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大災害で医療はどう変わるか

2015年02月10日(火)

日本医事新報2月号の連載は、大災害と医療について書いた。
大災害とは阪神大震災、そして東日本大震災のことだ。→こちら
今夜の東北の被災地はぐっと冷え込んでいるだろう。
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日本医事新報2月号    大災害で医療はどう変わるか    
 
阪神から20年、東北から4
 阪神大震災から20年を迎えた。1.17は、私自身にとっても大きな転機であった。頭をガーンと殴られたように無我夢中で過ごしたあの冬。往診がしたくて春には病院を飛び出し尼崎で開業した。仮設住宅を回るうちに自然と在宅医療が始まっていた。まだ介護保険が無い時代だったので訪問看護もやり易かった。震災後20年は、開業20周年に相当するので感無量で1.17を迎えた。

 一方、来月、東日本大震災から4年目を迎える。阪神を体験した者として東北は決して他人事ではない。現在も医師会をはじめ、さまざまな団体や個人が献身的な医療支援を続けている。私自身も微力ながらも支援を続けている。しかし東北の被災地はあまりにも広すぎる。阪神の場合は、表面的には予想より復興は早かった。しかし東北は阪神とは事情があまりにも違い過ぎる。本稿では2つの大災害の節目に際し、2つの大災害で医療はどう変わったか振り返ってみたい。
 
黒田裕子さんが残したメッセージ
 平成26年9月23日に看護師の黒田裕子さんががんで旅立たれた。黒田さんは日本ホスピス在宅ケア研究会の副理事長として私を指導して頂いた在宅医療の大先輩。昨年7月に同研究会の神戸大会の実行委員長として走り回っていたのに、病気が発覚してわずか1ケ月後の旅立ちは、あまりにあっけなく未だに実感が無い。

 私は阪神大震災の3ケ月後に病院を退職したが、黒田さんは震災当日に病院を飛び出したまま帰らなかった。公立病院の副看護部長の職を投げ打ち体育館の被災者に寄り添い続けた。また20年間、無給の身を貫いた。講演料はすべて活動資金に充てた。国内外の大災害があるたびに真っ先に被災地に飛び込んだ。東日本大震災でも気仙沼の面瀬中学の仮設住宅を拠点として仲間たちと医療支援を継けてきた。ちなみに拙書「平穏死・10の条件」も冒頭は2012年元旦に黒田さんが私を気仙沼に呼び出すシーンから始まっている。

 私の耳に残っている黒田さんの口癖は、「生活を診ないといけない」、「もっと寄り添わないと」、「孤独死を出さない」、「ボランテイアは絶対に迷惑をかけてはいけない」などなど。災害看護という道を切り開かれたが、後進への指導は厳しかった。病に倒れ最期の言葉は「死ぬのは怖くないけど、まだやり残したことがある」。座右の銘は「人生旅の荷物は夢ひとつ」だった。この言葉のとうりカバンひとつで国内外を飛び回っていた黒田さんは多くの医師にも影響を与えた。本誌に執筆されている梁勝則先生とともに黒田さんの遺志を受け継いでいかねばと、彼女の死を受けとめている最中にいる。1月30日のNHKスペシャルでも彼女の20年の軌跡が紹介されたが、多くの先生方と黒田スピリット、ホスピスマインドを今後もシェアさせて頂きたい。
 
東北の復興はこれからが本番
 まもなく東日本大震災から4年目を迎えるが、阪神大震災の4年後とかなり様相が異なる。多くの地はほとんど手つかずのままだ。高台移転についての議論が続いている。阪神の時も区画整理の完了まで10年間を要し、難しい議論のストレスで倒れる人が続出した。そうした経験から、2011年7月に「共震ドクター 阪神そして東北」(ロハスメデイア)という小著に私見を記したのだが、阪神の経験が東北に活かされていない現状をもどかしい思いで過ごしている。復興で一番大切なことはスピードだと思う。政治や行政には「今」の生活を優先して欲しいと切に願う。

 4年後の現在も医療支援を継続している医師達を知っている。ある医師は毎月定期的にボランテイアで診療や当直を黙々と続けている。またある医師は、要職を投げ打って被災地の診療所長に転身して奮闘されている。またある医師は、被災地で大規模なICT活用した在宅医療を展開している。慢性期に入った膠着状態の被災地の医療支援は相当な情熱が無いととても継続できないだろう。私を含む多くの医療者にとっては目の前の事に夢中で被災地にまで想いを馳せ続けることは容易ではない。

