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認知症施策への違和感
2015年09月27日(日)
一昨日は、認知症施策の勉強会だった。
公的病院の専門医と在宅医が45分ずつ講演をされた。
私のイメージとはかなり異なっていて、違和感を覚えた。
公的病院の専門医と在宅医が45分ずつ講演をされた。
私のイメージとはかなり異なっていて、違和感を覚えた。
素朴な疑問として、
どうして医療者や行政は、
・専門医
・認知症の確定診断
・早期からの管理や医療介入
・お薬
が好きなんだろう?
「すべて真逆やんか!!」と思いながら聞いていたが、
そんな感覚は、60人の参加者でたぶん私一人だろう。
徘徊で認知症はよくなるのに
徘徊させなかったら認知症が悪化するやんか、と思った。
・専門医という幻想
・病気という幻想
・早期発見が善である、という幻想
・管理しなければ、という幻想
・薬物療法という幻想
すべて幻想じゃないか。
認知症医療はまだ、黎明期にある。
意味が分らない、という人がほとんどだろうが、
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」(9刷り)と
「家族よ、ボケと闘うな!」(6刷り)を、読んで欲しい。
たぶん、5年後にここにここに書いてあることが
正しいことに、気がつく人が出てくると思う。
どうして医療者や行政は、
・専門医
・認知症の確定診断
・早期からの管理や医療介入
・お薬
が好きなんだろう?
「すべて真逆やんか!!」と思いながら聞いていたが、
そんな感覚は、60人の参加者でたぶん私一人だろう。
徘徊で認知症はよくなるのに
徘徊させなかったら認知症が悪化するやんか、と思った。
・専門医という幻想
・病気という幻想
・早期発見が善である、という幻想
・管理しなければ、という幻想
・薬物療法という幻想
すべて幻想じゃないか。
認知症医療はまだ、黎明期にある。
意味が分らない、という人がほとんどだろうが、
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」(9刷り)と
「家族よ、ボケと闘うな!」(6刷り)を、読んで欲しい。
たぶん、5年後にここにここに書いてあることが
正しいことに、気がつく人が出てくると思う。
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この記事へのコメント
認知症施策への違和感 ・・・・・ を読んで
全ての認知症に当てはまる訳ではないと思いますが、
一部の認知症においては、自由に行動させる〔徘徊
も含めて〕ことで、認知症症状の進行を遅らせられ
たり、場合によっては症状を改善出来る可能性があ
ることは理解出来ますが ・・・・・・、
・専門医 ・認知症の確定診断 ・早期からの管理
や医療介入 ・お薬 が『すべて逆やんか!!』
の “逆?!” の意味が掴めません
何が“逆”で、何がどうだと仰っているのでしょうか?
更にブログでは、
・専門医という幻想
・病気という幻想
・早期発見できる、という幻想
・管理しなければ、という幻想
・薬物療法という幻想
すべて幻想じゃないか。
認知症医療はまだ、黎明期にある
と続けられています。
長尾先生は、この後半部分で何を仰りたいのでしょうか?
“管理しなければ・・・・・”、“薬物療法・・・・”の部分は
場合によっては症状を悪化させてしまうことがあるので、
慎重を期す必要がある・・・・・・、という主張は理解出来ま
すが、“専門医” “病気” “早期発見” の3項目について
は、 “幻想” ではなく “リアル” と思っています。
長尾先生は、認知症医療はまだ“黎明期”にある。
と論じられていますが、 だとしたらどうだと言う
のでしょうか?
“黎明期”であろうが、“混乱期”・“成熟期”であ
ろうが、患者や家族はそこに居て、不安に苛まれて
います。どうしたら良いか混乱を来たしています。
認知症が不安感が膨らむ病気であるという共通認識
を医療界と社会が持って、なるべく長く、その人が
その人らしく、住み慣れた地域で暮らして行けるよ
うにサポート出来る世の中になって行けばいいな!
と思う時、適切な対応〔サポート&ケア〕を時期を
逸っすることなく開始出来るよう、認知症発症の検
知〔早期発見〕はとても重要な事柄で、けっして幻
想などではないと思います。
認知症を治す取り組みも大切ですが ・・・・・・、“安心
して認知症になることが出来る社会や地域を創り上
げる” ことが喫緊の課題と思っています。
そのためには ・・・・・・・、地域々々に “つどい場” が
出来ることが、最大の“リアル!”なのかも知れません。
Posted by 小林 文夫 at 2015年09月28日 12:12 | 返信
私も個人的には小林文夫氏の所感には同意的です。
長尾先生のご意見はときどきどう解釈していいのか苦悩させられる点は多々みられます。以前の別の人の書き込みにもそれが表れてました。
個人的解釈で薬物療法について言うと1)認知症そのものを改善する、進行を止めるという点では幻想(4種の抗認知症薬の能書には進行を止める作用はないと書いてある)2)認知症の行動心理症状(アパシー・意欲低下・興奮・幻覚など)を改善する効果は60~70%程度あるが100%ではない。
河野先生は2)を強調し「薬物療法は少量多剤併用使用で不可欠」と考えておられるが、長尾先生はどちらかと言うと「薬物療法は幻想、多剤併用は問題」と考えておられます。ですから第3者的にみれば対極的な方向性に見えます。薬物少量投与と家族天秤(家族に薬の裁量権をもたせる)という事を初めて提案したのは河野先生の偉業ですが、抗精神薬の処方を正当化するかについては賛否があります。河野先生の提唱する介護者保護主義が患者中心主義(患者を危険に曝してはいかん)の学会関係者には受け入れ難いようです。一部では抗精神薬処方をする場合は訴訟対策で書面でサインをさせるべきだという意見もあるくらいです。その一方で、患者中心主義として振る舞う学会関係者の御仁達が、抗精神薬だけを悪者扱いする一方で抗認知症薬は何の根拠もなく、危険性にも一切言及せずとにかく安全なので増量しろ、行動心理症状対策でメマンチンを併用しろと連呼している事に強い違和感を感じます。
ぜひ11月23日には抗精神薬と抗認知症薬の是非について討論してほしいと願います。
Posted by ある実践医 at 2015年09月28日 10:58 | 返信
認知症治療に関わり始めて、30年近くになります。
私が認知症に関わって数年して、それまで認知症に関心がない神経内科医や精神科医が、DSMの診断基準を掲げて認知症治療に殴りこんできました。曰く日本でもアルツハイマーが80%・アルツハイマー型老年○○とアルツハイマー病(弱遠征アルツハイマー)は、同じ病気。
アメリカのデータをそのまま日本にも適応できる。と主張していました。この時、そんなにアルツハイマーの患者をでっち上げないと行けないのか?と強い疑問を抱いたのを覚えています。
当時静死か病棟で、認知症に対応していましたが、アルツハイマーは若年性の二人を除くと、ほとんど記憶が有りません。6年で数十名の認知症患者に対応しましたが、多くはピックを合併したレビーだったと思います。一部進行が非常に早いケースも居り、悪性DLBやMMSAなどではなかったかと考えています。
当時の治療薬でも3ヶ月有れば特別養護老人ホームでも対応可能な状態に出来たケースが多かった記憶が有ります。
現在の認知症治療は、アルツハイマーに関する検証が不十分なまま推し進められています。病理学的な診断に基づく確定診断としては、九州の久山町のデータが最大級かつ唯一のエビデンスだと思います。この九州久山町の病理学的な診断を、きちんと学会の診断基準に当てはめると、レビー小体型認知症が約0%・アルツハイマーは約25%程度しかいません。最近の厚労省のデータでは、アルツハイマーが依然70%程度とされています。非常にお高い誤診率といえると思います。この誤診に基づいた知見により診断治療がされている現状は、認知症治療は夜明け前と行っても良い状態だと、私は思います。
現在訪問診療を中心仕事をしています。訪問診療開始前に認知症と診断されている方の中に、純粋なアルツハイマーは。グループホームに1施設当たり2~3名いるだけです。残りは、レビーやLPCです(アルツハイマーを合併しているケースもいますが)。
あとアルツハイマーのケースは、介護者の中に見られることがたまにありますが・・・。
今後、認知症の教科書は、一から作りなおさないとダメではないかと思います。
Posted by 小関 洋 at 2015年09月28日 11:30 | 返信
小林さん
小林さんが疑問に思われるのも無理はないのですが、まず専門医については本当に幻想です。専門医を受診すると、長谷川式、MMSE、その他の心理テスト、脳CT、MRI、SPECTなど様々な検査を行われます。この検査自体がストレスとなり認知症進行の原因となります。そして、そこまで負荷をかけて検査を行ったにもかかわらず、診断はできない、アリセプトを処方するだけ、というとても無駄なことが行われています。
認知症は本来、本人の様子や介護者から話を聞くなどである程度診断可能です。そして、患者さんに合わせた薬を選び、用量を選ぶことが大事になります(薬を処方しないこともあります)。つまり、専門医に受診することは体力的に経済的にも無駄使いということです。私自身も認知症サポーター医の誘いがありましたが、そもそも認知症専門医でよくならない患者さんを見ているので、サポーター医になる意味はないため断りました。
次の病気という幻想ですが、認知症が病気であることは間違いありません(問題となる認知症のほとんどは脳変性疾患です)。しかし、病気としてとらえると、一番目の専門医という幻想にはまってしまいます。根治療法がない現在では、病気というより個性ととらえ、周囲が対応していく必要があるということです。認知症は周囲の環境により進行度合いが変わってきます。
早期発見については、必要と考えます。早目に発見し、介入することにより、本人が住み慣れた場所での生活をより長く送ることができるようになります。ただし、早期発見ばかりにこだわると、やはり最初の専門医という幻想にはまってしまい、泥沼に陥ってしまいます。
結局、専門医という幻想から、そのほかの幻想もきているのではないかと思います。病気も人も診る、認知症をしっかりと勉強したかかりつけ医が増えてくれば、認知症専門医など存在価値はなくなると思います。
訪問診療の世界でも。K先生あたりが牛耳っているうちは無理と思いますが(K先生はコウノメソッドの河野先生のことではありません)。
Posted by とくめいさん at 2015年09月28日 11:38 | 返信
長尾先生のブログは、アピタルのブログとセットで読むと良いです。
???と思ったら、アピタルを!
Posted by しん at 2015年09月28日 11:53 | 返信
追記
小関氏が仰るように純粋なアルツハイマーというのは50~65歳くらいで発症します。実際の症例をみれば「これぞ純粋なアルツハイマー」というのが理解できます。この疾患群に関してはもともと治験対象であり、重篤な合併症さえなければ各種抗認知症薬の増量規定に耐えられる人がほとんどです。
その一方で75歳以上では純粋なアルツハイマーは存在しません。ですから増量規定どころか初期量でも副作用や奇異反応が続出するのは至極当然の事です。認知症学会・老年精神学会の専門医の優秀な御仁であればこの事をわかってないはずはないですが、「50~65歳の患者しか安全には使えません」と本当の事を言ってしまうと製薬会社の不利益になってしまうので、誰も言わずに黙殺しています。
つまり製薬会社の利権とは無関係な患者団体が声を挙げるべきだと思われますが、患者団体も製薬会社・学会・専門医の奴隷になっているのが今の日本の現状です。日本人は親方日の丸体質だから自分の頭で考える事を放棄して奴隷になったほうが楽なんでしょうね。社会構造が中・朝と全く同じではないかと。
Posted by ある実践医 at 2015年09月29日 08:59 | 返信
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