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後期高齢者が入院で悪くなる理由
2015年03月18日(水)
毎日、毎日、在宅医療の相談を受ける。
転倒や肺炎で救急車で入院したものの、どんどん悪くなり寝た切り、
意思疎通不能、食べられなくなって鼻からチューブか胃ろう、という相談ばかり。
転倒や肺炎で救急車で入院したものの、どんどん悪くなり寝た切り、
意思疎通不能、食べられなくなって鼻からチューブか胃ろう、という相談ばかり。
メールや手紙や直接来院(セカンドオピニオンは受けていないのだが)での
相談は、たいてい、以下の3つのパターンのどれか。
1) 抗がん剤の相談。
医者が抗がん剤をやめてくれない。
この相談者には、「抗がん剤10のやめどき」を強く勧める。
自分で言うのもなんだが、とってもいい本だ。
2) 病院から脱出の相談。
転倒→骨折→入院→寝た切り→胃ろう
3) 多剤投与の相談。
後期高齢者に15種類投与は、もはや普通。
この国、いったいどうなっているの???
今日は、2)についてもう少し書こう。
入院するなら、施設のほうがましだ。
なぜなら施設には、医療があまり無いから。
病院には医療がある。
だから全員に酸素、点滴、尿の管、栄養の管となる。
なぜなのか?
1) 閉じ込められるから
人間は移動する動物。
閉じ込めるとすぐに退化する
歩かないから寝た切りになる
2)日光に当たらない。
骨粗しょう症にある。
3)食べさせてもらえない。
誤嚥性肺炎を恐れて食べられるのに食べさせてもらえない。
ただし、それは遠くの長男長女からの訴訟を防ぐため。
4)生活が無い
這ってでもトイレに行くことが許されない。
手づかみで食べることもダメ。
自分でできることまで誰かがする。(これは施設も同じ)
病院内で要介護5と判定された人が、自宅に戻れば要支援と
なることは稀ではない。
5)楽しみが無い
病院は牢屋以下。
楽しみを奪われる。
奪っていることに気がつかない医療者がそこにいる。
6)生き甲斐が無い
孫と遊ぶこともできない。
7)話をする相手もいない
金持ちはたいてい個室に入るが、そこには話し相手がいない。
ちょっとした刺激も無い。
ただただ寝ているだけ=寝た切り製造工場なのだが、
1日何万円も払って好んでそこに入りたがるのは、まさに宗教。
8)管だらけにされると、動ける状態でも動けない
必要も無い酸素に繋がれる。
寝がえりもうてないことは、虐待なのか。
医療者はそれを「善」と思っているが、犬に鎖をつけるだけ。
病院は、とにかく酸素と管が大好き。
9)管から過剰な水分を入れられて、ゼコゼコになる。
「自宅では吸引ができないから退院できない」と本気で
思っている医療者ばかり。
輸液量(注入量)を、半分か3分の1にすればいいだけなのに
そんな単純なことが理解できない。
「平穏死10の条件」を読んで頂いた病院医療者よ、仲間を目覚めさせて欲しい。
10)自宅に帰ることを邪魔するソーシャルワーカーが退院を許さない。
本来は自宅に帰すためのMSWなのだが、自宅に帰ることを実力阻止する
MSWが沢山いて、本人や家族の希望を打ち砕く。
「自宅じゃ無理」ではなくて、「病院では無理」なのだが。
この10ケのハードルを勇ましく乗り越えた人だけがなんとか”脱北”に成功する。
退院後、別人のように元気になる人が8割くらいか。
入院期間が長いと、回復にも時間がかかる。
2人の認知症夫婦がいた。
老老、認認パターンだ。
1人は、グループホームに入った。
最初は抵抗したが、、3ケ月後には落ち着いた。
残った1人は、そこそこ元気だったが、ある日転倒して救急搬送された。
手術をしたが、寝たきりになり、鼻から管のまま亡くなられた。
スタッフたちは、2人とも施設にしていたら、と悔やむ。
施設には過剰医療が無いので、病院よりまだましだ。
施設に入っていたら、少なくともまだ生きていただろう。
病院に入るくらいなら施設に入れるべきだった。
私たちの毎日は、以上のような反省と確信の繰り返し。
病院で病気を作られた方を回復させてあげるのが、在宅医療。
死の淵から生環させることができる世界にいることを誇らしく思う。
なぜ、病院人が、病院が病人を作っていることに気がつかないのか?
それは、医療界が病院を中心に回っていると信じているからだ。
まあ、ビョーキ、なのだ。
ビョーキとは、上手く付き合うべきだ。
私もかつては、その病院にいた。
檻に閉じ込めて、虐待しても善いことをしていると信じていた。
無知だった。
だからたくさんの悪いこと(延命治療)をしてきた。
その懺悔のために、こうしたブログや本を書いている。
ただし以上は、あくまで
・75歳以上
・急性期病院と一部の慢性期病院の話。
「日慢協」に入会している慢性期病院は、以上のことにとっても理解がある。
というより、とてもよく勉強しているので、以上の話に当てはまらない病院が多い。
それにしても、なぜ日本人は、ハコモノ(病院や施設)が、好きなのか?
