昨年10月に97歳で亡くなった前田(まえだ)キヨ子(仮名)は、生前「延命拒否」と記した紙を残していた。どんな思いでこの言葉を書いたのか。
キヨ子は大正時代の1918年に高知県内の山あいの町で生まれた。紡績工場で働きながら勉強して助産師資格を取得。産婦人科病院で働いた。
キヨ子をみとっためいの伊藤典子(いとう・のりこ)(66)=仮名=とは、義理の親子関係だった時期がある。典子が小学6年のとき、母親が病死。その妹のキヨ子が父親の再婚相手に選ばれ、2人は母娘として一緒に暮らした。死亡した配偶者のきょうだいとの婚姻が珍しくない時代だった。
結婚生活は長く続かなかったが、キヨ子はその後も典子を実の娘のようにかわいがった。
「自立心が強く、行動力のある人。自分のことは自分でやりたいという考えの人だった」と典子。キヨ子は土地を購入してアパートを建てるなど不動産を運用。自己資金で高知市内に自宅を建てた。当時の独身女性としては珍しいことだった。
70代半ばまで病院や高齢者施設に勤め続けた働き者。親族や友人の世話をよくして頼りにされる存在でもあった。
脳卒中で倒れたのは、90歳のときだ。入院手続きのため親族がキヨ子の自宅で通帳や印鑑を探していると、小さなメモ用紙が出てきた。毛筆で「主治医殿 延命拒否」とある。キヨ子の署名入りで実印も押してあった。ただ日付はなく、いつ書いたものかは分からない。「主治医」が誰を指すのかも不明だった。
右半身まひになったキヨ子だったが、意識ははっきりしていた。とはいえかなりの高齢だ。書き置きのことを問いただすのは、生きるか死ぬかを迫るようで、典子には何となくはばかられた。
脳卒中の発症から1年半後、市内のリハビリ病院に入院していた2009年。キヨ子の真意がどこにあるのか確かめられないまま、最初の選択のときがやってきた。ウイルス感染で体力が落ちたキヨ子に、チューブで体内に栄養を注入する「胃ろう」を医師は勧めた。
「早うお迎えが来んかねえ」。倒れた直後はこう漏らしていたキヨ子だったが、特に難色を示すこともなく提案を受け入れた。典子もこのとき、胃ろうを付けることの意味を深く考えなかった。(敬称略)
この記事へのコメント
リビングウィルは尊厳死協会で ・・・・・・ を読んで
長尾先生、日本尊厳死協会が所管している「リビング
ウィル」の実効性が90%を超えている ・・・・・・ って
本当ですか?
“尊厳死”・“平穏死”・“延命治療の拒否(リビングウィル)”
は、いづれも現時点の日本では法的根拠を持たず、実効性
を期待することは出来ない ・・・・・・・ というのが私の中の
理解でした。
日本尊厳死協会を通じて、「リビングウィル」を作成・
登録しても、気休め/自己満足と思っていました。
現実問題として、私が“延命医療の拒否”を表明した
「リビングウィル」を作成・登録していて、人事不省に
陥って救急車で緊急期病院に運ばれた場合、家族や親族
が“延命”を希望しても、担当した医師さんは、私が書
いた「リビングウィル」を尊重(優先)して、延命処置:
“ 人口呼吸・心臓マッサージ・気管挿入・人工呼吸器 ” の
いづれの措置も控えてくれるのでしょうか?
どこまでが、正当な緊急救命措置で、どこからが延命措置
という明確な一線を引くことは出来るのでしょうか?
ICU〔集中治療室〕に運び込まれた私を前にして、何の
治療も措置もしないで、その担当医師さんが訴えられる
ことはないのでしょうか?
日本において “安楽死” が殺人罪に問われることは確実な
ことと思っていますが、 “延命措置” 問題についてはまだ
まだ刑法のグレーゾーンというのが私の理解ですが、これ
は間違った理解なのでしょうか?
もし、日本尊厳死協会を通じての「リビングウィル」登録
が、私の意思の執行(実現)を担保してくれるものであれば、
直ぐにでも、「リビングウィル」の作成と登録を実行したい
と思いますが ・・・・・・・ ?!
どなたか、「リビングウィル」の実効性〔法的根拠も含めて〕
について、実際のところを教えて戴けないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2016年05月03日 02:07 | 返信
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