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認知症ムラ
2016年04月29日(金)
日本には、たくさんのムラがある。
太古の昔から、ムラ社会なのだ。
原発ムラ
たばこムラ
がん医療ムラ
認知症ムラ
高血圧ムラ
バリウムムラ・・・・
ムラは仕方がないのか。
ムラに逆らうとムラムラ八分に遭うのがオチか。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
公論5月号 認知症ムラの“不都合な真実”
現場の医師や政治家が声をあげはじめた理由 長尾和宏
抗認知症薬は対症療法にすぎない
アルツハイマー型認知症は脳にアミロイドβやタウ蛋白という物質が徐々に貯まる病態である。その結果、生じる認知機能障害の進行を緩和する薬剤として我が国では現在、ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンの4種類の抗認知症薬が保険適応になっている。いずれも脳内のアセチルコリンなどの神経伝達物質を増やす薬で、QOL(生活の質)の低下を和らげるという科学的根拠がある。しかしこれらの薬は飲んですぐに効果を実感できることは少ない。あくまで年単位で見るとQOLの低下を遅らせるという程度だ。「薬で認知症が治るのですか?」との質問には「その人に合う量ならば長期的視点では認知機能が改善する人もいる」と答えるしかない。
これらの抗認知症薬は3~4割の人にしか効果が無いことはか以外では常識であるが、日本では全員に死ぬまで投与するという啓発が行われている。いずれにせよ抗認知症薬は決して根本療法ではなく対症療法にすぎない。これは抗がん剤ががんを完治させる薬では無いのに完治させると誤って認識している人が多いこととどこか似ている。そして抗がん剤同様、少なからず副作用が存在するのにそれは“不都合な真実”として隠ぺいされている。
薬で怒りっぽくなった時、どうするか
抗認知症薬を飲み始めて怒りっぽくなった時、家族はどうすればいいのだろう?NHKの認知症啓発番組では「怒る元気も無かった人が怒る元気が出たことは良いことなので絶対に中止してはいけない」と専門家が繰り返し述べている。実はこの考えの根底には「抗認知症薬の増量規定」なるものがある。4種類の抗認知症薬はいずれも少量から開始して、2~4倍まで増量する規定が定められている。たとえばドネペジル(商品名アリセプト)の場合、3mgで開始して2週間後には必ず5mgに増量しなければならない。しかし3mgで調子が良くても5mgに増量した途端に興奮、暴力、歩行障害などが起きて介護負担が増えることを少なからず経験する。本来こんな時は3mgに減量ないし中止すべきであろうが増量規定はそれを許さない。逆に「薬が効いていないので10mgに増量だ!」という考えの医師もいる。
最近もある専門家は「ドネペジルは23mgまで増やすべき。増やせば増やすほどよく効く。易怒性や歩行障害という副作用は気にしなくてもいい」と発言している。減量と反対に増量すると、もちろん易怒性はさらに激しくなり、強力な鎮静剤が必要となる。すると、ふらつき→転倒→骨折→寝たきり→食事量低下→胃ろう、という悪循環に陥る。あるいは暴れるため泣く泣く施設や精神病院に入ることになる。つまり増量規定が認知症の人の尊厳を奪い、家族の介護負担を増し、ひいては国家の社会保障費の無用な増大を招いているのではないか。本来、脳に作用する薬こそサジ加減が重要で最も個別化医療が必要な病態のはずだがそれが叶わない現実がある。
昨年11月23日に山東昭子参議院議員を顧問に迎え「一般社団法人・抗認知症薬の適量処方を実現する会」が設立された。同会のホームページ上で抗認知症薬の副作用情報の収集を開始し3月時点で約100件の副作用情報が寄せられた。いずれも抗認知症薬の減量・中止で穏やかに戻ったという事例である。今後さらに事例を集め8月21日に都内で活動の中間報告を行う予定である。おそらく何十万人単位で犠牲者がいると想像するが、主治医も家族も抗認知症薬には易怒性や歩行障害という副作用があること自体を知らないので気がつかない例が多いようだ。このあたりの事情については近著「認知症の薬をやめると認知症が良くなる人がいるって本当ですか?」(現代書林)に詳しく述べた。
製薬会社や厚労省の見解
同会の活動に対する製薬会社や厚労省の見解はどうだろう。「3mg→5mgの事実上の増量規定という指摘は既に4,5年前に解決済み。上記添付文書の注意書きに“原則として”との言葉が追加されたことで3mgでも良いことになっている」という認識である。また医師によるさじ加減については、「3mg以下については効果も副作用についても科学的根拠がないので、新たな治験を行う必要がある。その科学的根拠がない以上3mg以下で使用している間に病気が進行してしまった場合、その医師の倫理的責任が問われる」という認識で、3mg投与を否定している。
