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終末期鎮静
2016年01月20日(水)
昨夜、NHKで「終末期鎮静」を扱った番組があった。
耐えがたい苦痛がある時に「終末期鎮静」を行うという、
私もよく知っている医師達が登場して、解説していた。
耐えがたい苦痛がある時に「終末期鎮静」を行うという、
私もよく知っている医師達が登場して、解説していた。
鎮静とは麻酔薬で眠らせること。
そして麻酔をかけたまま死なせること。
大病院から来る研修医に聞くと
病院では半数近くの患者さんに、終末期鎮静をやっているという。
しかし今夜の放送では、
なんと在宅看取りの7人に1人が、終末期鎮静を受けていて、
また在宅医の4割が、終末期鎮静の経験があるとのことだった。
驚いた・・・・
まるで浦島太郎状態。
ちなみに、私は1000人近く(3分の2は末期がん)の在宅看取りを行ってきたが、
終末期鎮静を行った患者さんは、皆無である。
同様な在宅医は私以外にも沢山いる。
しかし、この番組は終末期鎮静を勧めているように感じた。
病院勤務医の時は、先輩に聞きながら何人かに行ったことがある。
それは私が命じた過剰医療が原因の耐えがたい苦痛があったから。
30年経ち、今は、枯れることを待てるようになった。
そして「死の壁」を乗り越えるためのノウハウを蓄えることができたから。
「平穏死」には鎮静は要らない。
1時間前か数分前まで話せることができるのが、平穏死。
だから私のよく知らない世界だった。
もう興味が無い世界というか、違和感のほうが先だった。
なぜか。
その理由を自分なりに考えてみた。
1)訪問看護師の麻薬の知識レベルが高く(医師以上)、
上手に私をリードしてくれるから、穏やかな最期が可能。
2)様々なオピオイドデイバイスをそれなりに使えているから。
3)平穏死=枯れることを待つこと、をスタッフ達も知っているから。
4)「死の壁」を理解して、その対応策を家族に事前に説明しているから。
NHKは、終末期鎮静を肯定して広げたい、という意向のように感じた。
それをカモフラージュするために、わざわざ後悔している家族を出したあと
再び、後悔の無い家族にうつして終わった。
両論併記の形態を取りながらも、結論ありきのいつものNHKらしい手法を使っていた。
いくつかの疑問が残った。
1) それって、日本語では、「安楽死」ではないのか。
2) 「尊厳死」の議論は否定しておきながら、いきなり「安楽死」に飛び越えるのが
NHK.のすごーいところ。まあ、紅白同様、視聴率のためなら何でもやる?
3) そもそもNHKは「終末期が定義できないから尊厳死はダメ」のような論調なのに、
「終末期鎮静」の時だけは、「終末期」を定義なしに簡単に認めるのはなぜだろう。
4) 終末期議論が停滞しているのは終末期が定義できないから、ではなかったのか。
5) 人は、医療がなくても、鎮静がなくても、自然に任せて、穏やかに死んできた。
それが人類の歴史。なのに、1週間も麻酔をかける?
6) 家族のトラウマを減らすためにも鎮静はいいよ、との論調に聞こえたが、
「家族という病」の本を思わず思い出して、誰のための鎮静なのだろうか。
7) 「本人が望めば」というが、文書で書いたリビングウイルは否定しておきながら
いっぽうでは、正常とは言えない状況下での口頭の希望でも由とする理由は?
8) まして本人の意思が不明な時は、その人をよく知るみんなで終末期鎮静を
決めてもいいとのことだが、それは、意思決定プロセズの無視ではないのか。
9) それはベストインタレストを由とすることであろうが、イギリスでは2005年に
法的に担保されている。もちろんリビングウイルの法的担保の後の話のはずだ。
つまり、LWの法的担保の先に、ベストインタレストの法的担保があるはず。
10) 尊厳死の議論を避けていきなり、それを飛び越えた安楽死を由としていいのか?
終末期の議論を棚上げにしたまま、いきなり、終末期の鎮静に行っていいのか?
リビングウイルの議論を避けて、いきなりベストインタレストの話にいってもいいのか?
人生の最期の大切な1週間を麻酔薬で眠らせることが緩和医療なのか?
まだ「終末期」では無い人にも適応されるだろうが、どこで線を引くのか?
それが最新の医療であると、誤解する人が増えるのでは?
本人の意思が無くても許される一方、本人の意思(LW)があっても
叶わない場合があることにもっと目を向けなくてもいいのだろうか?
物事には順番があるし・・・
何でも西洋文明に合わせることはしなくてもいい。
実は欧米では、終末期鎮静(=日本語では安楽死相当)は、普通である。
しかし日本での議論は、それから何周も遅れていて、尊厳死の議論さえも封殺されている。
国会内では、「尊厳死法制化に反対する会」なるものがよく開かれている。
NHKは、そんな面倒な議論を避けているのか。
三段跳びでも全然構わないと判断しているのか。
それとも、以上のような問題を孕んでいることに気がついていないのか・・・
こうした生命倫理問題は,、国民的議論が必要である。
だから問題提起として大きな意味がある放送なのだろう。
ただ鎮静をしない方針の私のような医師の言い分はどうなるのか、
また、この放送を契機に、鎮静が増加したらどうするのだろうか。
私は一生、鎮静をしない。(たぶん)
ずっとそんな方針でやっている。
鎮静の細かな手技を最新の医療だとしている緩和医療学会には違和感がある。
緩和ケアの本道とは、そんなものではないと信じている。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「早く取ってください、痛み。
痛くて痛くてたまんないよ。」
家族に別れを告げたあと、鎮静剤で眠った男性。
3日後、息を引き取りました。
痛みを取り除くため、薬で眠ったまま最期を迎える終末期鎮静。
今、在宅で広がっています。
しかし、残された家族の中には葛藤を抱える人もいます。
本人が希望する鎮静に同意したことを悔やんでいるのです。
遺族
「自分が殺しちゃったんじゃないかなと。」
家族に向き合う医師たちもまた、判断の難しさを感じています。
医師
「安楽死じゃないですと言い切ることはできないかもしれない。」
在宅の末期がん患者と家族、そして医師。
終末期鎮静を巡る選択を見つめました。
“終末期鎮静” 家族の選択
義隆さん
「痛い、痛い。」
自宅で療養していた、末期がん患者の義隆さんです。
去年(2015年)2月、私たちは本人や家族の同意を得て取材を始めました。
最期は家で過ごしたいと退院しましたが、激しい痛みに苦しんでいました。
毎日の痛みの強さを10段階で示した記録です。
一日中、耐え難い痛みを訴えた日もありました。
妻の昭子さんです。
懸命に看病しましたが、できることは限られていたといいます。
妻 昭子さん
「声に出して痛い痛いって言うようになって、体なでてあげるしかできない。」
義隆さんの主治医、新城拓也さんです。
がんは腰の近くの骨に転移していました。
モルヒネを使うなどさまざまな治療を行いましたが、痛みは取り除けませんでした。
新城拓也医師
「今見せた仙骨の痛みは特に激しくて…。」
妻の昭子さんは、なんとか痛みを取ることができないか尋ねました。
妻 昭子さん
「どうしようもないですもんね。」
新城拓也医師
「止める方法はいくつかあるし、ある時点からは反対に(痛みが)とりきれないとわかってきたら、寝られるようにしてあげる。」
新城さんが説明したのは、「終末期鎮静」でした。
痛みを感じないよう鎮静剤で眠らせ、そのまま最期を迎える方法です。
新城拓也医師
「治療としては本当に最後の切り札なので、できればしないで手元に持ったまま、穏やかな状態で患者を見送りたいのが本音。
でも必要となる人はどうしても出てきてしまう。」
新城さんはガイドラインに沿って終末期鎮静の検討を始めました。
体力の低下などから、余命は1週間未満と診断しました。
その3日後、家族からすぐ来てほしいと連絡が入りました。
新城拓也医師
「痛い?」
義隆さん
「痛い痛い。」
新城拓也医師
「かなり痛い?」
義隆さん
「かなり痛い。」
すでに4時間以上、激しい痛みが続いていました。
新城さんはなんとか痛みを取り除こうと別の薬を使いましたが、効果はありませんでした。
義隆さん
「痛い痛い痛い。」
もはや手だてはないと考えた新城さん。
義隆さんに、終末期鎮静を望むかどうか尋ねました。
鎮静については以前、説明していました。
義隆さん
「今のは相当痛い。
この痛みをかわす方法で手続きをしたい。」
新城拓也医師
「もう待てない?」
義隆さん
「待てない、難しいな。
痛い、待てない、痛い。」
義隆さんは鎮静を希望し、家族も同意しました。
鎮静の準備が始まりました。
義隆さん
「お母さん。」
義隆さんが、家族とことばを交わせる最期の時間です。
義隆さん
「子どもに恵まれてよかったなぁ。」
妻 昭子さん
「お父さんのおかげです。
お父さん頑張って私たちを支えてくれたから。」
義隆さん
「お母さんの役に立つこと何もできなかったから。」
妻 昭子さん
「こんな子どもたち授けてくれて。」
鎮静剤の投与が始まりました。
妻 昭子さん
「じいじ寝ちゃったね。
もう痛い痛い言わないね。」
鎮静を始めて3日後。
新城拓也医師
「ご臨終です。
お疲れ様でした。」
妻 昭子さん
「お世話になりました。」
義隆さんは息を引き取りました。
妻 昭子さん
「後悔ないですし、みんなも心の準備もできたし、主人もそういう判断、自分がそれを決めたし、間違ってなかったと思う。」
新城拓也医師
「本人も苦しみぬかなければならないのと同時に、ご家族も最後の数日苦しんだことというのは、相当後になっても、場合によっては何年も残るような後悔とつらかった思い出になる。
患者さんを取りまく全ての人たちの苦痛を緩和する、最後の切り札になるのが鎮静。」
在宅で迎える“最期のとき” 終末期鎮静 めぐる葛藤
ゲスト 小笠原文雄さん(日本在宅ホスピス協会会長 医師・僧侶)
ゲスト 池田誠一記者(報道局特別報道チーム)
●医師も悩み抜いたうえでのこの選択、どう見た?
小笠原さん: VTR見てて、本当につらいですよね。
だからドクターも相当悩んだんだと思うんですけれども、確かに家に帰ってくると、皆さん笑顔で暮らされる方が非常に多いんですが、中にはどうしても痛みが取りにくいといいますか、取れない患者さんもないわけじゃないんです。
そういうときに奥様たちも、やっぱりもうしょうがないよね、眠っていただこうかと、ご本人も「もう眠りたい」ということであれば、まあしかたがないのかなという気もしないわけではないんですよね。
本当にお気の毒というか、つらかったなと思うんですけどね。
(小笠原さんご自身は、終末期鎮静をしたことはある?)
私も若かりしころといいますか、40代のころに1人だけ、実は終末期鎮静をさせていただいたことがあるんです。
そのときにやっぱりものすごく胸が痛くて、こういうことだけはしたくないと思って、ちょっといろいろ勉強したりしまして、それから合計で1,000人ほどの方のおみとりまで、最期まで支えさせていただいたんですけれども、結局は1人だけ終末期鎮静をさせていただいただけで、その後は一度もなかったんですよね。
●一方で今、在宅の現場では終末期鎮静の選択が行われている その背景に家族の存在があるように感じるが?
小笠原さん: われわれは患者さんにエネルギーの5割ぐらいを、そしてご家族の方にも5割ぐらい、要するに患者さんだけでなくて、家族がお疲れになると、患者さんも疲れた家族の顔を見たくないもんですから、どんどん痛みも悪くなってしまいますので、どうしてもよくない負の連鎖が始まってしまいますから、患者さんとご家族と、両方きちんとケアをしないといけないところは、なかなか両方ケアするのは大変なこともあるものですから、難しい点もあるのかなと思いますよね。
(そういうことから終末期鎮静が選択されてしまう?)
そうですね。
ケアをするためには看護師さんとか、多職種みんなで、大勢の方でケアをしないとうまくいかないことが多いもんですから、最終的には、終末期鎮静にまでなってしまうケースもあるんだなあという、そういう感じがしてます。
●取材をして、在宅を支える医療関係者からどんな声を聞いた?
池田記者: 医療従事者の中には、迷いを抱えている人が少なくないことが課題だと感じました。
去年、NHKと日本在宅ホスピス協会などがアンケートを行いまして、その結果、在宅の医師の4割が、「過去5年間に終末期鎮静を行ったことがある」と回答しました。
そのうちの2割は、「積極的安楽死とあまり変わらないと感じることがある」と回答しました。
中には、限られた関係者で鎮静の判断をしなくてはならないという、在宅ならではの課題を指摘する声もありました。
(安楽死とは違うということ?)
