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小規模多機能の可能性

2015年08月06日(木)

今夜は、第1回都市型の認知症の看護介護医療連携研究会だった。
神奈川県川崎市のNPO法人「楽」の柴田範子さんの話を聞いた。
見事に全部知っている話で、理解している話だったが色々考えた。
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柴田さんは、小規模多機能を運営して看取りも行っている。
本研究会のメンバーも、8年前に小規模多機能ができるまでの経緯を話してくれた。

小規模多機能は、機能であって、場所の名前ではない。
施設の範疇にも入らない。

御存知のように、宅老所がその原点。
そこには生活がある、自由がある。

病院、介護三施設、グループホーム、サ高住、有料老人ホーム=管理型の施設
在宅、小規模多機能=管理から解放された自由な生活を楽しむ生活の場、あるいは機能

コンセプトはまさに真逆。

しかしこうした「管理」の話を理解できる医師がどれだけいるのだろうか。
そう思いながら聞いていた。

私は「自由こそが人間の尊厳」だと思っているので、管理型が大嫌い。


小規模多機能といえば、私のクリニックの近くに「プチトマトちゃん」というところがある。
ここに入ると弱っていたおひとりさまは、みんな元気になるので、超オススメの場。

在宅主治医にとって、一番の違いは、サ高住=電話の嵐
小規模多機能=電話は少ない、でこれは切実な問題。

世の中、すべて小規模多機能だったらなあ、といつも思う。
正直、劣悪なグループホームや有料は、小規模多機能に転換させるべきだ。


自由にさせると認知症は落ちつくもの。
しかし閉じ込めて自由を制限すると暴れるもの。

施設入所→暴れる→抑制→精神病院コースで行くか、
在宅か小規模多機能で、有岡富ちゃんのように最期まで笑って食べるか。

日慢協の病院は、小規模多機能的であって欲しい。
「管理」と決別して、「解放区」を実現して欲しい。

地域包括ケアとは、こうした解放区の拠点を造ることだ。
地域の住民になにがしてあげれるか、ではなく、なにを一緒にできるのか。

With の思想こそが、小規模多機能の本質。

そのためには、このヘンな名前を、もっと分り易い言葉に変えなければいけない。

私は、政府要人の方がたにある提案をした。
「このままでは小規模多機能は増えない。
 だったらサ高住を小規模多機能に転換するしかない政策を検討すべきではないか。

反応は無かった。
しかしそれくらいドラステイックな発想でないと、認知症ケアは変わらない。

ところで、一番金が儲からない小規模多機能のケアの質が一番高いのか?
それはおそらく、貧乏だからではないのか。

貧乏だから解放区にできる。
青春時代のように金は無いが、夢があり、輝いた日々を送れる。




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この記事へのコメント

このブログ内容は素晴らしい、心底共感しました!
最近、病院の空きベッドを施設に転換すること(精神科病棟の居住転換型と同じ発想)に賛同するコメントをしておられたので、「え、、、この先生は施設から地域へ(=身柄拘束から自由へ)をモットーにしているのではなかったのか??」と疑問を持っていたところ、今日は理解できました。
人間の尊厳は自由にある。
自由にはリスクがつきもの、そのリスクを最小限におさえるようインフラ整備をするのが国の役割であり、危険を放置したままで、弱い立場の人を管理すること、弱者の自由を制限することによって危険を回避しようとする考え(入院入所や後見制度)は、根本的にまちがってます。
最近、権力側がさらに権限を拡大する方向へばっかり話が進んでいるようで、時代の流れに逆行するのはやめてもらいたいです。
自由を制限するから人間は暴れる→それを抑えこむ為に神経を鈍らせる薬を強要→廃人にして閉じ込めて管理→精神病院コース
人の能力に言いがかりをつけて後見人を押し付け、本人の権利を制限する→自分自身のことなのに自己決定させない、本人自身のお金なのに自由にさせない→社会から排除され、他人に支配されて、家畜状態、本人は尊厳も生きる意欲も失う→職業後見人が本人の人格に成り代わって管理し、決定し、本人の財産から報酬を取る、、、
弱者を食い物にしてるだけです。
貧乏の方がケアの質が高い、という長尾先生の意見は、なまじお金を少々持っていると、そこにタカられて、権利擁護の名の下に人権侵害に合う、と言う事かと思います。
権利擁護を推進し、PRしてる人は、全員疑った方がいいと思います。
個別には、良心的な病院や施設、弁護士司法書士の皆さんは多いと思いますが、個人的に良識を通しても全く自分の得にはならないから、結局悪いとわかっていても人権侵害をしてしまう、、、
システムがまちがってるのです。
システム作りは官僚がするので、国民が相当に大声を出さないと、役所内に設置された委員会でたまに良い意見を言う人が入っても、適当にガス抜き程度にしか扱われず、多くは、利権側に配慮した結論が出されて、むしろ改悪になって国会を通る、やられっぱなしです。
大手マスコミは、都合の悪いことはあまり報道しないので、こっちから情報を求める必要があります。
でも今はネット時代。
そんなの嫌だ、おかしい、と思ったら、役所へ電話、メール、議員へ意見、行動するのがいいと思います。

Posted by ありが at 2015年08月08日 12:51 | 返信

小規模多機能の可能性 ・・・・・ を読んで


価値観が多様化している現代、そしてパーソン
センタードケアなど、患者一人ひとりの顔の見
える対応が求められている現代、従来の画一的
なケア・画一的な対応しか提供することの出来
ない施設よりも“小規模多機能”が求められて
いる(優れている)という長尾先生のコメント
はその通りと思います。


一方において、超高齢化社会に突入しつつある
日本では、これから“多死社会”・“多認知症
患者社会”&“多孤立高齢者社会”に向うこと
は必然の方向と思います。


このような社会に“小規模多機能”で対応する
ことを考えると、都市部においては500mメッ
シュ〔500m×500mのエリア〕毎に1ヶ所
“小規模多機能”施設が必要となると思われ
ます。


そのように多数の施設の確保とそれを支える
メンバーの確保を考えると、とてもとても実
現が難しいことのように思われます。

“小規模多機能”の存在の必要性はその通り
と思いますが、それよりも、JR線&私鉄の
各駅毎に、電車の通っていない地区では、3
~4バス停毎に、“つどい場さくらんぼちゃん!
(認知症予防カフェ or 元気カフェ)”を作り、
認知症患者の支援、その家族の支援体制を確立
して施設への入居者の絶対数を抑制することの
方が、実効的であり実現性が高い取り組みと思
うのですが ・・・・・・。


認知症も寝たきり(状態)もそうなってしまっ
てから対応することを考えるよりも、そうなら
ない方向に持って行くことが大切と思ってい
ます。


そのためには、“ヘンな人が”いつでもどこで
も“まじくれる”ことのできる“つどい場”の
拡がりが一番大切ではないか? と思っています。

Posted by 小林 文夫 at 2015年08月09日 01:26 | 返信

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