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1.20を国民全員で考えよう!
2015年01月25日(日)
なぜ、イスラム国に拘束され湯川さんの写真を持つ後藤さんの映像が
新聞やテレビのトップニュースで繰り返し流れているのか分かるだろうか?
これは日本国の今後にとって極めて重大な岐路に立っているという意味だ。
新聞やテレビのトップニュースで繰り返し流れているのか分かるだろうか?
これは日本国の今後にとって極めて重大な岐路に立っているという意味だ。
雑踏を歩くと日本は、まさに「平和」を享受している。
遠くイスラムで起きている事態に思いを馳せる人は、少数かもしれない。
私もその一人だろう。
しかし、今、何かを感じなければ、あまりに不感症であり、墓穴を掘ることになる。
現在のマズコミ報道は、氷山の一角の事象を偏った視点から考察しただけ。
その背景に隠れた問題を、国民全員で考えなければ、大変な方向に向かう。
湯川さんが殺害されたとされる写真を後藤さんが手にしている。
そして日本政府に「助けてくれ!」とのメッセージを送っている。
相手の要求はもはやお金ではなく、女性死刑囚の釈放要求に変わった。
つまり、お互いに「釈放」をしあって、手打ちをしましょうという提案なのだ。
彼女は、実はイスラム国のリーダーの身内だという。
つまり後藤さんのお母上がテレビで息子の解放を訴えているのと同じ構図にも見える。
おりしも我が国の外務副大臣が、女性死刑囚が拘束されているヨルダンにいる。
だから、もし日本国だけの判断で解放できるなら事は今日にでも解決するだろう。
しかしそれができないから、困っているのだ。
なぜできないのかは、マスコミは報じない。
湯川さんの姿も報じない。
後藤さんの肉声も報じない。
真実を報道するマスコミが、真実を報じない。
だから多くの日本国民が、(地球の裏での関係無い出来事」と思ってしまう。
なぜ、医療系ブログでこんなことを書いているのか。
はっきり言おう。
政府の対応ひとつで、日本の将来がまったく違うものになるからだ。
政府の行動次第で、これから将来、沢山の命が救われるからだ。
「日本は、なぜ基地と原発をとめられないのか」という本を読まれただろうか。
これを読まないと、これから先に書くことは、到底信じられないだろう。
・第二次世界大戦はまだ終わっていない
・日本は、いまだに占領下にある
・アメリカの指示には、たとえ総理であろうが逆らえない
まず、これが大前提となる。
我々は、偏った視点でしか中東情勢を見ていないことに気がつくべき。
それはマスコミ報道が偏っているからだが。
安倍総理のコメント「許しがたい暴挙」であるが、イスラム圏にしてみれば、
同盟国の中東での一連の行動こそが「許しがたい暴挙」となるかもしれない。
「イスラム過激派組織」と表記されているが、彼らにしてみれば
湾岸戦争に参加した我が国は、イスラム国にしてみれば「日本過激派組織」なのだ。
我々は、間接的にせよ。どれだけのイスラム人を殺したり傷をつけているのか。
そのことを抜きに、後藤さんを論じても、それは2人称の視点でしかない。
「許しがたい暴挙→テロには決して服さない」という視点
だけでは、その先にあるものは当然、戦争しかない。
様々な真実を報じないで、対立構造を煽ってばかりでは解決しない。
まづは、お互いがお互いの真実の姿をすべて知ることから始まるのではないか。
要は石油利権、お金が絡んでいるのだ。
人間の欲望と欲望のぶつかりあいが戦争なのだ。
実は、今も、私は戦争状態にあると思っている。
もちろん日本もそこに参加していて、当事者そのものだ。
安倍総理が言う「集団的自衛権の行使容認」とは、そういうことなのだ。
みんな本当にそんな覚悟があるのか?
大本営発表だけでなく、私のような末端の意見も入れて考えるべき時ではないか。
20回目の1.17が過ぎ、4回目の3.11を迎える。
世の中には、復興と防災、そして絆、という文字が溢れる。
それはそれで大切なことだが、もっと上位にある、わざわいや危機に
国民全体が目を目を向けないと、復興も防災も吹き飛んでしまう。
すなわち、1・20を日本国民全体で考えよう!
もっとはっきり書こう。
国内で、いつ「暴挙」が起きてもおかしくない、極めて危険な状況だと思う。
これは決して杞憂でjはないと確信している。
柳田邦夫さんが、3日前の対談の時、こう言われていた。
「我々は、死を2.5人称で考えないといけない時代だ」と。
世の中には、1ないし2人称の死と3人称の死があり、両者があまりにも離れている。
がん治療を例にとってみよう。
1人称のがん治療は、本当に辛いもの。
2人称のがん治療も、納得がいかない。
しかし3人称(=医療者)は、100%いいことをしたと信じている。
この大きなギャップが、近藤誠現象を生んでいるのが、コトの本質だ。
話が飛躍するが、国際問題も同様の構図になることに気がつくべきだ。
1人称・2人称の戦争と、3人称の戦争はまったく違うものだ。
マスコミは、1人称と2人称、そして赤の他人としてしか報じていない。
今、日本国民は、3人称の視点を自らの思考で模索すべき時だろう。
個人的には、今回の交渉には、仏教界にひと役買って欲しいのだが。
世界三大宗教とは、キリスト教、イスラム教、そして仏教、ではないのか。
政治家外交ルートが限られているのであれば、民間ルートを活かすべき。
それにはかなり唐突に思えるかもしれないが仏教界の出番ではないのか。
葬式ばかりに目を向けないで、後藤さんのように世界に目を開いた
仏教指導者が現地に出向いて、民間レベルでの交渉もして欲しい。
話が長くなり、支離滅裂な内容に感じられるだろうが、いまこそ全国民が
後藤さんの報道に目をこらして、その背後にある空気を考えるべき時だ。
そのためにも後藤さんには、なんとしても無事帰ってきて
我々国民に3人称の視点から見た「真実」を語って欲しい!
国民全員が、後藤さん解放!
の声をあげよう!
当たり前だが、医療や介護や平穏死は、「平和」とう土台の上に存在する。
まさに、戦後最大の国難に直面しているという認識を、せめてこのブログを
読んで下さっているみなさまと強く共有させて頂きたい。
もし叶うならば、この記事だけでいいので、お知り合いに拡散して欲しい。
クリック数で、「後藤さんを想う気持ち」を共有を確認できれば幸いだ。
遠くイスラムで起きている事態に思いを馳せる人は、少数かもしれない。
私もその一人だろう。
しかし、今、何かを感じなければ、あまりに不感症であり、墓穴を掘ることになる。
現在のマズコミ報道は、氷山の一角の事象を偏った視点から考察しただけ。
その背景に隠れた問題を、国民全員で考えなければ、大変な方向に向かう。
湯川さんが殺害されたとされる写真を後藤さんが手にしている。
そして日本政府に「助けてくれ!」とのメッセージを送っている。
相手の要求はもはやお金ではなく、女性死刑囚の釈放要求に変わった。
つまり、お互いに「釈放」をしあって、手打ちをしましょうという提案なのだ。
彼女は、実はイスラム国のリーダーの身内だという。
つまり後藤さんのお母上がテレビで息子の解放を訴えているのと同じ構図にも見える。
おりしも我が国の外務副大臣が、女性死刑囚が拘束されているヨルダンにいる。
だから、もし日本国だけの判断で解放できるなら事は今日にでも解決するだろう。
しかしそれができないから、困っているのだ。
なぜできないのかは、マスコミは報じない。
湯川さんの姿も報じない。
後藤さんの肉声も報じない。
真実を報道するマスコミが、真実を報じない。
だから多くの日本国民が、(地球の裏での関係無い出来事」と思ってしまう。
なぜ、医療系ブログでこんなことを書いているのか。
はっきり言おう。
政府の対応ひとつで、日本の将来がまったく違うものになるからだ。
政府の行動次第で、これから将来、沢山の命が救われるからだ。
「日本は、なぜ基地と原発をとめられないのか」という本を読まれただろうか。
これを読まないと、これから先に書くことは、到底信じられないだろう。
・第二次世界大戦はまだ終わっていない
・日本は、いまだに占領下にある
・アメリカの指示には、たとえ総理であろうが逆らえない
まず、これが大前提となる。
我々は、偏った視点でしか中東情勢を見ていないことに気がつくべき。
それはマスコミ報道が偏っているからだが。
安倍総理のコメント「許しがたい暴挙」であるが、イスラム圏にしてみれば、
同盟国の中東での一連の行動こそが「許しがたい暴挙」となるかもしれない。
「イスラム過激派組織」と表記されているが、彼らにしてみれば
湾岸戦争に参加した我が国は、イスラム国にしてみれば「日本過激派組織」なのだ。
我々は、間接的にせよ。どれだけのイスラム人を殺したり傷をつけているのか。
そのことを抜きに、後藤さんを論じても、それは2人称の視点でしかない。
「許しがたい暴挙→テロには決して服さない」という視点
だけでは、その先にあるものは当然、戦争しかない。
様々な真実を報じないで、対立構造を煽ってばかりでは解決しない。
まづは、お互いがお互いの真実の姿をすべて知ることから始まるのではないか。
要は石油利権、お金が絡んでいるのだ。
人間の欲望と欲望のぶつかりあいが戦争なのだ。
実は、今も、私は戦争状態にあると思っている。
もちろん日本もそこに参加していて、当事者そのものだ。
安倍総理が言う「集団的自衛権の行使容認」とは、そういうことなのだ。
みんな本当にそんな覚悟があるのか?
大本営発表だけでなく、私のような末端の意見も入れて考えるべき時ではないか。
20回目の1.17が過ぎ、4回目の3.11を迎える。
世の中には、復興と防災、そして絆、という文字が溢れる。
それはそれで大切なことだが、もっと上位にある、わざわいや危機に
国民全体が目を目を向けないと、復興も防災も吹き飛んでしまう。
すなわち、1・20を日本国民全体で考えよう!
もっとはっきり書こう。
国内で、いつ「暴挙」が起きてもおかしくない、極めて危険な状況だと思う。
これは決して杞憂でjはないと確信している。
柳田邦夫さんが、3日前の対談の時、こう言われていた。
「我々は、死を2.5人称で考えないといけない時代だ」と。
世の中には、1ないし2人称の死と3人称の死があり、両者があまりにも離れている。
がん治療を例にとってみよう。
1人称のがん治療は、本当に辛いもの。
2人称のがん治療も、納得がいかない。
しかし3人称(=医療者)は、100%いいことをしたと信じている。
この大きなギャップが、近藤誠現象を生んでいるのが、コトの本質だ。
話が飛躍するが、国際問題も同様の構図になることに気がつくべきだ。
1人称・2人称の戦争と、3人称の戦争はまったく違うものだ。
マスコミは、1人称と2人称、そして赤の他人としてしか報じていない。
今、日本国民は、3人称の視点を自らの思考で模索すべき時だろう。
個人的には、今回の交渉には、仏教界にひと役買って欲しいのだが。
世界三大宗教とは、キリスト教、イスラム教、そして仏教、ではないのか。
政治家外交ルートが限られているのであれば、民間ルートを活かすべき。
それにはかなり唐突に思えるかもしれないが仏教界の出番ではないのか。
葬式ばかりに目を向けないで、後藤さんのように世界に目を開いた
仏教指導者が現地に出向いて、民間レベルでの交渉もして欲しい。
話が長くなり、支離滅裂な内容に感じられるだろうが、いまこそ全国民が
後藤さんの報道に目をこらして、その背後にある空気を考えるべき時だ。
そのためにも後藤さんには、なんとしても無事帰ってきて
我々国民に3人称の視点から見た「真実」を語って欲しい!
国民全員が、後藤さん解放!
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当たり前だが、医療や介護や平穏死は、「平和」とう土台の上に存在する。
まさに、戦後最大の国難に直面しているという認識を、せめてこのブログを
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この記事へのコメント
本日二度目の配信を意外に思いながら、読み始めた今日のトピック。今、外出中の電車内ですが、胸が一杯です。涙が出てきます。SNSからは、後藤さんと同級生という方からの叫びも目にしたりと、けして遠い話ではないです。
Posted by もも at 2015年01月25日 01:08 | 返信
今回の首相の中東訪問、軍事関連企業の関係者を大勢引き連れて商談を兼ねていたという情報がネットに上がっていました。国内のメディアは全くそれに触れていません。
アメリカと安倍政権にしてみれば、イスラム国は「交渉など通じない相手」であればあるほど都合よく世論を誘導できるわけで、後藤さんの解放は方向性としては有り難くない話なのだと思います。
だからこそ国民が声を大にして解放を訴えないと。
地下鉄に乗ればテロに遭い、気付いたら戦争が始まっていた。
そんな世界の中で自己責任論を振りかざして逃げるのは姑息ですね。
Posted by 里寺 at 2015年01月25日 05:05 | 返信
長尾先生、お若いですね。
正義感は、何処へ行ったのか私も年を取ったもんです。
アメリカ、フランス(社会民主主義政府であり、宗主国でもある)などの大きな歯車と、イスラム国の歯車のぶつかり合いと、何故かそこに吸い込まれていく日本の若者の姿を、タダタダ茫然と見上げるばかりの、ばあさんになってしまいました。
Posted by にゃんにゃん at 2015年01月26日 12:11 | 返信
にゃんにゃんさんのコメントに深く共感するものです。
私は長尾先生より若いのにごめなさい。
ただ真実を見極めようとする少しの努力だけは失わないようにと思っています。少し掘り下げればすぐにイデオロギー的話になってしまうので、意見表明、意見交換は不毛な結果が多いように思います。
Posted by nonnon at 2015年01月27日 10:55 | 返信
昨年京都府下でのご講演拝聴しました者です。blog拝読し、モヤモヤとした思いをはっきりさせられました。ありがとうございます。勝手ながらシェアさせていただきます。
Posted by haru at 2015年01月27日 02:21 | 返信
昨年集団的自衛権について友人と話し合ったことがありました。
友人曰く、「集団的自衛権を行使しなければならなくなり、本当に戦争になったらどうなるのか」
「知り合いの自衛隊員が『そうなっても俺は絶対行かない』と言っている」
「自衛隊員になる人なんかいなくなるよね」…等々。
このときは誰もが実際に戦闘になる事などあり得ないと思っていた時で、もしも・・という話で終わりましたが「もしそうなったら」という危機感は誰もが抱いていたと思います。
それが今そうなってもおかしくない、現実のこととして目の前にぶら下がりつつあると思います。
国家安全保障会議の決定に
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」
「憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。」
文面に「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」とありますが、いつそうなってもおかしくない状況であると思います。
後藤さんが亡くなってしまい、直面する問題から一歩下がって考える事の出来る今、長尾先生の言われる
>安倍総理のコメント「許しがたい暴挙」であるが、イスラム圏にしてみれば、
>同盟国の中東での一連の行動こそが「許しがたい暴挙」となるかもしれない。
>「イスラム過激派組織」と表記されているが、彼らにしてみれば
>湾岸戦争に参加した我が国は、イスラム国にしてみれば「日本過激派組織」なのだ。
>我々は、間接的にせよ。どれだけのイスラム人を殺したり傷をつけているのか。
>そのことを抜きに、後藤さんを論じても、それは2人称の視点でしかない。
>「許しがたい暴挙→テロには決して服さない」という視点
>だけでは、その先にあるものは当然、戦争しかない。
>様々な真実を報じないで、対立構造を煽ってばかりでは解決しない。
>まづは、お互いがお互いの真実の姿をすべて知ることから始まるのではないか。
という、相手の立場に立って物を考えることが必要な時だと思います。
自由と自立を求める心から出る争い、生活の豊かさを求め困窮から逃れるための争い、勝手な理想を築くために他者の犠牲を強いる争い、そのどれも欲望から出るものであって他者の立場や犠牲をかえりみないエゴイズムから出たものだと思います。
その心がコントロールされない限り戦いは繰り返されると思います。
どうすればそれができるのか、いきなりイスラム国へとはあり得ませんが長尾先生の言われる「民間レベルの交渉」が必要だと思いますし、絶対的な権力者を動かす事のできる国民の力が必要だと思います。
>末端の意見も入れて考えるべき時
であり、国民自体の「平和を願う心」が中東には必要なのだと思います。
それもできないほど困窮した状況は解決されなければならないと思いますし、難しいことですが、そのために互いの立場に立った話し合いが必要なのではないかと思います。
簡単なことではありませんが、時間をかけ良い方向に向かわせようとする「人の心」がある限り必ず解決すると信じ見守っていきたいと思います。
。
Posted by 桜 at 2015年02月07日 11:02 | 返信
度々恐れ入ります。
今日、「イスラム国」支配地域の取材を計画していたことから、外務省からパスポート返納命令を受けた新潟市の男性が会見し、「報道の自由を奪うもの」と日本政府を批判した。というニュースが流れました。
「報道の自由、表現の自由、取材の自由、渡航の自由、著しく、著しく制限することではないですか」(フリーカメラマン 杉本祐一氏)
新潟市のフリーカメラマン杉本祐一さん(58)は、「イスラム国」支配地域を取材するため、今月下旬のシリア渡航を予定していました。外務省は自粛を要請していましたが、応じなかったため、7日、返納命令を出し、杉本さんからパスポートを受け取りました。
このニュースを見て「政府がとった処置はやむを得ない」と思うのは間違っているでしょうか。
杉本祐一さんは「テロに屈しないということは今まで通りのことをやるという事でしょう!」と言われていますが、屈しないという事と目の前にある危険を冒すという事とは違うと思います。今「イスラム国」支配地域を取材するということは、時限爆弾が仕掛けられていることを承知でその部屋に入っていくようなものだと思います。
それが正義だとも、それが勇気だとも決して思えません。
国家はどこまでも国外で危険に晒されている国民を助ける義務があると言う世論がありますが、それは当然の事として、渡航する側も一人の大人として成すべきことを判断する勇気が必要だと思います。
評論家の古谷 経衡氏が「自己責任論で中世に退行する日本」と題し次のように述べていますが、正義や勇気と称して好きなことをする事を容認する事はしてはならない事だと思います。
親は助けてくれる(とは思っていないと思いますが)という無責任な前提の元に「やりたいから」という理由で危険を冒す。
溺れる子供を助けるのは親の義務だと思いますが、渡航者は子供ではないはずです。
古谷 経衡は
「今回、「危険を承知で」あえてイスラム国の近傍に渡航した二人に、全く何の落ち度もないのか、というと、特に湯川さんの方には、経験や知識という意味で問題がありそうだ。更に、渡航の動機も、「一旗揚げたい」「冒険したい」みたいな想いが、もしかするとあったのかもしれない。が、その「落ち度」と、「海外で生命の危険に晒されている同胞を国家が救助する」というのは、全く別の問題だ。
「動機が不純だから」とか「当人が危険性を予め承知していたから」などという理由で、「国外で危険に晒されている同胞を助ける必要はない」という結論に達するならば、これはもう「近代国家」の根底が崩壊することになる。」
と言われており、これは世論の80%が自分の責任と述べていることに対する危惧と解釈しましたが、今回の事件も世論は別として政府は出来る限りの手を尽くしたと思います。
やり方に検討の余地はあっても、決して自己責任論で責任逃れはしていないと思いました。
「当人が危険性を予め承知していたのだから、国外で危険に晒されても助ける必要はない」という極端な意見は別として、自己責任論が中世に退行するとは思えません。
今回の事件を政府がとるべき責任として論ずる以上、どんな国であれ国が最重大の危険という見解を示している国である以上、それを承知で自由と言う権利を主張して行くのなら有事の場合、国が負うリスクを本人が負うという誓約の元に行くべきだと思います。
国が負うリスクを試算し、それに対する責任が果たせるのなら行けばいい。
それが出来ないのなら理性ある責任をもって判断する必要があると思います。
1・20を国も国民も真に世界に貢献する契機の日にし、後藤さんへの何よりの供養にして行く事を願いたいと思います。
Posted by 桜 at 2015年02月08日 04:07 | 返信
シリア渡航を予定していたフリージャーナリスト。
7日、警官を伴った外務省職員が、「旅券を返納しないと逮捕する」と言って、取り上げたという。
2011年4月26日以降、シリアからの退避勧告が出され、今日に至っている。
今なお、シリアでは、安倍御用達の新聞記者を含め、日本メディアの社員や雇用された要員が、取材活動を続けているという。
彼らには、旅券の返納は求められておらず、帰国命令も逮捕状も出されていない。
つい最近も、朝日新聞記者がアレッポ現地から発信したとして、読売新聞が非難している。
発信した記者も、それを非難した記者も、在ヨルダンのシリア大使館員に、旅券法違反で逮捕拘禁されるのだろうか。
Posted by 匿名でごめん at 2015年02月09日 05:53 | 返信
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