- << 抗認知症薬の適量処方とは
- HOME
- 尼崎のホームホスピス >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
少量の抗認知症薬でも有効な人がいる
2016年01月20日(水)
抗認知症薬は、規定量以下(少量投与)では有効では無い、と切り捨てられている。
しかし現実には、少量で有効で増量すると副作用が出る人が少なからずおられる。
それを無視するのか、重視するのかについて産経新聞の連載に書かせて頂いた。→こちら
しかし現実には、少量で有効で増量すると副作用が出る人が少なからずおられる。
それを無視するのか、重視するのかについて産経新聞の連載に書かせて頂いた。→こちら
産経新聞・認知症の基礎知識シリーズ第5回 抗認知症薬の適量
少量でも有効な人がいる
もの忘れが目立つようになった親を連れ来院される子供さんが増えています。認知症と診断されたら彼らは必ずといっていいほどお薬を要求します。しかしお薬というのは常に副作用と隣あわせです。だからサジ加減を大切。その人に合った量ないし必要最小限を投与するのが原則。血圧を下げるお薬も血糖を下げるお薬も少ない量から開始して、必要ならば少しずつ増量します。個人差があってもせいぜい2~3倍でしょうか。ところが抗認知症薬だけは「少量で開始したあとは機械的に2~4倍の量まで必ず増量する」という規則があることは先週述べました。そもそもなぜそんなヘンな規則があるのでしょうか。それは科学的根拠があるから、ということになっています。
しかし科学的根拠というのは“唯一絶対”という意味ではありません。統計学的に検討して有意差があることをそう呼んでいるだけです。平たく言えば100%ではなく95%以上は正しいであろう、という意味。裏を返せば5%の例外があるかもしれない、ということです。抗認知症薬の増量規定に定められている量はあくまでひとつの標準、目安に過ぎません。そもそも50歳と100歳、体重30kgと60kgの人が同じ量のはずがあり得ません。なかにはそこから大きく外れる“例外”もあります。それを無視するのか、重視するかは雲泥の差です。医療はその人、その人によって違うのは当たり前。それを個別化医療とかオーダーメイド医療と呼びますが、わざわざそんな言葉が謳われること自体、当たり前のことが当たり前でない現状を象徴しています。標準から外れた人も丁寧に扱うことこそが医療の本質であると考えます。
先日、私の出身医局の大阪大学第二内科の同窓会で恩師である垂井清一郎・大阪大学名誉教授の講演を拝聴しました。垂井先生は、糖原病Ⅶ型を発見から原因遺伝子の同定まで一人でされた内分泌学の大家です。その病気は“垂井病”として世界的に知られています。新しい病気を発見する契機となった人は単純な症状でした。子供のころから100m走の後半が苦手だったのです。短い距離でもある距離を超えると急に減速して走れなくなるという。そんな症状を「何故だろう?何故だろう?」と調べあげた結果が、新しい病気の発見につながりました。臨床現場でのわずかな疑問をじっくり掘り下げることの大切さを私は垂井内科で学びました。
翻って、抗認知症薬の増量規定で怒りぽくなったり、吐き気がしたり、歩行が悪くなった時にどう考えたらいいでしょうか。当然、薬の減量ないし中止を主治医と相談すべきです。その人にとっての適量を探すべきです。すると定められた最少量の半量で丁度調子が良い、という人も確かにおられます。そうであればその量をその時のその人に合った量と考えるべきです。「少量投与のエビデンスなど無い」と主張する専門家もいますが、多数例での検討では統計学的な有意差が出なくても少量でも有効な人が間違いなく存在します。そうした人を“例外”として無視するのかそれで由しとするのか。そしてそもそも抗認知症薬が不要な人も少なからずいることも、子供世代の人には是非知って欲しいことです。
キーワード 科学的根拠
エビデンスとも呼ばれる。科学的方法によって得られた信頼できる根拠に基づいた医療をEvidence Based Medicine(EBM)と呼ぶ。個人の経験や権威や伝統を重視する従来の医療に対比して使われる。
少量でも有効な人がいる