 こうした気持ちでいた昨年末、嬉しい再会があった。敢えてお名前を書かせて頂くが、森田知宏先生夫妻だ。東京大学を卒業後、研修を終え現在は相馬中央病院に勤務されていると知り、胸が熱くなった。東京にはいい環境の病院がいくつでもあるが、敢えて被災地を選びそこに家庭を築き学んでいる若きカップルがいるのだ。大袈裟かもしれないが、私は光明を感じた。被災地の復興はまさにこれからが本番。医療の復興も生活インフラと並行して再編されていくのだろう。もちろん被災各地の医療スタッフの奮闘ぶりは現在も凄いものがある。メデイアで活躍を目にする度に頭が下がる思いだ。まさに医の原点を教えて頂いている。
 
大災害は医療の形を変える
 20年前の阪神の災害は私の医療感を大きく変えた。朝日新聞アピタルに19年前の自分の講演録「震災が教えてくれたこと」を1週間にわたり掲載したが、それはまさに在宅医療であった。生まれて初めて仮設住宅を見たのだ。現在でいう要介護者たちがそこで暮らしておられ、そこで看取った。では、4年前の東北の災害は我々医療者に何を教えるのか。もしかしたら「地域包括ケア」ではないのか。現在、「地域包括ケアとは?」というテーマのイベントが全国各地で開催されている。しかし自治体の数だけ地域包括ケアのカタチがあるはずだ。そして東北の被災地の医療再生は地域包括ケアでしか成し得ないだろう。それは、財政破綻した夕張の医療の再生の軌跡を見れば明らかだろう。

 大災害が起こるたびに医療の形は変化する。阪神大震災で「トリアージ」という言葉が生まれ、JR福知山線脱線事故で活かされた。それと同様に東日本大震災により、災害医療が強化され、さまざまな「地域包括ケアシステム」のモデルが生まれることを期待している。これまで何度か「被災地の復興は地域包括ケアで」と書いてきたがちょっと時期が早すぎたのかもしれない。まさにこれからであろう。被災各地の開業医をはじめとする多職種、基幹病院、慢性期病院、介護施設、仮設住宅などを支援するNPO法人、そして行政が一丸となって日本全体を元気にするような復興を成し遂げて欲しい。大災害の教訓を前向きに活かさないと犠牲者に申し訳ない。そのためには、オールジャパンでの医療支援の体制構築にさらに知恵を絞らないといけない。
 
慢性期医療、そして統合の時代へ
 東北の被災地では超高齢化と過疎化が進んでいる。無い無いづくしという声も聞こえて来るが、2025年問題を前に今後10年間、日本の医療は大きくパラダイムシフトせざるを得ない環境にある。治す医療から支える医療への転換は待った無しだ。なにかと注目を集めてきた急性期医療から在宅を含む慢性期医療へ、ウエイトは確実に移ってきている。東京医大霞ヶ浦医療センターのように7:1から13:1に転換する病棟も出てくる時代なのだ。生活を支える視点が、在宅だけでなく大学病院にも強く求められる時代になった。こんな時代の被災地支援に医師会と看護協会や薬剤師会やケアマネ協会などがバラバラに動いていては無駄が多いだけ。地域包括ケアの思想に従い、多職種協働による支援を意識したい。「Integration (統合)」と言い換えてもいいだろう。また黒田さんの教えに従うなら、その主役は看護師であろうし、医師との協働が土台となる。そのためには、顔の見える勉強会から腹の見える勉強会に変えていくべきだ。それを「まじくる」と呼ぶことは以前ここで書かせて頂いた。

 これからの医療のキーワードは「慢性期医療」と「統合」ではないかと漠然と感じる。慢性期には当然、終末期医療や看取りも含まれる。総合医やかかりつけ医議論はこうした観点が無ければ画餅になる。この3年間、そうした講演を全国各地で行ってきたが、この想いは強くなる一方だ。今後も被災地で活躍される医療者のみなさまと「復興」そして「統合」を一緒に考えられたら嬉しい。5年後、10年後には、必ずやマイナスがプラスに変わっているはずだ。いや変えなければいけない。
 

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この記事へのコメント

青色申告で、レシートを見ていますと、去年の7月12日13日の神戸ポートピアホテルでの日本ホスピス在宅ケア研究会のパンフレットの領収書に「大会実行委員長黒田裕子」と印刷してあってびっくりしました。
私は12日しか参加できなかったので、黒田さんにお目にかかれなかったのでしょう。
長尾先生の講演会には、黒田さんも参加なさっていたかもしれないですね。
でも7月12日に、お元気だったのに、9月に病に倒れられて、帰らぬ人になるなんて、はかないですね。
もうちょっとで、お目に書かれたのに、残念でした。

Posted by 大谷佳子 at 2015年02月10日 02:06 | 返信

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