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がんセンターのがん患者は、なぜあれほど痛いのか?
2015年09月26日(土)
今、がん研有明病院緩和ケア科部長の服部政治先生の講演を拝聴している。
苦しくて苦しくて「殺してくれ!」と叫ぶがん患者さんの映像を見ている。
硬膜外ブロック(麻酔)や麻薬の持続皮下注や鎮静が必要な患者さんたち。
苦しくて苦しくて「殺してくれ!」と叫ぶがん患者さんの映像を見ている。
硬膜外ブロック(麻酔)や麻薬の持続皮下注や鎮静が必要な患者さんたち。
従来のオピオイド治療だけでは疼痛緩和が不十分な患者さんが沢山いる。
難しい麻酔手技をいろいろ試すのがペインクリニック科。
痛みで震えが止まらない患者さんの顔は腫れている。
緊急で脊髄くも膜下カテーテルを留置して鎮痛完了。
腹水で苦しむ患者さんは、よく見ると
管だらけになっている。
素晴らしい技術が映像で次々と紹介されるが、
緩和ケア技術の進歩は我々にも感動的でもある。
でも、
硬膜外チューブも持続点滴も、管は管。
平穏死のウリは、管が1本も無い最期。
そこで、素朴な疑問だが、
がんセンターの患者さんは、なぜあれほど痛いのだろうか?
なぜ、あそこまで管だらけになるのだろうか?
・痛みが強い患者さんが、ペインクリニック科に集まる?
・痛みをゼロにするために、さまざまなことができるから、やる?
私は500人以上のがん患者さんを、在宅で看取ってきたが
・ペインクリニックでのでの疼痛緩和を要した患者さんは数人程度だった。
・セデーションを要した患者さんはゼロ。
・しかし、末期がんの在宅看取り率は9割以上。
たまたま痛みの少ない患者が集まってくるのだろうか?
それとも患者さんに痛みの我慢を強いたのだろうか?
もうこれ以上は、書かない。
みなさまにも考えて欲しい。
今、講演が終わった。
服部先生に質問したら、がん研有明の入院患者さんのうち
ペインクリニックに相談が来るのは、5%とのこと。
やはり今日の症例は、疼痛緩和の難渋例の話だったのか。
道理で納得!
残り95%の患者さんは、平穏死である、と信じている。
難しい麻酔手技をいろいろ試すのがペインクリニック科。
痛みで震えが止まらない患者さんの顔は腫れている。
緊急で脊髄くも膜下カテーテルを留置して鎮痛完了。
腹水で苦しむ患者さんは、よく見ると
管だらけになっている。
素晴らしい技術が映像で次々と紹介されるが、
緩和ケア技術の進歩は我々にも感動的でもある。
でも、
硬膜外チューブも持続点滴も、管は管。
平穏死のウリは、管が1本も無い最期。
そこで、素朴な疑問だが、
がんセンターの患者さんは、なぜあれほど痛いのだろうか?
なぜ、あそこまで管だらけになるのだろうか?
・痛みが強い患者さんが、ペインクリニック科に集まる?
・痛みをゼロにするために、さまざまなことができるから、やる?
私は500人以上のがん患者さんを、在宅で看取ってきたが
・ペインクリニックでのでの疼痛緩和を要した患者さんは数人程度だった。
・セデーションを要した患者さんはゼロ。
・しかし、末期がんの在宅看取り率は9割以上。
たまたま痛みの少ない患者が集まってくるのだろうか?
それとも患者さんに痛みの我慢を強いたのだろうか?
もうこれ以上は、書かない。
みなさまにも考えて欲しい。
今、講演が終わった。
服部先生に質問したら、がん研有明の入院患者さんのうち
ペインクリニックに相談が来るのは、5%とのこと。
やはり今日の症例は、疼痛緩和の難渋例の話だったのか。
道理で納得!