もの忘れが目立つようになった親を連れ来院される子供さんが増えています。認知症と診断されたら彼らは必ずといっていいほどお薬を要求します。しかしお薬というのは常に副作用と隣あわせです。だからサジ加減を大切。その人に合った量ないし必要最小限を投与するのが原則。血圧を下げるお薬も血糖を下げるお薬も少ない量から開始して、必要ならば少しずつ増量します。個人差があってもせいぜい2~3倍でしょうか。ところが抗認知症薬だけは「少量で開始したあとは機械的に2~4倍の量まで必ず増量する」という規則があることは先週述べました。そもそもなぜそんなヘンな規則があるのでしょうか。それは科学的根拠があるから、ということになっています。
しかし科学的根拠というのは“唯一絶対”という意味ではありません。統計学的に検討して有意差があることをそう呼んでいるだけです。平たく言えば100%ではなく95%以上は正しいであろう、という意味。裏を返せば5%の例外があるかもしれない、ということです。抗認知症薬の増量規定に定められている量はあくまでひとつの標準、目安に過ぎません。そもそも50歳と100歳、体重30kgと60kgの人が同じ量のはずがあり得ません。なかにはそこから大きく外れる“例外”もあります。それを無視するのか、重視するかは雲泥の差です。医療はその人、その人によって違うのは当たり前。それを個別化医療とかオーダーメイド医療と呼びますが、わざわざそんな言葉が謳われること自体、当たり前のことが当たり前でない現状を象徴しています。標準から外れた人も丁寧に扱うことこそが医療の本質であると考えます。
先日、私の出身医局の大阪大学第二内科の同窓会で恩師である垂井清一郎・大阪大学名誉教授の講演を拝聴しました。垂井先生は、糖原病Ⅶ型を発見から原因遺伝子の同定まで一人でされた内分泌学の大家です。その病気は“垂井病”として世界的に知られています。新しい病気を発見する契機となった人は単純な症状でした。子供のころから100m走の後半が苦手だったのです。短い距離でもある距離を超えると急に減速して走れなくなるという。そんな症状を「何故だろう?何故だろう?」と調べあげた結果が、新しい病気の発見につながりました。臨床現場でのわずかな疑問をじっくり掘り下げることの大切さを私は垂井内科で学びました。
翻って、抗認知症薬の増量規定で怒りぽくなったり、吐き気がしたり、歩行が悪くなった時にどう考えたらいいでしょうか。当然、薬の減量ないし中止を主治医と相談すべきです。その人にとっての適量を探すべきです。すると定められた最少量の半量で丁度調子が良い、という人も確かにおられます。そうであればその量をその時のその人に合った量と考えるべきです。「少量投与のエビデンスなど無い」と主張する専門家もいますが、多数例での検討では統計学的な有意差が出なくても少量でも有効な人が間違いなく存在します。そうした人を“例外”として無視するのかそれで由しとするのか。そしてそもそも抗認知症薬が不要な人も少なからずいることも、子供世代の人には是非知って欲しいことです。
キーワード 科学的根拠
エビデンスとも呼ばれる。科学的方法によって得られた信頼できる根拠に基づいた医療をEvidence Based Medicine(EBM)と呼ぶ。個人の経験や権威や伝統を重視する従来の医療に対比して使われる。
- << 抗認知症薬の適量処方とは
- HOME
- 尼崎のホームホスピス >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
高齢者MCIの患者にも当たり前のように何の抵抗もなく認知症と同じ用量の抗認知症薬を処方する、物忘れ外来の自称認知症専門医とそれを何の疑問も持たず受け入れる患者の家族たち。
90歳で年齢相応の物忘れ、日常生活動作は自立、必要ないのに物忘れ外来に連れて行かれて、抗認知症薬を飲まされる、それまで穏やかだったのが暴れ出す。暴れるのを抑える抗精神薬が追加される。
抗認知症薬と抗精神薬の併用で心筋梗塞あるいは心室性不整脈で突然死!90歳なので仕方ない??
ピンピンコロリ、ドクターキリコが日本中にたくさんいそうで怖いです。
Posted by マッドネス at 2016年01月20日 11:00 | 返信
「病院にかかる」というよりも、「医者にかかる」という表現の方が一般的と思いますが、
それは「医者の『手』にかかる」ということを意味するような気がします。
受診するということは「病気」の烙印を押されてしまうこと、処方=記録がなされること、
カルテを通じて公的にも把握されるということ、自由とは異なるレールに乗るということ。
終末期鎮静という結果を生む(受ける)のも、始点は同じではないでしょうか。
Posted by もも at 2016年01月21日 09:12 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: