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大病院の医師に看とり教育を
2016年05月03日(火)
しかし今日の話はそんな話ではない。
信じられないだろが実際にあった話。
70代の末期COPD(慢性閉塞性肺疾患)と
血液がん(末期?)を合併した在宅患者さんの話。
時々、突然の呼吸困難に襲われて息が止まりそうになると往診依頼がある。
トイレ歩行の後にこのような重症呼吸困難の発作に襲われる。
走って見に行くと意識が混濁して、呼吸がいまにも止まりそう。
看護師が点滴するも改善せず、本人と家族は、救急搬送を強く希望された。
紹介元の大病院に連絡して救急搬送したら呼吸停止寸前で到着して
間一髪で気管内挿管と人工呼吸器で2日間ほど集中管理となった。
1週間ほどで”生き返り、家に”帰ってきた。
まだ命はあったのだし、救急搬送は正解だったということか。
その後も、たいてい真夜中や休日にご家族から何度か電話がかかってきた。
電話の後ろから大きな苦しむ声がいつも聞こえてくる。
その度に、救急搬送の意志確認を行うが毎回、搬送を希望される。
本人と家族の意志が一致しているので、逆らうことはできなかった。
本人と家族の希望で救急搬送しては、”ギロギリで生き返る”という奇跡
というか成功体験が数回も続いていて、私たちも驚いていた。
大病院からは「次こそは療養型病院で、家には帰せない」と言われたそうだが、
本人と家族の強い希望で、今回も自宅に戻ってきた。
「もう次は無いからね。トイレに絶対行かないでね。病院も受け入れを拒否するよ」
そんなお願いをしたが本人は笑っているばかり。 家族は半分覚悟している様子。
在宅看取りかどうかが決定できない症例が、非がんの終末期では時々ある。
非がんであれば、なおさらだが。
6回目か7回目の呼吸困難でのSOS電話が早朝五時にかかってきた。
またいつもと同じ希望だったので、大病院に連絡して救急搬送となった。
しかし到着寸前に呼吸が停止し救急救命師や医師たちが心臓マッサージをしたという。
あらゆる蘇生処置を施したが、今回ばかりは蘇生できず、亡くなられたとのこと。
蘇生処置成功が続いても、当然、いつかは限りがあるのだ。
命はどこかで終わりがくる。
話はここから。
搬送して2時間後に家族から「亡くなりました」と電話があった。
悲しそうだったが、さすがにもう数回目なので覚悟はできていたようだ。
ところがその2時間後に大病院の医師から、こんな電話がかかってきた。
「私たちは24時間以内にこの患者を診ていないので死亡診断書は書けません。
24時間ルールにそう定められている。
警察も長尾さんに死体検案書を書きに来てもらえ」と言っているとのこと。
つまり
「大病院の霊安室に私が出向いて検案して死体検案書を書け!」と言うのだ。
私は、「それは違う」 と説明した。
1)そもそもそれは死体検案書ではなく、死亡診断書である。
2)そんな24時間ルールはこの世に存在しない。都市伝説である。
の2つの誤りをゆっくり分かり易く詳しく説明したが、取り合ってはくれない。
どうやらその判断は、その大病院の多くの医師たちの判断であると言い、
警察の判断も同じである、とのこと。
「そんなアホな!!!」
思わずそんな言葉が出そうになったが、抑えた。
しかし多数決では、完全に私の負け。
仕方がないので大病院の医師に、こう説明した。
1)あなたたちが心臓マッサージをしたのは死体ですか?生体ですか?
ついさっきまで生きていたと判断したからマッサージをしたのではないか。
死体なら、死体に何をしても、それはもはや保険診療ではありませんよ。
だからそれは死体検案書ではなく、死亡診断書である。
また1週間前も入院して治療しているのだから末期であることは明白である。
2)私が病院に行って仮に書くとしても死んだ場所は、病院の住所になりますよ。
開業医が大病院の霊安室の住所を死亡場所に書くって、おかしいと思いませんか?
3)そもそも貴方達は、死亡を確認したのだから死亡診断書を書く義務があるのですよ。
それを書かないと、むしろ医師法に問われる可能性がありますよ。・・・・・
4)24時間以内に診ていないというのは完全な誤解。
医師法20条を正しく知って欲しい。
医師法20条と21条を完全に混同していることや、平成24年の参議院予算委員会
での質疑を経て、厚労省から「誤解なきよう」との通達が出たことも必死で説明した。
しかし病院の見解は覆ることはなかった。
そもそも大病院の先生方は、私のような開業医の言う事などハナから信じていない。
実は、こんなやり取りは、初めてではない。
別の大病院の院長先生ともやりあったし、消防隊や警察ともやりあったことがある。
大病院の医師や警察署長や消防署長らに「看取りのルールについて説明しますよ」
と何度も持ちかけたが「開業医の話など聞いている時間なんて無い」で、門前払いに。
要は、大病院の全医師も警察も消防も、”医師法20条”という看取りの法律を
まったく知らないまま救急医療をやっているのか。
「24時間以内に診ていないから死亡診断書を書けない」というのであれば
私も数日前にその患者さんを診察しただけなので、病院と同じ条件である。
だから大病院の医師の論理に従えば、私も死亡診断書を書けないことになる。
もし在宅で亡くなった後に、家に行っても書けないことになる。
しかし息を引き取ってからでも行って診れば書けるので、在宅看取りができる。
これが医師法20条である。
しかし大病院の医師は、そんなことはどうでもいいのだろう。
在宅看取りができなかった開業医に意地悪をしたかったのか。
でもそれは、筋が違う。
本人と家族が救急搬送を強く希望したのだから、逆らうことはできない。
これは日本の司法がそうなっているだけ。
リビングウイルのほうてき担保すら認められていないことと関係がある・・・
笑えない話だ。
私の講演を聞いた人なら知っているだろうが、必ず看取りの法律の話をしてうる。
日本は法治国家なので法律に基づいて看取りが行われていることを千回も話した。
しかし田舎の特養の嘱託医どころか、大病院の医師でさえ看取りの法律を知らないので
意味不明の理屈を並べ立てるだけで私の言う事はいっこうに信じようとしてくれないのだ。
結局、「考えてみます」で電話は終わった。
でもその後、どうなったのか、連絡は無い。
可哀そうなのは私では無く、亡くなった本人とご家族だ。
看取りの法律を知らない医師達にかかると、病死でも警察による検死になるのか。
霊安室で、数時間放置され、”看取りのタライ回し”に会っているのだから。
いくら在宅看取りを勧めても拒否した本人と家族にも責任の一旦があるか。
どこで平穏死の講演をしても、必ず、このような看取りで警察が来た話が出る。
つまり日本全国でいまなお、医師法20条の間違った理解が横行しているのだ。
だから、講演や本をたくさん書いてきた。
いろいろ叩かれながらも、啓発のつもりで書いてきた。
「平穏死・10の条件」や「親の平穏死を見届ける、最後の親孝行」、
「病院でも家でも満足して大往生する101のコツ」などに医師法20条を詳しく書いてきた。
大病院の医師に向けては、「犯人は私だった」という本を書いてきた。
それほど、看取りの法律の周知はなされていないのが実態だ。
しかしいくら講演しても本を書いて配っても、病院の医師は
看取りや平穏死に、残念ながらあまり関心を持ってくれない・・・
今や完全に諦めモードなので日々、
新たな講演依頼もほとんど断っている。
でも何もしないと、ますます火のこが降りかかるので
わずかでも貢献したほうがいいのか少し迷いがある。
在宅医療は、真面目にやれば大変だ。
GWの真ん中の今日は普段の倍、忙しかった。
朝から晩まで、若い医師2人を連れて尼崎の街を回りながら、
