は法よりも高い基準の行為を要求し、ときには、医師に非倫理的行為を求める法には従わないことを要求します(日医発行『WMA 医の倫理マニュアル』)。■
これが世界の常識です。しかし法人化で独立した日本医学会にはこのような「医の倫理」のしばりが無くなり、戦前の日本医学会に戻ったと考えるべきです。これでは患者の人権を守ることが出来ずに、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。
そして、総合診療医が必要数に満たず、あるいは医師の偏在が修正されずに医療崩壊の恐れがでれば、さらに統制強化のために戦前のように「徴医制」が現実味を帯びて来るでしょう。これでは現場の医師の人権をも守れないのです。
【日医の自立を妨げる「日医の弁護士」の考え】
私が問題と感じる「日医の弁護士」の考えは日医のウェブサイト、「医師のみなさまへ」の中の「医の倫理の基礎知識」にあります。
No.2「倫理と法」の項目の樋口範雄・東大大学院法学政治研究科教授は、「倫理と法」を論ずる中で最重要な「悪法問題」に触れていません。その結果、「悪法問題」を解決するために導き出されたWMAのprofessional autonomy(医師会としての自律)を隠していることになります。
No.6「医師とプロフェッショナルオートノミー」の項目の日医参与の手塚一男弁護士は、「プロフェッショナルオートノミー」の歪んだ解釈によりWMAのprofessional autonomy(医師会としての自律)を隠しています(文献5)。以上のお二人は、日医の自立(自律)を妨げていることにならないでしょうか。
No.30「医師の応招義務」の項目の日医参与の畔柳達雄弁護士は、次に述べるように、「徴医制」の枠組みを示し先導しているように感じます。
まず、医師法19条(いわゆる「応招義務」)を持ち出します。そして、「圧倒的多数の医師が、本条の義務・応招義務の対象外であることを、事実上許容する結果」となっていると、現場を分析しています。次にその解決策として、医師の過半数になった病院勤務医を医療法(病院の在り方を規定する法律)のなかで規制するということを提案しています。その規制策とは「ある場所で医療業務に就くすべての医師に対して、その場所を管轄する地域の救急医療システムを整備し、その業務に参加し、奉仕する義務を課すのが一つの有力な解決策である」と言うことです。
その解決策を次のように変えるだけで、今回の医療法改定(案)の内容(第30条21~28、第31条)になります。「ある地域の医業に就くすべての医師に対して、(地方自治体が地域医療を立案し)その地域を管轄する医療システム(救急や在宅など、必要と認める医療システム)を整備し、その業務に参加し、奉仕する義務を課す」。これを全員強制加盟制の医師会の下で行えば「徴医制」の出来上がりです。
「徴兵制(度)」は、Wikipediaで次の様に説明されています。
■徴兵とは住民を兵士として召し上げ(徴)、兵役の義務を課すことであり、徴兵制度は憲法や法律で一定の年齢に達した国民に兵役を課すための組織化した制度を指す。■
これに続く部分に「徴医制」を重ねると次のようになります。
■徴兵制(「徴医制」)において兵役(応招義務)は国民(現場の医師)の義務的な負担として扱われ、国防(地域医療)への負担と貢献が求められる。徴兵制(「徴医制」)は軍隊(地域医療システム)に対する安定的な人材(現場の医師)の確保が長期にわたって容易であるものの、国民(現場の医師)に対する負担は大きい。■
畔柳達雄弁護士は、まさにその枠組みを示して「徴医制」への道を先導していることにならないでしょうか。氏の問題は次の点です。多くの医師が、過重労働による医療ミスと過労死を避けるために、応招義務の対象外に「立ち去り」、それが医療崩壊となっていること、これを認識していない点です。現場を知らずに法による規制を考えるだけの弁護士が陥りやすい問題点です。「立ち去り」もできないほどに「現場の医師の規制強化」を図って医療が良くなるはずがありません。少なくとも、現場の医師である多くの日医会員のために考えているとは思えません。なぜ、日医はこのような人をいつまでも抱え込んでいるのか疑問です。
【おわりに】
『新専門医制度』の主目的は、(超)高齢化社会に対応するために必要な「現場の医師」、総合診療医を、「中立的な第三者機関」と言う名の官僚組織で規制することです。しかし規制が過ぎると規制された医師は「立ち去る」ことでしょう。そして「立ち去る」ことを規制するには「全員強制加入の医師会制度」が必要になってくるでしょう。「徴医制」の完成です。
