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認知症「放置療法」

2016年01月27日(水)

「毎日が発見」2月号には、認知症の見守り付き放置について書いてみた。→こちら
おそらく相当な反論もあるだろう。
しかし閉じ込めるのではなく、自由に移動してもいい状態に置くことが大切だ。



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認知症医療は間違いだらけ。
閉じ込めて薬を飲ませるのは医療ではなく、緩やかな殺人であると感じる。


徘徊OK!
放置OK!
旅行OK!


そうそう、「きぼう」という透析患者さんの雑誌には
認知症の診断に必要な最低限の検査について書いた。→こちら




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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

長尾先生、おはようございます。
1年半前、東南アジア某国の国営高齢者施設を視察しました。
低所得者向けなので設備などは全く充分ではないですし、人員配置は40人に職員1名
という状態(というか1室が40人部屋です!)。自立の人、要介護の人、認知症の人
いろいろ混在、でも逆に少しでも元気な人が弱っている人を助ける、入所者が入所者を
自然に労わっていました。
最も驚いたのは、暑い国なので夜も建物は開けっ放し、敷地の門も閉じません。
24時間開放、出入り自由(笑)。それでも認知症の方の徘徊や迷子はないそうです。
質問すると「???」と言われました。
その後、高額の外国人向け施設の視察に行き、衛生的で広い個室だけど閉ざされ、
介護職員が何でも手を出す施設の入所者の表情のなさに愕然としました。
いったい、どっちが幸せなんだろう…
介護や医療だけでなく、私たちの日常生活も自分が動かない、考えない状態になれば
なるほど、実は縛られ自由がなくなり、不幸になっていく気がします。
先生のいつも仰るブロイラーより地鶏、ほんとに実感します。

Posted by 匿名 at 2016年01月27日 08:19 | 返信

認知症「放置療法」 ・・・・・・・・ を読んで


2025年問題の本質の1つに、認知症への理解不足
があるという指摘は、その通りと思います。

認知症の本質が不安感の増大であり、閉じ込めはもち
ろん、身体の拘束などが状況を更に悪化させることは
事実であり、長尾先生が今回のブログで指摘されてい
る ①徘徊 ②放置〔放牧〕 ③旅行〔外出〕を妨げ
ない ことが望ましいこともその通りと思います。


その現実の対応として、在宅ケア、地域での見守り
(地域包括ケア)、小規模多機能施設 や つどい場 の
設置・整備が重要という指摘にも同感です。


しかしながら、理想(論)と現実は必ずしも一致する
とは限りません。


外に出たい時に外出し、食べたい時に食べるということ
が人間的な生活であり、それを尊重することが大切、
食べたくない時に食事を強要することは時として虐待と
なることもある。 というコメントも真実の一面を突い
ているとは思いますが、社会生活において、個人の自由
をどこまで尊重するかは、難しい問題もあるのではない
か? と思っています。


細かく説明することは難しいので、1つだけ具体的な
例を提示すると・・・・・・・


長尾先生が、認知症ケア、地域包括ケアの現実解の一つ
として推奨されている、 “つどい場さくらちゃん” でも、
社会通念、社会規範の中で活動されていると私は思って
います。 いろいろなひとが集い・交流(まじくる)し、
一緒にお昼の食卓を囲む。そこでの会話(まじくり)で、
ある人は貴重な情報を得ることが出来るでしょうし、また
ある人は愚痴を言え、泣くことによってはちきれそうな
胸の内を癒せることもあるかも知れません。


認知症の本人にとって、また、その家族にとって、そして
医療・介護・行政の担当者にとって、更に地域で見守ろうと
考えている人にとって、認知症を取り巻く環境や状況を見
て学ぶ、とても重要な場所と私は考えています。

でも、昼食の時間〔昼食提供サービスの対応時間〕は、
もちろん厳密に決まっている訳ではありませんが、概ね
12時から13時半程度を中心に廻っているものと理解
しています。


ある人が9時30分頃に来て、また、別の人が15時頃
に来て、“お腹が空いた!” と訴えても、その全てに対応
することは難しいと思っています。


徘徊についても、徘徊で行方不明になったり、徘徊中に
事故を起こしたり、事故にあったりしたら、誰がどう対処
したら(責任を負ったら)よいのでしょう?!


これらのことは、病院でも介護施設でも、多人数を相手に
する場所では共通の悩み(課題)と思います。 


個人々々の自由度を最大限に尊重するとしたら、それは
ご自宅で ・・・・・・、と言うことにならざるを得ないと思い
ます。


極論を提示することで、問題点を浮かび上らせることにも
一定の意味があるとは思いますが、現実に私たちが選択し
得る解決策を探って行きたいと思っています。


長尾先生の今回のブログの骨子である、
 徘徊OK! 放置OK! 旅行OK!
は、極論 でしょうか?  中庸論 でしょうか?


どのような状況、どのような症状の人にもあてはまる
ことではないように思えるのですが ・・・・・・!

Posted by 小林 文夫 at 2016年01月27日 09:32 | 返信

日本の場合は絶対ムリでしょう。脱走中に交通事故とか転落死したら、間違いなく遺族に管理責任追及されて裁判沙汰にされたあげく、その施設、ホームはつぶされる。
どこの施設、ホームへ行っても精神科病院と同じく施錠は当たり前。
認知症患者が徘徊して列車事故起こしたら、遺族が多額の賠償金請求されるお国ですから、家族も徘徊するようになったら速攻で施設入れたがるし、施設も転倒させたら家族に文句言われるので、訪問診療の医者に
「クスリで動けなくしてくれ」と命令する。そうして元気なはずの高齢者の多くがクスリで寝たきりになり肺炎で死んでいく。これがこの国の介護と医療の実態ですかね。

Posted by マッドネス at 2016年01月27日 07:06 | 返信

 先生お疲れ様です。
 
 そうですね。認知症といえども閉じ込める事は良くないです。
 先進的な介護をしているグループホームだと出て行きたいときに出て行って、自分の食べる物は自分で決めて買い物して調理して、と言うことが出来るところもありますが、少ないですね。
 グループホームは地域密着型なので、他の市町村のグループホームには行けないので、自分の地域となればそこまでしている所は無いですね。
 玄関の鍵を入居者でも開けることが出来るものにしている所はありますが。。。

 先生の自由に外出できるようにするということには大賛成ですが、「そこには見守りが必要です。」と言う一文が引っかかります。
 24時間自由に外出できるようにするために、24時間見守れる体制を整えるとしたら、周りの人に多大な負担をかけることになると思いますが。。。
 先生もご存知の通り、介護保険の訪問介護では見守りのサービスは認められません。散歩は保険者によって認められるところもありますが、認められないところもあります。認められたとしても決まった曜日の決まった時間に散歩に出かけることしか認められず、自由に外出できる体制を取るために介護保険を使う事はできません。まあ、訪問看護は何でもありなので、医者の指示があればできるのかもしれませんが、、、すぐ点数いっぱいになってしまうでしょう。
 そうなると家族か近所の方か、自費を使ってお手伝いさんを雇うなどしないといけなくなると思います。
 実際問題、長続きできることでは無いと思いますが。。。

 でも、先生の意見を批判するつもりは全くありません。
 自由に外出してもらったら良いと思います。その見守り方法ですが、携帯のGPS機能とか、ココセコムで居場所を検索して見つけることが出来る状態にする。と言う程度にしておけば良いと思います。

 人がついてなければ赤信号をわたろうとしても誰も止めてくれず、交通事故にあうかもしれませんが、その程度の危険は家族が腹を括って覚悟できれば、自由にさせてあげる事はそんなに難しいことでは無いと思います。
 普通に車を運転していて信号無視で出てきた認知症の人を跳ねてしまった方が気の毒ですよね、そのような場合は、車を運転していた人にはペナルティが課せられない仕組みにする必要があるとおもいます。 
 介護する人の腹のくくり方次第かな?と思います。自由にさせてあげたいですね。

Posted by みるく at 2016年01月27日 11:59 | 返信

12月初旬のこと…
うちのステーションご利用の認知症の80歳の女性が ご自宅で転倒し大腿骨頸部骨折して
手術→リハビリ→リハビリ転院と経て
本日 退院カンファレンスに行ってまいりました

病院側はソーシャルワーカー 病院Ns PT OT 実習生もいた
在宅側はケアマネ ヘルパー 福祉用具 宮ちゃん

この退院でのカンファレンスっていうもの…
いつも怒れてきちゃう
でも カンファレンスは ガマンの子です
ここで戦いを挑んでも何も生みません

この患者さま…
ご自分の意見もお話されますし ボケボケってわけじゃないんです
「歩けるようになって 温泉に行きたい」と夢を語ります

なのに…
できないことばかりにフォーカスして
患者さんの前で 病識がないので 車椅子に乗せると 勝手にどこかに行っちゃう
全てに監視介助以上介助が必要…
なんじゃ!この監視介助っていう表現は… !
見守りでしょ!!

いじめの会かと思っちゃう

確かに…
注意すべき点は お伝え願いたいけど…

ここまで
頑張られて こんなに良くなったんですよ
…っていう評価もして欲しいです

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年01月28日 12:01 | 返信

「毎日が発見」という雑誌は、医療や介護に分類されるものでもなく、サブタイトルには
「100歳まで美しく強く生きる」とあって、熟年向け一般誌なのでしょうか。長尾先生御寄稿の文面
トーンがいつもと少し違うのを感じました。雑誌にも興味が湧き検索しましたら、片寄斗史子さん
と仰る編集長さんが素敵な雰囲気でいらして、雑誌のイメージが湧きました。
認知症を語る時には、医学的な見地で語り合うよりも「生活」を主眼に置いて考える方が、ごく自然
な成り行きであり、「病気」と捉える出発点が間違いの元なのではないか、と改めて思いました。
福祉の概念にある「障碍者と健常者が区別されることなく、社会生活を共にするという本来の姿」を
考えた時に、イコール「大認知症社会」への取り組みと、等しくなるのではないでしょうか。

Posted by もも at 2016年01月28日 07:25 | 返信

百の言葉を並べても実際認知症が進んだ家族を主になって介護して来た者にしか分からない現実がそこにあります。
私は要介護3の認知症の父を介護してきました。
夜も熟睡できる日は無く、物音がする度に起きて様子を見に行く。
抗うつ剤、精神安定剤を飲みながらの介護生活でした。
職場にも無期で長期休業届を出し、収入も減る中での介護です。
全ては弱者を守る体制を整えない日本の制度にあると思っています。
自由にさせていました。認知症の薬も副作用を考え止めました。
しかし家族崩壊につながり兼ねない毎日の連続。
これが認知症の家族を抱えるということです。

Posted by あこ at 2016年01月31日 02:14 | 返信

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