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横須賀は熱かった
2015年01月10日(土)
今日は横須賀市で平穏死の講演とシンポジウムのコメンテイターを務めた。
横須賀市の地域包括ケアはかなり進んでいた。
行政と医師会が熱いので、市民の関心も高いのかな。
横須賀市の地域包括ケアはかなり進んでいた。
行政と医師会が熱いので、市民の関心も高いのかな。
横須賀の在宅医療は、昨年の報道特集でも報道された。
在宅看取り率が年々、高くなっている
横須賀市と横須賀市医師会、横須賀共済病院などが
とても熱心に取り組まれた結果、成果が上がっている。
横須賀市は、一時人口は50万人近くだったのが
現在は40万人強まで減少傾向にあるが、どこも同じ。
要は、首長と郡市医師会長が、本気になるかどうか。
なにせ地域包括ケアの最大の阻害因子は、医師なのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
熱いのは地域包括ケアだけではない。
米軍基地も自衛隊も熱かった。
横須賀市に初めていった。
まずは記念艦「三笠」を見学。
東郷平八郎が対馬沖を北上するバルチック艦隊を撃墜して
圧倒的勝利を収めた日本海海戦の様子がよく分かる資料館。
明治時代にこのような立派な艦船が活躍していたことに驚く。
明治35年に英国で製造された。
大正15年に記念艦となった。
世界の三大記念艦であり、平成4年に海事遺産賞を受けている。
なにせ「日本は、なぜ基地と原発をとめられないのか」を読んだ直後。
米軍基地と海上自衛隊が共存する街に立ち、不思議な感覚に襲われた。
日露戦争は、ロシアの極東進出に対する防衛戦争だったと習った。
と同時にその勝利が、第一次世界大戦、第二次世界大戦の序章だったのかもしれない。
第二次世界大戦敗退の結果が、現在の横須賀の姿である。
ということは、三笠がここに飾られている意味を、もっと深く考えないといけないのではないか。
日本の近代史が横須賀にある。
そういえば言い過ぎだろうか。
しかしここはとても2~3時間で回れる場所では無い。
いつか1ケ月はかけて回りたい場所であると思った。
街を歩くとここは日本ではなく、アメリカのような気がする。
汐入から横須賀中央駅まで歩く。
よこすか海軍カレーを食べる。
日本のカレーは、インドではなく、英国海軍の軍隊食のカレー。
ちなみに昨日から、3食、カレーを食べた。
そのあと、アイリッシュバーで一杯。
みんな米兵か、退役軍人。
ここは完全にアメリカ。
今度来たら、猿島まで渡りたい。
この島は東京湾で唯一、天然の島。
おそらく縄文の昔からある。
現在は、基地関係の見どころが有ると聞いた。
在宅看取り率が年々、高くなっている
横須賀市と横須賀市医師会、横須賀共済病院などが
とても熱心に取り組まれた結果、成果が上がっている。
横須賀市は、一時人口は50万人近くだったのが
現在は40万人強まで減少傾向にあるが、どこも同じ。
要は、首長と郡市医師会長が、本気になるかどうか。
なにせ地域包括ケアの最大の阻害因子は、医師なのだから。
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熱いのは地域包括ケアだけではない。
米軍基地も自衛隊も熱かった。
横須賀市に初めていった。
まずは記念艦「三笠」を見学。
東郷平八郎が対馬沖を北上するバルチック艦隊を撃墜して
圧倒的勝利を収めた日本海海戦の様子がよく分かる資料館。
明治時代にこのような立派な艦船が活躍していたことに驚く。
明治35年に英国で製造された。
大正15年に記念艦となった。
世界の三大記念艦であり、平成4年に海事遺産賞を受けている。
なにせ「日本は、なぜ基地と原発をとめられないのか」を読んだ直後。
米軍基地と海上自衛隊が共存する街に立ち、不思議な感覚に襲われた。
日露戦争は、ロシアの極東進出に対する防衛戦争だったと習った。
と同時にその勝利が、第一次世界大戦、第二次世界大戦の序章だったのかもしれない。
第二次世界大戦敗退の結果が、現在の横須賀の姿である。
ということは、三笠がここに飾られている意味を、もっと深く考えないといけないのではないか。
日本の近代史が横須賀にある。
そういえば言い過ぎだろうか。
しかしここはとても2~3時間で回れる場所では無い。
いつか1ケ月はかけて回りたい場所であると思った。
街を歩くとここは日本ではなく、アメリカのような気がする。
汐入から横須賀中央駅まで歩く。
よこすか海軍カレーを食べる。
日本のカレーは、インドではなく、英国海軍の軍隊食のカレー。
ちなみに昨日から、3食、カレーを食べた。
そのあと、アイリッシュバーで一杯。
みんな米兵か、退役軍人。
ここは完全にアメリカ。
今度来たら、猿島まで渡りたい。
この島は東京湾で唯一、天然の島。
おそらく縄文の昔からある。
現在は、基地関係の見どころが有ると聞いた。
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この記事へのコメント
司馬遼太郎氏の坂の上の雲を読みますと、東郷平八郎元帥は「用意周到な人で、失敗することが無かった」ので、対バルチック艦隊の総司令官に、任命されたそうです。
秋山好古、真之兄弟の活躍も懐かしいです。「天気晴朗なれど、波高し」
「杉野はいずこ」と部下を助ける為に探して、戦死した広瀬中尉とかヒーローが多いです。
でも司馬遼太郎氏が「日露戦争は、日本にとって、祖国防衛戦争であった」と言う分析は、私は何かが不足している様に思えます。
始めは「祖国防衛戦争であった」けど、勝利した後は中国に居座って、侵略する事の始まりだったのではないかと思います。
だからロシアに勝った時までは、イギリスも仲裁にはいってくれたアメリカも、日本を称賛したけれど、中国に居座った日本には疑いの目を持ち始めたと思います。
丁度、元老院の山本権平さんが最後の明治の元勲で、明治維新を起こした人達が全員亡くなると、日本の政治も、侵略的になって行ったのだと思います。
豊臣秀吉や唐の玄宗皇帝も、若き日は優秀な人であっても、年を取ると変な人になってしまうように、国も権力を握った人によって、凶暴になっていくことがあります。
過去のソビエト政権もスターリン独裁の恐怖政治になったし、中国も恐ろしい独裁国家になって侵略して来るのでしょう。
Posted by にゃんにゃん at 2015年01月11日 03:16 | 返信
「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」(新年にあたり)
私見ではない。
1905年9月3日大阪市公会堂、9月4日東京日比谷公園で行われた、日露講和に反対する「国民運動」は、日比谷焼打暴動に発展し、後に、1910年の韓国併合、1931年の関東軍柳条湖事件に端を発する満州全土占領へとつながる。
「民衆」とメディアは、侵略戦争を「聖戦」と称し、国家総動員へと突き進んだ。
Posted by 匿名でごめん at 2015年01月11日 09:38 | 返信
え!日露講和に反対する、国民運動なんてあったのですか?
司馬遼太郎氏によれば、あの講和は、山本権兵衛さんや伊藤博文が苦心惨憺してアメリカに、仲介を頼んで、やっとロシアに勝てた奇跡の勝利だったそうです。
100%日本が勝ったわけでは無かったんだそうです。
日本の軍部の一部の人が天皇陛下にもいい加減な奏上をして、東南アジアへの侵略をして、敗北したのだと昨夜もBS7で、半藤利一と、保坂康一(?)でしたか対談をしていました。
天皇家もある意味で、愛新覚羅溥儀さんと似たような傀儡にしようと軍部の一部に人は思ったみたいです。
愛新覚羅溥儀さんは、溥傑さん以外には兄弟もいなくて孤立していたのが不運だったと思います。利用されてしまったようです。
天皇家は逼塞していたけれど帝王教育も少しは受けたし、敗戦の詔勅(玉音放送)を命がけで放送する意思は持っていたようです。
半藤利一氏みたいな中立穏健派みたいな人達が、本当のことを言ってくれるのでフーンそうか!と聞き入ってしまいます。まずは入門編から入って、客観的科学的に真相を知りたいと思います。
南京で何人殺したとか具体的なことは分かりませんけど。
日本人は、蒙古襲来で、西の方角に、恐怖心を持ってしまったのだと思います。
それまでは、西方浄土と言って、お釈迦様もいる有り難い方角と、思い込んでいたのですからね。
日本の侵略にも言い分はあると思います。
Posted by にゃんにゃん at 2015年01月12日 11:22 | 返信
「日露戦争について、400字以内でのべよ」
といったたぐいの入試問題は、高校でも大学でも、どこかであったろうか?
日露戦争に要した戦費総額は、18億円以上。開戦前年の国家予算は2.6億円だった。
18億円中、13億円は借入外債で、完済したのは、なんと1986年(昭和61年)だったとか。
対露戦争で、多くの戦死者を出したにもかかわらず、日露講和条約(ポーツマス条約)では、ロシアからの賠償金はゼロ。当時煽動された「国民」は、暴徒化した。
日露戦争は、中国東北部と朝鮮半島をめぐる、日露帝国主義の激突である。
これをいまだ「祖国防衛戦争」と唱える人がいるとは、驚愕である。
日本では早くから非戦論も根強くあり、与謝野晶子の1904年「君死にたまふことなかれ」は今も有名である。
韓国併合と満州国建国は、日露戦争の延長線上にある。
今回の天皇発言には、先の護憲発言に続き、安倍の側近にはガマンならないらしい。
「神国の聖戦」は、古くは「キリスト十字軍の聖戦」、新しくは「イスラーム国の聖戦」にも通底する。
「パリの団結」は、日本ではとても考えられないが、移民ヘイトへの危うさも含む。
Posted by 匿名でごめん at 2015年01月13日 05:50 | 返信
匿名でごめん様の的を得たコメント、いつも頭をガツンと殴られたような鋭さ。
さぞや学識ある方と。
お書きになられた通り、今上陛下が一番真剣にこの国の将来を憂えておられるのではないでしょうか。
メディアは民衆をいかようにも煽動できますし、それに踊らされ考えもなく突き進みやすい国民。
成熟しきった社会、非正規雇用増大、生活格差、、、将来に希望を持てない若者も多い。
何だか、歴史は繰り返す、のような気がしてなりません。
侵略戦争に意義付けは無意味かも。
昔講演で「出ていって戦わなければ日本は植民地化されたかも、や、南京大虐殺、あったなかった等の話がありますが、日清戦争以降、他国の領土で戦争し続けた、これは間違いない事実、侵略ではありませんか?」と聞き、初めてすぱっと答えが出た、納得と感じたことがあります。
中華人民共和国国歌は抗日義勇軍?の歌です。何かというと過去の歴史の反省がないと持ち出し、国内では反日教育、日本周辺ではやりたい放題ですが、日本の政治家、過去の歴史の反省はきちんと、その上で主張すべきはして、無法行為には断固とした姿勢を取る、真に日本の将来を考えた外交上手にと、、、。
国家国民の為には自分をなげうってでも、という芯のある大きな政治家はいない、結局その様な政治家を生み出せない私達がいけないのでしょうか?
Posted by 小畑ふみこ at 2015年01月13日 11:03 | 返信
医療ブログに入り込んで「匿名でごめんチャイ」と名乗る割りには、極端なことを言うのですね。
日露戦争には「祖国防衛戦争の側面があった」ことは、欧米各国が日本を応援して、物心両面で、応援したことでもわかるとおもいます。
イギリスは良質の石炭を大量に贈ってくれた。
バルチック艦隊がバルト海を出港して、アフリカの喜望峰を回って、インド洋を北上してくることを世界中の大使館から打電してくれたのも、ロシア帝国に対して、ちっぽけな日本がカマキリみたいに鎌を振り上げたことに世界中が、声援を送ってくれたからなのです。
そのことを認めないのなら、ご自分のブログで実名で表明なさったらよいのでは?
匿名なら中国人でもコメントできますよね。
Posted by にゃんにゃん at 2015年01月14日 04:35 | 返信
「パリの団結」は日本ではとても考えられないが、移民ヘイトへの危うさも含む。とのご指摘、確かにあのような“団結"はあり得ないだろうと感じます。
"移民ヘイト“、何か事が起きれば、一気に排斥!と盛り上がる国、日本でしょう。
フランスは反イスラムデモも各地で、しかしテロと一般のイスラム教徒とは異なるものというデモも各地で、と報道されていたようですが、日本では一気に反○○で燃え上がり、異なる意見は排斥、と行くような気がします。
当地は歴史的理由もあり、朝鮮半島系、今では中国やアジアの住民も多く、イスラム教徒もかなりおられるのか、モスク建設、反対運動もかなり強かったとか。
異質な知らないもの、先ず知ろうとせず排除の気質なのでしょうか?
高等学校の日本史で、近現代史はさっと流してしまう教育、大学入試でも突っ込んだ出題はされない、今の事はわかりませんが、受験生によっては日本史をきちんとやらないまま卒業となる場合もあるのでは。
近現代史から遡って何故教えないのか、大昔に卒業しましたが、ずっとおかしいと思っています。
敢えて近現代史はさっと流せと、学習指導要領にでも書いてあるのでしょうかね?
何だかとりとめなくなり申し訳ありません。
匿名でごめん様の鋭いコメント、又期待しております。
小畑ふみこから匿名でごめんへの返信 at 2015年01月14日 08:45 | 返信
日露戦争に欧米列強、世界が日本を支援した、自分の手を汚さず、極東の小国日本が、南下政策をとるロシア帝国の力を削いでくれるなら安いもの、ということではありませんか?
日本も欧米列強と同じ道を進まねば、国家の発展はないと、大陸進出、戦争へ、でしょう。
朝鮮半島をめぐる日清の対立、日清戦争。ロシアの南下の野心、欧米列強の利害と日本の利害の一致では?
ロシア帝国の脅威にさらされていた国々、例えばトルコでは、遭難した軍艦を日本が助けたこともあり、親日的で日露戦争でも日本を応援する側だったと、大昔に聞いたような。
「そのことを認めないのなら、ご自分のブログで実名で表明なさったらよいのでは?匿名なら中国人でもコメントできますよね?」これは余りに排他的と思いますが。
誰でも出入り自由、色んな分野に発言自由が長尾先生のご主旨では?勿論荒らしや個人攻撃はいけませんが。
小畑ふみこからにゃんにゃんへの返信 at 2015年01月14日 12:56 | 返信
反批判に感謝。
ご指摘の歴史的事実あり。
ツアーロシアの対トルコ戦争勝利の後だけに、米英他列強帝国主義の狡猾な背景が、見てとれる。
一点、最後の中国人云々だけは、気になる。
中国大陸では、中原をめぐる、周辺諸族入り乱れた五千年の歴史があった。
漢字圏は、今や中韓が脱落して、正倉院のある日本だけとなった。
あなたが言われる「日本人」とはなにか。
十年前の祖先、百年前の祖先、千年前の祖先、一万年前の祖先が、日本人であった者を指すのか。
日本とアメリカは、移民大国である。ただし、日本の方が、かなりの先輩である。
ある人は、現在の日本の経済成長を維持するには、今後35,000,000人の移民を受け容れなければならないと言う。
今、日本で、「鶴橋大虐殺」「大久保大虐殺」を掲げるヘイト活動家は、「我々は、人種差別主義者ではなく、排外主義者である」と言う。
関東大震災時、民間自警団、警官、軍人がおこなった朝鮮人虐殺には、布石があった。
前年まで、新聞各紙には、「不逞鮮人」という活字が躍っていた。
歴史は踊る。歴史は巡る。
匿名でごめんからにゃんにゃんへの返信 at 2015年01月14日 09:05 | 返信
♪五台山の嶺から、済州島まで、森の中を行き、谷を越え
民族の自由を、血で守る 我らは、遊撃隊、朝鮮の息子 ♪
鮮は新鮮の鮮ですから、「トンイさんは、賤民の出身だったが、淑嬪となった」
の賤ではありません。
Posted by にゃんにゃん at 2015年01月15日 03:02 | 返信
1.17、神戸に居た。
阪神淡路大震災20周年に、安倍が来ていなかった。?。
1.20、早くから予想されていた事態が。
日本政府の「後方支援」が、国際関係のなかで、どのような意味合いをもつのか。
「カネだけではだめだ。汗もかき、血も流さなければ」と、著書に書いたのは、安倍だった。
「民間軍事会社」とは、なにか。まさか、軍事の民間委託ではあるまい。
日本および日本人に対する、世界の人々の認識が、大きな転機を迎えている兆しなのか。
Posted by 匿名でごめん at 2015年01月20日 06:27 | 返信
Network技術開発拠点である通称YRPを抱える横須賀市は、『ITの街』でもあると聞きます。
今日のYahooニュースでは、救急搬送システムに導入された、新しいIT技術が紹介されていましたので、お知らせします。
見出し:シンプルな情報共有で「救急医療」が変わる!横須賀市で実用化された仕組み(記事URL下記) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00000007-impress-sci
Posted by もも at 2015年01月22日 11:27 | 返信
「医療ブログに入り込んで」などと言われると、萎縮する。やわい。
長尾先生は、いろいろな観測球や剛速球、牽制球や変化球を投げてこられるので、つい、入り込んでしまう。申し訳ない。
「1.20」をめぐる日本社会も、このブログ読者も、沈黙を決め込んでいる。この「空気」が、怖い。
フランス流風刺のきいていた『朝日』の「素粒子」。「中庸と寛容」「過激主義と積極的平和主義」などと、イスラエル旗をバックに演説した、だれかさんのオウム返し。これには、恐れ入った。
イスラーム世界は、「イスラーム国」対その他のイスラーム諸国というように、単純に割り切れるものではない。
13世紀、アッバース朝は、モンゴル帝国に倒されたという。
このころ、モンゴル帝国は、北半球の草原・砂漠地帯の最西端、モルドバまで支配していたという。
あるイスラーム研究家は、米欧をとおして、シーア派に手引きされた、かのモンゴル帝国を見るという。
ガザから見れば、イスラエル植民は、スンニ派のシリア侵攻と重なるかもしれない。
島国の世界観、歴史観は、小さく、狭い。
2004年。米軍の劣化ウラン弾で負傷した子どもたち。その救援活動をしていた、日本人女性ら3人が拘束されたとき、日本では、官民あげて、「自己責任だ。死ね!」と大合唱した。
陳舜臣さんは、「3人に感謝」と擁護した。
3人は、後、イラクの友人たちによって解放されたが、帰国費用は、日本国政府から請求された。
10年ひと昔。
Posted by 匿名でごめん at 2015年01月22日 08:26 | 返信
8.14、冗舌な安倍談話。
「後世の歴史家に任せる」はずが、冒頭から、宰相としての歴史観を披露。
「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた。」
歴史修正主義者と言われるだけあって、大東亜戦争は植民地解放戦争だったというわけである。
行政府の長であり自衛隊の最高司令官である人が、この程度の歴史理解力なのだ。
近現代史家の加藤陽子が、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変・日中戦争、太平洋戦争をめぐって、中高生との生の討論をまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、「中高年の期待も裏切らない」。
最近も、視点・論点『戦前史を学ぶことがなぜ必要か』のなかで、「今につらなる戦後は、戦前の反省ののうえに始まった」として、1945年10月幣原内閣が設置した「戦争調査会」を紹介していた。
この調査会の目的は、「敗戦の原因と実相を明らかにすること」におかれ、「日本の犯した大なる過誤を将来において繰り返さないために、永続的な調査が必要だ。」「戦争の原因および実相を調査して、その結果を記録に残し、もって後世国民を反省せしめ納得せしむるに充分力あるものにしたい。戦争はひきあうものでない。」「将来、我々の子孫が戦争を考えないとも限らない」と。
1946年7月、この調査会は、マッカーサーの諮問機関・対日理事会に解散させられたらしい。
その後、政府も国民も「一億総ざんげ」のもと、みずから、戦争の原因解明も責任追求も明らかにして来なかった。
かの極東軍事裁判で、東条が「無実だ」と叫んだとき、元大元帥は仰天して使者を巣鴨に派遣したという。
この時期、「戦後いちばん長い夏」、「ご聖断」、「玉音」放送とかが、囃されるが、「一撃講和」「国体護持」のため、「1年以上の大空白」が、アジアと沖縄、日本にこの上ない惨禍を加えた。
ドイツでは、ナチスの犯罪追求に時効はなく、また他国民強制労働への補償をいまだ続けているという。
8.15。NHK解説委員9名による討論が面白かった。
安倍の100%提灯持ち(影の知恵者?)もおれば、「民主主義は永久革命だ」というつわものもいた。
Posted by 匿名でごめん at 2015年08月15日 02:54 | 返信
赤紙一つで、戦地に送られ、殺された庶民にも一億総ざんげとはおかしいです。
社会党の集会に行くと中川智子市長が「皆で謝ろう!」と言うので驚きました。
毛沢東は「日本の一部の軍国主義者が悪いのであって、大多数の日本の人民は中国人民の友である」と言いました。そのことを言うと、集会から追い出されました。あくる日の朝日新聞には「内容のある良い集会だった」と書いて有りました。
敗戦時に「国体の護持」と叫んでアメリカに泣いて頼んだので「国民にも戦争責任がある」と言うことになったのでしょう。昭和天皇も、父君の大正天皇陛下が虚弱で早くに亡くなったので若くして天皇になってしまって軍部に振り回されたという状況もあるでしょうけど、ある程度戦争責任はあると思います。退位なさって、今上天皇にお譲りになっても良かったのにと思います。
日本の戦争責任は何かは、日本人としてよく考えたい事柄です。
因みに、「びっくり」という中川智子市長のご著作に依りますと、中川市長のお母様とお父様は戦時に軍属としてスマトラ方面の任務で渡航されて、敗戦後の日本へ帰る船の中で知り合われてご結婚なさったそうです。女性の身で軍属になってスマトラまで派遣されるなんて大変だったでしょうね。それで「皆で謝ろう!」と、一億総ざんげ論になったのでしょう。
最近の中国は毛沢東主席のお考えやお言葉は、否定しているのでしょうか?
日本とアメリカが結束しているのは、中国の責任もあると思います。「共産主義中国は、決して他国に侵略する大国にはならない」と言う鄧小平の「第三世界論」を堅持して欲しいものです。
Posted by 匿名 at 2015年08月16日 01:09 | 返信
japan press というブログが、何故か私のPCに送られてくるのですけど、それによると村山談話の侵略の具体的定義が曖昧なので、「日清戦争」「日露戦争」悪くすると「蒙古襲来」に対する防衛も「侵略」となってしまうそうです。何を持って「侵略」と言うのか曖昧なのに、高校生や中学生にまで、村山談話を強要するのは無理みたいです。
大体村山さんが苦心して書いた文章ではなく、何とかっていう官僚に頼んで書いて貰ったと、テレビで言った居ました。村山さんも、あのサングラスみたいな眉毛で目玉を隠さずに、まっすぐ日本国民のほうを見てお話してほしいです。
Posted by 匿名 at 2015年08月16日 01:04 | 返信
加藤陽子が、すでに2007年、中高生に語っていた言葉。
「日中戦争以降、日本が中国を軍事的に侵略したのは、まぎれもない事実」だが、
「日本を中心とした天動説」ではなく、
「列強の圧力で、どんどん落ちる中国、どんどん伸びる日本、という紋切り型」ではなく、
「侵略・被侵略といった文脈」ではなく、
「日本と中国が競いあう日中関係」として、
19世紀から20世紀前半の、東アジア史、世界史から始めよう。
「4単語を散りばめたから、戦後世代に謝罪の宿命を負わせない。」
このセリフに感涙している「政治家」たち。
「細かなことは、政治家ではなく、歴史家の議論にゆだねるべきだ」(首相会見)。
いや、中高生にゆだねるべきか。
匿名でごめんから匿名への返信 at 2015年08月16日 07:34 | 返信
みなさんが 素晴らしい討論をしてて 書き込めなかった宮ちゃんです
自由に発言ができるこの時代…
幸せなんですよね
この時代に生まれ
この場所に生まれたことを感謝します
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2015年08月20日 06:54 | 返信
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