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「死の授業」書評、第二弾
2015年03月17日(火)
「長尾和宏の死の授業イン東京大学」の様子も、
アピタルに、数日前から連載している。→こちら
宣伝がてら、「長尾和宏の死の授業」のプロローグを以下、
特別に転載して、どんな本なのかをご紹介したい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
次のサクラは、僕等にあるのか?
この原稿を書いている今、季節は真冬である。
僕は、冬が大嫌いだ。そもそも寒いのが大の苦手であるし、何よりも、冬は死にゆく人が多い気がする。
僕の親父が自死したのも、そういえば冬だった。
真冬の真夜中のお看取りは、いつもにまして正直しんどい。2千人以上の患者さんを今まで看取ってきたが、
それでも真冬の真夜中のそれは、「人は必ず死ぬのだ」という厳然たる事実を、
普段よりよけいに突き付けられるような気持ちにさえなる。
ご臨終を告げ、死亡診断書を書き、ご家族に「お疲れ様でした」と、介護と看取りの労をねぎらい、
これからの相談をし、触れるとまだ体温を感じる患者さんのご遺体に御礼とお別れを告げて、外に出る。
またひとり、命の灯が消えた真夜中。寝静まった町の空気は凍えるほどに冷たい。しかし東の空は白々と明け始めている。
早く春が来ないかなあと思う。春が来れば、桜が咲く。
僕のクリニックでは毎年4月の上旬に、在宅患者さんや、ご家族を亡くされて間もない方々を大勢呼んで、
近くの公園でささやかな花見の宴を開く。
日本人は皆、桜が好きだ。僕も大好きだ。患者さん方も大好きだ。
桜の開花は、長くしんどかった冬に終わりを告げ、今ふたたび生きる希望を、力を、日本人に授けてくれる。
医者はよく、患者さんのご家族にこう訊かれるものだ。
「先生、うちの主人は次の桜はもう見られませんか」
そんなのわからないよ、と僕は独り言ちる。果たして次の桜がこの目で見られるかどうか?
そんな保障がある人間は、この世にひとりとしていないからだ。
しかし、この本を手に取ってくれたあなたは、そういうふうに桜を見たことがあるだろうか?
今宵のこの桜が、自分にとって最後の桜かもしれないと思って、花を愛でたことが。
大袈裟な、とあなたは笑うかもしれない。しかし、ちょうど今年21年目を迎えた阪神淡路大震災で亡くなった人、
先の東日本大震災で亡くなった人も、次の桜を心待ちにしていたはずだ。
何も災害や事故で亡くなった人ばかりではない。僕は在宅医として、若い患者さんも数多く診ている。
本書で取り上げるブリタニー・メイナードさんと同じように、脳腫瘍やがんになり、ある日突然、
自分の人生のゴールが目前に迫っている事実を知り、茫然とする人もたくさんいる。
私に限って。なぜ、私だけがこんな目に。
そう嘆く人もいる。しかし、それは正しい認識ではない。
人は、100%死ぬのだ。
だが、そんな当たり前の事実に、医学もメデイアも宗教も正対してきただろうか?
医学が著しく発達し、様々な延命治療が可能となればなるほど、
「死」は敗北であると認識されるようになった。
僕が「尊厳死」という言葉を初めて聞いたのは、医学部5年生の時だった。
医学部に入学した当時はまだ「安楽死」という言葉しかなかった。
24歳の秋には「安楽死と尊厳死」という勉強会を主宰した。
あれから30年余りが経った。医師になり、開業医になり、多くの人の臨終に立ち会い、沢山の気づきがあった。
それは穏やかな最期があるという発見。石飛幸三先生の著書『平穏死のすすめ』に啓発されて、
在宅医の視点から、「平穏死」の本を数冊書いた。
さて、「尊厳死」、「安楽死」、「平穏死」の違いを知っている人が日本に一体どれくらいいるのだろう?
言葉遊びをするつもりは毛頭ないが、こんな単純な問いに、だいたいでもいいから答えられた研修医は、
僕の知る限り、これまで皆無だ。
多くの医者がわからないのだから、市民の皆さんにちゃんと説明できる人がいるわけもない。
在宅医療に興味があるのなら、僕の本を読んでよと研修医に皮肉まじりに言っても、
「読書は苦手なんで…」とまるで勉強する気がない。
こんな大切な命題を、より広く伝えることを諦めかけていた時に飛び込んできたニュースが、
ブリタニーさんの件――アメリカの29歳女性の安楽死報道だった。何よりも意外だったのは、
多くの日本の若者がこの報道に反応したことだった。
通常、死に関心があるのは高齢者で、若者は死に関心がないという固定概念が見事にひっくり返された。
「9割の人が尊厳死に賛成し、7割の人が安楽死に賛成している」
という、ある週刊誌の調査結果には腰を抜かした。
「日本では安楽死は殺人罪で、尊厳死さえもグレー」という実態を知らない若者たちが、
自由な感性で、安楽死に大きく反応したのだ。
29歳女性の安楽死報道は、これまでタブーであった「死」を、多くの人に考えるきっかけを与えた。
そして多くのメディアが「尊厳死」と「安楽死」を間違えて報道したことも、
同様に「尊厳死」と「安楽死」の違いを考えるきっかけになったと思う。
死を言葉で語ることにどれだけの意味があるのか?
まして、「尊厳」や「安楽」や「平穏」といった形容詞をつけることにどれだけの意味があるのか、
僕はずっと疑問だった。
こんなに「死」に関する本を書いているくせに。
いや、本を書き続けているからこそ、氷解せぬ疑問だったのだ。
しかし今回、「死」について何人かの若者と直接対話をする機会を得て、僕の予想は完全に間違えていることに気がついた。
若者たちはなんと自由に(高齢者に劣らぬ感性で)「死」を考えていることだろう!
百人いれば百通りの生き方・逝き方がある。
また、現代社会であるからこそ、それをたった3つの類型(尊厳・安楽・平穏)で論じることにも、
きちんと意味があることに気がついた。
本書は、僕の「死」の授業の記録である。
およそ3時間、建前や立場を気にせずに、死に方について語った。
学会や国会では決して出てこないであろう、日本の若者の死生観が炙り出されたと
自信を持って言える3時間になった。
本書の中に、現代日本人の死生観、そして希望と絶望が凝縮されている。
あなたは3時間も「死」について誰かと語り合ったことがあるだろうか?
もしくは、そんな対話ができる相手が近くにいるだろうか?
おそらく答えはNOだろう。
恋人や家族だからこそ、本音を言えないということもある。
ならば、本書を読んで、生徒のひとりとして参加してほしい。読んでいる途中できっと気がつくはずだ。
どう死にたいか? を考えることは、どう生きていくか? を考えること、だということに。
桜のことを書いたついでに、親鸞が詠んだ歌を紹介して、本書のプロローグを締めよう。
「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
この歌を詠んだ時、親鸞はたったの9歳。得度をする前日に読んだ歌とも伝えられる。
この歌の意味は、こんな感じだ。
「咲き誇る桜を明日見ようと思っても、夜に嵐が来て、散ってしまうこともある。
そんな桜の花の運命と同じで、明日、生きているかどうかは、私たち人間にも誰もわかりはしない」
親鸞が生まれたのは1173年(承安3年)。彼の少年時代は、源平の合戦によるクーデターや
テロが横行し人々の心が荒んでいた上に、大地震や台風で飢饉が何度も起きていた。
親鸞が5歳の時、彼が暮らしていた京都でも大飢饉(養和の飢饉)が起き、
京都だけでも犠牲者は4万人に上ったという記録が残されている。
京都の町中が死体にまみれ、悪臭に満ちていたという。死と隣り合わせの幼少期。
ひとつの希望も見出せない、まさに末法の世で、親鸞は出家を決意しこの歌を詠んだのだ。
でも、僕にはこうも読める。
「明日どうなるかわからない。だからこそ今日を精一杯生きようじゃないか」
もしも、この本を読んだ後に、あなたが同じような気持ちを持ってくれたならば、これ以上の喜びはない。
最後に、とてもわかりやすい形に編集頂いたブックマン社の小宮亜里氏に心から御礼を申し上げる。
そして、「死」というテーマに心を開いて、僕とストレートな議論をしてくれた若者たちと、
そんな機会を与えて頂いた天国のブリタニーさんに感謝申し上げる。
2015年 大寒と立春のあいだで 長尾和宏
以上、「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)プロローグより引用。
アピタルに、数日前から連載している。→こちら
宣伝がてら、「長尾和宏の死の授業」のプロローグを以下、
特別に転載して、どんな本なのかをご紹介したい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
次のサクラは、僕等にあるのか?
この原稿を書いている今、季節は真冬である。
僕は、冬が大嫌いだ。そもそも寒いのが大の苦手であるし、何よりも、冬は死にゆく人が多い気がする。
僕の親父が自死したのも、そういえば冬だった。
真冬の真夜中のお看取りは、いつもにまして正直しんどい。2千人以上の患者さんを今まで看取ってきたが、
それでも真冬の真夜中のそれは、「人は必ず死ぬのだ」という厳然たる事実を、
普段よりよけいに突き付けられるような気持ちにさえなる。
ご臨終を告げ、死亡診断書を書き、ご家族に「お疲れ様でした」と、介護と看取りの労をねぎらい、
これからの相談をし、触れるとまだ体温を感じる患者さんのご遺体に御礼とお別れを告げて、外に出る。
またひとり、命の灯が消えた真夜中。寝静まった町の空気は凍えるほどに冷たい。しかし東の空は白々と明け始めている。
早く春が来ないかなあと思う。春が来れば、桜が咲く。
僕のクリニックでは毎年4月の上旬に、在宅患者さんや、ご家族を亡くされて間もない方々を大勢呼んで、
近くの公園でささやかな花見の宴を開く。
日本人は皆、桜が好きだ。僕も大好きだ。患者さん方も大好きだ。
桜の開花は、長くしんどかった冬に終わりを告げ、今ふたたび生きる希望を、力を、日本人に授けてくれる。
医者はよく、患者さんのご家族にこう訊かれるものだ。
「先生、うちの主人は次の桜はもう見られませんか」
そんなのわからないよ、と僕は独り言ちる。果たして次の桜がこの目で見られるかどうか?
そんな保障がある人間は、この世にひとりとしていないからだ。
しかし、この本を手に取ってくれたあなたは、そういうふうに桜を見たことがあるだろうか?
今宵のこの桜が、自分にとって最後の桜かもしれないと思って、花を愛でたことが。
大袈裟な、とあなたは笑うかもしれない。しかし、ちょうど今年21年目を迎えた阪神淡路大震災で亡くなった人、
先の東日本大震災で亡くなった人も、次の桜を心待ちにしていたはずだ。
何も災害や事故で亡くなった人ばかりではない。僕は在宅医として、若い患者さんも数多く診ている。
本書で取り上げるブリタニー・メイナードさんと同じように、脳腫瘍やがんになり、ある日突然、
自分の人生のゴールが目前に迫っている事実を知り、茫然とする人もたくさんいる。
私に限って。なぜ、私だけがこんな目に。
そう嘆く人もいる。しかし、それは正しい認識ではない。
人は、100%死ぬのだ。
だが、そんな当たり前の事実に、医学もメデイアも宗教も正対してきただろうか?
医学が著しく発達し、様々な延命治療が可能となればなるほど、
「死」は敗北であると認識されるようになった。
僕が「尊厳死」という言葉を初めて聞いたのは、医学部5年生の時だった。
医学部に入学した当時はまだ「安楽死」という言葉しかなかった。
24歳の秋には「安楽死と尊厳死」という勉強会を主宰した。
あれから30年余りが経った。医師になり、開業医になり、多くの人の臨終に立ち会い、沢山の気づきがあった。
それは穏やかな最期があるという発見。石飛幸三先生の著書『平穏死のすすめ』に啓発されて、
在宅医の視点から、「平穏死」の本を数冊書いた。
さて、「尊厳死」、「安楽死」、「平穏死」の違いを知っている人が日本に一体どれくらいいるのだろう?
言葉遊びをするつもりは毛頭ないが、こんな単純な問いに、だいたいでもいいから答えられた研修医は、
僕の知る限り、これまで皆無だ。
多くの医者がわからないのだから、市民の皆さんにちゃんと説明できる人がいるわけもない。
在宅医療に興味があるのなら、僕の本を読んでよと研修医に皮肉まじりに言っても、
「読書は苦手なんで…」とまるで勉強する気がない。
こんな大切な命題を、より広く伝えることを諦めかけていた時に飛び込んできたニュースが、
ブリタニーさんの件――アメリカの29歳女性の安楽死報道だった。何よりも意外だったのは、
多くの日本の若者がこの報道に反応したことだった。
通常、死に関心があるのは高齢者で、若者は死に関心がないという固定概念が見事にひっくり返された。
「9割の人が尊厳死に賛成し、7割の人が安楽死に賛成している」
という、ある週刊誌の調査結果には腰を抜かした。
「日本では安楽死は殺人罪で、尊厳死さえもグレー」という実態を知らない若者たちが、
自由な感性で、安楽死に大きく反応したのだ。
29歳女性の安楽死報道は、これまでタブーであった「死」を、多くの人に考えるきっかけを与えた。
そして多くのメディアが「尊厳死」と「安楽死」を間違えて報道したことも、
同様に「尊厳死」と「安楽死」の違いを考えるきっかけになったと思う。
死を言葉で語ることにどれだけの意味があるのか?
まして、「尊厳」や「安楽」や「平穏」といった形容詞をつけることにどれだけの意味があるのか、
僕はずっと疑問だった。
こんなに「死」に関する本を書いているくせに。
いや、本を書き続けているからこそ、氷解せぬ疑問だったのだ。
しかし今回、「死」について何人かの若者と直接対話をする機会を得て、僕の予想は完全に間違えていることに気がついた。
若者たちはなんと自由に(高齢者に劣らぬ感性で)「死」を考えていることだろう!
百人いれば百通りの生き方・逝き方がある。
また、現代社会であるからこそ、それをたった3つの類型(尊厳・安楽・平穏)で論じることにも、
きちんと意味があることに気がついた。
本書は、僕の「死」の授業の記録である。
およそ3時間、建前や立場を気にせずに、死に方について語った。
学会や国会では決して出てこないであろう、日本の若者の死生観が炙り出されたと
自信を持って言える3時間になった。
本書の中に、現代日本人の死生観、そして希望と絶望が凝縮されている。
あなたは3時間も「死」について誰かと語り合ったことがあるだろうか?
もしくは、そんな対話ができる相手が近くにいるだろうか?
おそらく答えはNOだろう。
恋人や家族だからこそ、本音を言えないということもある。
ならば、本書を読んで、生徒のひとりとして参加してほしい。読んでいる途中できっと気がつくはずだ。
どう死にたいか? を考えることは、どう生きていくか? を考えること、だということに。
桜のことを書いたついでに、親鸞が詠んだ歌を紹介して、本書のプロローグを締めよう。
「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
この歌を詠んだ時、親鸞はたったの9歳。得度をする前日に読んだ歌とも伝えられる。
この歌の意味は、こんな感じだ。
「咲き誇る桜を明日見ようと思っても、夜に嵐が来て、散ってしまうこともある。
そんな桜の花の運命と同じで、明日、生きているかどうかは、私たち人間にも誰もわかりはしない」
親鸞が生まれたのは1173年(承安3年)。彼の少年時代は、源平の合戦によるクーデターや
テロが横行し人々の心が荒んでいた上に、大地震や台風で飢饉が何度も起きていた。
親鸞が5歳の時、彼が暮らしていた京都でも大飢饉(養和の飢饉)が起き、
京都だけでも犠牲者は4万人に上ったという記録が残されている。
京都の町中が死体にまみれ、悪臭に満ちていたという。死と隣り合わせの幼少期。
ひとつの希望も見出せない、まさに末法の世で、親鸞は出家を決意しこの歌を詠んだのだ。
でも、僕にはこうも読める。
「明日どうなるかわからない。だからこそ今日を精一杯生きようじゃないか」
もしも、この本を読んだ後に、あなたが同じような気持ちを持ってくれたならば、これ以上の喜びはない。
最後に、とてもわかりやすい形に編集頂いたブックマン社の小宮亜里氏に心から御礼を申し上げる。
そして、「死」というテーマに心を開いて、僕とストレートな議論をしてくれた若者たちと、
そんな機会を与えて頂いた天国のブリタニーさんに感謝申し上げる。
2015年 大寒と立春のあいだで 長尾和宏
以上、「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)プロローグより引用。
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