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祈りと医療

2015年11月29日(日)

祈ることと医療は、とても関係が深い。
緩和ケア、代替医療、瞑想などを取り入れるべきだ。
私がいつも言う医療のいいとこどり、とは統合医療なのだ。
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以下、笹岡先生のメルマガから転載。


「祈りと医療」

 行う冥想の種類により身体に対する作用に違いがあるという主旨の論文が高いimpact factorをもつ雑誌に掲載された〔PLOS ONE 2014 Jul 22; 9(7): e102990〕。西洋医学はヒポクラテスの時代,東洋医学においては扁鵲の時代にはすでに祈り・呪いの類を切り離し,それぞれ発展してきた。しかしWHOの健康の定義にもスピリチュアル(spiritual)の言葉が提案されるようになった現在,祈りの医療についてのエビデンスがさらに確立され,緩和医療やその他の分野に益々取り入れられていくことを私は祈っている。


『祈りと医療』
 鳥取大学医学部皮膚科 柳原 茂人
 時間の風景 | 2015.11.22
 https://medical-tribune.co.jp/rensai/2015/1122037862/?mi=00128000005w6BAAAY&fl=1

 この度リレーエッセイのバトンを高橋邦明先生よりお受けした。高橋先生は漢方の大家,故・山本巖先生に師事し,かつては大阪市立大学皮膚科で石井正光先生,小林裕美先生と共に,現在はご自身のクリニックで難治性皮膚疾患に対して東西融合医療を実践されている。私はそこに入局して漢方を教わった。特に大切にしている教えがある。それは,患者を治癒に向かわせる6つのコツ:食・運動・睡眠・排泄・呼吸を整えさせること,そして「心」というものがさらに上位にくるという考えである。患者がクヨクヨしていたり怒りっぽかったりすると疾患が治りにくい気がするのは私だけだろうか。

「心」に関して,「祈り」というものに病気を治す力があるのではないかと思う。幼少の頃,祖母に手をひかれ教会に行った時に聞いた神父の説教や聖書の言葉,中高の6年間は真言密教系の学校に通っていたからか,信心には人の体に何か変化を起こす力があるのではないかと思うようになっていた。医学部を卒業する頃,周りの友人達が卒業旅行として海外に行ったり,ここぞとばかり羽を伸ばして遊びまわっている中,私は丹波の山奥にある冥想の研修施設に籠った。

 そこではヴィパッサナー瞑想という古代インドから伝わる瞑想法を教えている。一人で修行しているという状況をつくるため他の生徒と目を合わせたり会話することは禁じられ,朝4時から夜9時までひたすら冥想にふける。私は10日間,仏陀が実践したという冥想を体験し,組んだ足の痛み・痺れや皮膚の痒みに始まり,心の中に自然に浮かぶ感情や思考なども,静かに,ありのまま観察していると必ず消えていくものだ,ということを体で知った。森羅万象,全てのものは生まれては消えるという「無常」を体感し続けるとその延長線上に所謂「悟り」というものが存在する可能性を感じた。

 その後,かねてからの念願であった四国八十八箇所遍路の一人旅にでた。四国の人々は巡礼者に親切にしてくれる。食べ物をくれたり泊まって行けと誘って頂いたり,どしゃ降りの雨の中佇んでいたところ夜中にもかかわらず宿を開けてくれたご主人,パンクしたホンダ・カブを押して歩いていたら,早朝にも関わらず直してくれたおじさん。四国の遍路は「同行二人」,弘法大師がついて一緒に旅をして下さると言う。私は旅の途中,何人ものお大師さんに出会うことができた。

 私は漢方の学生講義や講演会をさせて頂くときに,印象に残った次のエピソードを引き合いに出すことがある。ある寺の境内に千羽鶴やお供え物が沢山供えてあるお堂があった。見た目にも,それは病気が治った人がお礼に供えたものだというのがすぐ解る。その中にあった一枚の布に目が釘付けになった。老婆が書いたらしいその文章を要約すると,「突然視力を失い各所の眼科にかかるも治らないと言われ途方に暮れたが,そのお堂に毎日通い祈ったところ目が見えるようになった」というのだ。その感謝の気持ちを布に筆で綴ってお堂に掲げたのだ。医師に見放された,失明した目の視力が祈ることで回復することがあるのか!?この旅の中で最も深く心に残ったことがその1枚の布との出会いである。

 祈りの医療。人々は病気になると何かに祈ってきた。現在私が住んでいるのは鳥取県米子市,伯耆の国である。隣の国には因幡の白兎の伝説があり,赤剥けになった兎の皮膚を治したのが出雲の神である大国主命。少彦名命とペアで我が国の医療の神として知られている。米子からは神の山,大山が見える。山岳信仰の対象ともなったこの山は別名大智明権現,つまりお地蔵さんの山である。実際この山の周りでは今でも多くのお地蔵さんを見かける。村々の境や辻などに置かれることが多かったお地蔵さんは,村の外から疫病が入って来ないようにする「塞の神」としての意味もある。現在でも祈れば腹痛に効くという赤腹地蔵(深野三谷),歯痛にあごなし地蔵(河崎町),眼病にみそなめ地蔵(車尾梅翁寺),鼻の病に鼻達地蔵(湯梨浜町羽衣石十万寺)など,人々は病気になれば治癒を祈ってきた。菩薩の時に衆生の病を治すという大願をたてて如来となった薬師瑠璃光如来は,都では貴族の間で病気平癒祈願の対象となった。用明天皇のために推古天皇・聖徳太子が法隆寺金堂に,天武天皇は皇后のため薬師寺に,光明皇后は聖武天皇のために新薬師寺に,それぞれ薬師如来像を造立し病気平癒を祈願した。聖武天皇は全国に国分寺を置き,薬師如来像が全国に配置されるようになり民間にも薬師信仰は広まっていったと考えられる。

 行う冥想の種類により身体に対する作用に違いがあるという主旨の論文が高いimpact factorをもつ雑誌に掲載された〔PLOS ONE 2014 Jul 22; 9(7): e102990〕。西洋医学はヒポクラテスの時代,東洋医学においては扁鵲の時代にはすでに祈り・呪いの類を切り離し,それぞれ発展してきた。しかしWHOの健康の定義にもspiritualの言葉が提案されるようになった現在,祈りの医療についてのエビデンスがさらに確立され,緩和医療やその他の分野に益々取り入れられていくことを私は祈っている。


*「統合医療」とは?
http://www.ejim.ncgg.go.jp/public/about/

いわゆる「統合医療」は、近代西洋医学と相補(補完)・代替療法や伝統医学等とを組み合わせて行う療法であり、多種多様なものが存在します。

社団法人日本統合医療学会によると、「統合医療とは、さまざまな医療を融合し患者中心の医療を行うものです。科学的な近代西洋医学のみならず、伝統医学と相補(補完)・代替医療、更に経験的な伝統・民族医学や民間療法なども広く検討しています。」とされています。

国立補完統合衛生センター[米国]においては、「統合医療」を、「従来の医学と、安全性と有効性について質の高いエビデンスが得られている相補(補完)・代替療法とを統合した療法」と定義しています。また、相補(補完)・代替療法については、「一般的に従来の通常医療と見なされていない、さまざまな医学・ヘルスケアシステム、施術、生成物質など」と定義しています。具体的には、以下のような分類をしています。

*「統合医療」情報発信サイトは、厚生労働省「統合医療」に係る情報発信等推進事業に基づき、患者・国民及び医療者が「統合医療」に関する適切な情報を入手するために構築されたHPです。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

祈り、すなわち『心』を意味するのだと、そんな気がしました。
スピリットについては、スポーツ選手に語って頂いた方が的確だと思いますが、肉体を動かす時に
イメージトレーニングは不可欠で、上手くいく、成功するスタイルを頭にイメージし「できる」と
己に言い聞かせ、そして実現を積み重ね、身に付けていくものであることは周知の事と思います。
最近ではフィギアスケートでしたり、または、ラグビーの五郎丸選手の精神統一、イメージする集中
を思い起こすと、納得できるのではないでしょうか。
肉体を支配するのは『心』である、と私も思いました。そんなことを連想しました。

Posted by もも at 2015年11月30日 12:51 | 返信

人間って 不思議な力がある…
いつも そう思っています
ドクターは 最期がくると ある意味 逃げていきます

看護師であるわたしも ここまでか…と力のなさに 悲しくなります

でも 違うんだと…

ここからが 本当の看護の始まりです
祈りを捧げ 心を尽くし そこに 何かが生まれると信じています

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2015年12月01日 11:55 | 返信

日本の社会福祉の現場に適した臨床ソーシャルワークや権利擁護のあり方を、研究実践なさる
大学教授の講義を受講することができました。メンタルケアやカウンセリングを学ぶための
講義だったのですが、充実した満足感ある時間を過ごしてきました。
『心』を学ぶ時には、自分の心も一生懸命に働きます。
帰宅し、癒しのひと時でもあるパソコンに向かい思いましたことは、『祈り=心』であり、
『カウンセリング=祈り』であると、そんな心境になりました。

Posted by もも at 2015年12月03日 07:41 | 返信

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