そんなこと(愚痴?)を説明していたが、こんなエネルギーも残りは僅か。
信じられないだろが実際にあった話。
70代の末期COPD(慢性閉塞性肺疾患)と
血液がん(末期?)を合併した在宅患者さんの話。
時々、突然の呼吸困難に襲われて息が止まりそうになると往診依頼がある。
トイレ歩行の後にこのような重症呼吸困難の発作に襲われる。
走って見に行くと意識が混濁して、呼吸がいまにも止まりそう。
看護師が点滴するも改善せず、本人と家族は、救急搬送を強く希望された。
紹介元の大病院に連絡して救急搬送したら呼吸停止寸前で到着して
間一髪で気管内挿管と人工呼吸器で2日間ほど集中管理となった。
1週間ほどで”生き返り、家に”帰ってきた。
まだ命はあったのだし、救急搬送は正解だったということか。
その後も、たいてい真夜中や休日にご家族から何度か電話がかかってきた。
電話の後ろから大きな苦しむ声がいつも聞こえてくる。
その度に、救急搬送の意志確認を行うが毎回、搬送を希望される。
本人と家族の意志が一致しているので、逆らうことはできなかった。
本人と家族の希望で救急搬送しては、”ギロギリで生き返る”という奇跡
というか成功体験が数回も続いていて、私たちも驚いていた。
大病院からは「次こそは療養型病院で、家には帰せない」と言われたそうだが、
本人と家族の強い希望で、今回も自宅に戻ってきた。
「もう次は無いからね。トイレに絶対行かないでね。病院も受け入れを拒否するよ」
そんなお願いをしたが本人は笑っているばかり。 家族は半分覚悟している様子。
在宅看取りかどうかが決定できない症例が、非がんの終末期では時々ある。
非がんであれば、なおさらだが。
6回目か7回目の呼吸困難でのSOS電話が早朝五時にかかってきた。
またいつもと同じ希望だったので、大病院に連絡して救急搬送となった。
しかし到着寸前に呼吸が停止し救急救命師や医師たちが心臓マッサージをしたという。
あらゆる蘇生処置を施したが、今回ばかりは蘇生できず、亡くなられたとのこと。
蘇生処置成功が続いても、当然、いつかは限りがあるのだ。
命はどこかで終わりがくる。
話はここから。
搬送して2時間後に家族から「亡くなりました」と電話があった。
悲しそうだったが、さすがにもう数回目なので覚悟はできていたようだ。
ところがその2時間後に大病院の医師から、こんな電話がかかってきた。
「私たちは24時間以内にこの患者を診ていないので死亡診断書は書けません。
24時間ルールにそう定められている。
警察も長尾さんに死体検案書を書きに来てもらえ」と言っているとのこと。
つまり
「大病院の霊安室に私が出向いて検案して死体検案書を書け!」と言うのだ。
私は、「それは違う」 と説明した。
1)そもそもそれは死体検案書ではなく、死亡診断書である。
2)そんな24時間ルールはこの世に存在しない。都市伝説である。
の2つの誤りをゆっくり分かり易く詳しく説明したが、取り合ってはくれない。
どうやらその判断は、その大病院の多くの医師たちの判断であると言い、
警察の判断も同じである、とのこと。
「そんなアホな!!!」
思わずそんな言葉が出そうになったが、抑えた。
しかし多数決では、完全に私の負け。
仕方がないので大病院の医師に、こう説明した。
1)あなたたちが心臓マッサージをしたのは死体ですか?生体ですか?
ついさっきまで生きていたと判断したからマッサージをしたのではないか。
死体なら、死体に何をしても、それはもはや保険診療ではありませんよ。
だからそれは死体検案書ではなく、死亡診断書である。
また1週間前も入院して治療しているのだから末期であることは明白である。
2)私が病院に行って仮に書くとしても死んだ場所は、病院の住所になりますよ。
開業医が大病院の霊安室の住所を死亡場所に書くって、おかしいと思いませんか?
3)そもそも貴方達は、死亡を確認したのだから死亡診断書を書く義務があるのですよ。
それを書かないと、むしろ医師法に問われる可能性がありますよ。・・・・・
4)24時間以内に診ていないというのは完全な誤解。
医師法20条を正しく知って欲しい。
医師法20条と21条を完全に混同していることや、平成24年の参議院予算委員会
での質疑を経て、厚労省から「誤解なきよう」との通達が出たことも必死で説明した。
しかし病院の見解は覆ることはなかった。
そもそも大病院の先生方は、私のような開業医の言う事などハナから信じていない。
実は、こんなやり取りは、初めてではない。
別の大病院の院長先生ともやりあったし、消防隊や警察ともやりあったことがある。
大病院の医師や警察署長や消防署長らに「看取りのルールについて説明しますよ」
と何度も持ちかけたが「開業医の話など聞いている時間なんて無い」で、門前払いに。
要は、大病院の全医師も警察も消防も、”医師法20条”という看取りの法律を
まったく知らないまま救急医療をやっているのか。
「24時間以内に診ていないから死亡診断書を書けない」というのであれば
私も数日前にその患者さんを診察しただけなので、病院と同じ条件である。
だから大病院の医師の論理に従えば、私も死亡診断書を書けないことになる。
もし在宅で亡くなった後に、家に行っても書けないことになる。
しかし息を引き取ってからでも行って診れば書けるので、在宅看取りができる。
これが医師法20条である。
しかし大病院の医師は、そんなことはどうでもいいのだろう。
在宅看取りができなかった開業医に意地悪をしたかったのか。
でもそれは、筋が違う。
本人と家族が救急搬送を強く希望したのだから、逆らうことはできない。
これは日本の司法がそうなっているだけ。
リビングウイルのほうてき担保すら認められていないことと関係がある・・・
笑えない話だ。
私の講演を聞いた人なら知っているだろうが、必ず看取りの法律の話をしてうる。
日本は法治国家なので法律に基づいて看取りが行われていることを千回も話した。
しかし田舎の特養の嘱託医どころか、大病院の医師でさえ看取りの法律を知らないので
意味不明の理屈を並べ立てるだけで私の言う事はいっこうに信じようとしてくれないのだ。
結局、「考えてみます」で電話は終わった。
でもその後、どうなったのか、連絡は無い。
可哀そうなのは私では無く、亡くなった本人とご家族だ。
看取りの法律を知らない医師達にかかると、病死でも警察による検死になるのか。
霊安室で、数時間放置され、”看取りのタライ回し”に会っているのだから。
いくら在宅看取りを勧めても拒否した本人と家族にも責任の一旦があるか。
どこで平穏死の講演をしても、必ず、このような看取りで警察が来た話が出る。
つまり日本全国でいまなお、医師法20条の間違った理解が横行しているのだ。
だから、講演や本をたくさん書いてきた。
いろいろ叩かれながらも、啓発のつもりで書いてきた。
「平穏死・10の条件」や「親の平穏死を見届ける、最後の親孝行」、
「病院でも家でも満足して大往生する101のコツ」などに医師法20条を詳しく書いてきた。
大病院の医師に向けては、「犯人は私だった」という本を書いてきた。
それほど、看取りの法律の周知はなされていないのが実態だ。
しかしいくら講演しても本を書いて配っても、病院の医師は
看取りや平穏死に、残念ながらあまり関心を持ってくれない・・・
今や完全に諦めモードなので日々、
新たな講演依頼もほとんど断っている。
でも何もしないと、ますます火のこが降りかかるので
わずかでも貢献したほうがいいのか少し迷いがある。
在宅医療は、真面目にやれば大変だ。
GWの真ん中の今日は普段の倍、忙しかった。
朝から晩まで、若い医師2人を連れて尼崎の街を回りながら、
そんなこと(愚痴?)を説明していたが、こんなエネルギーも残りは僅か。
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この記事へのコメント
間違ってないです。
特に警察は解ってないですね、20条は暗記してほしいです。
Posted by 尾崎 友宏 at 2016年05月03日 02:18 | 返信
長尾先生には怒られるかもしれませんけど、「6~7回早朝にSOSが入った」と言うので、病院の救急車もお医者さんも、腹が立ったのではないでしょうか?
