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後だしジャンケンの主語

2014年10月13日(月)

がん放置療法の書き込みやネットを読んでいたら、絶望的な気分になる。
近藤氏の主張を「後だしじゃんけん」と比喩したら、それが分らないという質問が
来たので返事を書いたら、またそれがよく分らない、という質問する人がいる。

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長尾和宏先生
はじめまして。私は医療とは全く関係ない地方雑誌編集の仕事をしています。
このたび家族が消化器系のガンで今後地元のガンセンターで治療開始予定です。
関係書物を慌てて何冊か読みましたが、未だ情報が錯綜しているため、正直結論に至りません。
本日の長尾先生の「後出しじゃんけん」のご説明興味深く拝読させていただきました。
(すなわち、結果が分ってから、手を出して勝率100%を誇ることを「後だしジャンケン」)がこの論旨でした。
つまり勝ち負けの主は近藤先生です。
一方、近藤先生は最新刊で「がんもどき理論をじゃんけんにたとえるのは不適当。転移がある人が負け、転移がない人が勝ちとするのはおかしい」と述べています。
つまり勝ち負けの主を患者として説明を試みています。さらに(転移していない患者に「治療のおかげで治った、よかったですね」などと言うこと自体が「後出しじゃんけん」)と皮肉たっぷりに述べています。
このように御二人の議論は焦点が異なるため、不毛である上患者にとってはそれほど重要な議論ではありません。
インチキ宗教とインチキ健康食品のたとえも失礼ながらやや感情が含まれる比喩で、雑誌編集者としてはもう少し万人の共感を得る比喩にされたほうがよろしいかと思います。。
とは言えガンの悪性度にはバリエーションがあり、超善人と超悪人のどこかの位置に人は属するのと同じ、という比喩は大変良く理解できます。おそらく病理学者も、それどころか近藤先生ですら同意見でしょう。
ただ近藤先生はそのような従来の病理学のパターン認識作業とは全く違う角度からの考え方を著書で述べています。
すなわちパターンとしてはガン」、「悪性度が高いとされるガン」でも「転移能力を獲得していないもの」を「悪性度が低いとされるガン」でも
「転移能力を獲得したもの」を「本物「もどき」と分類しています。そうしますとこの分類に関してはその間のグラデーションというものは存在しないと考えられますがどうなのでしょうか。
この種の疑問を共有する患者は相当数に上ると思われるため、我々素人にも分かり易く解説していただければ本当にありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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この方は、本名なのでお返事を書かせて頂く。
たいていは、匿名の嫌がらせなので、珍しい。


なるほど、誰が後だしジャンケンする主語なのか?と。

もちろん、ヘンな極論で世間の患者さんを惑わす近藤理論が主語である。

しかし近藤さんの近著では、後だしジャンケンの主語が主治医だという。
「命が助かれば、俺が助けたんだ」という医者が。

なるほど。たしかにそんな医者もいるだろうし、本人も気がついていない。
たしかに、その時点ではそれは「がんもどき」の範疇だったかもしれない。

しかし、その後、放置したら本物のがんに変化する場合もあるのも事実。
(がん細胞ができた時から、本物のがんであるとは限らない
 途中で変化するものはいくらでもあるし、それが普通。)

やりすぎ(オーバートリートメント)は、医療の誤差範囲。
しかしその誤差を少なくするのが、医学の役割。。

近藤さんから見れば、多くのがん診療医の言い分が、「後だしジャンケン」に見えるのか。
つまり、後だしジャンケンの主は主治医ではないのかと。

そう言いたいのはよく分る。
私だって、がん拠点病院の医師の終末期医療には再三再四苦言を呈しているから。

しかしここでの論点は、終末期医療ではなく
助かる可能性が高いがんへの治療についてだ。

この点はきわめて重要なのだが、近藤さんも全然気がついていない。
実は、年齢や病期を区別せずに論じるから、話がまとまらなくなる。

私のいう、後だしジャンケンの主語は、近藤氏ではなくて、
「がんもどき理論(仮説)に基づくがんもどき理論」の論理構成である。

つまり、詭弁の手法として後だしジャンケン(勝率100%)で人を信用させるやりかた。

後だしジャンケンがいい悪いでは無く、自説の有効性を高めるために
恣意的に捏造した”エビデンスもどき”を駆使する手法を、そう形容しただけ。


やっぱり、分りませんか?

