- << 家族ができても、介護職にはできないこと
- HOME
- 満月の夜に >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
独居の認知症の在宅医療
2015年10月26日(月)
昨夜の講演で独居の認知症の在宅医療について質問をされた。
私はちゃんと答えたけれど、質問者は納得できないようだった。
そして小林さんという方が、さらに書きこんで下さったが・・・
私はちゃんと答えたけれど、質問者は納得できないようだった。
そして小林さんという方が、さらに書きこんで下さったが・・・
昨夜は、最後の質問者の時には時間がもう15分もオーバーしていて
主催者から回答を打ち切れとの指示があったので詳しい話ができなかった。
会場の椅子の後かたずけの時間が10分しかなく主催者がかなり焦っていた。
どこに行っても自分なりの全力投球するのだが、説明を尽くせない時がある。
そして怒る人がいると後味が悪い。
本当はゆっくり飯を食い、誰かと酒でも飲んでいたいのだが。
もし理解できないのであれば、私が書いた本を読んで欲しい。
全国どこにいても、アマゾンで注文すれば、1日で手に入る。
施設に入りたい人がいれば入ればいいし、
最期まで自宅で暮らしたいという人がいれば、最期まで支えることができる。
以下、繰り返しになるが、要点を簡潔に記す。
・私たとは、独居の認知症の在宅患者さんを現在、数十人診ている。
・そのうち何人かは、24時間定期巡回型訪問看護・介護で診ている。
・希望者には在宅看取りまで行っている(10人以上)が何もトラブルはない。
・火の不始末対策は大切で、ケア会議で電磁調理器にするなどの工夫をしている。
それでも、「そんな甘いものではない!」と怒っておられた。
やっている、というのに信じないのであれば、もうこれ以上説明の仕様がない。
まあ、時間があれば、このテーマに特化した本でも書こうかなあと思った。
平穏死の講演の時も同じような目に会うことがある。
大病院の医者はほとんど信じてくれないし、怒り狂う医者がいることも。
信じるも信じないも、それが私たちの日常だから、なんて言えばいいのか。
だから、これでもか、という想いで本に書いているが、不器用なやり方だ。
テレビ映像でも、そのあたりはちゃんと報道してくれているのだが。
講演も本もテレビもダメなら、どうやって伝えたらいいのだろうか。
限界を感じた。
昨夜はしつこかったので、よほど、こう言おうかとも思ったが、とどまった。
「あなたは、お一人暮らしですか?
だったら、あなたはちゃんと在宅で、暮らせているじゃないですか?」
「周囲にあなたのような人さえいなければ大丈夫ですよ」
火に油かな?
自分だけは認知症ではないと思っているのだろうが、どうだか。
実は、それが一番言いたかったことなのだが、まず理解されないだろう。
独居の認知症は、決して特殊なものではない。
むしろ今後の日本の標準型である。
事実、独居の末期がんも、独居の認知症も、
みんな最期まで自宅で穏かに暮らしておられる。
もちろん地域の多職種連携ができてのことだ。
甘いも、甘くない、もない。
これは私の日常であり、現実。事実。
ただし、「あなたさえいなければ」という話。
質問者のような人が周囲にいないことが前提。
これを聞くとまた激怒されるのだろうが、本当の話だ。
ただし本人がそれを望むケースに限る。
MMSEが一桁でも、自宅で死にたいという希望だけは明言される認知症の方がいる。
そこまで認知症を恐れる人と、そうでない人がいる。
療養場所は選べる、ことだけを伝えたかった。
主催者から回答を打ち切れとの指示があったので詳しい話ができなかった。
会場の椅子の後かたずけの時間が10分しかなく主催者がかなり焦っていた。
どこに行っても自分なりの全力投球するのだが、説明を尽くせない時がある。
そして怒る人がいると後味が悪い。
本当はゆっくり飯を食い、誰かと酒でも飲んでいたいのだが。
もし理解できないのであれば、私が書いた本を読んで欲しい。
全国どこにいても、アマゾンで注文すれば、1日で手に入る。
施設に入りたい人がいれば入ればいいし、
最期まで自宅で暮らしたいという人がいれば、最期まで支えることができる。
以下、繰り返しになるが、要点を簡潔に記す。
・私たとは、独居の認知症の在宅患者さんを現在、数十人診ている。
・そのうち何人かは、24時間定期巡回型訪問看護・介護で診ている。
・希望者には在宅看取りまで行っている(10人以上)が何もトラブルはない。
・火の不始末対策は大切で、ケア会議で電磁調理器にするなどの工夫をしている。
それでも、「そんな甘いものではない!」と怒っておられた。
やっている、というのに信じないのであれば、もうこれ以上説明の仕様がない。
まあ、時間があれば、このテーマに特化した本でも書こうかなあと思った。
平穏死の講演の時も同じような目に会うことがある。
大病院の医者はほとんど信じてくれないし、怒り狂う医者がいることも。
信じるも信じないも、それが私たちの日常だから、なんて言えばいいのか。
だから、これでもか、という想いで本に書いているが、不器用なやり方だ。
テレビ映像でも、そのあたりはちゃんと報道してくれているのだが。
講演も本もテレビもダメなら、どうやって伝えたらいいのだろうか。
限界を感じた。
昨夜はしつこかったので、よほど、こう言おうかとも思ったが、とどまった。
「あなたは、お一人暮らしですか?
だったら、あなたはちゃんと在宅で、暮らせているじゃないですか?」
「周囲にあなたのような人さえいなければ大丈夫ですよ」
火に油かな?
自分だけは認知症ではないと思っているのだろうが、どうだか。
実は、それが一番言いたかったことなのだが、まず理解されないだろう。
独居の認知症は、決して特殊なものではない。
むしろ今後の日本の標準型である。
事実、独居の末期がんも、独居の認知症も、
みんな最期まで自宅で穏かに暮らしておられる。
もちろん地域の多職種連携ができてのことだ。
甘いも、甘くない、もない。
これは私の日常であり、現実。事実。
ただし、「あなたさえいなければ」という話。
質問者のような人が周囲にいないことが前提。
これを聞くとまた激怒されるのだろうが、本当の話だ。
ただし本人がそれを望むケースに限る。
MMSEが一桁でも、自宅で死にたいという希望だけは明言される認知症の方がいる。
そこまで認知症を恐れる人と、そうでない人がいる。
療養場所は選べる、ことだけを伝えたかった。
- << 家族ができても、介護職にはできないこと
- HOME
- 満月の夜に >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
以前地域で開催された、認知症をテーマにしたフォーラム終盤で、やはり質問コーナー場面でしたが
質問者がマイクを手にした途端、酔いしれるように自分の現状である老々介護を語り始めたことが
ありました。誰も止める事ができず、登壇者が苦笑しながら「質問ではありませんね。」と〆る始末。
また、聴衆の中からステージ壇上に上がって頂く参加型場面でも、指名されていない方が堂々と
ステージに上がり、ニコニコしながら用意された椅子に座る、というハプニングがありました。
閉会し会場を退出しながら、誰もが「あれは、認知症の方でしょう。」と呟いていました。
Posted by もも at 2015年10月26日 08:25 | 返信
独居の認知症の在宅医療 ・・・・・・ の長尾先生の回答を拝読して
私の書き込みが長尾先生を不愉快にさせてしまった
ことに、申し訳なさと同時に驚いてもいます。
自分の考えを他の人に伝えることの難しさを今噛みしめて
います。
長尾先生の説明がおかしいとか一方的だと言っている訳で
はありません。
地域包括ケアなど、国は認知症患者を病院から自宅や
小規模多機能施設へ戻そうと舵を切りました。
在宅医療を担ってくれる医師、訪問看護師、介護職員、
地域の自治会や老人会、そして近隣の住民の理解と支援が
広がれば、在宅ケアが可能との議論が盛んに言われています。
でも、私たちは本当にそんなことが可能なのだろうか?
