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2.5人称の視点とは

2015年07月03日(金)

最近の講演では、必ず上から目線と2.5人称の視点について話す。
そういえば今日も埼玉と東京で2回話した。
しかし「よく分らないのでもっと詳しく教えて」という声を良く聞く。

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1人称=私、当事者
2人症=家族、親しい人
3人称=人ごととしての視点

がん医療にしても
認知症ケアにしても、
それが何人称の視点なのか、常に意識したほうがいい。

ダメな医療者・介護者とは、三人称でしか考えられない人。
もしくは1人称でしか考えられない患者も困る場合がある。

では、2.5人称とはなにか。
柳田邦夫さんの言葉を知って欲しい。→こちら

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この記事へのコメント

長尾先生、先日はありがとうございました。
>柳田邦夫さんの言葉を知って欲しい。→こちら
読ませていただきました。

Posted by 加藤 伴親 at 2015年07月03日 11:22 | 返信

前から気になっていた言葉に、「ケア」という言葉があります。
カタカナ言葉であるというだけではなく、その音の響きに、どうしても違和感を覚えてしまうのです。
柳田さんの「2.5人称という視点」という提起は、理解できます。が、すぐにはピンと響いてこないのです。
5月行われた日本記者クラブでの記念講演では、「寄り添う」という表現もされていました。こちらの方が、まだしっくり感じられます。
少年Aの事件や彼の刊行本をめぐる柳田さんの最近の発言も、当を得ているように感じます。この場合は、「少年Aは、被害者遺族にちゃんと寄り添え!」という意味もふくまれていました。ただ、これでは、「2.5人称」視点とは、完全にずれてしまいます。
安倍のように細かいことをグダグダ言うな、とのお叱りの声があるかもしれません。グダグダ説明が要るような造語でない、もうひと工夫があれば、もっと理解が深まると思うのです。

6月、兄妹4人が農薬を飲んで亡くなったそうです。
「みなさんの好意に感謝します。みなさんがよくしてくれたことはわかっています。でも僕は行かなければならない。僕は15歳まで生きないと誓っていた。死ぬことは長年の夢でした。今日、リセットします!」
15歳の少年は、1人称で、しっかり、語っています。
これは、隣国だけの話ではなさそうです。日本をふくめ、今や世界は一部の分限者と多数の貧者に引き裂かれる、巨大格差社会になっています。
この世界は、2.5人称視点からどのようにみえるのでしょうか?

Posted by 鍵山いさお at 2015年07月03日 01:43 | 返信

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