そうですね。
「積極的安楽死」は、日本では違法行為となります。
医師が患者に死に至る薬を投与して、患者の命を終わらせるというものです。
一方で終末期鎮静は鎮静薬を投与して、患者を眠らせて苦痛を取り除くといったもので、多くの医療従事者は区別して考えています。
ただ薬を投与したあと、患者が命を終えるという側面を見ると、両者はよく似ていまして、これまで議論が続いてきました。
日本緩和医療学会は、終末期鎮静を行う際の要件を、より厳しくしようと検討しています。
しかしそもそもガイドラインは、多くの医療従事者が判断に関わることができる、病院や施設での使用を前提としたもので、在宅での使用を念頭に作られたものではありません。
今後は在宅でも、例えば複数の医師が判断に関わることができる仕組みを作るなど、検討を進めなくてはならないと感じました。
どう決める“最期のとき” 終末期鎮静めぐる葛藤
去年7月、39歳で亡くなった尚子さんです。
終末期鎮静を強く希望していました。
その選択に同意した妹の絵己(えみ)さん。
今も自分を責め続けています。
妹 絵己さん
「姉の死に加担してしまったとか、どうしても罪悪感とか(あります)。」
子宮けいがんの末期で治る見込みはないと言われ、自宅で療養することになった尚子さん。
病床で思いをつづっていました。
尚子さんからのメッセージ
“痛くて痛くて逃げたくなります。”
全身を襲う激しい痛み。
尚子さんは、さらに別の苦痛も抱えていました。
一緒に暮らす1人息子に自分が苦しむ姿を見せたくなかったのです。
妹 絵己さん
「(姉は)息子にはとにかく自分の良かったころを記憶にとどめておいてほしい。
病気で痛みのあまりネガティブだったり、そういうような自分をなるべく見てほしくない。」
絵己さんたち家族は、尚子さんに一日でも長く生きてほしいと思い、終末期鎮静に反対していました。
しかしあるとき、尚子さんはメッセージを送ってきました。
尚子さんからのメッセージ
“えみは私にとって家族の中で一番頼りがいがあって、心から信頼してる。”
鎮静に同意してほしいと求めてきたのです。
その2週間後、尚子さんは食べることができなくなり、急速に衰弱しました。
激しい痛みに耐えながら、絵己さんに訴えました。
妹 絵己さん
「ジェスチャーで、かけてくれ、かけてくれ、眠らせてくれっていうことを先生に伝えて、じゃあもうお願いしますって言って。」
鎮静を始めて1週間後、尚子さんは亡くなりました。
姉の思いを受け入れた選択は正しかったのか。
絵己さんは問い続けています。
妹 絵己さん
「最後までたとえ本人が苦しかろうとも、望んだものはなかろうとも、生きるための医療行為をし続けることが、ある種、家族にとっての、姉をあきらめないことなんじゃないか。」
医師の間にも葛藤が生じています。
在宅医の齋木実さんです。
3年前、齋木さんはある患者に鎮静を行いました。
市川良平さん。
末期の肝臓がんで、認知症も患っていました。
良平さんには、強い痛みから来る「せん妄」という症状が現れていました。
意識が混濁し、苦しい表情で大声を出したり、暴れたりすることもあったといいます。
妻のシツエさんです。
みずからも持病を抱えていましたが、地域に十分な介護サービスもなかったため、夜間は1人で良平さんの世話をしていました。
市川シツエさん
「もう、うちの昔の良平さんじゃないわね。
どこかの子どもさんみたいになっちゃって。
キーキーいうんですよ、朝までね。
6時ころまでつき合わせて、あとバタンと倒れちゃって。」
当時、医師の齋木さんは良平さんの余命が2~3週間だと診断し、終末期鎮静の検討を始めていました。
シツエさんの体力も限界だと感じていたといいます。
齋木実医師
「(良平さんは)ほとんど食欲がない状況なので、場合によっては数週間、場合によっては数日で状態が悪くなる可能性があったと思います。
(シツエさんも)変わりゆくご主人に体力的にも精神的にもついていけないような状態。」
シツエさんは鎮静に同意しましたが、良平さんの明確な意思は確認できませんでした。
こうした場合、ガイドラインでは本人の以前の考え方から推測できることが必要だとしています。
良平さんはかつて、家で穏やかに死にたいと話していたといいます。
そのことばから、齋木さんは本人も望んでいると判断。
鎮静を行ったのです。
今、齋木さんの心は揺れています。
ガイドラインの要件は慎重に判断したものの、家族の境遇にも配慮してしまったのではないか。
答えはまだ出ていません。
齋木実医師
「がん末期でせん妄状態で苦しんでいる方が目の前にいらっしゃる。
そしてそれを一生懸命在宅で支えているご家族がいらっしゃる。
鎮静を選択したことは間違ってはいないと私は思うんですけれども、ただそれが安楽死じゃないですと言い切ることはできないかもしれないんですよ。」
安らかな最期を迎えるために
●命と向き合うほど、はっきりした答えが出ない中で決断を迫られる 本当に難しいのでは?
小笠原さん: 難しいんですよ。
特にね、命の大切さ、目には見えない生かされている命、それをどう最期まで人間として、価値あるものとして支えていくかってことについて、これやっぱりご家族も、それからわれわれ医療者も、みんな悩んでるのはいつも、現状はそうだと思いますよね。
特に今回のように、鎮静をかけて、そしてお別れしてしまった場合、後悔される方も、やっぱりあってもしかたがないのかなと思うんですが、でもやってしまった以上は、いつまでも後悔してると旅立たれた人も悲しまれると思うから、自分できちんと踏ん切りをつけて、次の一歩をまた進んでいただきたいなと思うんです。
●小笠原さんは患者・家族とどう向き合っているのか?
小笠原さん: (自分がみている)この患者さん、すいがんで、がんの末期で、いろんな所に転移もしたりして、夜寝られなくなって、昼夜逆転してしまったり、いろんなことが、ちょっとせん妄らしきことをお話されたり、ご家族もちょっと疲れてしまって、夜も寝られなくなってしまって、もうだめって感じになっちゃったんですよね。
そのときにうちの先生方が「そろそろ(終末期)鎮静かけたほうがいいんじゃないの」という話をご家族とされたものですから、「ちょっと待ってくださいね、僕ちょっとご家族と話してきます」って言って、往診させていただいて、そしてとりあえずは夜寝られないからご主人がお疲れなさるんだから、ご本人に夜だけまずぐっすり寝てもらいましょうよと。
そうすればあす目が覚めれば、ひょっとしたら痛みも苦しみも和らいでるかもしれないよって言ったんです。
(音楽がかかっているが?)
そしたら、ちょっとこれ触っても全然意識がなかったのに、サブちゃんの音楽を聴いたら目がぱっちり開いて、動きだしちゃって。
(好きな演歌を聴いたら?)
そうです。
われわれの価値よりも、サブちゃんの価値のほうがよっぽど高かった、歌がよかったんですね。
家では不思議なことが起こるんですよ。
(体の痛みとともに、心の痛みを取る?)
そうです。
痛みはやっぱり、心の痛み、これが大事なんです。
心っていうか、精神的な痛み。
いわゆる在宅ホスピス緩和ケアというのを提供してるんですが、ホスピスというのは命、生き方、死に方、みとりの哲学、考え方です。
そして緩和ケアの「緩和」は苦しみを和らげること、「ケア」とは生きる力、希望が出ること、だから心のケアをするだけでかなり痛みの感じ方が変わってくる、苦しみの感じ方が変わってくる。
(そうすると終末期鎮静という選択をしなくてもよくなる場合がある?)
よくなる場合があるんですよね。
特に夜ぐっすり寝ることによって、悪循環を断つ。
ここが非常に大きいのかなと思ってます。
●終末期鎮静というのは、選択しなくてもいいものになっていったほうがよい?
小笠原さん: もちろん。
やっぱり最期の最期には遺言をおっしゃるかどうか分かんないにしても、うなずいたり、いろんな意思表示ができたり、にこっと笑われたり、そして亡くなられると遺族の方も「よかった」と思われるじゃないですか。
そういうことを感じながら、最期まで生かされている命を生き切っていただきたい。
完全に寝てしまうと、やはり「社会死」といいますか、「心の死」にもなってしまうので、そのあたりもあとから悔いが残るという、そういう方もおみえになることがあるものですから、できることならそうしてあげたいなと思います。
●このあと在宅が進む中で、この終末期鎮静はどうなっていけばいいと思う?
小笠原さん: これはやっぱりまず、ドクターとか看護師のスキルをアップすること。
もう1つはご家族が、最後はどうしたらいいか、終末期鎮静をやってもらっていいのかどうかを決める、そういうことだと思います。
(事前に決めておくということ?)
そういうことだと思います。
ここで終わるんだったら、なぜ、リビングウイルや事前指示書についてやらないのか。
順番が違うのでは。
ずいぶん乱暴な番組つくりに感じたのは私だけか。
そして麻酔をかけたまま死なせること。
大病院から来る研修医に聞くと
病院では半数近くの患者さんに、終末期鎮静をやっているという。
しかし今夜の放送では、
なんと在宅看取りの7人に1人が、終末期鎮静を受けていて、
また在宅医の4割が、終末期鎮静の経験があるとのことだった。
驚いた・・・・
まるで浦島太郎状態。
ちなみに、私は1000人近く(3分の2は末期がん)の在宅看取りを行ってきたが、
終末期鎮静を行った患者さんは、皆無である。
同様な在宅医は私以外にも沢山いる。
しかし、この番組は終末期鎮静を勧めているように感じた。
病院勤務医の時は、先輩に聞きながら何人かに行ったことがある。
それは私が命じた過剰医療が原因の耐えがたい苦痛があったから。
30年経ち、今は、枯れることを待てるようになった。
そして「死の壁」を乗り越えるためのノウハウを蓄えることができたから。
「平穏死」には鎮静は要らない。
1時間前か数分前まで話せることができるのが、平穏死。
だから私のよく知らない世界だった。
もう興味が無い世界というか、違和感のほうが先だった。
なぜか。
その理由を自分なりに考えてみた。
1)訪問看護師の麻薬の知識レベルが高く(医師以上)、
上手に私をリードしてくれるから、穏やかな最期が可能。
2)様々なオピオイドデイバイスをそれなりに使えているから。
3)平穏死=枯れることを待つこと、をスタッフ達も知っているから。
4)「死の壁」を理解して、その対応策を家族に事前に説明しているから。
NHKは、終末期鎮静を肯定して広げたい、という意向のように感じた。
それをカモフラージュするために、わざわざ後悔している家族を出したあと
再び、後悔の無い家族にうつして終わった。
両論併記の形態を取りながらも、結論ありきのいつものNHKらしい手法を使っていた。
いくつかの疑問が残った。
1) それって、日本語では、「安楽死」ではないのか。
2) 「尊厳死」の議論は否定しておきながら、いきなり「安楽死」に飛び越えるのが
NHK.のすごーいところ。まあ、紅白同様、視聴率のためなら何でもやる?
3) そもそもNHKは「終末期が定義できないから尊厳死はダメ」のような論調なのに、
「終末期鎮静」の時だけは、「終末期」を定義なしに簡単に認めるのはなぜだろう。
4) 終末期議論が停滞しているのは終末期が定義できないから、ではなかったのか。
5) 人は、医療がなくても、鎮静がなくても、自然に任せて、穏やかに死んできた。
それが人類の歴史。なのに、1週間も麻酔をかける?
6) 家族のトラウマを減らすためにも鎮静はいいよ、との論調に聞こえたが、
「家族という病」の本を思わず思い出して、誰のための鎮静なのだろうか。
7) 「本人が望めば」というが、文書で書いたリビングウイルは否定しておきながら
いっぽうでは、正常とは言えない状況下での口頭の希望でも由とする理由は?
8) まして本人の意思が不明な時は、その人をよく知るみんなで終末期鎮静を
決めてもいいとのことだが、それは、意思決定プロセズの無視ではないのか。
9) それはベストインタレストを由とすることであろうが、イギリスでは2005年に
法的に担保されている。もちろんリビングウイルの法的担保の後の話のはずだ。
つまり、LWの法的担保の先に、ベストインタレストの法的担保があるはず。
10) 尊厳死の議論を避けていきなり、それを飛び越えた安楽死を由としていいのか?
終末期の議論を棚上げにしたまま、いきなり、終末期の鎮静に行っていいのか?
リビングウイルの議論を避けて、いきなりベストインタレストの話にいってもいいのか?
人生の最期の大切な1週間を麻酔薬で眠らせることが緩和医療なのか?
まだ「終末期」では無い人にも適応されるだろうが、どこで線を引くのか?
それが最新の医療であると、誤解する人が増えるのでは?
本人の意思が無くても許される一方、本人の意思(LW)があっても
叶わない場合があることにもっと目を向けなくてもいいのだろうか?
物事には順番があるし・・・
何でも西洋文明に合わせることはしなくてもいい。
実は欧米では、終末期鎮静(=日本語では安楽死相当)は、普通である。
しかし日本での議論は、それから何周も遅れていて、尊厳死の議論さえも封殺されている。
国会内では、「尊厳死法制化に反対する会」なるものがよく開かれている。
NHKは、そんな面倒な議論を避けているのか。
三段跳びでも全然構わないと判断しているのか。
それとも、以上のような問題を孕んでいることに気がついていないのか・・・
こうした生命倫理問題は,、国民的議論が必要である。
だから問題提起として大きな意味がある放送なのだろう。
ただ鎮静をしない方針の私のような医師の言い分はどうなるのか、
また、この放送を契機に、鎮静が増加したらどうするのだろうか。
私は一生、鎮静をしない。(たぶん)
ずっとそんな方針でやっている。
鎮静の細かな手技を最新の医療だとしている緩和医療学会には違和感がある。
緩和ケアの本道とは、そんなものではないと信じている。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
No.3755 2016年1月19日(火)放送
“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~- 激しい痛みを訴える、末期がんの男性です。
「早く取ってください、痛み。
痛くて痛くてたまんないよ。」
家族に別れを告げたあと、鎮静剤で眠った男性。
3日後、息を引き取りました。
痛みを取り除くため、薬で眠ったまま最期を迎える終末期鎮静。
今、在宅で広がっています。
しかし、残された家族の中には葛藤を抱える人もいます。
本人が希望する鎮静に同意したことを悔やんでいるのです。
遺族
「自分が殺しちゃったんじゃないかなと。」
家族に向き合う医師たちもまた、判断の難しさを感じています。
医師
「安楽死じゃないですと言い切ることはできないかもしれない。」
在宅の末期がん患者と家族、そして医師。
終末期鎮静を巡る選択を見つめました。
“終末期鎮静” 家族の選択
義隆さん
「痛い、痛い。」
自宅で療養していた、末期がん患者の義隆さんです。
去年(2015年)2月、私たちは本人や家族の同意を得て取材を始めました。
最期は家で過ごしたいと退院しましたが、激しい痛みに苦しんでいました。
毎日の痛みの強さを10段階で示した記録です。
一日中、耐え難い痛みを訴えた日もありました。
妻の昭子さんです。
懸命に看病しましたが、できることは限られていたといいます。
妻 昭子さん
「声に出して痛い痛いって言うようになって、体なでてあげるしかできない。」
義隆さんの主治医、新城拓也さんです。
がんは腰の近くの骨に転移していました。
モルヒネを使うなどさまざまな治療を行いましたが、痛みは取り除けませんでした。
新城拓也医師
「今見せた仙骨の痛みは特に激しくて…。」
妻の昭子さんは、なんとか痛みを取ることができないか尋ねました。
妻 昭子さん
「どうしようもないですもんね。」
新城拓也医師
「止める方法はいくつかあるし、ある時点からは反対に(痛みが)とりきれないとわかってきたら、寝られるようにしてあげる。」
新城さんが説明したのは、「終末期鎮静」でした。
痛みを感じないよう鎮静剤で眠らせ、そのまま最期を迎える方法です。
新城拓也医師
「治療としては本当に最後の切り札なので、できればしないで手元に持ったまま、穏やかな状態で患者を見送りたいのが本音。
でも必要となる人はどうしても出てきてしまう。」
新城さんはガイドラインに沿って終末期鎮静の検討を始めました。
体力の低下などから、余命は1週間未満と診断しました。
その3日後、家族からすぐ来てほしいと連絡が入りました。
新城拓也医師
「痛い?」
義隆さん
「痛い痛い。」
新城拓也医師
「かなり痛い?」
義隆さん
「かなり痛い。」
すでに4時間以上、激しい痛みが続いていました。
新城さんはなんとか痛みを取り除こうと別の薬を使いましたが、効果はありませんでした。
義隆さん
「痛い痛い痛い。」
もはや手だてはないと考えた新城さん。
義隆さんに、終末期鎮静を望むかどうか尋ねました。
鎮静については以前、説明していました。
義隆さん
「今のは相当痛い。
この痛みをかわす方法で手続きをしたい。」
新城拓也医師
「もう待てない?」
義隆さん
「待てない、難しいな。
痛い、待てない、痛い。」
義隆さんは鎮静を希望し、家族も同意しました。
鎮静の準備が始まりました。
義隆さん
「お母さん。」
義隆さんが、家族とことばを交わせる最期の時間です。
義隆さん
「子どもに恵まれてよかったなぁ。」
妻 昭子さん
「お父さんのおかげです。
お父さん頑張って私たちを支えてくれたから。」
義隆さん
「お母さんの役に立つこと何もできなかったから。」
妻 昭子さん
「こんな子どもたち授けてくれて。」
鎮静剤の投与が始まりました。
妻 昭子さん
「じいじ寝ちゃったね。
もう痛い痛い言わないね。」
鎮静を始めて3日後。
新城拓也医師
「ご臨終です。
お疲れ様でした。」
妻 昭子さん
「お世話になりました。」
義隆さんは息を引き取りました。
妻 昭子さん
「後悔ないですし、みんなも心の準備もできたし、主人もそういう判断、自分がそれを決めたし、間違ってなかったと思う。」
新城拓也医師
「本人も苦しみぬかなければならないのと同時に、ご家族も最後の数日苦しんだことというのは、相当後になっても、場合によっては何年も残るような後悔とつらかった思い出になる。
患者さんを取りまく全ての人たちの苦痛を緩和する、最後の切り札になるのが鎮静。」
在宅で迎える“最期のとき” 終末期鎮静 めぐる葛藤
ゲスト 小笠原文雄さん(日本在宅ホスピス協会会長 医師・僧侶)
ゲスト 池田誠一記者(報道局特別報道チーム)
●医師も悩み抜いたうえでのこの選択、どう見た?