と不安で一杯なのです。
出来ることならば、慣れ親しんだ自宅や地域に少しでも長く
暮らしたい・・・・・と思っていますが、一人でいる時に室内で
転んで起き上がれなくなったら、呼吸が急に苦しくなったら、
お散歩〔徘徊〕に出てそのまま家に戻れなくなったとしたら
・・・・・・・ 等など、いくつもの不安が頭をよぎります。
不安だから、心配だから、長尾先生の講演会を含めて、在宅
ケア、地域包括ケア、認知症予防、死生学 ・・・・・・ などの
タイトルの講演会には務めて参加して、知見を広めるように
心掛けています。
今回のご講演でも、いろいろと実例を上げて説明して戴き、
理解が進みました。
質問した彼女も私も、知見を広めることが出来て理解が進ん
だことは事実ですが、それでも不安を払拭することが出来な
かったので、あのような質問、書き込みに繋がりました。
長尾先生にお願いがあります。
いろいろな体験をされているからこそ分ることがあり、
その体験に裏打ちされている情報発信だからこそ長尾先生
のご講演に価値があると思っています。
今回のご講演で、在宅療養の実態について、その問題点に
ついて、多くの人が考える機会を持ったと思います。
とてもとても大切な機会であり時間だったと思います。
理解しない! のではなく、理解が追いつかない ・・・・・ だけ
のことだと思います。
長尾先生が今回の質問、書き込みを不快に思われて、講演
活動を抑制する ・・・・・・ というコメントに危機感を感じる
と共に、とても悲しく思っています。
実態の理解を進めるため、啓蒙のため、社会を変えて行く
ため、長尾先生のご講演はとてもとても大切な役割を果た
していると思っています。
気に障ったことお詫びいたしますので、是非・是非今まで通
り、ご講演(啓蒙)活動を継続して戴きますよう、心より
お願いいたします。
平穏死・在宅ケア・地域包括ケアについて、実践している
お医者さんからの情報発信は少なく、長尾先生の情報発信
はとても重要な情報源なので ・・・・・・ 今後共、よろしくお
願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2015年10月26日 09:04 | 返信
地域包括。
認知症患者が街に繰り出す。
大いに結構じゃないですか!
ピンチをチャンスに変える気づきが生まれるのでは?
さまよいまくって帰れなくなれば警察が関わればいい。
家の中で倒れるリスクがあれば増えれば、訪問のプランをどんどん変えればいい。
不穏な状態が続いていれば、小規模多機能で様子見ればいい。
そんなうまくいくか!と思うかもしれないけど、それは結果しか見てこなかったから。
そして「認知症」としてしか見ていなかったから。
彷徨う理由、転倒の理由、不穏な理由・・・・ただの糞づまりかもしれない。
それを見ない人が多すぎるから、目の前の「人」が見えていない。
尼崎尼子さんなのに、「認知症の尼崎尼子」なんて頭に不要なキーワードをつけるから、ややこしい。
まじくる
この言葉の中に、尼崎尼子を入れず自分や家族、ケアマネが中心になっているのではないですか?
まじくりまくろうと思い動くとき、その人が地域にいなければ何も進みません。
Posted by ままさん at 2015年10月26日 01:55 | 返信
先生こんにちは。
ボランティアで講演をされる事もあるんですね。
日曜日にお疲れ様でした。
でも、怒る方もおられるかもしれませんがこれから介護を控えておられる方々や遠方に住んでいて独居の親をみる事ができなくて自分を責めている家族の方達は独居でも大丈夫なんだと安心したと思います。
想いを届けたい方にはきちんと伝わっていると思います。本当におつかれさまでした。
Posted by 匿名 at 2015年10月26日 01:59 | 返信
「独居で認知症高齢者でも最期まで自宅で過ごせる」というのは理想的ですね。こういう事が実現できてこそ、地域包括ケアだと思います。医者以外の職種の方々のチームワークの賜物ですね。
私が仕事している地域では、認知症患者の方々は独居でなくても同居者が仕事で日中一人状態でも家族の方が不安なようで、安定した病状の方でもすぐに施設やらサ高住に預けたがる傾向にあります。認知症で独居の状態を是とする価値観がないようです。たぶん独居状態で何らかの事故でもおきたら家族(遠方に住んでる娘や息子や兄弟)は何やってたんだ?と責任を問われるのが怖いのだと思います。日本は何かコトが起きると「責任者出てこい」とか犯人探しの傾向がありますからね。施設やらサ高住の定期訪問診療を担当医(大手医療法人に雇用されている医者)は認知症の対応にまったく興味がなく勉強もせずのようで、少しでも問題行動のある患者はすぐに薬漬けにして動けなくしてしまうようです。そのほうが施設側としては管理しやすいからでしょうが、当然寝たきりになる患者も少なくないようです。
安全第一を追求すれば、管理一辺倒になり、安易に多剤併用で管理しようとして寝たきりで衰弱する
何も管理されずに自宅でいるのが一番いい人生の終わり方ですね。
Posted by ある実践医 at 2015年10月26日 03:56 | 返信
「そんな甘いものではない!」そのようにおっしゃった方は、小林様のおっしゃるように不安なのでしょう。
きっと地域で利用出来るサービスも脆弱なのでしょう。長尾クリニックのような、24時間いつでも駆けつけて下さる医療機関もないのでしょうね。
気の毒におもいますが、「それがどうした、ほとんどの地域がそんなもの」と言いたい。長尾先生のような"変な医者"(まるちゃん曰く)はほとんどいません。どこの地域でも自分らしく生きる事が難しくなっているように感じます。
先生もそのことを知っておられるから、「犯人は私だった」を書かれたのではないでしょうか?(今読んでます)
生の先生のお話を聞かせていただいて、感動している者のほうが断然多いのですから、気を取り直してこれからのご講演期待しています。
Posted by ルナース at 2015年10月26日 06:30 | 返信
長尾先生が無力感に苛まれる気持ちが解ります。長尾先生が開業なさって以来、芯の部分にある
テーマが "おひとり様の平穏死" でいらっしゃるのですから。(勝手に決め付けてスミマセン)
apital連載の中でも "おひとり様日記"と題して、生活に密着した診療の様子を仔細に紹介して
いらっしゃいました。ざっとアーカイブしてみましたら2010年7月 No.80 "独居の認知症患者さん"
がありました。当時も連載を読みながら、汚部屋に訪問するのが常な日常、鍵の扱いでさえも大変で、
読みながら、老人の生活、人間と真正面から向き合う医師の姿を想像した時に、当時、医療界の荒廃を
感じ始めていた私にとっては、「今の世の中に、実際に、このような医師が本当に存在するのか」と
驚きの心境でした。
このように回顧するだけでも、長尾先生の真意が理解されない寂しさを、私も感じてしまいました。
激務な日常にあっても、これまでと変わらない診療体制を貫いておられる長尾先生は偉大です。
Posted by もも at 2015年10月26日 08:55 | 返信
怒っていたと言う方は、何に怒っていたのでしょうかね。
地域に「何を仕出かすか分からない人を 、野放しにするな。」という事なんでしょうか?(この様な偏見は捨てて頂きたいにですが、まだまだいる様ですね)
自分が認知症になった時どうなるか不安だったのでしょうか?
それとも、介護家族で地獄の様な介護体験をなさった方なんでしょうか。そうだったら感情的になり自分の意見に固執しても仕方が無いと思いますが・・・・・。
前二者でしたら、行政に噛み付いて欲しいですね。患者に寄り添う在宅医に噛み付いても、如何にも成りませんから、やめて欲しいとしか言えませんね。
この方は認知症の方を全員しかるべき施設に入れろと言いたいのでしょうか?
それは、経済的に不可能な事だと思います。施設が必要なだけ出来たとしても、入居費用を負担出来ない方は、如何すれば良いんでしょうかね。
私も、自分が働いていれば、妻の入居費用を負担する事は容易ですが、自分が入所しなければならなくなったら、年金と貯蓄だけでは、如何にもならないと思います。妻の生活費も入りますから。
そう考えている人は、私の周りには大勢いました。
こういった事を理解していれば、認知症で独居の方も、在宅で診ていくしか無いと思います。
与えられた介護資源を活用して、在宅で支えて行くしか無いのが、現状でしょう。嫌がる方を施設に入れる事は、絶対したく無いと私は思います。
そう考えていても、24時間対応の介護・看護サービス体制が十分出来ていない現状では、なかなか上手くいきませんが・・・・。
それを、長尾先生は行っているという事を、理解できない方が居るというのは、なんともやりきれない事実だと思います。
新オレンジプランの「認知症の方が最後まで住み慣れた地域で生活できる環境を作っていく」と言う目標がを、実現するのは容易では無いと言う証左でも有るのだと思います。
最近の認知症の方が引き起こした事故の責任を介護者にあると言う国(裁判所)の見解を思うと、絵空事にしか思えないのは、私の偏見でしょうか。
今回のクレーマーさんも、この様な思いを持っていたのかも知れませんね。現状では、国がやっている事は、掛け声だけで実効性が全く感じられませんから、将来に強い不安を抱く方が居ても不思議では無いと感じます。
Posted by 小関洋 at 2015年10月27日 02:44 | 返信
おはようございます^ ^
怒り出す医者‥
小さい頃から言われて来ました仕事や作業など「見てわからないものは聞いてもわからない」見て覚えろ‼︎という事です。
怒り出す医者さんは長尾先生のお話を聞いただけで、実際見ていないですよね!
