- << リビングイルは尊厳死協会で
- HOME
- 熊本地震から防災を再確認しよう >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
治療の引き際、やめどき
2016年05月03日(火)
がんの新薬、オプジーボが年間3500万円することが話題になっている。
こうした問題について4月30日の産経新聞全国版に記事が載っている。
後半には私の患者さんの話を含む、コメントが載っている。→こちら
こうした問題について4月30日の産経新聞全国版に記事が載っている。
後半には私の患者さんの話を含む、コメントが載っている。→こちら
3人の記者さんたちは、とってもいい記事を書いてくれた。
ここに紹介した患者さんを昨日、若い医師2人を同行して訪問した。
「抗がん剤やめて、悔いは無い?」
「全然!先生のおかげでいいところで止められて、元気になった!」
「あとどれくらい生きるつもり?」
「わからん。でも、いつ死んでもいい」
「でも元気やから、私のほうが先かな」
「そりゃないやろ」
「ところで、連休、どうしてる?」
「孫と大阪に遊びに行く」
「ええなあ、俺は仕事や」・・・・
この在宅患者さんは、平和で穏やか。
近著、「がんは人生を二度生きられる」を地でいっている。
若い医師達にも、にも、私の話が嘘ではないことを確かめてもらった。
研修医君のため息が聞こえてきた。
唯一、この記事で気になるのは、お金の問題と尊厳を比べて論じている点だ。
私は「医療経済と尊厳は両立する!」が持論なので決して対立概念ではない。
まあいい。
この記事を、多くの人に噛みしめて欲しい。
そして我がこととしてよく考えて欲しい。
「やめどき」を言っている医師は、私しかいない。
欧米にはたくさんいるが。
決してタブーではない。
誰でもいつか出会う壁なので、目を背けてばかりではいけないと思う。
ここに紹介した患者さんを昨日、若い医師2人を同行して訪問した。
「抗がん剤やめて、悔いは無い?」
「全然!先生のおかげでいいところで止められて、元気になった!」
「あとどれくらい生きるつもり?」
「わからん。でも、いつ死んでもいい」
「でも元気やから、私のほうが先かな」
「そりゃないやろ」
「ところで、連休、どうしてる?」
「孫と大阪に遊びに行く」
「ええなあ、俺は仕事や」・・・・
この在宅患者さんは、平和で穏やか。
近著、「がんは人生を二度生きられる」を地でいっている。
若い医師達にも、にも、私の話が嘘ではないことを確かめてもらった。
研修医君のため息が聞こえてきた。
唯一、この記事で気になるのは、お金の問題と尊厳を比べて論じている点だ。
私は「医療経済と尊厳は両立する!」が持論なので決して対立概念ではない。
まあいい。
この記事を、多くの人に噛みしめて欲しい。
そして我がこととしてよく考えて欲しい。
「やめどき」を言っている医師は、私しかいない。
欧米にはたくさんいるが。
決してタブーではない。
誰でもいつか出会う壁なので、目を背けてばかりではいけないと思う。
- << リビングイルは尊厳死協会で
- HOME
- 熊本地震から防災を再確認しよう >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
治療の引き際、やめどき ・・・・・・ を読んで
長尾先生ご持論の “医療経済と尊厳は両立する!”
が正しいか? 否か? 私には分かりませんが、
年間3500万円を必要とする治療に“保険診療”を
適用することはどうなんでしょうか?
それを負担しても保険診療が将来に亘り維持さ
れてゆく(破綻しない)保証があるのであれば
良いのですが ・・・・・・ 。
もし破綻する危険性が少しでもあるようであれば、
慎重な検討と議論が必要と思います。
がんを始めとしたあらゆる疾患の最終末期がどの
ように推移するかは、人それぞれと思っています。
QoLを優先させて辛い治療を自らの意思で止める
人がいて良いし、最後の最後までファイティング
ポーズを取り続けることで心の安定を優先させる
人がいても良いと思っています。
長尾先生が記事に書かれておられるように“やめ
どきはその人の人生哲学”に拠ると私も思います。
その“やめどき!”について、長尾先生は現状は
医師主導であるが、これを医師と患者の話し合い
で決めて行く方向を勧めておられますが ・・・・・・・
私は、お医者さんはどのような選択肢(治療)があ
り、そのそれぞれのメリット・デメリット、予後の
推測を丁寧に説明して戴き、最終の決断は患者本人
がするのが良い(妥当)と思っています。
なんと言っても、治療を続けるにせよ、止めるにせ
よ、その結果と直接向き合うのは患者さん本人なの
ですから。
それこそ “自己責任” で良いのではないか? と思い
ますが、ことはそんなに単純ではないのでしょうか???
Posted by 小林 文夫 at 2016年05月03日 03:04 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: