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ジェネリックより多剤投与
2015年08月14日(金)
公論8月号 どうする、多剤投与への処方箋
ジェネリック推進よりも優先する課題 長尾和宏
歳をとるほどお薬が増える現実
人間は本来、歳をとり人生の終わりが近づくほど飲むべきお薬の数は減るはずである。しかし現実には処方されるお薬の量は増えてくる。なぜだろうか。それは歳を取るほど病気の数が増えるからだ。これは古今東西、生物、いや生命体の宿命。そしてフリーアクセスをウリとする日本の国民皆保険制度下では、歳をとるということは日本人では診察券の枚数が増えることになる。お世話になる専門医の数が増えることとなる。専門医の数だけ薬の種類が増えることは、ある意味、必然かもしれない。お薬好きな国民性もあるだろう。しかし余命1ケ月という紹介状を持って自宅に帰ってくる末期がん患者さんの投薬数が10種類を超えていると、松田優作ではないが「なんじゃこりゃー!」と叫びたくなる時がある。ご飯さえもまともに食べられないような人が、どうやって10種類もの薬を飲むのか?ゆっくり老衰に陥りつつある高齢者に在宅医療で接していても、同様な想いになる。「多剤投与」という素朴な疑問に、医療界は処方箋を切れないまま超高齢社会は進行している。
医学の専門分化が進みその恩恵に預かる患者さんは確かに増えた。○○専門医だけではなく、○○専門看護師も続々と誕生し多くの学会や研究会も生まれた。各医学会は「診療ガイドライン」を発表し年々更新している。それぞれの医学会の専門医は、それぞれのガイドラインに従って投薬をするが、ひとつの病気にひとつの薬、とは限らない。たとえば、血液サラサラの低用量アスピリンを投与する際には必ず胃酸分泌抑制剤も併用することが通常だ。なぜなら低用量アスピリンの副作用でもし胃潰瘍ができたら、患者さんや家族から文句を言われたり最悪の場合訴えられるかもしれない。だから医師は、その時代時代の診療ガイドラインから外れた処方はしにくい。多くの医師の脳裏にあるのは「訴訟恐怖」であることを多くの患者さんは知らない。訴訟恐怖があるので病院ではあれだけ多くの書類にサインをさされ、お薬の種類もどんどん増えていく。
当然、お薬の種類だけ相互作用の組みあわせが増える。10種類を超えると組みあわせの数は天文学的数字になり誰も把握できない。まったく未知の相互作用がおきるかもしれない。まためまいや転倒・骨折のリスク、そして認知症リスクが増大することが明らかになっている。東京大学の秋下雅弘教授は「薬は5種類まで」(PHP研究所)という本を書かれているが、私もそのとうりであると強く賛同する。昨今、マスコミでよく取り上げられている「残薬問題」は、あくまで「結果」であり、問題の根本は多剤投与にあると認識している。
かかりつけ医とかかりつけ薬局で減薬を
私自身は、学生時代から「なんでも屋」を目指し30数年が過ぎた。とはいえ大学病院で医学研究もかじったし専門医の試験も受けてきた。そして最近は、「なんでも屋」までもが「専門医」として扱われる時代となり驚いている。「総合診療専門医」と言われてもピンとこないので、「なんでも屋の専門医資格を持たないなんでも屋」を目指している。というのも50歳を超えると専門医資格の維持が難しい。学会に行く時間や気力が低下してくる。そしてなにより専門医資格を持っていても持っていなくても何ひとつ変わらなかったことを知っている。そろそろ放棄する年代かと思い始めている。
一方、日本医師会は開業医に“かかりつけ医”制度を推進している。私は正しい方向性だと思う。だから「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本を書き、かかりつけ医の啓発を行っているが、現状はまだまだであろう。日本国民の病院信仰は、マスコミが高度医療を成功させるスーパー名医ばかりを描く限りそう簡単には変わらないだろう。また“かかりつけ医”と言っても、たとえば「緩和ケア」の技術はさまざまだろう。常々、「緩和ケアは地域にある」、「緩和ケアはがん、非がんを問わない」と言っているが、全国各地のかかりつけ医がそれを担うには、もう少し時間がかかりそうだ。
さて今回の話題である「多剤投与」問題は、“かかりつけ医”の課題であろう。歳をとり、要介護状態になればお薬の処方を一元化する方向にすれば解決するはずだ。しかし、“かかりつけ医制度”を国民に理解してもらうのは容易ではない。特に病院と併診している間は、減薬などできない。もし勝手に減薬してなにか事故が起これば訴訟リスクを負う。“かかりつけ薬局制度”も謳われているが薬の処方権が医師にしかないので、薬剤師さんが勝手に減薬することはあり得ない。患者さんに減薬についてアドバイスをする程度であろう。
現在のお薬手帳と健康保険証を1枚のカードにすれば、多剤投与対策になるのではないか。昨年、台湾の開業医を訪問する機会があったが実際にICカード化が実現していた。やろうと思えば、すぐにでもできることを知った。
昨年末、多剤投与をテーマにした「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)という本を出した。ジェネリック誘導も大切だが、多剤投与対策にもっと本腰を入れるべきであることを書いた。前者はお金の問題であるが、後者はそれに加えて人間の尊厳に関わるもので、より本質的な課題であると思う。患者さんもできるだけ、“かかりつけ医”と“かかりつけ薬局”をもち、そこで多剤投与の実態から一段一段降りていくべきだろう。
多剤投与への処方箋は誰が切るのか?そろそろ国民と医療界が真剣に議論すべき時にきた。
ジェネリック推進よりも優先する課題 長尾和宏
歳をとるほどお薬が増える現実
人間は本来、歳をとり人生の終わりが近づくほど飲むべきお薬の数は減るはずである。しかし現実には処方されるお薬の量は増えてくる。なぜだろうか。それは歳を取るほど病気の数が増えるからだ。これは古今東西、生物、いや生命体の宿命。そしてフリーアクセスをウリとする日本の国民皆保険制度下では、歳をとるということは日本人では診察券の枚数が増えることになる。お世話になる専門医の数が増えることとなる。専門医の数だけ薬の種類が増えることは、ある意味、必然かもしれない。お薬好きな国民性もあるだろう。しかし余命1ケ月という紹介状を持って自宅に帰ってくる末期がん患者さんの投薬数が10種類を超えていると、松田優作ではないが「なんじゃこりゃー!」と叫びたくなる時がある。ご飯さえもまともに食べられないような人が、どうやって10種類もの薬を飲むのか?ゆっくり老衰に陥りつつある高齢者に在宅医療で接していても、同様な想いになる。「多剤投与」という素朴な疑問に、医療界は処方箋を切れないまま超高齢社会は進行している。
医学の専門分化が進みその恩恵に預かる患者さんは確かに増えた。○○専門医だけではなく、○○専門看護師も続々と誕生し多くの学会や研究会も生まれた。各医学会は「診療ガイドライン」を発表し年々更新している。それぞれの医学会の専門医は、それぞれのガイドラインに従って投薬をするが、ひとつの病気にひとつの薬、とは限らない。たとえば、血液サラサラの低用量アスピリンを投与する際には必ず胃酸分泌抑制剤も併用することが通常だ。なぜなら低用量アスピリンの副作用でもし胃潰瘍ができたら、患者さんや家族から文句を言われたり最悪の場合訴えられるかもしれない。だから医師は、その時代時代の診療ガイドラインから外れた処方はしにくい。多くの医師の脳裏にあるのは「訴訟恐怖」であることを多くの患者さんは知らない。訴訟恐怖があるので病院ではあれだけ多くの書類にサインをさされ、お薬の種類もどんどん増えていく。
当然、お薬の種類だけ相互作用の組みあわせが増える。10種類を超えると組みあわせの数は天文学的数字になり誰も把握できない。まったく未知の相互作用がおきるかもしれない。まためまいや転倒・骨折のリスク、そして認知症リスクが増大することが明らかになっている。東京大学の秋下雅弘教授は「薬は5種類まで」(PHP研究所)という本を書かれているが、私もそのとうりであると強く賛同する。昨今、マスコミでよく取り上げられている「残薬問題」は、あくまで「結果」であり、問題の根本は多剤投与にあると認識している。
かかりつけ医とかかりつけ薬局で減薬を
私自身は、学生時代から「なんでも屋」を目指し30数年が過ぎた。とはいえ大学病院で医学研究もかじったし専門医の試験も受けてきた。そして最近は、「なんでも屋」までもが「専門医」として扱われる時代となり驚いている。「総合診療専門医」と言われてもピンとこないので、「なんでも屋の専門医資格を持たないなんでも屋」を目指している。というのも50歳を超えると専門医資格の維持が難しい。学会に行く時間や気力が低下してくる。そしてなにより専門医資格を持っていても持っていなくても何ひとつ変わらなかったことを知っている。そろそろ放棄する年代かと思い始めている。
一方、日本医師会は開業医に“かかりつけ医”制度を推進している。私は正しい方向性だと思う。だから「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本を書き、かかりつけ医の啓発を行っているが、現状はまだまだであろう。日本国民の病院信仰は、マスコミが高度医療を成功させるスーパー名医ばかりを描く限りそう簡単には変わらないだろう。また“かかりつけ医”と言っても、たとえば「緩和ケア」の技術はさまざまだろう。常々、「緩和ケアは地域にある」、「緩和ケアはがん、非がんを問わない」と言っているが、全国各地のかかりつけ医がそれを担うには、もう少し時間がかかりそうだ。
さて今回の話題である「多剤投与」問題は、“かかりつけ医”の課題であろう。歳をとり、要介護状態になればお薬の処方を一元化する方向にすれば解決するはずだ。しかし、“かかりつけ医制度”を国民に理解してもらうのは容易ではない。特に病院と併診している間は、減薬などできない。もし勝手に減薬してなにか事故が起これば訴訟リスクを負う。“かかりつけ薬局制度”も謳われているが薬の処方権が医師にしかないので、薬剤師さんが勝手に減薬することはあり得ない。患者さんに減薬についてアドバイスをする程度であろう。
現在のお薬手帳と健康保険証を1枚のカードにすれば、多剤投与対策になるのではないか。昨年、台湾の開業医を訪問する機会があったが実際にICカード化が実現していた。やろうと思えば、すぐにでもできることを知った。
昨年末、多剤投与をテーマにした「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)という本を出した。ジェネリック誘導も大切だが、多剤投与対策にもっと本腰を入れるべきであることを書いた。前者はお金の問題であるが、後者はそれに加えて人間の尊厳に関わるもので、より本質的な課題であると思う。患者さんもできるだけ、“かかりつけ医”と“かかりつけ薬局”をもち、そこで多剤投与の実態から一段一段降りていくべきだろう。
多剤投与への処方箋は誰が切るのか?そろそろ国民と医療界が真剣に議論すべき時にきた。
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