小笠原さん: VTR見てて、本当につらいですよね。
だからドクターも相当悩んだんだと思うんですけれども、確かに家に帰ってくると、皆さん笑顔で暮らされる方が非常に多いんですが、中にはどうしても痛みが取りにくいといいますか、取れない患者さんもないわけじゃないんです。
そういうときに奥様たちも、やっぱりもうしょうがないよね、眠っていただこうかと、ご本人も「もう眠りたい」ということであれば、まあしかたがないのかなという気もしないわけではないんですよね。
本当にお気の毒というか、つらかったなと思うんですけどね。
(小笠原さんご自身は、終末期鎮静をしたことはある?)
私も若かりしころといいますか、40代のころに1人だけ、実は終末期鎮静をさせていただいたことがあるんです。
そのときにやっぱりものすごく胸が痛くて、こういうことだけはしたくないと思って、ちょっといろいろ勉強したりしまして、それから合計で1,000人ほどの方のおみとりまで、最期まで支えさせていただいたんですけれども、結局は1人だけ終末期鎮静をさせていただいただけで、その後は一度もなかったんですよね。
●一方で今、在宅の現場では終末期鎮静の選択が行われている その背景に家族の存在があるように感じるが?
小笠原さん: われわれは患者さんにエネルギーの5割ぐらいを、そしてご家族の方にも5割ぐらい、要するに患者さんだけでなくて、家族がお疲れになると、患者さんも疲れた家族の顔を見たくないもんですから、どんどん痛みも悪くなってしまいますので、どうしてもよくない負の連鎖が始まってしまいますから、患者さんとご家族と、両方きちんとケアをしないといけないところは、なかなか両方ケアするのは大変なこともあるものですから、難しい点もあるのかなと思いますよね。
(そういうことから終末期鎮静が選択されてしまう?)
そうですね。
ケアをするためには看護師さんとか、多職種みんなで、大勢の方でケアをしないとうまくいかないことが多いもんですから、最終的には、終末期鎮静にまでなってしまうケースもあるんだなあという、そういう感じがしてます。
●取材をして、在宅を支える医療関係者からどんな声を聞いた?
池田記者: 医療従事者の中には、迷いを抱えている人が少なくないことが課題だと感じました。
去年、NHKと日本在宅ホスピス協会などがアンケートを行いまして、その結果、在宅の医師の4割が、「過去5年間に終末期鎮静を行ったことがある」と回答しました。
そのうちの2割は、「積極的安楽死とあまり変わらないと感じることがある」と回答しました。
中には、限られた関係者で鎮静の判断をしなくてはならないという、在宅ならではの課題を指摘する声もありました。
(安楽死とは違うということ?)
そうですね。
「積極的安楽死」は、日本では違法行為となります。
医師が患者に死に至る薬を投与して、患者の命を終わらせるというものです。
一方で終末期鎮静は鎮静薬を投与して、患者を眠らせて苦痛を取り除くといったもので、多くの医療従事者は区別して考えています。
ただ薬を投与したあと、患者が命を終えるという側面を見ると、両者はよく似ていまして、これまで議論が続いてきました。
日本緩和医療学会は、終末期鎮静を行う際の要件を、より厳しくしようと検討しています。
しかしそもそもガイドラインは、多くの医療従事者が判断に関わることができる、病院や施設での使用を前提としたもので、在宅での使用を念頭に作られたものではありません。
今後は在宅でも、例えば複数の医師が判断に関わることができる仕組みを作るなど、検討を進めなくてはならないと感じました。
どう決める“最期のとき” 終末期鎮静めぐる葛藤
去年7月、39歳で亡くなった尚子さんです。
終末期鎮静を強く希望していました。
その選択に同意した妹の絵己(えみ)さん。
今も自分を責め続けています。
妹 絵己さん
「姉の死に加担してしまったとか、どうしても罪悪感とか(あります)。」
子宮けいがんの末期で治る見込みはないと言われ、自宅で療養することになった尚子さん。
病床で思いをつづっていました。
尚子さんからのメッセージ
“痛くて痛くて逃げたくなります。”
全身を襲う激しい痛み。
尚子さんは、さらに別の苦痛も抱えていました。
一緒に暮らす1人息子に自分が苦しむ姿を見せたくなかったのです。
妹 絵己さん
「(姉は)息子にはとにかく自分の良かったころを記憶にとどめておいてほしい。
病気で痛みのあまりネガティブだったり、そういうような自分をなるべく見てほしくない。」
絵己さんたち家族は、尚子さんに一日でも長く生きてほしいと思い、終末期鎮静に反対していました。
しかしあるとき、尚子さんはメッセージを送ってきました。
尚子さんからのメッセージ
“えみは私にとって家族の中で一番頼りがいがあって、心から信頼してる。”
鎮静に同意してほしいと求めてきたのです。
その2週間後、尚子さんは食べることができなくなり、急速に衰弱しました。
激しい痛みに耐えながら、絵己さんに訴えました。
妹 絵己さん
「ジェスチャーで、かけてくれ、かけてくれ、眠らせてくれっていうことを先生に伝えて、じゃあもうお願いしますって言って。」
鎮静を始めて1週間後、尚子さんは亡くなりました。
姉の思いを受け入れた選択は正しかったのか。
絵己さんは問い続けています。
妹 絵己さん
「最後までたとえ本人が苦しかろうとも、望んだものはなかろうとも、生きるための医療行為をし続けることが、ある種、家族にとっての、姉をあきらめないことなんじゃないか。」
医師の間にも葛藤が生じています。
在宅医の齋木実さんです。
3年前、齋木さんはある患者に鎮静を行いました。
市川良平さん。
末期の肝臓がんで、認知症も患っていました。
良平さんには、強い痛みから来る「せん妄」という症状が現れていました。
意識が混濁し、苦しい表情で大声を出したり、暴れたりすることもあったといいます。
妻のシツエさんです。
みずからも持病を抱えていましたが、地域に十分な介護サービスもなかったため、夜間は1人で良平さんの世話をしていました。
市川シツエさん
「もう、うちの昔の良平さんじゃないわね。
どこかの子どもさんみたいになっちゃって。
キーキーいうんですよ、朝までね。
6時ころまでつき合わせて、あとバタンと倒れちゃって。」
当時、医師の齋木さんは良平さんの余命が2~3週間だと診断し、終末期鎮静の検討を始めていました。
シツエさんの体力も限界だと感じていたといいます。
齋木実医師
「(良平さんは)ほとんど食欲がない状況なので、場合によっては数週間、場合によっては数日で状態が悪くなる可能性があったと思います。
(シツエさんも)変わりゆくご主人に体力的にも精神的にもついていけないような状態。」
シツエさんは鎮静に同意しましたが、良平さんの明確な意思は確認できませんでした。
こうした場合、ガイドラインでは本人の以前の考え方から推測できることが必要だとしています。
良平さんはかつて、家で穏やかに死にたいと話していたといいます。
そのことばから、齋木さんは本人も望んでいると判断。
鎮静を行ったのです。
今、齋木さんの心は揺れています。
ガイドラインの要件は慎重に判断したものの、家族の境遇にも配慮してしまったのではないか。
答えはまだ出ていません。
齋木実医師
「がん末期でせん妄状態で苦しんでいる方が目の前にいらっしゃる。
そしてそれを一生懸命在宅で支えているご家族がいらっしゃる。
鎮静を選択したことは間違ってはいないと私は思うんですけれども、ただそれが安楽死じゃないですと言い切ることはできないかもしれないんですよ。」
安らかな最期を迎えるために
●命と向き合うほど、はっきりした答えが出ない中で決断を迫られる 本当に難しいのでは?
小笠原さん: 難しいんですよ。
特にね、命の大切さ、目には見えない生かされている命、それをどう最期まで人間として、価値あるものとして支えていくかってことについて、これやっぱりご家族も、それからわれわれ医療者も、みんな悩んでるのはいつも、現状はそうだと思いますよね。
特に今回のように、鎮静をかけて、そしてお別れしてしまった場合、後悔される方も、やっぱりあってもしかたがないのかなと思うんですが、でもやってしまった以上は、いつまでも後悔してると旅立たれた人も悲しまれると思うから、自分できちんと踏ん切りをつけて、次の一歩をまた進んでいただきたいなと思うんです。
●小笠原さんは患者・家族とどう向き合っているのか?
小笠原さん: (自分がみている)この患者さん、すいがんで、がんの末期で、いろんな所に転移もしたりして、夜寝られなくなって、昼夜逆転してしまったり、いろんなことが、ちょっとせん妄らしきことをお話されたり、ご家族もちょっと疲れてしまって、夜も寝られなくなってしまって、もうだめって感じになっちゃったんですよね。
そのときにうちの先生方が「そろそろ(終末期)鎮静かけたほうがいいんじゃないの」という話をご家族とされたものですから、「ちょっと待ってくださいね、僕ちょっとご家族と話してきます」って言って、往診させていただいて、そしてとりあえずは夜寝られないからご主人がお疲れなさるんだから、ご本人に夜だけまずぐっすり寝てもらいましょうよと。
そうすればあす目が覚めれば、ひょっとしたら痛みも苦しみも和らいでるかもしれないよって言ったんです。
(音楽がかかっているが?)
そしたら、ちょっとこれ触っても全然意識がなかったのに、サブちゃんの音楽を聴いたら目がぱっちり開いて、動きだしちゃって。
(好きな演歌を聴いたら?)
そうです。
われわれの価値よりも、サブちゃんの価値のほうがよっぽど高かった、歌がよかったんですね。
家では不思議なことが起こるんですよ。
(体の痛みとともに、心の痛みを取る?)
そうです。
痛みはやっぱり、心の痛み、これが大事なんです。
心っていうか、精神的な痛み。
いわゆる在宅ホスピス緩和ケアというのを提供してるんですが、ホスピスというのは命、生き方、死に方、みとりの哲学、考え方です。
そして緩和ケアの「緩和」は苦しみを和らげること、「ケア」とは生きる力、希望が出ること、だから心のケアをするだけでかなり痛みの感じ方が変わってくる、苦しみの感じ方が変わってくる。
(そうすると終末期鎮静という選択をしなくてもよくなる場合がある?)
よくなる場合があるんですよね。
特に夜ぐっすり寝ることによって、悪循環を断つ。
ここが非常に大きいのかなと思ってます。
●終末期鎮静というのは、選択しなくてもいいものになっていったほうがよい?
小笠原さん: もちろん。
やっぱり最期の最期には遺言をおっしゃるかどうか分かんないにしても、うなずいたり、いろんな意思表示ができたり、にこっと笑われたり、そして亡くなられると遺族の方も「よかった」と思われるじゃないですか。
そういうことを感じながら、最期まで生かされている命を生き切っていただきたい。
完全に寝てしまうと、やはり「社会死」といいますか、「心の死」にもなってしまうので、そのあたりもあとから悔いが残るという、そういう方もおみえになることがあるものですから、できることならそうしてあげたいなと思います。
●このあと在宅が進む中で、この終末期鎮静はどうなっていけばいいと思う?
小笠原さん: これはやっぱりまず、ドクターとか看護師のスキルをアップすること。
もう1つはご家族が、最後はどうしたらいいか、終末期鎮静をやってもらっていいのかどうかを決める、そういうことだと思います。
(事前に決めておくということ?)
そういうことだと思います。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ここで終わるんだったら、なぜ、リビングウイルや事前指示書についてやらないのか。
順番が違うのでは。
ずいぶん乱暴な番組つくりに感じたのは私だけか。
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この記事へのコメント
不思議としか言いようがありません
病院勤務をしていた私は????
あんなに苦しそうにしているので鎮静が必要と、がんの末期の患者さんにはあたりまえみたいなところがあるのに・・・長尾先生は以前にも鎮静をしたことがないと書かれていましたが考えられませんでした。ただ昨日NHKで小笠原Drも今まで1例だけ使用したがその後は使っていないといわれていました。どう考えても病院の終末期医療に関わる(少なくとも私が勤めていた病院)医師、看護師はぼんくらではりませんか(もちろんわたしも)もうびっくりポンやわ!!
Posted by うめ at 2016年01月20日 10:14 | 返信
NHKの番組を見て、素人の素朴な疑問ですが。
番組では、とても苦しそうになさっていましたが、緩和ケアのやり方がまずいのか、上手にやっても、どうしてもそういうこともあるのか。番組では、医師が色々と試みたけれどみたいな発言をなさっていましたが。
どうしても痛いのは、緩和ケアがまずいのか、仕方ない症例があるのか、無理に延命したためなのか、うまいやり方でやればそれほど苦しまなくてもいいのか、ということを知りたいです。
先生は鎮静は皆無だったと書かれていますが、それが本当なら、本当でしょうけれど、そのやり方でやって欲しいというのが多くの方の気持ちだと思います。
Posted by 井上 at 2016年01月20日 12:48 | 返信
「終末期鎮静」というタイトルの放映にお目にかかるのは、初めてです。
感想1。「安楽死」の典型例そのもの。
感想2。家族側の負担軽減に沿っている。
感想3.現に行われている「緩和医療」「緩和看護」に触れられていない。
が、議論が広がり深まるうえで、一石を投じたことにはなるでしょう。
それにしても、「尊厳生・平穏死」を願う素人者にとって、官製用語・医療用語「シュウマツキ」とか「ケア」とかいう、振動音は、なんとかならないでしょうか。
「サブちゃん」の唄に、愉しそうに共感・共鳴されていた方に、ほっとさせていただきました。
Posted by 鍵山いさお at 2016年01月20日 02:32 | 返信
長尾先生はじめまして(^^)
昨夜、NHKで「終末期鎮静」見て、初めて鎮静と言う言葉を知りました。
長尾先生の著書を拝見し、認知症への理解と平穏死について深く考えさせられるこの頃でしたのに、昨夜の内容は衝撃でした。ガンとはそのような道をたどるのかと思わされるような余りにもつらい見かたをしてしまいました。
先生のブログにその答えを探したくて拝見しましたら、「平穏死」には鎮静は要らない。とおっしゃる言葉を見つけ気持ちが少し落ち着きました。91歳になる母の認知症をきっかけに、最後の瞬間まで自分らしくどう生きるかを模索しています。
ありがとうございます。
Posted by 白ちゃん at 2016年01月20日 02:38 | 返信
長尾先生、こんばんは。
医療現場や介護現場で仕事しているのではないですが、長年ちょっと離れた位置で
現場を見る仕事をしてきました。先生がおっしゃるように、民間の有料老人ホームで
きちんと昔から看取りを行っているところの方々(スタッフ)は、みんな
「枯れて死ぬときは本当穏やかで、しかも肌がキレイになっていく」と言われます。
家族も満足されるそうです。ただ、先生もいつも仰るように若いスタッフが「死」を
知らない人(怖がる)が多く、なかなか看取りのスキルを継承していけないのが
悩みの種のようです。
もうひとつ、メディアのことです。
私も紙媒体やかつて電波系でもインタビューを受けたことがありますが、
最初に結論ありきで、そこで使うためだけの言葉を繋がれてしまいます。
もうウンザリするぐらいですね。それやこれやで私の家にはテレビがもう
10年以上ありません(^_^;)。特にテレビがひどい。
雑誌も同じです。先日もついつい情に駆られて某週刊誌にコメントしたら
やはりネガティブなところばかりコトバが強調されてしまい、ガックリでした。
メディアは、all or nothing 、善か悪か、正か負か、極論にしたい。
それに煽られて美談にしたりパニックになったりする我々一般消費者も問題です。
自分の目で耳で現場で確かめて行かなくては、といつも思います。
先生のご活動には本当にいつも勇気づけられます。
Posted by 匿名 at 2016年01月20日 07:36 | 返信
長尾先生、はじめてコメントさせていただきます。
現在、介護福祉士として働いています。昨日のテレビは考えさせられます。
恥ずかしながら、終末期鎮静の言葉と内容は初めて聞いた物でした。
看取りの研修会があちこちで行われていますが、上記の内容は出てこないです。
連携をしながら、終末期緩和ケアをすべきと思います。
父もスキルス性癌で、かなりの痛みを訴えていました。モルヒネも
打ちながら。社会的資源を活用しながら、緩和ケアをしていきました。
終末期がかなり短く、横になって僅か1週間。前日に、私の息子の高校の合格
証書を見て喜んでくれた。翌日の昼前に旅立ちました。
安楽死とは違う、これからの課題になるとおもいます。
Posted by となりのももちゃん at 2016年01月21日 12:01 | 返信
放映の翌日に、率直な感想を述べさせていただきましたが、
収録に登場されていた新城拓也医師の、『鎮静と安楽死は区別できるか』という文に、接しました。
2013.12.27.「やはり僕はあの時あの患者にとどめを刺したかもしれません。しかし、それは誰も検証できずまた誰も責めません。それでもこうして今でも僕の心に動揺を残し続けています。僕はこの動揺を静めることなくこれからも終末期医療の現場に立ち続けようと思います。」
でも、やはり「安楽死」に限りなく近い、いやそのもの、と思いますが。
先人のように、平穏に、枯れるようには、いかないとき、
新城医師のこの言葉がよぎるかもしれませんが。
Posted by 鍵山いさお at 2016年01月21日 05:55 | 返信
すみません。NHKの番組は知らなくて、最後の場面だけ観て「あら、こんな番組があったんだ!と驚きました。
ですから、コメントできる立場ではないのですけど、私の伯父が「膀胱がん」と診断されました。それで「膀胱がんは、早く治療すれば、生存率は高いとNHKの今日の健康に書いてありますよ」とコピーを送ったら、喜んでいました。
それが、何がどうなったのか、詳しいことは知らなかったのですけど、一時帰宅しているうちに、物凄い痛みと苦しみが出て来て、毎晩うなされる。ところが、以前からお世話になっている希望の病院に、ベッドの空きがない。長男夫婦も疲れ果てて、二階に上がって寝てしまったと、困りはてた伯母が電話をかけてきました。
それで遠くに嫁に行った娘(従姉)が、朝一番の電車に乗って、父親の介護に来てくれました。
結局、何とか希望の病院に再入院できたけれど、伯父は帰らぬ人になりました。
葬式で、故人の紹介をした神主さんが「故人は、前立腺がんで苦しめられ、長い闘病生活の末に亡くなりました」と仰ったので「あれ!膀胱がんじゃあなかったの?」と思いました。葬式が終わって、皆ほっとしたところで、従兄に「伯父さんは、膀胱がんと聞いていたけど、前立腺がんだったの?」と聞くと従兄は、小さく「ウン」と言ったきり、それ以上詳しいことは言いたくないようでした。
結局、診断が間違っていたらしい。伯父が、入院した病院は、県立尼崎病院でした。
Posted by 匿名 at 2016年01月21日 09:50 | 返信
ほんとに 腹が立っちゃいます
NHKが放映するから それが当然のようだと誰もが思うじゃないですか…
メディアに責任は重いですよ
在宅でも 医療用麻薬の点滴投与を 医師が選択されることがあります
それを阻止するのに 私は 闘っています
病院勤務の時は 医師に指示だから 当たり前のように 何の疑いもなく投与していました
不穏 せん妄があり 夜間 大騒ぎすれば 眠剤の点滴投与→3日間 続き 麻薬を使う
落ち着くという表現よりも眠らされるという表現です
在宅では この時期を頑張れば 本当に 穏やかな時間が流れます
表情が とても よくなります
実は;病院で 行っていた眠剤の点滴は 無意味だったんではないかと思うし 麻薬もいらないと 今は 実感しています
ただし ご本人 ご家族を支える私たちも覚悟がいります
見てるだけでは 救急車を呼び いらない治療をされて 残された家族が後悔してしまうケースも少なくありません だけど 家族が倒れてしまっては困っちゃいます
最期は 病院と考えるのか 最期は 家でと考えるのか…
私は 何とか家で看取れる方法はないのかを模索したいです
もちろん ご本人やご家族が病院がいいと言われるなら 病院ですよ
自然が一番です
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年01月21日 11:49 | 返信
この医学が進歩している中、自然が一番だなんてありえない。
生前の臓器提供と同様に、自分の最期(痛み、苦しみなどが大きかった場合、鎮静して欲しい)
の処置方法を生前に決めたい人は決めれる法律ができたらいいのに。
もう数時間で死ぬのに、痛さでのたうち回って、最期の言葉も交わせなく死ぬのなら、話せるうちに、色々話しておいて、いざという時は鎮静剤で穏和してほしいのが正直なところ。それで、数日後に亡くなってもそれはその人の寿命だと思う。
みんな、誰しも身内の苦しんでいる姿など見たくもないし、安楽死がダメなら、
せめて・・・せめて穏和という鎮静方法をとらせてほしい。鎮静方法は安楽死とは違う!!
鎮静方法に反対の人は、自然にまかせて最期をむかえればいい。その選択は自分で決めていいと思う。
人間として
Posted by のんのん at 2016年10月05日 12:28 | 返信
義父が肝臓がんでいわゆる治療不可となって在宅療養から、緊急入院になりました。
ゆっくりと進行していたのが、急に進行が早くなったようです。
入院してしばらくし、少し安定してきたものの痛みは激しくなっているようで緩和ケア専門の病院への移転話が出てきていました。
しかし、もともとわがままで痛みからもありじっとしていられない人だったこともあり、痛みやなんかから暴れたりがあったそうです。
痛みがひどくなってきて、痛み止めもだんだん強いものになっていたようですが、特に説明もありませんでした。仕事帰りに毎日寄ってご飯の介助や着替え等をするのですが、ある日から話がうまくつながらなくなり、変な会話が続くようになって、半分眠ったような状態が続いていました。薬のせいかなぁと思いながらいたのですが、移転の件もあり先生の話を聞きたいとお願いしていました。
その翌日に携帯がなり、夜中にベットから降り立ち尽くしていた、その際に擦り傷をつくった。朝からはじっとできずに看護士が目を離せない状態です。付き添いにこれないか。と・・・
仕事もあり付き添いをすべきでもそれも無理で、とりあえず早退して病院へ。
先生に状況を教えてもらいたいとお願いし、夕方主人と話しを聞くことに。
おかしいと思ったころから、麻薬の投与をしていたとのこと。それでも痛みや不穏、せん妄でじっとせず、暴れたりがあるとのこと。夜は看護士も少ないので睡眠剤を投与して寝てもらおうとしたが無理だったとのこと。夕方の先生の話までも半分以上寝たような状態で、着替え、体拭きもおとなしかった。薬のせい?おかげ?
先生の説明で、痛みをとってあげるためと、勝手に動いてけがも大変なので、少し強めの麻薬と、暴れたりする際には眠らせる薬を使いますとのこと。義父のためと了承。先生はできるだけ使う量、頻度は少なくし、起きれる時には食事もできるようしてあげたいと。眠っている方が楽なのだろう。でも一日数時間だけでも起きているときにさすってあげたりしようと思って納得して帰った。
翌日の今日、仕事帰りに行くと眠っていた。薬の量を決まっただけ入れていく機械が点滴につけられていた。義母の抗がん剤の時に見たのに似ていた。義父は眠っているので夕飯はなしのようだ。看護士さんに聞くと、食事は出来ないとのこと。点滴が食事だと。昨日の話では、必要な時に眠らせるだけのはずが、24時間ずっとだという。もう目を覚ますことはないようなことも。
思っていたのと違う。昨日の話、ちゃんと聞いてなかったっけ。了承すべきじゃなかったのか。
主人は痛みに苦しむよりいいと言うけど、これで良かったのか。義母を看取ったときは認知症も出てたけど最後まで話ができたのに。間違ってたの?ほかに方法はあるの?もっと調べるべき?
安楽死待ちに思えるのは変?吐き出すところがなくて、このサイトをみつけたのでついコメントしてますが、場違いならごめんなさい。お義父さんは数日中に終わりを迎えるのでしょうか。こんな状態になるってわかってたら、義弟の嫁に子供(孫)つれて病室きてもらったのに。義弟にももっときてあげてと言ったのに。もう遅いのかなぁ。だらだら愚痴すみません。
Posted by 長男の嫁 at 2017年03月23日 12:07 | 返信
変な話。
死亡が一日二日違ったからといって、それは医者の自己満足です。
今は今の最新の鎮痛治療をして、さらに悪化したら無意味な苦痛は避けてほしいのが私の希望です。
家族なんて何の役に立ちますかね。患者本人の苦痛より、自分たちの対面って感じです。
週刊誌には「壮絶ながん治療」という文字が踊りますよね。
人間はいろいろな形で死にます。
じわじわともがき苦しみ、恐怖と闘うのは患者(自分)であり、きれいごと行っても家族ではないのです。「尊厳死」の会があって登録し、かかりつけの医師には、そのコピーを提出しています。
医師の良心?
患者の望み通りにしてあげることではないかと思います。
私の親は腸のがんで、末期には腸閉そくを起こし、経口では水さえも禁止されました。
最初から弱いモルヒネを使い、昔話に花が咲き穏やかに過ごしておりました。
全身移転した時に「一切の延命治療はしない」と頼み、そのままほとんど苦しむことなく穏やかにゆきました。転移した先がどうのこうのと説明されましたし、点滴に麻薬を入れる話も説明されましたが、そんなこともなく、ただ静かに静かにゆきました。
それだけです。
変な小理屈つけて、家族が苦しむ・・・そりゃ当たり前でしょ。どんな形であれ、死んだら家族は悲しむのです。普通の場合。
そのために使われる保険医療費がもったいない。
医師の良心、それは「誤診」に対して言うことだと思いますね。
Posted by 尊厳死登録者 at 2017年04月20日 08:42 | 返信
初めてコメントします。よろしくお願いします(^o^)
主人が3年まえに肺がんになり、5カ月で亡くなりました。末期ガンで手術も出来ず
抗がん剤も効果なく、移転か在宅か選択でしたが家に帰りたいとの主人の希望で
在宅で見ることにした時、婦長から家でみたらどんなに大変か解っているんですか、お金もかかるんですよと酷い言葉で立て続けにいわれ、その夜はわたしは子供達の前で、大泣きでした。医療に関わっている人が家族にこんな言い方をするのか、信じられませんでした。わたしも介護の仕事をしていますが在宅で看取るのは心配でしたので、最後はホスピスに10日間入院して、亡くなりました。モルヒネを使った痛み緩和の治療でしたが1日前までしっかり話していて、今日はどうしてこれないんやと電話がありました。最後は意識がなかったてすが子供達全員に見守るなか旅だちました。私はこれで良かったかなあと思っています。でもあの婦長の言葉を録音しなかったことが後悔です。
(^o^)
Posted by rose at 2017年04月22日 10:56 | 返信
のんのんさん、尊厳死登録者さんに同感。 死に対するのはその本人だけ、家族ももちろん
苦しむだろうが、やはり一番大変なのは患者さん。 その方の望むようにしてあげるのが
一番だと思います。もちろん患者さんが家族と話せることができる、元気なうちによく話合って
自分の希望そして家族にはどういった状況になっても悔いはないよと伝えておくこと。
私は大変気が弱く、痛む事、苦しむ事に恐怖を抱いてます。 できれば枯れるように、静かに
逝きたいのですが、どうしてもの時は鎮静をお願いしたいです。 70才を越え死への恐怖はだいぶ
薄れてきましたが、1週間くらいの命なら「ありがとう、私の望み通りにしてくれて」と言って逝きたい。
Posted by 鎮静希望者 at 2017年06月27日 10:22 | 返信
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