残り95%の患者さんは、平穏死である、と信じている。
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この記事へのコメント
わたしも 某病院での緩和ケアの研修会に 定期的に参加しています
いつも 思うことは
-あんたたち〜緩和病棟しかみてないでしょ…!緩和病棟が 一番だって 思わんで欲しい~
在宅療養から緩和病棟へ
ディロテップパッチで疼痛コントロールできているのに
なんで 点滴200ml 側菅プレぺノンになっうのか 意味がわからない
緩和といいながら 点滴やるじゃん 酸素 やるじゃん
結局 なんにもやらずに 逝かれた姿を見たことがないんです
.....っていう わたしも 訪問看護をやるまでは 見たことがなかった
病院で わたしは 何をやってたのかと これが当然のことだと思っていた
間違ってましたね
研修会でがん疼痛認定看護師から 看護のお話を聞きます
その中に リラクゼーション〜アロマテラピーも出てくる
じゃ ホントに やってるのか疑問です
終末期は 医療じゃない
看護の力だと自負しています
Posted by 宮ちゃん at 2015年09月26日 09:49 | 返信
がんセンターのがん患者は、なぜあれほど痛いのか?・・・・・を読んで
長尾先生はブログの中で、がんセンターの患者さんの
多くが苦痛に喘いでいること、そして、管だらけの治療
を受けている。 ことを書いて、
がんセンターの患者さんは、なぜあれほど痛いのだろうか?
なぜ、あそこまで管だらけになるのだろうか?
と疑問を呈されておられますが、途中で説明を中断し
“もうこれ以上は、書かない。みなさまにも考えて欲しい。”
・・・・・ と話を切り替えておられます。
そして、疼痛に苦しめられている患者さんの割合を5%とし、
“残り95%の患者さんは、平穏死である、と信じている。”
と本ブログを締めくくられています。
それが事実でないことを知っていながら、何故そのような
表現になるのでしょうか?
何故、先生の持論である、“癌との闘いには潮時がある”。
“平穏死10の条件” “抗がん剤10のやめどき” の主張
を何故ここでされないんでしょうか?
何にでもある潮時、身体が必要としないから“食べない!”
身体が必要としないから“水分すら摂らない!”のに、最後
の最後まで(無用な/無謀な)闘いを続けるから、徒に患者
を苦しめることになる ・・・・・・ という従来の主張を何故引っ
込めるのでしょうか?
大病院で、潮時も考えず最後の最後まで闘って、例え敗れて
も〔最後は亡くなっても〕・・・・・ その95%は最後まで苦痛に
顔を歪めることのない“平穏死”だと認めるのであれば・・・・、
今まで長尾先生が手を変え品を変えて続けて来られた啓蒙と
主張はなんだったのでしょうか?
読者を惑わせる(混乱させる)、このような迎合主義的な
ブログは読みたくありませんでした。
Posted by 小林 文夫 at 2015年09月27日 01:58 | 返信
私の姉は2人とも地元のガンセンターで乳ガンで逝きました。壮絶な最期を2度も目にしています。
長尾先生の仰る通りです。臨床検査技師として中堅の病院勤務が既に15年になりますが自分が
姉と同じ状況になったらガンセンターにも勤務する病院にも絶対入院しません。絶対に。
実は祖母が胃ガン「告知せず」でしたが秩父の自宅から離れるのが嫌ということで自宅で発見後1年半農作業をしていました。食が少しずつ細くなり枯れるように亡くなりましたが本当に苦しみとは
無縁な2年でした。勝俣先生の本も読みましたが無理です。長尾先生のところに行きます。遠くても。
Posted by 中田恵美 at 2015年09月27日 09:55 | 返信
私たちは父を自宅で看取りました。
肺ガンでした。
手術ができないと分かり、無茶な標準的抗がん剤治療を避け、体に負荷がかからない量の抗がん剤で様子を見てくれる町のお医者様にかかりました。 けれど、私たちは、関西圏では巡り合えず、東京へ通っていました。
逆に、東京や関東圏では巡り合えず、長尾先生や大阪にあるお医者様に掛かられる方もいますし、人のつながりは不思議なものだと思います。
