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在宅ホスピスと施設ホスピス

2015年11月29日(日)

施設ホスピスは誰でも知っているのだろうが、
在宅ホスピスという言葉を知る人は少ない。
そのあたりのことを「地域ケアリング」12月号に書いた。→こちら
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地域ケアリング第2回(12月号) 在宅ホスピスと施設ホスピス  長尾和宏
 
「在宅ホスピスを紹介してくれ!」
 多くの末期がんの人を在宅で診て看とってきた。もちろん充分な緩和ケアを提供してきたつもりだ。それを「在宅ホスピス」と呼び、いろんなメデイアに「在宅ホスピスっていいよ!」と書いてきた。それを読まれたある在宅患者さんがこう言ってきた。「長尾先生、本に書かれている在宅ホスピスってやつを紹介してくれないか?」。「いや、ここですよ。ここが在宅ホスピスなんですよ」。そう話しても患者さんはキョトンとしている。ホスピスとはハコモノという想いがどうしても強い。人間はすぐ近くにあるものの有難さに気がつきにくい。今あるものは、あって当然、と考えがちである。入院や長期出張や外国旅行から自宅に帰ってはじめて、我が家の有難さを知ることになる。「自宅は世界最高の特別室」という言葉は、イザ自分が病院のベッドに寝たきりになるまで気がつきにくい。

 一方、「ホームホスピス」という言葉が流行っている。宮崎県の「かあさんの家」といえば、あああれか、という人が多いだろう。古民家を改装して様々な病気や障害を有する人たちが共同生活をする場。地域密着なのでほんとうに家庭的な施設と言い換えることもできるだろう。ここでいう「ホーム」とは「自宅にいるように家庭的」という意味だと想像する。ホームホスピスは在宅ホスピスのひとつの形態であると理解している。

 
似て非なるもの?
 現状、「在宅ホスピス」と「施設ホスピス」は、似て非なるものになっているような気がする。無形と有形の差以上の差を感じる。「在宅ホスピス」と「施設ホスピス」の勉強会や研究会や学会が、別々に開催されていることも気になる。「施設ホスピス」は、あくまで病院の一形態である。一方、「在宅ホスピス」とは管理からの解放であり、病院の時代へのアンチテーゼという意味合いもあった。
一方「ホスピス」という言葉への憧れは、日本人において特に強い。それは諸外国に比べて「施設ホスピス」の数が少なく、ホスピスカバー率が低いためもあるだろう。全国どこで講演しても「もっと、ホスピスを増やして欲しい」という市民の要望を聞く。いずれにせよ、「施設ホスピス」は希少価値がある。一方、「在宅ホスピス」には希少価値が無い。

 末期がんの患者さんが病院から退院する時には、必ずこう聞かれるという。「ホスピスにしますか?ザイタクにしますか?」。そう聞かれても、多くの人はどちらも知らない。迷っていると、主治医は「じゃあ、両方に紹介状を書いておきましょう。しかしホスピスは人気があるのですぐには入れません。とりあえず受診して順番待ちに並んでおいたほうがいいですよ」と親切に教えてくれる。両者は似て非なるものなのだが・・・
 


必要なものはナラテイブホーム
 いずれにせよ、終末期医療に大切なものは物語だ。Narrative(ナラテイブ)とは「物語の」という形容詞であるが、ここでは名詞として使わせて頂く。「在宅ホスピス」であろうが「施設ホスピス」であろうが、最も大切なことはナラテイブであると筆者は考える。
人生の最終章に必要なものは緩和ケア、なかでもスピリチュアルケアであろうが、具体的にはどんな支援なのだろう。エンドオブライフ・ケア協会が主催する援助士養成講座が全国各地で進行している。2日間の研修で語られることの多くはナラテイブではないかと思う。

 当院にもいろんな人が研修に来られる。医学生、研修医、看護大学生、ケアマネなどなど。どんな人が来られても、一番伝えたいことは在宅ではナラテイブを大切にしていることである。総合診療を謳う外来診療においても一番重視しているのはナラテイブである。真のEBM(エビデンス・ベイスド・メデイシン)とは、ナラテイブを含むものであることはあまり知られていない。しかしそれが町医者の醍醐味でもある。市民から必要とされるのは「ナラテイブホーム」であろう。

 
 
ご縁の連鎖
 スピリチュアルペインという言葉を意識するようになり10年が経過した。しかしどこか掴みどころがないコンセプトに感じる。亡くなられた方の家に、1週間後に立ち寄ってみる。最初は少し勇気がいる。医療は亡くなるまでもものだという考えなら「死んだら終わり」となる。しかしナラテイブという視点では、看取った家族との物語はまだ続いていると考えたい。私たち医療者自身が感じるスピリチュアルペインも、亡くなった後の訪問で癒される。それはグリーフケアという独立したものではなく、ナラテイブの延長と捉えたい。

 毎週訪問しているうちに49日を迎え、やがて自然に足が遠のいていく。そのうちに、その家の前を通る時だけにその人を思い出すことに薄れていく。そしていつしか忘れかけた時に、家族の在宅依頼が舞い込む。そこでまたナラテイブの続きが始まる。在宅ホスピスとは、ご縁の連鎖であると感じている。

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この記事へのコメント

私が主宰する「吹田ホスピス市民塾」の「ホスピス」は、「人生の最期を平穏に過ごすこと」という意味合いでのネーミングです。ですから、施設・在宅の両方を想定しています。

約300人の市民対象のアンケートでは、「最期は80%が自宅希望。でも実現可能は20%」と。

吹田市役所での「吹田がん情報オーナー」(月2回)での相談者の中には、「がん診療拠点病院で治療ができなくなったら、すぐに退院を言われるが、転院先を教えてくれないし、在宅では自信がない」と言われる方が結構多い。

患者・ご家族が希望する場所で、平穏な最期を送れるようにとの願いで、「吹田在宅ケアネット」(代表世話人・吹田市民病院村田副院長)で約10年活動を。今後はネットを強化していきたいと考えているところです。  

なお、神戸の「なごみの家」のように、小さな規模で看護師さんが看てくださるのも、嬉しい形態。吹田でも、看護師さんにおすすめしていますが・・。   以上

Posted by 小澤 和夫 at 2015年11月30日 10:35 | 返信

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