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高槻事件の犯人黙秘で無罪に?
2015年08月29日(土)
高槻事件で逮捕された犯人は黙秘を貫いているという。
報道によると無罪になる可能性がある、とのこと。
これだけのことをやっておきながら、余罪もあるのに、マジかよ?
報道によると無罪になる可能性がある、とのこと。
これだけのことをやっておきながら、余罪もあるのに、マジかよ?
これだけの犯罪を犯したなら常識的には、
起訴されて死刑ないし重罪だと誰でも思う。
ところが日本の刑法では、そうではない、
日本の警察や検察は、そんなものではない、ということをお知らせしたい。
以下は、あくまで一般論である。
逮捕されたら、最大20日間、牢屋に監禁されて取り調べを受けることになる。
そのなかで、犯人が黙秘を貫いたらどうなるのか。
証拠が100%でないと、もし99.99%だったら、不起訴(検疑不十分)で
無罪になる可能性があるという。
特に、もし犯人の身内に警察や検察関係がいて無罪にするように頼んだら、
警察や検察はグルになって、事件をどうにでもできる。
シロとクロとしたのが、村木事件であり、小沢事件などだ。
逆にクロをシロにすることなんて、朝飯前だし、陰で泣いている人は無数にいる。
悪いことをいったいやって、捕まっても、黙秘して裏から手を回せば簡単に無罪に。
警察も検察も、彼らを取り締まる機関が一切ないため、やりたい放題だ。
警察や検察の犯罪は、絶対に取り締まることができないのが日本の法律。
黙秘権は、たとえ100人を殺した殺した犯人であっても人権として保護される。
黙秘があり、警察や検察にコネさえあれば、簡単に無罪となり、おとがめなし。
それどころか、不当逮捕など逆訴訟を起こすことも可能なのだ。
善良な市民が、もし連続放火魔を見つけて通報して逮捕してもらっても、
不起訴となれば、逆に名誉棄損で通報者が訴えられる可能性があるのだ。
信じられないかもしれないが、これが日本の警察と検察の姿。
彼らは、協働して平然と犯罪をはたらける立場にある。
そもそも警察や検察は誰のためにあっるのか?
被害者のため?
とんでもない!
警察や検察は、国家のためにあるのであり
善良な市民のためにあるのではないことを、知らねばならない。
警察や検察は、国家制度、すなわち自分達を守るために存在する。
被害者の利益など毛頭考えないのが、日本の警察や検察制度なのだ。
翻って、医療事故調査制度を考えてみよう。
もし予期せぬ医療事故で患者さんが亡くなった場合、警察が入る。
本当は入る必要は無いのだが、医師法21条を知らない病院長が警察に電話する。
「異状死」と「異状死体」の区別さえつかない病院長が大半ではないのか。
いずれにせよ、第三者的な目は必ず入るので、真っ黒を真っ白に書き換えることはできない。
しかし警察や検察はそれを取り締まる機関が皆無なため、彼らはやりたい放題し放題なのだ。
医療は腐っていると言われるが、警察や検察の腐敗度は、その10倍は腐っている。
よく犯罪被害者の立場が保護されないと聞くだろうが、本当にかわいそうだ。
そもそも、犯人が逮捕されたのか、本当に拘留されたのか、本当に操作がされたのか、
捜査資料がそのまま検察に渡ったのか、まったくもって永遠に闇の中に葬むることができる。
医療であればカルテ開示請求は当たり前だが、
警察の捜査資料は、どんな手段を講じても見ることができない。
この国の警察や検察は、身内を庇うためなら、どんな犯罪でも平気で犯す。
なぜなら彼らの犯罪を取り締まる機関がないので、堕落の底にある。
警察や検察の犯罪に、陰で泣いている人は大勢いる。
きっとこのブログを読んでいる人の周囲にもいるだろう。
だから、高槻事件が犯人黙秘の結果、どうなるのか注視したい。
繰り返すが、警察や検察はそもそも、犯罪者だと思ったほうがいい。
彼らを信じたら、殺される。
だから日本の警察や司法のあり方は根本から変えるべきだ。
医療とは比較にならない、とんでもない状況にあることを知って欲しい。
話は変わるが、少年Aが書いた本の話。
被害者の心情を考えると、このブログでコメントすることすらできなかった。
あんな本を出す出版社も買う市民も、私に言わせれば人間のやることではない。
あんな本の販売に協力している店も、狂っているというか、信じられない。
日本は一見平和なようで、その陰で多くの犯罪被害者が泣いている。
加害者は無傷の丸儲けで
被害者は泣き寝入り。
さらに警察と検察が追い打ちをかける。
日本の警察や検察には、「正義」という文字はほとんど無いと言っていい。
村木さんを冤罪に仕立てあげたあの検察のような人がウヨウヨいる。
これは政治の不作為。
いつかこうした、人を不幸にする制度は変わって欲しい。
そして高槻事件の犯人は、罪を認め、償い、更生して欲しい。
起訴されて死刑ないし重罪だと誰でも思う。
ところが日本の刑法では、そうではない、
日本の警察や検察は、そんなものではない、ということをお知らせしたい。
以下は、あくまで一般論である。
逮捕されたら、最大20日間、牢屋に監禁されて取り調べを受けることになる。
そのなかで、犯人が黙秘を貫いたらどうなるのか。
証拠が100%でないと、もし99.99%だったら、不起訴(検疑不十分)で
無罪になる可能性があるという。
特に、もし犯人の身内に警察や検察関係がいて無罪にするように頼んだら、
警察や検察はグルになって、事件をどうにでもできる。
シロとクロとしたのが、村木事件であり、小沢事件などだ。
逆にクロをシロにすることなんて、朝飯前だし、陰で泣いている人は無数にいる。
悪いことをいったいやって、捕まっても、黙秘して裏から手を回せば簡単に無罪に。
警察も検察も、彼らを取り締まる機関が一切ないため、やりたい放題だ。
警察や検察の犯罪は、絶対に取り締まることができないのが日本の法律。
黙秘権は、たとえ100人を殺した殺した犯人であっても人権として保護される。
黙秘があり、警察や検察にコネさえあれば、簡単に無罪となり、おとがめなし。
それどころか、不当逮捕など逆訴訟を起こすことも可能なのだ。
善良な市民が、もし連続放火魔を見つけて通報して逮捕してもらっても、
不起訴となれば、逆に名誉棄損で通報者が訴えられる可能性があるのだ。
信じられないかもしれないが、これが日本の警察と検察の姿。
彼らは、協働して平然と犯罪をはたらける立場にある。
そもそも警察や検察は誰のためにあっるのか?
被害者のため?
とんでもない!
警察や検察は、国家のためにあるのであり
善良な市民のためにあるのではないことを、知らねばならない。
警察や検察は、国家制度、すなわち自分達を守るために存在する。
被害者の利益など毛頭考えないのが、日本の警察や検察制度なのだ。
翻って、医療事故調査制度を考えてみよう。
もし予期せぬ医療事故で患者さんが亡くなった場合、警察が入る。
本当は入る必要は無いのだが、医師法21条を知らない病院長が警察に電話する。
「異状死」と「異状死体」の区別さえつかない病院長が大半ではないのか。
いずれにせよ、第三者的な目は必ず入るので、真っ黒を真っ白に書き換えることはできない。
しかし警察や検察はそれを取り締まる機関が皆無なため、彼らはやりたい放題し放題なのだ。
医療は腐っていると言われるが、警察や検察の腐敗度は、その10倍は腐っている。
よく犯罪被害者の立場が保護されないと聞くだろうが、本当にかわいそうだ。
そもそも、犯人が逮捕されたのか、本当に拘留されたのか、本当に操作がされたのか、
捜査資料がそのまま検察に渡ったのか、まったくもって永遠に闇の中に葬むることができる。
医療であればカルテ開示請求は当たり前だが、
警察の捜査資料は、どんな手段を講じても見ることができない。
この国の警察や検察は、身内を庇うためなら、どんな犯罪でも平気で犯す。
なぜなら彼らの犯罪を取り締まる機関がないので、堕落の底にある。
警察や検察の犯罪に、陰で泣いている人は大勢いる。
きっとこのブログを読んでいる人の周囲にもいるだろう。
だから、高槻事件が犯人黙秘の結果、どうなるのか注視したい。
繰り返すが、警察や検察はそもそも、犯罪者だと思ったほうがいい。
彼らを信じたら、殺される。
だから日本の警察や司法のあり方は根本から変えるべきだ。
医療とは比較にならない、とんでもない状況にあることを知って欲しい。
話は変わるが、少年Aが書いた本の話。
被害者の心情を考えると、このブログでコメントすることすらできなかった。
あんな本を出す出版社も買う市民も、私に言わせれば人間のやることではない。
あんな本の販売に協力している店も、狂っているというか、信じられない。
日本は一見平和なようで、その陰で多くの犯罪被害者が泣いている。
加害者は無傷の丸儲けで
被害者は泣き寝入り。
さらに警察と検察が追い打ちをかける。
日本の警察や検察には、「正義」という文字はほとんど無いと言っていい。
村木さんを冤罪に仕立てあげたあの検察のような人がウヨウヨいる。
これは政治の不作為。
いつかこうした、人を不幸にする制度は変わって欲しい。
そして高槻事件の犯人は、罪を認め、償い、更生して欲しい。
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この記事へのコメント
犯罪を犯したら罪を償う。当たり前です。
一部親御さんを責める議論もあるようです。
いえいえ、悪いのは犯人です!!
Posted by さぬきんぐ at 2015年08月29日 06:38 | 返信
利権・特権にまみれ、腐敗した世の中。こちらの方向へ目を向け考え始めたら、気が変になります。
実際に今の世は、そういった圧力に押し潰されて精神を病む人が後を絶たないのだと思います。
それでも、見て見ぬふりよりは「思うこと」「考えること」そして少しの力を発揮することによって
未来の方向へ目を向けることができる、自分でありたいと思っています。
Posted by もも at 2015年08月29日 08:58 | 返信
「死体遺棄罪」容疑で勾留されている被疑者が、単独犯か複数犯のひとりかは、知りません。
完全黙秘しているから無罪になる、という憶測は、甘い幻想です。
誘拐、監禁、殺人、遺棄にいたる全容はもちろん、被疑者のここに至る精神の光と闇について判断する事実も、もちあわせてません。
犠牲となった少女少年の恐怖と痛み、未来を想像するとき、投げかける言葉も、見つかりません。
類似した事件が起きるたびに、犯人を極刑に処すべきとの世論が、沸騰します。
あのオウム事件については、教祖以下の死刑判決が確定したものの、事件の社会的・思想的解明は、3審の過程で明らかにされることなく、終えんしました。
警察や検察は、多くの冤罪を生み出し、時に政治的犠牲者を血祭りにあげてきた、歴史があります。
また、福島原発の刑事告発も、不起訴にして恥じません。
司法も、最高裁砂川判決のように、権力の意向に、おもねます。
権力の日頃の立ち居振る舞いをつねに監視しつつ、今回の凶悪な事件についても、刑事的捜査におわらせることなく、日常の社会的病理的な背景について解明することにも、眼を向けるべきではないでしょうか。
今、拘置所は、高齢者や知的障害者であふれています。
シャバは、彼ら彼女らにつめたく、彼女彼らを受け容れません。
Posted by 鍵山いさお at 2015年08月30日 04:03 | 返信
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