私たちは、教えてもらったトモセラピーという放射線治療を、関西圏で探しましたが受け付けてもらえず、散々なことを言わて失望しました。 その後、その事情を相談し、東京の病院を紹介してもらいました。
治療は良好でしたが、最期を考えながらと思い、大阪で在宅医を考えました。
当初は、大阪のかかりつけとしていた循環器の医師が看てくれるといっていましたが、「やっぱり、怖い」と言って、最終的には断られました。 彼は緩和治療をしていないため最期を看取ったことがないという理由でした。
そのため、訪問看護師が知っているという、独立した緩和ケアが素晴らしいという意思を紹介してもらうことになりましたが、その医師は、患者の意思は二の次で、自分の地位を優先しない患者・家族は看ないと言い切りました。
看護師も、その先生でなければ知らないといい、考え方が異なるということで、最後は看護師から、放り出されました。
その後、ケアマネジャーに相談をして、大阪で若手で起こされたという在宅医療のチーム医師を紹介してもらい、看護師さんもそこから紹介してもらいました。
私自身が一生懸命に勉強をしたことが、こうしたトラブルになったのだろうかと思いましたが、多くを考え、情報を取り入れようとした結果、死を怖いものではなく、そういうものだと考えるようになりました。
他の人の考え方は変えることができません。
ブランドが好きな人は、病院もブランドがいいのかもしれません。 その結果が、たとえ、苦しいものであったとしても、葬儀の時に「●●病院でだめだったのだから仕方ないよね」と言われれば満足なのかもしれません。
けれど、一緒に考えてアドバイスをもらい、最終判断をさせてもらえる町のお医者様たちと出会い、看取ったことは私にとっては誇りであり、悔いはありません。
それよりも、昔、大切な友人を大学病院なら大丈夫だと思いこみ、治療を嫌がっていた彼女を後押しするようなことをしまったことは、今も、そしてこれからも後悔が残ります。
医療は医師のものではなく、患者と家族のものであったほしいと願います。
有名人が亡くなりましたが、彼女が標準的抗がん剤を拒否したことで、最期となる一週間前まで舞台に立てたのだと思います。
彼女を美容整形外科でよく見かけたと、街頭インタビューで出ていたそうです。 それは、もしかするとビタミン剤やプロテインなどの栄養を得ていたのかも?と思いました。
抗がん剤はガンに有効とされる薬です。
けれど、人によっては、それだけが方法ではないのかもしれません。
特に、人に見られる仕事をしている方にとっては。
ただ、食事制限をしていたようなので、それが激ヤセにつながったのではないかと思いますが・・・。
乳がんで手術をされた有名人の方も、その後のことは、医師の勧めだけでなく、ご家族とよく相談をして、よりよい治療を選べれ、またご活躍されることを願います。
Posted by よしみ at 2015年09月27日 10:54 | 返信
私はがん患者会「日本がん楽会」をやっていますから、患者たちの疼痛を何度も見てきました。がんは、あまり痛くないという話はほんとかどうか知りませんが、痛む方の場合は、表現のしようもないほどひどいものなのです。
数年前でした。親友が神戸S病院(がん拠点病院でもある)に、膀胱がんで入院して僅か6ヶ月でなくなりましたが、亡くなる2日前(日曜日)に見舞いに行ったところ、彼は私の顔を見て恐怖におびえた表情をするのです。一歩もこちらに来るなと言う表情でおびえているので、奥さんの方を振り向くと「ちょと廊下へ」と言うことで、廊下で話を聞きました。
昨夜から強烈な痛みがあり、声も出せないほどひどいらしく、人が近寄るだけで風が
起こる、その風が猛烈に痛いようなのです・・という。
聞けば、前日に緩和医療の医師3人が来て処方をしてくださったとのこと。40年来の付き合いの親友のあまりの気の毒な有様に私まで恐怖が襲ってくるようでした。
すぐに、長尾先生に電話をして、事情をはなしたところ「補助剤が違っているのじゃ
ないかとおもうな。」とのことでした。
奥さんが、病院に対応をおねがいしたのでしたが、日曜日のこととあって、ちゃんとした対応をしてくれないうちに亡くなってしまいました。
正直に書きますと、大病院である大阪T病院でも満足な緩和医療が出来ていませんでした。患者の苦しみをみて看護師に尋ねました。ここには満足に緩和医療ができる医師がいないのですか。。と。看護師は、そうなのです、と答えたものです。
彼女は、その後「生協尼崎病院」へ転院し、約6か月後に亡くなりましたが、大病院にいた時よりずっと楽そうでした。大病院の緩和医療を今も私は信じられないでいます。
Posted by 中原武志 at 2015年09月27日 08:40 | 返信
私は急性期病院で働いています。緩和ケアチームがありますが、緩和ケア病棟はありません。緩和ケアに困ったときに、専門医と専門看護師、薬剤師、栄養士などのチームに相談を持ちかけるという形で、緩和ケアチームを活用しています、、、というはずですが、実際は活用できていません。多くの主治医は、本人や家族が治療を望んでいるからと、効く可能性が少ない抗がん剤でも投与を続けます。痛みだけでなく、様々な苦痛、スピリチュアルペインも出てきますが、主治医は適当な麻薬や抗うつ剤の使用でコントロールできているといいはります。実際は、患者さんは発病から治療をしてもらっている主治医にできるだけ状態がいいことをアピールしているだけなのに。看護師が緩和ケアチームに関与してもらって緩和ケアを治療と同時に行いたいと言っても取り上げてもらえません。
ある患者さんは、この急性期病院でぎりぎりまで治療をうけたいが、死ぬ場所は自分で決めたいとおっしゃっていましたが、ホスピスを探すのを断念しました。なぜなら、急性期病院の治療を終えて、今後は受けないという条件でないとホスピスが探せないからです。確かに発病から主治医と患者さんの信頼関係はゆるぎないものです。でも、主治医は『この病院との関係を断ちたいの?最後まであきらめずに頑張ろう』と患者に持ちかけます。そのうち患者の体力の限界がきて、少しでも回復したら治療をしようと声をかけられながら、急性期病院のお粗末な病室でお粗末な医療ケアで最後を迎えることを見てきました。
医療者の価値観を大改革しないとこれらの問題はなくならないでしょうね。被害者である患者さんの苦痛はまだまだ続くかと思うと悲しくなります。
緩和ケアを学ぼうと、いろいろ外に勉強に出ると、学会や厚労省の見解と現場のギャップにショックで、無力感に陥っています。
Posted by なみちゃん at 2015年09月27日 10:30 | 返信
たまたま目にした皆さんのコメントを拝見し暗澹思いにかられました。昨年は同じ歳の友人が進行性肺がんで余命半年と告知されたのち2年半抗がん剤治療(高額な免疫療法も併せて受けていました)を受けながら仕事もこなし最後は力尽きたかのように亡くなりました。そして今年1歳年上の知人が進行性の肝内胆管がんと告知されセカンドオピニオンのため訪れたがんセンターで抗がん剤治療を受けています。私が冒頭で暗澹たると述べたのは、良い医師と巡り会うことなど本当にあるのだろうか ということです。
緩和ケアの現場だけが皆さんが言う通りということはないでしょう。経験上どの業界でもごく一部だけが特別劣っているということはないと感じてきましたので。今の世の中医療に関する情報は必要以上に溢れています。がん医療の功罪についても、多くの方が目にされていることでしょう。言い換えれば取捨選択の責任は読者(患者)にあるわけですが、口で言うほど簡単ではないことを実感している方が圧倒的多数ではないかと思っています。
また患者本人であれば、そうした情報自体調べることを拒む方が多いのではないでしょうか。では知人がアドバイスできるか? それも実に難しいことだと感じてきました。私は家族や親い友人には抗がん剤の治療は受けないと公言しています。が親族でもない友人にわずかな効果のために体や心を害する必要はない、とは、とても言えないのです。
ただでさえ不安な患者が医師の良心を見立てるなど現実的じゃないですよね。全ての医療従事者に人格者であれと望みはしませんが、命に関わる数少ない仕事の一つに就いてるということを、時々思い起こしていただきたいのです。
愚痴を述べてしまいましたご容赦ください。
Posted by 通りすがり at 2016年01月04日 05:20 | 返信
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