「現場の医師の統制強化」の、想定される流れと分担は以下の通りです。
1) 応招義務」の医療法への移行の示唆、および「徴医制」論の準備(発表済み。日医の弁護士)、
2) 医療法改定(2014年予定。厚労省)、
3) 総合診療医を入れた『新専門医制度』(2017年スタート。日本医学会中心)、
4) 全員強制加入の医師会制度(「徴医制」)の提案(2013年済み。日本学術会議)、
5) その法制化(医師法改定)(予測。厚労省)。
すでに1)、2)は実行されています。3)は現在進行中です。進行中の『新専門医制度』の正体が判るのは「地域別・科別の専門医数総枠規制」および「国からの補助金と天下り」の二点でしょう。「現場の医師の統制強化」の流れを見極めるためにも、この二点を注視し続ける必要があります。
なお、日本学術会議が「第三者機関による専門医制度」の重要性を「報告」(文献6)したのが1999年、「要望」(文献7)したのが2008年です。そして、2017年から実施されます。昨年、2013年に日本学術会議は「全員強制加入の医師会制度」を「報告」しました(文献3)。(超)高齢化社会のピークを迎えるのが約20年後、これに間に合うように「現場の医師の統制強化」の下準備は着々と進められているようです。
このような動きに対して、高齢者の自立を支援する医療システムを作ること、そして、それを支援する現場の医師を支援する医師会になるために、一刻も早く医師会が自立(自律)することが必要です。その為には、医師会の自立(自律)を妨げ、現場の医師(日医会員)を規制しようとする「日医の弁護士」への対応が大きな課題になるでしょう。
【文献】
(1)「専門医の在り方に関する検討会 報告書」(平成25年4月22日 厚労省 医政局 医事課 医師臨床研修推進室)
(2)平岡諦著『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識』ロハス・メディカル、2013
(3)日本学術会議「報告:全員加盟制医師組織による専門職自律の確立-国民に信頼される医療の実現のために」平成25(2013)年8月30日
(4)『マドリッド宣言の「お粗末な理解」(意図的な誤訳)を基礎とした日本学術会議の報告書』(2014年1月15日 MRIC Vol.8)
(5)『日本医師会参与・手塚一男弁護士の「医師とプロフェッショナル・オートノミー」の問題点』(2014年2月18日 MRIC Vol. 40)
(6)日本学術会議「第7部報告:専門医制度の整備と専門医資格認定機構の設置について」平成11(1999)年11月29日
(7)日本学術会議「要望:信頼に支えられた医療の実現―医療を崩壊させないために」平成20(2008)年6月26日
今までファジーだったものが今後は明確になる可能性が高い。
ぬるま湯から熱湯ならばいのだが、冷水になる可能性もある。
ファジーなままを願う心がどこかにある。
それは、「専門医なんて関係ない」という気持ちの裏返し。
かと言って、総合診療専門医が、本当の意味での総合医になれるとは思わない。
この辺の感覚は上手く表現できない。
総合医は、資格ではなく、一生かけて目指すものであるという想いがどこかにある。
以下、平岡先生の論文をMRICから転載させていただく。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
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医の倫理から見た『新専門医制度』の問題点
この原稿は『大阪府保険医雑誌』2014年5月号、特集「総合医と専門医」より転載です
健保連大阪中央病院 顧問
平岡 諦
2014年5月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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【はじめに結論を】
『新専門医制度』(文献1)は「プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)」に基づいて、「中立的な第三者機関」が運営することになっています。何となく判るようで騙されそうになりますが、ここに『新専門医制度』の問題が潜んでいます。問題とは、「中立的な第三者機関」が、実は厚労省の意向を受けた「現場の医師を統制するための官僚機構」だということです。天下り先にもなるでしょう。そして、それを隠すためにプロフェッショナルオートノミーという言葉が使われているのです。
プロフェッショナルオートノミーという言葉について説明します。大事な点ですので、少し長くなりますが辛抱して付き合ってください(詳しくは拙著(文献2)参照)。
世界医師会(WMA)は、ナチス政権下のホロコースト(大量虐殺)に多数の医師が関与していたことを反省して、戦後、「患者の人権を守る」ための医の倫理を発表し、各国の医師会に推奨してきました。特に重要な点は、患者自身、個々の現場の医師、そして医師会(医師集団)、三者それぞれに自立independence、つまり主体性を求めたことです。
まず患者の自立です。それは医師からの自立、すなわち「お任せの医療」から「自己決定の医療」への転換です。医師に依存していては自身の人権を守れない時があるからです。医師および医師会の自立とは、国や製薬企業など、医師・患者以外の第三者の意向からの自立です。「法や命令という国の意向が、医師を介して、患者の人権問題を起した」のがナチ医学です。医師に主体性が無かったために起きたのです。そして戦後、医師には第三者の意向からの自立(主体性)が求められました。なお関与した医師たちは、罪刑法定主義に基づき「悪法も法、だから守っただけ」という言い逃れ(「悪法問題」と呼ばれています)をしましたが、ニュルンベルグ医師裁判では自然法の「人道に反する罪Crime against humanity」(法定するまでもない罪刑)によって死刑をも言い渡しました。最後に医師会の自立です。患者の自立を支援する自立した医師、しかし、第三者の意向が強い時には個々の医師だけでは弱いので、個々の医師を支援するための医師会としての自立を求めたのです。
WMAは、そのような在り方が哲学者カントの自律autonomyの概念に相当することから、それぞれの在り方をpatient autonomy (患者としての自律)、clinical autonomy (個々の医師としての自律)、そしてprofessional autonomy (医師会としての自律)と呼んでいます(カッコ内は著者訳です)。
日本医師会(日医)は日本の医療界を代表してWMAに加盟しています。しかし日医の医の倫理は「患者の人権を尊重する」だけで、時には第三者の意向を優先することもあるという含みを残すものであり、「患者の人権を守る」とは言っていません。そしてWMAの勧めるprofessional autonomy (医師会としての自律)を果たしていません。その理由は「大日本帝国憲法という国の意向が、日本医学会の医師を介して、731医学という人権問題を起した」ことを反省せずに来ているからでしょう。そこで日医は、自立independenceを含まない、片仮名の「プロフェッショナルオートノミー」を造語して、WMAのprofessional autonomy (医師会としての自律)を隠してきました。このことに関しては、日医に関与する弁護士(法律家)(以下、「日医の弁護士」)(後述)の影響も大きいと考えます。
『新専門医制度』では総合診療医が専門医となります。それは多くの医師に総合診療医になってもらうための動機づけになるからです。しかし主目的は別です。それは、医師の地域偏在・診療科偏在による医療崩壊を防ぐ(という厚労省の意向の)ため、「地域別、科別の専門医総枠規制」を設けて「現場の医師の統制強化」を図ることです。このような厚労省の意向に沿った「中立的な第三者機関」という名の「現場の医師を統制するための官僚機構(天下り先)」を作る、それを隠すために使っている言葉がプロフェッショナルオートノミーということです。どうして隠せるのかは後述します。
「現場の医師の統制強化」は、『新専門医制度』だけでなく、医療法改定(2014予定)、全員強制加盟の医師会制度案(2013)や「徴医制」の構想(後述)も出てきて、ますます強められようとしています。統制される現場の医師はもちろん、そのような医師に医療を受ける患者の満足度は低くなるでしょう。また、「現場の医師の統制強化」は医療資源の有効活用から考えても効率の悪いものになるでしょう。これを防いで、主体的で自立した高齢者が、自立した医師の医療を受けるために、WMAの勧める自立した医師会を作る必要があるというのが結論です。そこで為すべき第一は、日医の自立(自律)を邪魔している「日医の弁護士」を締め出すことになります。
