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あなたはがん派、認知症派?

2015年04月08日(水)

どこの講演でも聴く質問。
「あなたはがん派、認知症派?」
月刊DAYの連載の第二回はこのタイトルで書いた。→こちら
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通常は、9:1ないし、8:2にで、がんの勝ち。

認知症が勝ったのは、過去一度だけ。
鹿児島県鹿屋市。

ちなみに私は認知症派。
なに?もう認知症って??

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

月刊DAY 第二回   あなたはがん派?それとも認知症派?
 
 日本人は、昔は結核で死んでいました。少し前は脳卒中で死んでいました。そして現代は、がんで死にます。現在3人に1人ががん死ですが、今後認知症と老衰が急増します。近い将来、日本人の死因は大ざっぱにいえば、「がん」か「認知症か」となるはずです。講演会でよく、「がんと認知症。もし選べるならば、どちらで死にたいですか?」と質問します。どこで聞いてもがんに軍配が上がります。多い時はがんが9割を占めます。認知症はそれほど人気が無い。しかし私は逆です。認知症で死にたい。本当は長生きして老衰といきたいが、不摂生な男性にはまず無理です。だからせめて認知症を希望するのです。

 そもそも男性の場合、女性より7歳短命ですから、なかなか認知症まで辿りつけません。施設入所者の9割が女性です。男性はそこに辿りつく前に、がんや脳卒中や心筋梗塞で死に絶えます。そうした荒波を乗り越えた“エリート男性”だけが認知症になれるのです。

 私は認知症になってデイサービスに行ったり、入浴介助をされたり訪問入浴の恩恵に一度でも預かれるのが夢です。なぜなら日々、そうしたサービスを受けている男性が幸せそうに見えるからです。末期がんでは介護施設に入ったり入浴サービスを受ける可能性はかなり低くなります。早い話が、人生一度は、介護士さんにお世話をしてもらいたいのです。かまって欲しいのです。日頃、人にお世話ばかりしていると自分もそのサービスを受けててみたいのです。

 実は、昨年の正月に、無理を言って患者さんが入ったあとの訪問入浴に入れてもらいました。(笑)想像以上に気持ち良かった。「もし長生きできたら、ここに何度か入りたい」、と強く思いました。体を洗ってくれた若い介護スタッフに元気をもらいました。だから私は絶対に「認知症派」なのです。ところでこれを読んで下さっているあなたは、がん派?それとも認知症派?

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この記事へのコメント

私は典型的な付和雷同型人間ですから、最後は“がん”に罹って死にたいと思っています。
一番の理由は、やはり自分の死期がある程度見通しがつくことが大きいです。
認知症の場合、その状況がいつまで続くのか? 分らない不安がつきまといます。
また、認知症の場合、気持ちが穏やかになって、子供のように、まるで天使のようになって行く認知症であれば良いのですが ・・・・・・・  認知症の病態によっては、暴力的になったり、宇宙人になったり ・・・・・・。 また、認知症が進むと、自分の歯の健康維持にも難が出て来て、歯がボロボロになってしまうような気がします。 
そうなったら、日常の生活品質(QOL)が相当に低下してしまい、生きていることが楽しくないように思えます。
現在の日本では、認知症と診断された場合、過剰な向精神薬が投与され、本来であれば穏やかに暮らせる人でも過活発となったり、攻撃的になったりするように危惧しています。 
過剰な医療の介入、過剰な薬の処方が抑えられ、認知症患者が自然に近い形で認知症と共生する形で人生のラストステージを迎えられる日がくれば ・・・・・・、私は即 『私は認知症で死にたい!』 と宗旨替えをしたいと思います。 
長尾先生の影響力と情報発信力で、現在の医療の過剰介入と薬剤禍が一日でも早く終焉するよう願っています。 

Posted by 小林 文夫 at 2015年04月08日 02:15 | 返信

私は…どちらでもいい(笑)
痛み、苦しみを長期間味わわさせられなかったら…!
長尾先生は、とても、愛情深く育てられた方、愛情溢れる悪気のない人、スタッフ、患者さん、家族たちに囲まれて、イイところを先取り体験させていただける、前向きな、幼心、遊び心を満タンに持ってらっしゃる「人間」(笑)
こんな人は居なかったらいい、早く死んでくれたらいい、カネにならなければこんな人邪魔邪魔…と思ってる、小山氏が憂いてる、ブラックな「人間」は、すぐ私の隣に存在してるかも?の社会の中で、純粋に「人間」の「死」を真剣に考えてらっしゃる…長尾先生という「人間」。
私は「死んでも生きる」を信じる生き方をしてるので、「死なない」ではなく、「死んでも生きる」からこそ、いつ死のうが、どのように死のうが、どこで死のうが…今、生きるために必要なことに繋がらないなら、どうでもいい…(笑)
ただ、生きてるうちに、私の願いを伝えられるかもしれない身内、悪気のない周囲の人間には、「私の亡骸は何も残さないでほしい(墓にも入れてほしくない。骨も残さないで。)私は死んでも生きてるから。」と、そのことだけ言い遺すことに決めてます!

Posted by あい at 2015年04月08日 04:04 | 返信

認知症の人たちは認知症になったことで 「徳を与えられた感」あります。
私も認知症を選びます。

Posted by プリン at 2015年04月08日 07:11 | 返信

このような二項対立、二分法的問いかけや、
二項対立的思考、二分法的思考は、
折角の『死の授業』の意図から、
大いにかけ離れるのではないでしょうか。

「できることなら、どちらも歓迎したくない」という、
臆病者の異論、といわれるかもしれません。
ただの遊びだよ、気にしない、気にしない、といわれるかもしれません。
しかし、あえて、あれかそれか、好きか嫌いか、
酒とたばこのどちらが、いいですか、
という白黒思考は、不毛ですよ、と申し上げたい。
死因別統計の「エピデンス」は、
柳田邦男のいう二・五人称視点に、似合いません。

「震災であろうと、がんで亡くなろうと、自分の言葉とか生き方が、
次に生きる人の心につながっていくなら、
人の精神性のいのちは、後を生きる人々の心のなかに生き続け、
それぞれの人生を膨らませることができます。
死を考えることは、生きることを考えることに尽きます。」
(柳田・長尾両氏の対談から)

Posted by 鍵山いさお at 2015年04月08日 07:55 | 返信

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