しかしジャーナリストといて、こうして「自分がよく分らないことを素直に質問する」
ことはとても大切な姿勢なので、少しでも分かるように答えたい。

ほとんどのジャーナリストは、放置療法を煽るだけ煽っていいて、自分自身は
しっかりがん検診を受けて、がんになればがん医療を受けている。

近藤さんをスターに育て上げた出版社の社員も、2人に1人ががんになるから
必ず、放置療法を選ばずに、最良の治療法を模索するはず。

要は、所詮、人ごと。高見の見物として、面白おかしく煽って金儲けをするだけ。
金儲けのために誤った情報を垂れ流しても平気なのが日本のジャーナリズム。

朝日新聞の犯罪を叩くならば、自分自身の報道スタンスも振り返るべきだと思う。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

>パターンとしては「悪性度が低いとされるガン」でも
>「転移能力を獲得したもの」を「本物ガン」、「悪性度が高いとされるガン」でも
>「転移能力を獲得していないもの」を「もどき」と分類しています。
>そうしますとこの分類に関してはその間のグラデーションというものは存在しないと
>考えられますがどうなのでしょうか。

根拠も無く、勝手にそう仮定して、勝手にそう言っている人がいる。
ただそれだけ。

>もちろんいろんなグラデユエーションは存在する。
>ただ近藤先生はそのような従来の病理学のパターン認識作業とは
>全く違う角度からの考え方を著書で述べています。

騙されています。

たしかに、病理診断にはいくらでも間違いがあるし、病理医の主観が入るのも事実。
まだまだ発展途上で、未完の医学ですが、極論で解決でいる程単純化できません。

詭弁でものを言っていいのであれば、私だっていくらでも”トンデモ仮設”を書けます。
「まったく新しい」と思うのも自由だが、近藤さん以外の情報が無いので騙されます。

新しいように錯覚させる技術に長けているだけ。
まあ、素人を騙すのは、簡単だと言えるでしょう。

トンデモ仮説を前提とすれば、すべての結論は是となりますが、
そもそも論理構成のの基礎をしっかり検証するところから始めるべき。


>近藤先生は最新刊で「がんもどき理論をじゃんけんにたとえるのは不適当。
>転移がある人が負け、転移がない人が勝ちとするのはおかしい」と述べています。

意味不明です。
誰一人そんなことを言っていません。
典型的な「論理のすり替え」、騙しのテクニックです。

こういう意味不明なフレーズを一生懸命解読しようとしても
おそらく書いている本人が意味が分っていないので、仰せのとうりまったくの不毛でしょう。


人間社会には、100人100通りの多様性がある。
人口1億人の日本でも、1億とうりの人生がある。

世界の60億人でも同じ、
そして地球上の生物多様性もまったく同じ。

がんとは、生物多様性のひとつでもある。
人間は60兆個の細胞からなり、全部役割が違うし、動的平衡の中で日々変容している。

そうした多様性を全否定して、二元論化することを否定することを「極論化」といい、
そうした勝手な極論で、すべて解決しようとする手法を、「原理主義」と呼ぶ。

私が不思議でならないのは、頭が悪いこんな私でもこうして確信を持って言える
ことが、ジャーナリズムにいる優秀な人が、まったく理解できないのかという点。

それは、
・理解力が無いのか?
・洗脳されているのか?
のどちらかとしかか考えられない。

不思議で不思議でしょうがない。
もちろん私は、近藤さんの本を全部読んできた。

私は決して感情的に書いている訳ではありません。
冷静に、分り易く伝えるために、分り易い比喩を使うだけ。

よーく、考えてください。

近藤氏を支持しているのは、
・ジャーナリズム
・自称、有識者(本当の有識者ならば論理矛盾に直感的にも気がつく)
・がんではない人
・身内をがん医療の果てに亡くした人
・高齢者のがんの人が近くにいる人
などであり、

現在、がんで闘病中の患者さんは、みんな激しく怒っています。
そして、素晴らしいがん医療で助けられた人も怒っています。
(まあ、それもがんもどきで後だしジャンケンと言われるかもしれないが)

先日、乳がん患者会の若い患者さんたちから懇願されました。
「先生、あの間違った報道をなんとかしてください!私たちは泣いています」と。

部外者は、外から面白可笑しくはやしたて
当事者は怒るか困惑している。

果たしてこれが国民的支持と言えるのか????

そして、200年前の医聖・華岡青洲を否定するのでしょうか?
そんなことも分らなくなった日本人が増えたことを心から憂う。

ジャーナリストさんには、私自身がこの問題について書いてきた書籍やブログを
少しでも読んで頂ければと思います。

みなさん近藤さんは一生懸命読みますが、私の主張はろくに調べずに
石を投げてきますが、少しでも読んでから質問しないと、私も疲れます。


私は、近藤さんに恨みがあるわけではありません。
会ったことも話したことも、ありません。

しかし共通の知人からは「あまり近藤さんをいっじめるな」とも言われています。
いい人だったんだろうと思いますが、いつからかおかしくなったように思います。

週刊文春に書かれたように、テレビで対談したり一過性の見世物にされるのは望みません。

ただ今年のGWのフジテレビの特番では、2時間の番組枠で対談してくれと言ってきたので
出演をOKしてテレビクルーともお会いしたけど、近藤さんのほうから断って来たのが事実です。

でもそんなことはどうでもいい。

まだ助かるのにみすみす命を落とそうとしている人を救いたい、
そして今、泣いている人の代弁をしたい、ただそれだけです。

しかし、それが医者じゃないのか。
近藤さんは医者を辞めて、ジャーナリストになればいい。


だから、どれだけ近藤教カルト信者さんに攻撃されようが(毎日、やられています)
「間違っている点は、このように間違っていますよ!」と医師として言うだけです。




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この記事へのコメント

後出しジャンケンの意味を質問した者です。すぐにご回答くださり感激です。ありがとうございます。わかってスッキリ、こんなことならもっと早くお聞きすれば良かったと思いました。
地方紙編集者さまのコメントと回答も興味深く読ませていただきました。
後出しジャンケン=がんもどき理論の論理構造
納得いたしました。

ここからは暇人の非礼な提案です。後出しジャンケン比喩はわかりにくいので別の言葉に置き換えた方がよいと思います。
ジャンケンには、ジャンケンの参加者と勝負がつきものです。がん・がんもどき理論には、「ジャンケンはするな、勝負できるものではない、運命に任せて生を全うせよ」というメッセージ性があるので、私には論理構造に対する比喩とは思い及びませんでした。近藤医師さえも理解していないことが、編集者さんの引用からわかりました。
「がん・がんもどき理論の詐欺的後出しジャンケン的構造に世間の注意を喚起する」ことが目的であれば、
「がんがんもどき理論仮説原理主義」はどうでしょうか。省略形は「がんも原理主義」
先生の別比喩、信者さん(比喩のつもりじゃなかったりして)ともリンクしてよりわかりやすくなるかおも。。。人には原理主義に身を投じる自由もあります。患者の選択の自由を尊重していないと勘違いされて先生が攻撃される場合もあるように感じるので、誤解解消の一助にでもなれば。閑人愚考失礼いたしました。

Posted by May at 2014年10月14日 01:14 | 返信

ブログが珍しく更新されていなかったのでどうされたのかな~と放浪しておりましたら、こちらに辿り着いてしまいました。。
なんだか、ものすごいコメントなどが見えるものですから、100万馬力??の応援コメントをおくります(汗)。

私は理数系の勉強をサボってきた感じの人間で、楽器を奏で教える職業のものです。

「治療」に関して「わかりやすい説明」「もしも失敗されても許せるかもしれない、納得できるお医者さん」に治療していただきたいという考えの持ち主です。

私は、長尾先生の本も、ようやく何冊か読んだくらいな知識しかありませんが、長尾先生は近藤医師を非難するという目的ではなく、現在ももしかしたら患者(病気だと診断されているひと)なのかもしれない読者に向けて、ただ単にこう言いたいだけなのだと思います。

「(特に若い人は)近藤医師の主張だけを信じて、早期などの治る見込みのある病気を放置してしまうと、命だって脅かされてしまう可能性もあるから、お気をつけなさい。」と。

ここから後は私の経験談です。

「がん」と診断されたとき、お医者さんには大変失礼ですが、まず、それは間違いではないのか?(誤診という意味)と心配になり、しかし、それは失礼ですから口が裂けてもお医者さんには申し上げられませんので、ネットなどで情報をさがしまくります。
そうすると、予めお話をしてくれたお医者さんが言っていた言葉にいきあたります。「私がなんでもないと思っても病理診断が優先するんだよ」という言葉です。しかし「病理医のブログ」では「20人?の病理医が同じ対象を診断しても、違う結果が出る」という趣旨の情報があるではありませんか。
そうしたら、私たち素人は、お手上げです。
どうあがいても「わからない」のです。
だって、どの病理医が「辛め(つまりがんと診断する傾向が強い)」診断をするとか、わからないですし、調査しまくってわかったところで限界があります。
答えが1つでない以上、結局「がんかもしれない」というわけです。

私はこの段階で何が必要かを考え抜きました。
「治療は本当に必要か」「治療を受けたいと本人はどの程度のぞむのか」
「この病院は信用できるか」「この医師は信頼できるか」
答えの出し方は、知識が足りませんから、心の目でだしました。
「心眼」です。

その結果、幸運にもいい経過を得ることができているから、こちらにコメントするくらいの心の余裕に恵まれました。

「原理主義を受け入れる自由、結構でしょう。」私は医師でないから、こう書けます。
医師が私のように書けないのは、表現できないのは、「命の危険があるというものが見えているのに、放っておくことができないという、医師としての倫理」からでしょうね。

Posted by おーい at 2014年11月26日 03:12 | 返信

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