しかし前者は、共同通信社による調査では3mg投与は現在でも少なくとも9つの県におけるレセプト審査で認められていない。さらに上記の変更をまだ知らないレセプト審査員や現場の医師も多い。こうした現実を、「もう終わったこと」という認識で切り捨てる姿勢は実態を無視している。また後者は、いわいる「55年通知」を無視した認識である。「55年通知」とは昭和55年に当時の橋本龍太郎・厚労大臣が当時の武見太郎・日本医師会長の質問に対して個々の症例に応じた医師の適切な処方、裁量権を認めた通達のことだ。極量を超える処方が認められているのであれば当然少量も認められるはずである。また科学的根拠の範囲から逸脱する例が存在することは医療現場の常識である。
大認知症時代を目前にして、抗認知症薬が抱える課題は大きい。認知症ムラが抱える闇はあまりにも深い。新オレンジプランの推進により薬によって「造られた認知症」が増えつつあるが、いったい誰のための認知症医療なのか。製薬企業からの多額の資金援助に頼らざるを得ない医学界やマスメデイアに自浄作用は期待できない。そんななか、大畠章宏議員が2月25日の予算委員会でこの問題をとりあげたことが光明である。現場の医療・介護職や国会議員が声をあげはじめた。メデイアにはこうした不都合な現実から目を背けないで欲しい。なぜなら認知症は、世界一長寿の日本人にとって最も重要な問題。国家存亡に関わる課題。誰もがいずれ行く道である。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
詳細は、拙書「認知症の薬をやめると認知症がよくなる人がいるって本当ですか?」
を参照いただきたい。
相談に来られる方は、できれば本書を読んでから来てほしい。
そのために本を書いている。
太古の昔から、ムラ社会なのだ。
原発ムラ
たばこムラ
がん医療ムラ
認知症ムラ
高血圧ムラ
バリウムムラ・・・・
ムラは仕方がないのか。
ムラに逆らうとムラムラ八分に遭うのがオチか。
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公論5月号 認知症ムラの“不都合な真実”
現場の医師や政治家が声をあげはじめた理由 長尾和宏
抗認知症薬は対症療法にすぎない
アルツハイマー型認知症は脳にアミロイドβやタウ蛋白という物質が徐々に貯まる病態である。その結果、生じる認知機能障害の進行を緩和する薬剤として我が国では現在、ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンの4種類の抗認知症薬が保険適応になっている。いずれも脳内のアセチルコリンなどの神経伝達物質を増やす薬で、QOL(生活の質)の低下を和らげるという科学的根拠がある。しかしこれらの薬は飲んですぐに効果を実感できることは少ない。あくまで年単位で見るとQOLの低下を遅らせるという程度だ。「薬で認知症が治るのですか?」との質問には「その人に合う量ならば長期的視点では認知機能が改善する人もいる」と答えるしかない。
これらの抗認知症薬は3~4割の人にしか効果が無いことはか以外では常識であるが、日本では全員に死ぬまで投与するという啓発が行われている。いずれにせよ抗認知症薬は決して根本療法ではなく対症療法にすぎない。これは抗がん剤ががんを完治させる薬では無いのに完治させると誤って認識している人が多いこととどこか似ている。そして抗がん剤同様、少なからず副作用が存在するのにそれは“不都合な真実”として隠ぺいされている。
薬で怒りっぽくなった時、どうするか
抗認知症薬を飲み始めて怒りっぽくなった時、家族はどうすればいいのだろう?NHKの認知症啓発番組では「怒る元気も無かった人が怒る元気が出たことは良いことなので絶対に中止してはいけない」と専門家が繰り返し述べている。実はこの考えの根底には「抗認知症薬の増量規定」なるものがある。4種類の抗認知症薬はいずれも少量から開始して、2~4倍まで増量する規定が定められている。たとえばドネペジル(商品名アリセプト)の場合、3mgで開始して2週間後には必ず5mgに増量しなければならない。しかし3mgで調子が良くても5mgに増量した途端に興奮、暴力、歩行障害などが起きて介護負担が増えることを少なからず経験する。本来こんな時は3mgに減量ないし中止すべきであろうが増量規定はそれを許さない。逆に「薬が効いていないので10mgに増量だ!」という考えの医師もいる。
最近もある専門家は「ドネペジルは23mgまで増やすべき。増やせば増やすほどよく効く。易怒性や歩行障害という副作用は気にしなくてもいい」と発言している。減量と反対に増量すると、もちろん易怒性はさらに激しくなり、強力な鎮静剤が必要となる。すると、ふらつき→転倒→骨折→寝たきり→食事量低下→胃ろう、という悪循環に陥る。あるいは暴れるため泣く泣く施設や精神病院に入ることになる。つまり増量規定が認知症の人の尊厳を奪い、家族の介護負担を増し、ひいては国家の社会保障費の無用な増大を招いているのではないか。本来、脳に作用する薬こそサジ加減が重要で最も個別化医療が必要な病態のはずだがそれが叶わない現実がある。
昨年11月23日に山東昭子参議院議員を顧問に迎え「一般社団法人・抗認知症薬の適量処方を実現する会」が設立された。同会のホームページ上で抗認知症薬の副作用情報の収集を開始し3月時点で約100件の副作用情報が寄せられた。いずれも抗認知症薬の減量・中止で穏やかに戻ったという事例である。今後さらに事例を集め8月21日に都内で活動の中間報告を行う予定である。おそらく何十万人単位で犠牲者がいると想像するが、主治医も家族も抗認知症薬には易怒性や歩行障害という副作用があること自体を知らないので気がつかない例が多いようだ。このあたりの事情については近著「認知症の薬をやめると認知症が良くなる人がいるって本当ですか?」(現代書林)に詳しく述べた。
製薬会社や厚労省の見解
同会の活動に対する製薬会社や厚労省の見解はどうだろう。「3mg→5mgの事実上の増量規定という指摘は既に4,5年前に解決済み。上記添付文書の注意書きに“原則として”との言葉が追加されたことで3mgでも良いことになっている」という認識である。また医師によるさじ加減については、「3mg以下については効果も副作用についても科学的根拠がないので、新たな治験を行う必要がある。その科学的根拠がない以上3mg以下で使用している間に病気が進行してしまった場合、その医師の倫理的責任が問われる」という認識で、3mg投与を否定している。
しかし前者は、共同通信社による調査では3mg投与は現在でも少なくとも9つの県におけるレセプト審査で認められていない。さらに上記の変更をまだ知らないレセプト審査員や現場の医師も多い。こうした現実を、「もう終わったこと」という認識で切り捨てる姿勢は実態を無視している。また後者は、いわいる「55年通知」を無視した認識である。「55年通知」とは昭和55年に当時の橋本龍太郎・厚労大臣が当時の武見太郎・日本医師会長の質問に対して個々の症例に応じた医師の適切な処方、裁量権を認めた通達のことだ。極量を超える処方が認められているのであれば当然少量も認められるはずである。また科学的根拠の範囲から逸脱する例が存在することは医療現場の常識である。
大認知症時代を目前にして、抗認知症薬が抱える課題は大きい。認知症ムラが抱える闇はあまりにも深い。新オレンジプランの推進により薬によって「造られた認知症」が増えつつあるが、いったい誰のための認知症医療なのか。製薬企業からの多額の資金援助に頼らざるを得ない医学界やマスメデイアに自浄作用は期待できない。そんななか、大畠章宏議員が2月25日の予算委員会でこの問題をとりあげたことが光明である。現場の医療・介護職や国会議員が声をあげはじめた。メデイアにはこうした不都合な現実から目を背けないで欲しい。なぜなら認知症は、世界一長寿の日本人にとって最も重要な問題。国家存亡に関わる課題。誰もがいずれ行く道である。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
詳細は、拙書「認知症の薬をやめると認知症がよくなる人がいるって本当ですか?」
を参照いただきたい。
相談に来られる方は、できれば本書を読んでから来てほしい。
そのために本を書いている。
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この記事へのコメント
わが日本社会には、「認知症ムラ」なるものが、根を張っているとのこと。
今、この強固なムラを、根底から突き動かす営みが、始まっているのですね。
昨日の早朝、80歳台の女性が、レールの上に横たわり、列車の通過を待っていました。
乗客は、「人身事故で今日も遅れるわ」と電話して終わりです。
まったく、日々の風景になってしまいました。
「原子力ムラ」というのも、あります。
「地震が起きたら、九州新幹線(!)で避難する」という計画もあった薩摩川内原発。
「現状はすべて想定内。想定外の事故が起きるとは判断していない。」(原子力規制委員会)
「前震のあとに本震が来るとは、想定外だった。」(気象庁)
いまや、震度7で持ちこたえても、つづく震度7の「後震」で崩壊するという、現実。
「地震活動期に入った」(気象庁)現在、いつまで、「想定内だ」「想定外だ」といっている場合でしょうか。
NHK会長が、「公式発表以外は、放送するな」と指示した、そうですね。
昨夜、ある外国人特派員が、「これでは、NHKではなく、あべテレビ」と、嘆息していました。
同時に、元北京放送アナウンサーが、「日本のメディアも、中国化してきた」とぼやいていました。
中国メディアは、政府の「喉、舌」になるよう教育されていたという。
いまや、「報道の自由度」が、世界で、中国やトルコ、北朝鮮に限りなく近づいてきたようです。
九州の「余震」が収まらないなか、「川内原発停止」の声が、まきおこらないのも、気がかりです。
「中江兆民は、日本人をこう評した。『利害に明るく、理義(道理と正義)に暗い。事に従うことを好み、考えることを好まない』」(中村尚徳)
Posted by 鍵山いさお at 2016年04月29日 02:45 | 返信
障碍者福祉NPO団体内も実のところムラである。
正義が通用する場所を既存のものに期待するのが
間違いなのか。
心を痛める日々にあり、闘うべく奮闘するも
正論は通用しない、とまで宣う。
ただ気の毒なのは、当事者の方々であると
悲しく思う。
Posted by もも at 2016年04月30日 11:51 | 返信
老健に居る89歳の父が、職員に妄想を話すようになった。
家族は知っているのだが、作話傾向の強い人なのでその延長ととらえていた。
今回は完全に「妄想」のようだ。この時点で、「精神科受診についてどうお考えですか?」ときた。「投薬なしカウンセリングだけの受診ということで・・・」etc.
この老健には、間隔を空けながらであるが計5年近く住んでいる。居室にランクがあって、今の居室は「個別対応ができるフロアなので」が常套文句。
以前は頻繁に外出に連れ出してくれて、本人は楽しんでいた。外出費用の金額が嵩むのが心配になったくらいだった。
面会時に、このところ、ふさぎ込んでいるな・・・と感じつつ、自宅介護する意思は全くない。また、長い間かかわっている施設だから、という信頼もあった。
今回、その信頼を裏切られた。
施設側は、ウチの父をカモにしていたようだ。人格はユニークだが暴力暴言は無いし、トイレも食事も自立しているので物理的介護作業は省エネ。今まではお話相手もしてくれていたけど、時々は面会客も来るから、メシだけ食わせて放っておけばよい、その分、重度介護者に集中して世話ができる・・・状態だったのだ。
明後日、5月3日に施設を移動する。移動先の施設見学に連れ出して以後、本人は生き返ったように元気になった。ざっくばらんでにぎやかで良いところだ、と言っている。
老健は、しょせん、税金を使って医療と福祉で入居者を「患者」として「管理する」施設なのだ。同時に、薬剤費用は100%老健持ちなので、薬はできるだけ減らす方針。
この、薬剤費を使いたくない老健と、できるだけクスリを飲ませたくないウチの希望が合致していた。
しかしどうやら精神科は別ものらしい。相談員に追及すると、老健の経営者と、出向している精神科医師が旧知の仲だとのこと。
知らなかった。ヤラレタ、と思った。患者をグルグルしているのだろう。
うつ症状を助長する現在の施設環境を顧みることなく、施設体制や介護職員の対応を反省することもなく精神科受診へつなげることが当然である世界。
家族の不安を話術によってごまかすのが相談員の仕事となっている。
私のような「苦労人」でなければ、「よろしくお願いします。」になってしまうだろう。
7年前の私は、「認知症って何のこと?」状態だった。
現在であれば、認知症ではない、服薬の必要はない、百害あって一利なし、と断言できる母を、精神科へ連れて行った。そのときの私は、精神科に対する抵抗なんて無かった。第一、精神科が特殊な「科」であることを知らなかった。半世紀以上、ほとんど医者にかからない家族だったから、日常生活の裏側にベッタリ張り付いている医療の世界を知らなかったのだ。
精神科は、正常な人間に薬物を飲ませて廃人に作り替えるところである。
精神薬は、合法覚醒剤であり合法毒物である。
誰が、合法にしているのだろうか。
認知症薬は覚醒剤の類ではないか? 認知症薬は毒物の類ではないのか?
すべての薬は毒でもあるのだ。
薬物地獄への扉は、常に開いている。
少量投与もへったくれもないと思うのだ。
薬を飲ませる前に、まず、生活環境を変えることだ。
Posted by 匿名 at 2016年05月01日 01:56 | 返信
昨夜は…
高校同級生が集まっての飲み会でした
この歳になってくると 職場で中核の存在になってきます
集まってきた仲間の中に…
介護事業所の社長さんがいまして
初参加に 某製薬会社 認知症のお薬を製薬している所長さんもいました
つい語っちゃいます
でも
認知症の薬をやめると 改善される…って ことは
全く信じてくれません
そうですよね…
この私でさえも 病院勤務時代は
医師が処方した薬は 絶対服用! 服用させていたんです…いわゆる管理です
飲まなくていいという選択肢は 初めからありません
人間を丸ごと看る…本当の看護をしていくと微妙な変化がわかるんです
これは
家族や日頃 接している施設職員など 生活を支える方でないとわからないんです
風邪薬だって 症状が治まれば 服薬をやめます
認知症の薬も
副作用を理解して 副作用が出れば中止するという勇気をご家族が持っていただきたいと切に願います
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年05月04日 11:47 | 返信
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