【プロフェッショナルオートノミーとは、各分科会に自主規制を強いること】
まず、プロフェッショナルオートノミーという言葉が厚労省の報告書(1)でどのように使われているかです。
■新たな専門医の仕組みは、プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)を基盤として、設計されるべきである。(p.2)
■中立的な第三者機関は、医療の質の保証を目的として、プロフェッショナルオートノミーにもとづき医師養成の仕組みをコントロールすることを使命とし、(後略)。(p.4)
■専門医の認定や基準の作成はプロフェッショナルオートノミーを基盤として行うとともに、(後略)。(p.4)
■新たな専門医の仕組みにおいて、プロフェッショナルオートノミーを基盤として、地域の実情に応じて、研修病院群の設定や、専門医の養成プログラムの地域への配置の在り方などを工夫することが重要である。(p.9)
■専門医の在り方については、新たな仕組みの導入以降、プロフェッショナルオートノミーを基盤とした上で、(後略)。(p.10)
以上の五か所で使われていますが内容についての説明はありません。本報告書を書いた検討会の構成員はその内容を理解されているのでしょうか、それとも判っていて知らぬふりをしているのでしょうか。
カントが使った自律autonomyは、自己規制self-regulationによる自立independenceということです。理性による自己規制で本能から自立する、これが人間性humanityであり、そのようなあり方が人間に尊厳dignityを付与すると言っています。常識での「オートノミー(自律)」は「自律=自分を律する=自己規制(self-regulation)」を意味するだけで、「自立(independence)」が欠落しています。そして「何から自立(independence)するのか」が示されることは、初めからありません。
患者の人権を守るための医の倫理においては、医師とその集団が、国や製薬企業など、医師と患者以外の第三者の意向「から自立する」ことが不可欠です。ところが、「常識的な自律」だと、「何から自立するのか」が無いので、患者の人権が守れなくなってしまいます。
『新専門医制度』で厚労省は、プロフェッショナルオートノミーを「何から自立するのか」を示さない「常識的な自律」の意味で使っています。それによって、「専門家(日本医学会の各分科会)の自主規制(self-regulation)を求める(強いる)」という自らの意向を隠しているのです。求める自主規制が専門医の定員の場合なら、それは「割り当てた専門医数に文句を言うな」ということになります。「プロフェッショナルオートノミーを基盤として」を「各分科会の自主規制に基づいて」に置き換えると『新専門医制度』の内容が良く判ります。2,3番で科別の、4番で地域別の総数規制を示しています。「何となく判るような気がする」のは、このように常識的な意味で使用しているからでしょう。
なお、同じような意向隠しは、日本学術会議から出された全員強制加盟の医師会構想(文献3、4)でも用いられています。このことについても「日医の弁護士」の影響は大きく、後述します。
【総合診療医の必要性と日医の立場】
「あまりにも専門化・細分化しすぎた現代医療の中で、全人的に人間を捉え、特定の臓器・疾患に限定せず多角的に診療を行う部門(Wikipedia)」、それが総合診療科(部)です。多くの医療機関が持つようになりましたが、日本で最初に(1976年以来)、総合診療医を育成するためのレジデント制度(総合診療教育部)を採用したのは天理よろづ相談所病院でしょう。ちなみに、その中心となった今中孝信先生は、私が昭和44(1969)年卒業後、阪大第二内科で研修医であった時の、「鬼軍曹」と呼ばれた病棟指導医でした。
「近年の高齢化社会の進行によって、その存在意義が大きくなっている(Wikipedia)」だけにとどまらず、何としてでも総合診療医を増やさなければならない状況になっています。団塊世代の高齢化による後期高齢者の激増から、死亡者数、認知症者数、そして一人暮らし高齢者数の急増が予想されるからです。団塊の世代が75歳になりきるのが約10年後の2025年、高齢者の身体的、精神的、社会的特徴に伴った変化が、今後約20年間の日本社会で予想されます。このような変化が起きても、寝たきり・認知症・孤独死にならないよう、すなわち「高齢者(高齢患者)が人間らしさ(humanity)を守る」ためにはどうすればよいか、そこで必要とされるのが総合診療医(かかりつけ医、ホームドクター、プライマリ・ケア医)です。
「高齢者の人間らしさを守る」ための「現場の医師の在り方」とはどのようなものでしょうか。日医もその考えを発表しています。「高齢者医療と介護における地域医師会の取り組み指針」(2004)、さらに具体化した「在宅における医療・介護の提供体制-「かかりつけ医機能」の充実-指針」(2007)、「『指針』の実現に向けて」(2008)で次のように示しています。
■『将来ビジョンを支える3つの基本的考え方』
1.尊厳と安心を創造する医療。
2.暮らしを支援する医療。
3.地域の中で健やかな老いを支える医療。
『将来ビジョンを具現化するための医師、医師会への7つの提言』
1.高齢者の尊厳の具現化に取り組もう。
2.病状に応じた適切な医療提供あるいは橋渡しをも担い利用者の安心を創造しよう。
3.高齢者の医療・介護のサービス提供によって生活機能の維持・改善に努めよう。
4.他職種連携によるケアマネジメントに参加しよう。
5.住まい・居住(多様な施設)と連携しよう。
6.壮年期・高齢期にわたっての健康管理・予防に係わっていこう。
7.高齢者が安心して暮らす地域づくり、地域ケア体制整備に努めよう。■
日医の考え方には、問題が二つあります。
第一は、「尊厳を創造する医療」、「尊厳の具現化に取り組む」という表現です。「人間の尊厳human dignity」(およびそれから導き出された人権human rights)を普遍的なものと考えるのが世界の流れです(日本国憲法下の日本でも同様です)。しかしこれらの表現から、日医は尊厳を外から与えるものと考えていることが分かります。これは前述の「患者の人権を尊重する」と同じ考えです。外から与えるものと考えているから、「尊重する」が第三者の意向を優先することもあるとなってしまうのです。
第二は、地域医師会、現場の医師に対する提言として発表していることです。尊厳についての認識以外の具体的な内容は素晴らしいものです、WMAの「患者の人権を守る」ための「現場の医師の在り方」に通じています。その内容を自身の行動指針として発表すれば、日医は地域医師会を通じて現場の医師を支援する医師会となれます。日医は何故、自身の行動指針として発表しない(出来ない)のでしょうか。それは日医が現場の医師を統制するための官僚機構の一部となっているからです。言い換えれば日医が自立(自律)していない(すなわち官僚による統制と言う「他律」に甘んじている)からです。
日医が自立(自律)できない理由は、日医にそのような在り方を誘導する「日医の弁護士」の存在が大きいと考えます。戦後すぐには、日本医学会・会長が日医の会長となって日医の在り方を誘導しました(詳しくは拙著(文献2)を参照)。現在、その代わりを果たしているのが「日医の弁護士」と言うことが出来ます。
【二つの医療システム】
(超)高齢化が進み、医療費も上昇し、医師をはじめとした人的資源も限られている現代の日本の医療システム(現代の日本だけではないでしょうが)、限られた資源を最大限活用するためには、二つの方法が考えられます。
一つは高齢者(患者)の自立(自律)を第一とし、それを支援する医師を組織(医師会)でさらに支援する医療システムです。いわば自立(自律)支援型の医療システムです。単に高齢者医療だけでなく、人権意識の高まりとともに、つぎに示す管理統制型の医療システムから自立(自律)支援型の医療システムへの変化(「お任せの医療」から「自己決定の医療」への変化)が世界の流れです。これが先述の、WMAが各国医師会に推奨しているシステムです。
もう一つは、高齢者(高齢患者)を管理し、管理する医師を組織が統制するという医療システムです。いわば管理統制型の医療システムです。その最たるものが「徴医制」(後述)で、現在、日本で進められつつあるシステムです。
前の項で述べたように、総合診療医を増やすことは必要です。『新専門医制度』での問題は、それを官僚による統制機構でやろうとしていることです。「中立的な第三者機関」を設けることは、WMAの勧めるprofessional autonomy (医師会としての自律)を否定することになります。なぜなら「中立的な第三者機関」が、「厚労省の意向が、法人化で独立した日本医学会を介して、現場の医師の統制を強化する」ための機構、すなわち官僚による統制機構になるからです。
このような第三者機関の在り方は、「大日本帝国の意向が、戦前の日本医学会を介して、731医学をも行わせた」という構造を思い起こさせます。これまでの日本医学会は日医の中に置かれていました。日医設立の第一目的は「医道の高揚」です。その中に置かれた日本医学会は「医道の高揚」に反することはできなかったのですが、法人化で独立し、名前も変える日本医学会には「医の倫理」による規制が効かなくなります。国の意向に沿ったことは何でもするようになったということです。
■多くの場合、倫理は法よりも高い基準の行為を要求し、ときには、医師に非倫理的行為を求める法には従わないことを要求します(日医発行『WMA 医の倫理マニュアル』)。■
これが世界の常識です。しかし法人化で独立した日本医学会にはこのような「医の倫理」のしばりが無くなり、戦前の日本医学会に戻ったと考えるべきです。これでは患者の人権を守ることが出来ずに、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。
そして、総合診療医が必要数に満たず、あるいは医師の偏在が修正されずに医療崩壊の恐れがでれば、さらに統制強化のために戦前のように「徴医制」が現実味を帯びて来るでしょう。これでは現場の医師の人権をも守れないのです。
【日医の自立を妨げる「日医の弁護士」の考え】
私が問題と感じる「日医の弁護士」の考えは日医のウェブサイト、「医師のみなさまへ」の中の「医の倫理の基礎知識」にあります。
No.2「倫理と法」の項目の樋口範雄・東大大学院法学政治研究科教授は、「倫理と法」を論ずる中で最重要な「悪法問題」に触れていません。その結果、「悪法問題」を解決するために導き出されたWMAのprofessional autonomy(医師会としての自律)を隠していることになります。
No.6「医師とプロフェッショナルオートノミー」の項目の日医参与の手塚一男弁護士は、「プロフェッショナルオートノミー」の歪んだ解釈によりWMAのprofessional autonomy(医師会としての自律)を隠しています(文献5)。以上のお二人は、日医の自立(自律)を妨げていることにならないでしょうか。
No.30「医師の応招義務」の項目の日医参与の畔柳達雄弁護士は、次に述べるように、「徴医制」の枠組みを示し先導しているように感じます。
まず、医師法19条(いわゆる「応招義務」)を持ち出します。そして、「圧倒的多数の医師が、本条の義務・応招義務の対象外であることを、事実上許容する結果」となっていると、現場を分析しています。次にその解決策として、医師の過半数になった病院勤務医を医療法(病院の在り方を規定する法律)のなかで規制するということを提案しています。その規制策とは「ある場所で医療業務に就くすべての医師に対して、その場所を管轄する地域の救急医療システムを整備し、その業務に参加し、奉仕する義務を課すのが一つの有力な解決策である」と言うことです。
その解決策を次のように変えるだけで、今回の医療法改定(案)の内容(第30条21~28、第31条)になります。「ある地域の医業に就くすべての医師に対して、(地方自治体が地域医療を立案し)その地域を管轄する医療システム(救急や在宅など、必要と認める医療システム)を整備し、その業務に参加し、奉仕する義務を課す」。これを全員強制加盟制の医師会の下で行えば「徴医制」の出来上がりです。
「徴兵制(度)」は、Wikipediaで次の様に説明されています。
■徴兵とは住民を兵士として召し上げ(徴)、兵役の義務を課すことであり、徴兵制度は憲法や法律で一定の年齢に達した国民に兵役を課すための組織化した制度を指す。■
これに続く部分に「徴医制」を重ねると次のようになります。
■徴兵制(「徴医制」)において兵役(応招義務)は国民(現場の医師)の義務的な負担として扱われ、国防(地域医療)への負担と貢献が求められる。徴兵制(「徴医制」)は軍隊(地域医療システム)に対する安定的な人材(現場の医師)の確保が長期にわたって容易であるものの、国民(現場の医師)に対する負担は大きい。■
畔柳達雄弁護士は、まさにその枠組みを示して「徴医制」への道を先導していることにならないでしょうか。氏の問題は次の点です。多くの医師が、過重労働による医療ミスと過労死を避けるために、応招義務の対象外に「立ち去り」、それが医療崩壊となっていること、これを認識していない点です。現場を知らずに法による規制を考えるだけの弁護士が陥りやすい問題点です。「立ち去り」もできないほどに「現場の医師の規制強化」を図って医療が良くなるはずがありません。少なくとも、現場の医師である多くの日医会員のために考えているとは思えません。なぜ、日医はこのような人をいつまでも抱え込んでいるのか疑問です。
【おわりに】
『新専門医制度』の主目的は、(超)高齢化社会に対応するために必要な「現場の医師」、総合診療医を、「中立的な第三者機関」と言う名の官僚組織で規制することです。しかし規制が過ぎると規制された医師は「立ち去る」ことでしょう。そして「立ち去る」ことを規制するには「全員強制加入の医師会制度」が必要になってくるでしょう。「徴医制」の完成です。
「現場の医師の統制強化」の、想定される流れと分担は以下の通りです。
1) 応招義務」の医療法への移行の示唆、および「徴医制」論の準備(発表済み。日医の弁護士)、
2) 医療法改定(2014年予定。厚労省)、
3) 総合診療医を入れた『新専門医制度』(2017年スタート。日本医学会中心)、
4) 全員強制加入の医師会制度(「徴医制」)の提案(2013年済み。日本学術会議)、
5) その法制化(医師法改定)(予測。厚労省)。
すでに1)、2)は実行されています。3)は現在進行中です。進行中の『新専門医制度』の正体が判るのは「地域別・科別の専門医数総枠規制」および「国からの補助金と天下り」の二点でしょう。「現場の医師の統制強化」の流れを見極めるためにも、この二点を注視し続ける必要があります。
なお、日本学術会議が「第三者機関による専門医制度」の重要性を「報告」(文献6)したのが1999年、「要望」(文献7)したのが2008年です。そして、2017年から実施されます。昨年、2013年に日本学術会議は「全員強制加入の医師会制度」を「報告」しました(文献3)。(超)高齢化社会のピークを迎えるのが約20年後、これに間に合うように「現場の医師の統制強化」の下準備は着々と進められているようです。
このような動きに対して、高齢者の自立を支援する医療システムを作ること、そして、それを支援する現場の医師を支援する医師会になるために、一刻も早く医師会が自立(自律)することが必要です。その為には、医師会の自立(自律)を妨げ、現場の医師(日医会員)を規制しようとする「日医の弁護士」への対応が大きな課題になるでしょう。
【文献】
(1)「専門医の在り方に関する検討会 報告書」(平成25年4月22日 厚労省 医政局 医事課 医師臨床研修推進室)
(2)平岡諦著『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識』ロハス・メディカル、2013
(3)日本学術会議「報告:全員加盟制医師組織による専門職自律の確立-国民に信頼される医療の実現のために」平成25(2013)年8月30日
(4)『マドリッド宣言の「お粗末な理解」(意図的な誤訳)を基礎とした日本学術会議の報告書』(2014年1月15日 MRIC Vol.8)
(5)『日本医師会参与・手塚一男弁護士の「医師とプロフェッショナル・オートノミー」の問題点』(2014年2月18日 MRIC Vol. 40)
(6)日本学術会議「第7部報告:専門医制度の整備と専門医資格認定機構の設置について」平成11(1999)年11月29日
(7)日本学術会議「要望:信頼に支えられた医療の実現―医療を崩壊させないために」平成20(2008)年6月26日
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この記事へのコメント
おっしゃる通り、全部の医師が専門医になる必要がある。と言う理由が分からない。全員が専門医なら、わざわざ専門医と言う必要は無いのでは。何科の医師ですと言えばよさそうなもの。また、各科の中でも細分化され、経験症例が偏ってしまっているのに、その科の全体を見ていない医師に??科専門医と言って良いのだろうか? 医師を金をかけずに制度を作って強制的に統制しようとしている。イギリスの様に金を出して病院全部を国営化するとか、自治医大のような医学部に変えるとか、もっと金をかけないと。企業や天下りに金を使わないで、税金の使い方を国民と論議すべきだ。
Posted by 田中充 at 2014年05月28日 10:20 | 返信
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