在宅で介護したいと言うご家族の気持ちも分かりますけど、何回も深夜の呼び出されると、人間いくら仕事だと分かっていても機嫌が悪くなる。
でも長尾先生に当たり散らすのはお門違いです。「死体検案書を書け」と言われても、書かなければ良いと思います。
私の母は、幸か不幸か、最初で最後の救急搬送で、海堂尊の「チームバチスタの栄光」よろしく、死んだ後にCTスキャンで「動脈解離による心タンポナーデ」診断されましたけど、何度も早朝の救急車を呼ぶというのも家族としては気が引けます。
仕事なのだから当たり前なのかなあ。病院も患者さんもどっちもどっちだと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2016年05月03日 02:55 | 返信
先生のお疲れの様子がリアルに伝わります(;_;)。
病院は、正直怖いと感じます。国がもっと医師を徹底指導して
くれないもんでしょうか。
でも、我々一般市民も賢くならねばいけない時代です。
先生、お疲れとは思いますが、どうかめげずに私たちに正しい
情報を与え続けてください。でも、お体を大切に…(^_^;)
Posted by 匿名 at 2016年05月03日 07:13 | 返信
長尾先生…
本当に お疲れ様です
「在宅医療を真面目にやれば たいへんだ」
本当にその通りです
大病院のお医者さまも…開業医のお医者さまも…看護師さまも…
行政も…
アホか〜⁉︎…と言いたくなってしまう(でも 口には出しません)
在宅療養のことを 知らなさすぎる
わかりやすい言葉で伝えても伝わらない (わたしの伝える技術不足です)
仕方ないのかとあきらめようとする自分の心と
これじゃ 在宅療養が進まないと考える自分との戦いです
毎日長尾先生の本を拝読させていただいてます
がんばります
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年05月03日 09:06 | 返信
長尾先生おはようございます。いつもお疲れ様です。
単純に言って、国があらためて医師法20条21条を解説し、事例紹介も網羅した勉強会を医師及び
関係機関に義務付けて頂いた方が、早く整備されるのではないでしょうか。
今や、市民に向けて、看取りについての講座や講演が開催されるのは当たり前に受け入れられて
います。関心も高く、保険会社なども、相続に関する法律を題材にしたセミナーを開催したりも
しています。業務遂行なさる側、病院・消防・警察も認識を深めて頂きたいと思います。
生きている時には救急搬送のタライ回しに遭い、亡くなっても尚、業務のなすりあいが為されては
身も蓋もない気持ちになります。
Posted by もも at 2016年05月03日 09:49 | 返信
勤務医側からすれば、素直に異常死体として死亡診断書書きます。
ただ、6回も辛い目に合わせる必要はあったのでしょうか?
何のためにかかりつけ医しているのでしょうか?
看取る気がなくて、単にその場しのぎのナンチャッテ医療を見ていて、
吐き気がしました。開業医はこの程度かとも。
Posted by とある勤務医 at 2016年05月03日 09:47 | 返信
『診療所の医師にも救急車の適正使用と大病院の関わり方の教育を』
Posted by がみた at 2016年05月04日 07:10 | 返信
端的に言ってあなたの説得不足でしょう。
自分の説明不足を棚に上げ、家族の希望だからと言って大病院に押し付けておいて文句を言うわけですね。。
Posted by 匿名 at 2016年05月04日 08:56 | 返信
結局あれこれ病院に投げておきながら、偉そうなことを言うのはどうかと思いますけどね。
本当に患者のためになってるんかな?
Posted by 小児科医 at 2016年05月04日 09:20 | 返信
長尾先生の返信版より
> そもそも、その病院から紹介された患者さんで、その後も病院の予約通り通っていました。
> 「何かあったら来て下さいね。」とその病院のセリフ。
その患者さんは、大病院勤務医を主治医であると考えていた、ということではないでしょうか。
「5回も蘇生して頂いたので、6回目は遠慮します。」とは誰も言わないでしょう。
3度目の時でも4度目の時にでもよかったのですが、大病院は、今後について(九死に一生を得た
けれども、次は無いかも知れません。看取りをどのように考えますか?)を家族と話合っておく
必要があったのではないでしょうか。
在宅の紹介先が長尾先生だからと、と丸投げしては困ります。
恋愛の終い方も、思わせ振りがトラブルの元であって、きっぱりと「嫌いです。別れましょう。」と
言わなかったがためにストーカー犯罪が起きたりするのだとか。
考えてみると、恵まれた患者さんだったような気もします。
Posted by もも at 2016年05月04日 11:48 | 返信
『患者さんと家族の希望』という大義名分で急変時に大病院に丸投げすることは誰でもできる。あなたは在宅看取りを生業としており、単に自分の商売を続けたかったとしか思えない。大病院、かかりつけ、患者、家族の間で現実的な折り合いをつけるのが看取りではないのか?死にそうになったら救急搬送を何度も繰り返すことのどこが在宅看取りですか?本人と家族はあなたを大病院への連絡係りとして使いたかっただけ。あなたはなんの思考もない連絡係り。大病院に看取りを偉そうに語る資格がどこに?
Posted by 内科医 at 2016年05月05日 06:36 | 返信
COPDと書いてある所を見ると、この患者さんは、タバコを大量に長い間吸っていらっしゃった可能性もあります。
「療養型病院に入院を勧められたそうだ」と長尾先生が書いていらっしゃるところを見ると、長尾先生宛に「何故療養型病院に入院を勧めるのかの理由」のお手紙も無かったのでしたら、7回目の発作と緊急搬送も有りですね。
今更何故、攻撃して来るのかは、別の理由があるのじゃないかと推測します。
コメントを頂くお医者様は、できたら何処の病院に勤務していらっしゃるお医者様か、お名前もお伺い致したいと存じます。
Posted by 大谷佳子 at 2016年05月05日 07:19 | 返信
雨後の筍のように数を重ねるシェアのクリック。
ここぞとばかり、人の弱みに付け込むような、
なんだか世知辛い医療界。
公の場で、本ブログ上で、名乗りを挙げて
物申すなら恰好いいとは思うけど、総攻撃の
ような勢いに乗る便乗派は、どうしたものか..。
これでは論戦ではなくて、ただの個人攻撃。
Posted by もも at 2016年05月07日 12:43 | 返信
在宅医療も大病院も、関わるのは人の命。本気で患者さんと向き合わない限り人任せ医療は無くならないと思います。受け持った以上、人生の最後は生きているうちに旅立ちの道路整備は絶対必要です。何度も見直し話しあってこそ、信頼と安心の礎の花が咲くのではないでしょうか。地域連携って…資格以上に人との関わり…と思います。そして国がもっと考えるべき大きな課題と思います。
Posted by たんぽぽ at 2016年05月08日 10:16 | 返信
みなさまのコメントを拝見いたしましたが医療の事はわからないですが、
家族の立場から思ったことをお伝えしようと思います。
このご家族の方としては親の最期をやすらかに迎えられるように平穏死を望まれていて
長尾先生にすべてを依頼されたのではないでしょうか?
トイレ後に、重傷呼吸困難になられるとの事、患者様もご自分がトイレに行けば
呼吸困難になる事をわかっていながらでも、きっとご自分のプライドをかけて
自力で行かれたかったのだと思います。
何度も注意をうけてわかってらっしゃたのにもかかわず、笑いでごまかされていたのでしょうね。
重傷呼吸困難になった親を目の前にして、ましてや本人が救急搬送を希望していた場合
平穏死を両親の為に選択をしていても、なかなか冷静な判断は出来ないのではないでしょうか?
(これはどんな状況であれ平穏死を選択した以上、家族にとってどう対応していくかは
ある程度覚悟を決めておかなければいけませんね。家族にとっての課題だと思います。)
きっとその場で先生に説得をされても、苦しい親を目の前にしてパニックになっているように
思います。
特に本人が強く病院搬送を希望していたら、私であればきっと逆らう事ができないように思います。
ましてや、本人と家族の希望で救急搬送しては、”ギロギリで生き返る”という奇跡
というか成功体験が数回も続いていて、私たちも驚いていた。という事が繰り返されれば
その選択も間違いではなかったと思うと思います。
家族としては在宅看取りを決意していても、このような状況によっては今回のケースの
ような事もあると思います。
このご家族の方も在宅看取りを、先生に依頼をしていても結果、
このように大病院にもお世話になった事に関しては、
在宅看取りを希望をしていたにもかかわらず、
患者さんやご家族の意見をあくまでも尊重してくださったうえに
度々のわがままを聞き入れてくださった先生にとても感謝をされてる事でしょうし、
申し訳ない気持ちでいっぱいかもしれません。
もちろん大病院の先生方にも心から感謝をされている事と思います。
何人かのお医者様などからの丸投げ・説明不足・思考もない連絡係など
ご意見があるようですが、2、3行で言い放つのは簡単です。
ですが病を診るだけでなく、人も診てくださったからこその対応だと思います。
私の中ではお医者様とは、人の命と携わるお仕事をされているので、
損得勘定や利益などをぬきにしたある種、神に近い職業だと思っていました。
ですが、このようなご意見を持ってらっしゃるお医者様がいらっしゃるのだと
思うと悲しく、寂しくなります。
私たちのような市民は、自らでは何もできませんが、
どうか一人でも多くの患者さんを神のような気持ちで助けてあげてください。
よろしくお願いいたします。
Posted by 一般市民 at 2016年05月09日 04:24 | 返信
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