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8月の台風時の武庫川
2014年09月08日(月)
8月10日の昼、台風が兵庫県赤穂市に上陸した。
その台風の目の中で私は、赤穂市の横の姫路市で講演をしていた。
同時刻、尼崎と西宮の間を流れる武庫川の写真を見せて頂き驚いた。
その台風の目の中で私は、赤穂市の横の姫路市で講演をしていた。
同時刻、尼崎と西宮の間を流れる武庫川の写真を見せて頂き驚いた。
知っている人は知っているが、阪神武庫川駅は
武庫川の川の真上にある不思議な駅。
西口改札出たら西宮市で、すぐ前に兵庫医大がある。
東口改札を出たら尼崎という、両市にまたがるという不思議だらけの駅。
その武庫川が、台風で一瞬にして増水した。
1時間前と増水後を比べて欲しい。
あっという間に増水したようだ。
もちろん、阪神電車は夕方まで止まっていたそうだ。
まさに間一髪で、決壊を免れたようだ。
何も知らずに、姫路で講演していた自分が恥ずかしい。
今後の日本は、医療よりも防災かもしれない。
激しい気候変動にどう対応していくかのほうが大きな課題。
広島や高山で被災された皆様には、こころからお見舞い申し上げます。
日本中で防災意識を高めていくべきだと思う。
もちろん地震にも備えよう。
このわずか1時間後の阪神武庫川駅の増水。
かなり危ない状態。
大きな被害がなかったのは、運がよかったと言えるだろう。
これからの豪雨対策は時々刻々と臨機応変で備えるしかないと思った。
武庫川の川の真上にある不思議な駅。
西口改札出たら西宮市で、すぐ前に兵庫医大がある。
東口改札を出たら尼崎という、両市にまたがるという不思議だらけの駅。
その武庫川が、台風で一瞬にして増水した。
1時間前と増水後を比べて欲しい。
あっという間に増水したようだ。
もちろん、阪神電車は夕方まで止まっていたそうだ。
まさに間一髪で、決壊を免れたようだ。
何も知らずに、姫路で講演していた自分が恥ずかしい。
今後の日本は、医療よりも防災かもしれない。
激しい気候変動にどう対応していくかのほうが大きな課題。
広島や高山で被災された皆様には、こころからお見舞い申し上げます。
日本中で防災意識を高めていくべきだと思う。
もちろん地震にも備えよう。
このわずか1時間後の阪神武庫川駅の増水。
かなり危ない状態。
大きな被害がなかったのは、運がよかったと言えるだろう。
これからの豪雨対策は時々刻々と臨機応変で備えるしかないと思った。
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この記事へのコメント
異常気象のおかげで 大変なことになりました 被害にあわれた方の普段への復帰ができますように、阪神武庫川駅無事で良かったです。武庫川、よも川決壊しなくて良かったです。
Posted by 薬剤師 井澤康夫 at 2014年09月08日 07:05 | 返信
宝塚に住んでいるのに、武庫川が、こんなに危険な水位になっていたとは知りませんでした。
自治会長は、丁度、自治会館が建て直しで、壊してしまった時だったので「何処に避難しようか」と、悩んで、眠れなかったと言っていました。
私は、防災委員なんですが、怖かったけど、グーグー寝ていました。
武庫川の写真を見て、改めて、怖くなりました。
デング熱や、台風や、集中豪雨や、地震だと、災害が多くなりました。
Posted by 大谷佳子 at 2014年09月09日 02:21 | 返信
初めてコメント致します。長い間柄のブログ読者で昨年夏に急逝しました母親には在宅医療を通じて長尾先生始め看護士さんには大変御世話になりました。
今回の写真は私も大変、驚愕してます…
あの日は尼崎近辺はたいした大雨にはならず時々、雨脚が強まりながらも洪水のような被害はありませんでした。ただ武庫川上流の六甲山系や丹波地方はご存知のような記録的な豪雨になりまさに水害の盲点を見せられたような写真が阪神武庫川高架橋駅です。
阪神武庫川駅から尼崎駅~杭瀬駅神崎川一帯は海抜ゼロメートル地帯で蓬川や庄下川の河口は水門で閉められてましたからこちらも武庫川同様に一触即発状態だったのがよくわかります。
まさに明日は我が身がこれからは認識しないと駄目でしょう。
防災意識を個人が常に当たり前のように持ちながら最悪を想定することが助かる一線を分かちます。
大地と自然を畏敬して感謝を日常的に向けていたほんの少し前の生活習慣の回帰がヒントになるかも知れませんね。
そう言えば神社や寺のお祭りやお盆や初詣とかはそんな日本人が先祖代々から大切にしてきた美徳かなと感じました。
Posted by ひろ at 2014年09月09日 06:59 | 返信
異常気象、巨大災害が言われて、久しいですね。
日本には、なぜか、防災省はありません。
日本の医療・防災技術を、海外に即貢献する、常設機関もありません。
あのスピーディー(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)も、来年度から大幅縮小され、24時間監視態勢も解除されます。現在の建物が崩壊しても、全国各地にリカバリーする第2第3のシステムも、検討中止になったとか。
思い起こせば、幼児のころ。毎年川の氾濫に見舞われ、来る年来る年、畳干しを手伝だったものでした。なぜか、川のそばにあった、荒神社という建造物だけは、いつも無事でした。
児童の時は、毎年台風に襲われ、ある時は、トタンぶきの我が家が、あれよあれよという間に、大空高く飛んで行きました。跡に残ったのは、カマドと水がめ、飼っていた販売用の兎1匹だけでした。
よそ者でしたが、村人の助けで、村落の大師堂の中で生活させていただきました。教えていただいた、光明真言は、いまだ覚えています。
地震、雷、火事、津波‥‥は、古来、自然のこととして、日本列島では受け容れられながらも、大災害は、後世に代々伝えられてきました。
このたびの広島土砂崩れについて、災害歴史学の磯田道史さんは、古文書をみなおしてみたそうです。
安佐南区八木地区が、広島市に合併される前の『町史』には、「本町の扇状地は、背後に急斜地を持つことから、幾度もの土石流が重なって形成された」。ところが、「1937年に三菱重工の従業員団地の造成を相談されたことから」「高度経済成長期には、グリコや雪印牛乳などの誘致とあいまって、団地化が急速に進んだ」としるされているそうです。
磯田はいう。「この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。自然はコントロールできると、人間の優位を驚くほどに信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ,この時代のツケを後代の我々は、いま払っている」と。
毎年広島慰霊碑に捧げられる、「原爆献水」の採取地。被災した安佐南区の、毘沙門堂の手水鉢の、土砂かき出しが、つづいているそうです。頭がさがります。
列島の先祖、先達が、山や海、谷や田畑に、命名した想いに,今一度、胸にそっと手を当ててみます。
でも、日本は、完全にコントロールされているから、マ、いいっか。
Posted by 鍵山いさお at 2014年09月13日 04:55 | 返信
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