住み慣れた我が家の臭い布団のほうがいいと思うのは私くらいかなあ。
せっかく”脱北”しても、残念ながら1ケ月程度で亡くなる方もいる。
しかしたとえひと口でも食べてから死ぬので、家族は大満足だ。
毎日のように御礼状や、御礼に来られる家族がいる。
「看取れて満足」と言ってもらえるのが、町医者冥利。
たとえば今日、丸ちゃんから転送されてきた御礼メール。
なにせ、入院が長すぎた。
何ケ月も入院していたら、さすがに回復は難しいかも。
しかしたとえ100歳近くても、一時的にせよ、奇跡的回復を見せてくれた。
我々在宅チームにとって、こうした礼状が、最高の御褒美なのだ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
相談は、たいてい、以下の3つのパターンのどれか。
1) 抗がん剤の相談。
医者が抗がん剤をやめてくれない。
この相談者には、「抗がん剤10のやめどき」を強く勧める。
自分で言うのもなんだが、とってもいい本だ。
2) 病院から脱出の相談。
転倒→骨折→入院→寝た切り→胃ろう
3) 多剤投与の相談。
後期高齢者に15種類投与は、もはや普通。
この国、いったいどうなっているの???
今日は、2)についてもう少し書こう。
後期高齢者は安易に入院してはいけない!!
入院するなら、施設のほうがましだ。
なぜなら施設には、医療があまり無いから。
病院には医療がある。
だから全員に酸素、点滴、尿の管、栄養の管となる。
なぜなのか?
1) 閉じ込められるから
人間は移動する動物。
閉じ込めるとすぐに退化する
歩かないから寝た切りになる
2)日光に当たらない。
骨粗しょう症にある。
3)食べさせてもらえない。
誤嚥性肺炎を恐れて食べられるのに食べさせてもらえない。
ただし、それは遠くの長男長女からの訴訟を防ぐため。
4)生活が無い
這ってでもトイレに行くことが許されない。
手づかみで食べることもダメ。
自分でできることまで誰かがする。(これは施設も同じ)
病院内で要介護5と判定された人が、自宅に戻れば要支援と
なることは稀ではない。
5)楽しみが無い
病院は牢屋以下。
楽しみを奪われる。
奪っていることに気がつかない医療者がそこにいる。
6)生き甲斐が無い
孫と遊ぶこともできない。
7)話をする相手もいない
金持ちはたいてい個室に入るが、そこには話し相手がいない。
ちょっとした刺激も無い。
ただただ寝ているだけ=寝た切り製造工場なのだが、
1日何万円も払って好んでそこに入りたがるのは、まさに宗教。
8)管だらけにされると、動ける状態でも動けない
必要も無い酸素に繋がれる。
寝がえりもうてないことは、虐待なのか。
医療者はそれを「善」と思っているが、犬に鎖をつけるだけ。
病院は、とにかく酸素と管が大好き。
9)管から過剰な水分を入れられて、ゼコゼコになる。
「自宅では吸引ができないから退院できない」と本気で
思っている医療者ばかり。
輸液量(注入量)を、半分か3分の1にすればいいだけなのに
そんな単純なことが理解できない。
「平穏死10の条件」を読んで頂いた病院医療者よ、仲間を目覚めさせて欲しい。
10)自宅に帰ることを邪魔するソーシャルワーカーが退院を許さない。
本来は自宅に帰すためのMSWなのだが、自宅に帰ることを実力阻止する
MSWが沢山いて、本人や家族の希望を打ち砕く。
「自宅じゃ無理」ではなくて、「病院では無理」なのだが。
この10ケのハードルを勇ましく乗り越えた人だけがなんとか”脱北”に成功する。
退院後、別人のように元気になる人が8割くらいか。
入院期間が長いと、回復にも時間がかかる。
2人の認知症夫婦がいた。
老老、認認パターンだ。
1人は、グループホームに入った。
最初は抵抗したが、、3ケ月後には落ち着いた。
残った1人は、そこそこ元気だったが、ある日転倒して救急搬送された。
手術をしたが、寝たきりになり、鼻から管のまま亡くなられた。
スタッフたちは、2人とも施設にしていたら、と悔やむ。
施設には過剰医療が無いので、病院よりまだましだ。
施設に入っていたら、少なくともまだ生きていただろう。
病院に入るくらいなら施設に入れるべきだった。
私たちの毎日は、以上のような反省と確信の繰り返し。
病院で病気を作られた方を回復させてあげるのが、在宅医療。
死の淵から生環させることができる世界にいることを誇らしく思う。
なぜ、病院人が、病院が病人を作っていることに気がつかないのか?
それは、医療界が病院を中心に回っていると信じているからだ。
まあ、ビョーキ、なのだ。
ビョーキとは、上手く付き合うべきだ。
私もかつては、その病院にいた。
檻に閉じ込めて、虐待しても善いことをしていると信じていた。
無知だった。
だからたくさんの悪いこと(延命治療)をしてきた。
その懺悔のために、こうしたブログや本を書いている。
ただし以上は、あくまで
・75歳以上
・急性期病院と一部の慢性期病院の話。
「日慢協」に入会している慢性期病院は、以上のことにとっても理解がある。
というより、とてもよく勉強しているので、以上の話に当てはまらない病院が多い。
それにしても、なぜ日本人は、ハコモノ(病院や施設)が、好きなのか?
住み慣れた我が家の臭い布団のほうがいいと思うのは私くらいかなあ。
せっかく”脱北”しても、残念ながら1ケ月程度で亡くなる方もいる。
しかしたとえひと口でも食べてから死ぬので、家族は大満足だ。
毎日のように御礼状や、御礼に来られる家族がいる。
「看取れて満足」と言ってもらえるのが、町医者冥利。
たとえば今日、丸ちゃんから転送されてきた御礼メール。
なにせ、入院が長すぎた。
何ケ月も入院していたら、さすがに回復は難しいかも。
しかしたとえ100歳近くても、一時的にせよ、奇跡的回復を見せてくれた。
我々在宅チームにとって、こうした礼状が、最高の御褒美なのだ。
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3月○日午後○時○分に父をみおくりました。本当に家に帰れて良かったなと思える20日間でした。
長尾先生や看護師さんケアマネさんヘルパーさん達に支えていただいて安心して介護することができました。
父は自宅に帰って希望の光をもらったと思います。人はいつでも希望と共に歩むことが大事だと私も学びました。
家族、特に姉妹のきずなは強くなったと思います。これから訪れる母のこともやっていけそうな気がします。
これもあの時相談に乗っていただけたおかげだと本当に感謝しています。
落ち着いたらさくらちゃんに遊びにいきます。またよろしくおねがいします。
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この記事へのコメント
(^○^)
l宗教
いいえて
妙
折しも
オウム20年
おさ
おぎようこ
Posted by おこらんど at 2015年03月19日 02:50 | 返信
いままさに90歳の父が誤嚥性肺炎で入院しています
今日は9月10日・・・7月29日夜 桃を食べてる父の体が異様に熱いのと体に力がまるで入っていないので慌てて救急搬送 入院して3日もしないうちに 少し認知症かなぁ?程度だった認知症が急に進んで 自分が誤嚥性肺炎という病気で入院していることも それどころか ここが病院っていうこともわからなくなりました
そしてとにかく家に帰りたい一心で大騒ぎ‼️
そんなこともあって 少し早いかなって思う8月14日退院して 病院では歩けなかった父も次の日にはつたい歩きだらトイレに行けるようになりました
でも 3日後の8月17日 また高熱が出てカラダの自由が効かなくなったので 車に乗せて入院していた病院の外来に‼️ 即入院となりました
そしてまたリハビリも充分ではなかったけれど8月30日退院
前回の退院より 体も動かなくなりながらの在宅介護でした
それでもデイサービスや訪問看護で在宅介護をと思っていましたが 今度は脱水で意識レベルも悪くなって訪問看護の看護師さんに来てもらったら 救急搬送ですね
と 3度目の入院
今に至っています
はじめの頃はまだ喋ったりしてたので 病院で泊まり込んで付き添ってました
でも今日は私の顔を見てもなんの反応もないし
一日中 天井を見ながらじっとしています
全く喋らなくなりました
今ならまだ間に合うかな⁉️と思います
ずっと点滴と痰の吸引 酸素マスクなので 認知症の父には理解できないと思います
まだ口から水分も取れない
痰だって 頑張って口から出せるように 看護師さんのいない時に父と二人で何度もチャレンジしたらできたのに
このまま 一日中点滴に繋がれて身動きひとつできなかったら生きる気力がなくなってしまいそうです
なんとかしてあげたいと思います
Posted by ちーまる at 2018年09月10日 01:54 | 返信
「気は心」という言葉のファジーな感覚が好きです。
また、「病は気から」というのも的を得ていて、
芯を衝いていると言葉であると常々思います。
病院に入院した時点で、既に病人です。これは経験から
明白な事実です。一方で、たとえ体内に病巣があったとしても
心が健全で、笑って過ごしていたならば、それを誰が非難
できるのでしょうか。
たとえ末期の癌に侵されていたとしても、
「『病気=自分』ではないのです。病気に彩られた私を...
そんな風に見ないで下さい。」といった趣旨の言葉を残した
有名人もいらっしゃいました。
判断力が乏しくなった高齢者を『病』とするのか『加齢』と
するのか、は、周囲次第なのかも知れないな...と経験から
思います。
Posted by もも at 2018年09月10日 09:39 | 返信
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