怒り出す医者さんは、怒り出す前にお休みの日に長尾先生の日常を見学されたらいいのになぁ〜^ ^
Posted by しずしず at 2015年10月27日 07:16 | 返信
先生お疲れ様です。
一人暮らしは認知症であっても無くても覚悟が必要だと思います。
私達は本人が望む暮らしを続けていけるように全力で支援しますが、在宅であれば24時間見ているわけではないので、当然支援者がいない時間が1日何時間もあります。支援者がいない時間に転倒して骨折して動けないようになるかもしれないし、脳梗塞や心筋梗塞で倒れるかもしれない。
昨日まで散歩に出かけて帰って来れたのに、今日は帰れないかもしれないし、詐欺にだまされるかもしれないし、自分が近所の人にお金を借りてそれを忘れて迷惑をかけるかも知れない。
施設であれば早く見つけてもらえて処置してもらえ、命拾いできても、一人暮らしでは何時間も発見されずに死んでしまうかもしれない。
施設であれば、トラブルになっても間に入ってくれる人が常にいてくれるけど、一人暮らしであれば、支援者のいないときを狙って詐欺師は来るでしょう。
生きている限り、色んな危険があります。自由度が高くなるとそれだけ危険なことも多くなります。それでも、「危険なことがあるかもしれないけど、私は自由に生きたい。」と覚悟してこその一人暮らしだと思います。
「そういう覚悟ができていれば、どんなに認知症が酷くなっても、色んな手立てを考えて支援しますよ。」と言うのが支援者の思いです。
一人暮らしを貫きたい人は覚悟を決めてください。生きる事は戦いです。生きているという事は危険があるということです。
そして、今から信用できる人に任意後見をお願いしておくと良いと思います。
だけど、私だったら、近所にお金を借りて忘れてトラブルになったり、食べれないものを食べるようになったり、外に出ても家に帰れなくなったら、施設に行かせてもらいたいです。
私は施設で働いた時間が長いので、施設が大好きなんですよね。
Posted by みるく at 2015年10月27日 08:53 | 返信
認知症のおばあちゃま
嚥下障害があるわけじゃない
食べる量が少なくて
このままでは 栄養が足りなくて
死んじゃう…とお医者さまに言われなんでしょう
CVにするか 胃瘻にするかと家族に 選択を迫られ
よくわからない…と 泣きながら お嫁さんから電話がかかってきました
これは 脅迫の何物でもない!
きちんとメリット デメリットを説明していただきたいです
ほんとに ご本人 家族が 笑顔になりますように 願うばかりです
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2015年10月28日 01:09 | 返信
これまでの世の中の歪みが、2025年問題に一気にしわ寄せされている様相を感じます。
介護する側世代だって必死です。けして楽して働けるような御時世ではないし、その職の
安定性ですら危ういものです。少子化を憂う社会ではあっても、家庭を持つ子育て世代は、
その教育費を賄うべく共稼ぎが当たり前。それでも、定職があるのであれば恵まれている方で、
あっけなく離職に追い込まれ、再就職もままならない若い世代が溢れている現状日本。
家庭を守り、子育て真っ最中な世代が、労働力としての社会的責任を負いながら、介護すべき
親も抱えて途方に暮れている、という姿が介護問題の背景にあることを葬って語ることは、
"絵に書いた餅"でしかないと思います。
施設入所か、在宅か、介護する側とされる側の懐具合にも左右されるという事は、口には出し
にくいけれど、当事者にとっては一番肝心な点かも知れません。
心根に愛情はあるのだけれども、理想の介護を選択してあげたいのは山々だけれど、そうはできない
窮状を抱える介護者世代が溢れているのも、それも現実だと思います。そして、その窮状を知る
被介護者である親世代が、甘んじて何かを受け入れている、という側面も時にはあると思います。
Posted by もも at 2015年10月28日 09:09 | 返信
地域で関わる皆さんが出来ると思えばできるし、できないと思えばできないのです。
個人的には、独居の認知症の方は自身の意思をもとに訪問診療医として関わることができるので、最期まで良い診療ができると感じています。
Posted by とくめいさん at 2015年10月30日 03:57 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: