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無駄な医療とはなんですか?
2016年06月26日(日)
「無駄な医療」について最近週刊誌から取材が多い。
狭い紙面ではとてもとても言えないので、書いてみた。
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公論7月号 国民皆保険制度の正念場
“無駄な医療”とはなんですか?
医学の進歩が国を滅ぼす?
年間3500万円もするがんの新薬“オプジーボ”が世間を騒がせている。皮膚がんや肺がんに保険適応がある免疫チェックポイント阻害薬である。この薬は効く人にはよく効く。しかしどの人によく効くのか事前に知ることができない。またよく効くといってもいつかは必ず効かなくなる。そして効く人には年間3500万円というコストが続く。また徐々に効かなくなってくる人にも、どこで中止すればいいのか基準は不明である。一方、600~800万円もするC型肝炎の治療薬はそれに比べたら可愛いものだ、という意見もある。というのも9割以上の確率で完治可能であるので、長い目で見れば1回限りの投資で済むからだ。いずれにせよ、年々高額な新薬が続々と登場し、増加する医療経済を逼迫している。里見清一先生は「医学の進歩が国を滅ぼす?」と警鐘を鳴らされたが、こうした超高価な薬の登場と今後の対応は、受益者のみならず広く国民に知ってもらうべき事である。そしてこれほどまでに高薬価になる理由や負担のあり方を広く議論すべき時に来ている。
「無駄な延命治療」とは
最近いろんなメデイア関係者から「無駄な医療」について質問される機会が増えた。みな異口同音に「我が国の医療経済が大変なので高額医療や延命治療などの無駄な医療費を早急に削減しないといけないのでは」と問うのである。質問者はたいてい20~30歳代の記者さんである。彼らはいとも簡単に「無駄な延命治療」という言葉を使うが、最初にこれを聞いただけで質問にどう答えたらいいのか、一瞬悩む。というのも彼らは医療における「無駄」や「延命」という言葉の意味を真剣に考えたこともなければ、ただ「今後経済が大変」という理由で極論を投げかけて来るからだ。しかしその割には例えば「リビングウイル」という基本的な言葉すら聞いたことが無いのでどこから教えればいいのかいつも悩む。
彼らの口からは“胃ろう”や“人工透析”という言葉が必ず出る。そこで私は“胃ろう”栄養で生きている先天性食道閉鎖症で小児や神経難病患者さんの話をする。また“人工透析”を受けながら活躍している人の話をする。「“胃ろう”や“人工透析”が無駄な医療であるという考えは間違いで、本人の尊厳を損ねている場合が問題」と説明する。「無駄な延命治療」という言葉はあまりにも単純で暴力的だ。本人がちっとも無駄と思っていなければ決して無駄とは思わない。その人を満足、幸せにするために医療はある。そして世界に冠たる国民皆保険制度もそのためにある。
多剤投与という確かな無駄
高齢になるほど病気の数が増える。そしてそれに比例して投薬数も増えてしまう。これは現代医療が“臓器別縦割り”で成り立っている限り宿命と言える。総合診療医の養成が急がれるとよく言われるが、私の学生時代から言われ続けてきた。つまり30数年前から謳われても牛歩の歩みなのである。80代の高齢者に10~20種類以上もの投薬は稀ではない。今春の診療報酬改訂では減薬が評価されたがどれだけの実効性があるのかは不明である。医療の進歩や医学界の縦割りに切り込むことは、医療側の努力だけでは無理ではないか。各医学会が製薬会社に依存した“診療ガイドライン”を掲げているが、もし医療訴訟が起きた場合、ガイドラインに従っているかが必ず争点となるからだ。むしろ多剤投与の怖さを国民に広く啓発すべきで診療報酬誘導だけでは難しい。多剤投与はそれほど根が深い。
しかし多剤投与や残薬問題は、どんな患者さんにとっても間違いなく「無駄」と言っていい。だから強力に取り組むべきであろう。お薬手帳が義務づけられているが薬局ごとに発行していいのであれば、意味がない。投薬情報を一元化してお薬手帳を持参しないと投薬できないくらい厳しくしないと意味がない。台湾の健康保険証は銀行のかっシュカードのようだが、ICチップに薬剤情報が全て入力されているのでどんな医療機関でも重複投与のチェックが容易である。マイナンバーよりもこちらを先にやるべきであると思うのは私だけだろうか。さらに「無駄な検査」も相当ある。重複して同じ検査をすれば誰がなんといっても無駄である。こうして考えると正真正銘の無駄、グレーゾーン、そして安易に無駄とはいえないものの3類型があると考える。今後の医療経済を論じる場合、この3者を明確に区別して行わないとおかしな話になる。
待ったなしの正念場
「終末期医療には金がかかる」と多くの人が思っている。メデイアも同じ。たしかに最期に病院で管だらけになればそうかもしれない。この40年間の日本の医療の実態そのものではあった。しかしこの5年、「平穏死」という思想の普及で病院における終末期医療も空気が多少なりとも変わりつつある。もちろん平穏死という願いが叶い易い在宅医療の普及も急がれる。
私は「人間の尊厳と経済は両立する」と常々述べてきた。しかし多くの医療経済学者も政治家もメデイアも「両者は相反するもの」という前提で「無駄な医療」の議論をしているような気がしてならない。スパゲッテイ症候群も胃ろうも人工透析もあくまでも人間の尊厳という視点で分析すべきである。さらに優れた諸医療の“やめどき”を、尊厳という視点から真剣に議論する時期ではないか。すると自ずと尊厳と経済は自然と両立するようにできていることに気がつくはずである。
近著「病気の9割は歩くだけで治る」が半年以上、アマゾンの医療部門1位になっているが、もっと運動に力を入れるべきであるという想いで書いた。お薬の前に、運動療法と食事療法になぜもっと力を入れないのか不思議でならない。お金がかからない「養生法」を国民運動とすべきではないのか。日本経済や国民皆保険制度は待ったなしの大きな曲がり角に来ている。
狭い紙面ではとてもとても言えないので、書いてみた。
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公論7月号 国民皆保険制度の正念場
“無駄な医療”とはなんですか?
医学の進歩が国を滅ぼす?
年間3500万円もするがんの新薬“オプジーボ”が世間を騒がせている。皮膚がんや肺がんに保険適応がある免疫チェックポイント阻害薬である。この薬は効く人にはよく効く。しかしどの人によく効くのか事前に知ることができない。またよく効くといってもいつかは必ず効かなくなる。そして効く人には年間3500万円というコストが続く。また徐々に効かなくなってくる人にも、どこで中止すればいいのか基準は不明である。一方、600~800万円もするC型肝炎の治療薬はそれに比べたら可愛いものだ、という意見もある。というのも9割以上の確率で完治可能であるので、長い目で見れば1回限りの投資で済むからだ。いずれにせよ、年々高額な新薬が続々と登場し、増加する医療経済を逼迫している。里見清一先生は「医学の進歩が国を滅ぼす?」と警鐘を鳴らされたが、こうした超高価な薬の登場と今後の対応は、受益者のみならず広く国民に知ってもらうべき事である。そしてこれほどまでに高薬価になる理由や負担のあり方を広く議論すべき時に来ている。
「無駄な延命治療」とは
最近いろんなメデイア関係者から「無駄な医療」について質問される機会が増えた。みな異口同音に「我が国の医療経済が大変なので高額医療や延命治療などの無駄な医療費を早急に削減しないといけないのでは」と問うのである。質問者はたいてい20~30歳代の記者さんである。彼らはいとも簡単に「無駄な延命治療」という言葉を使うが、最初にこれを聞いただけで質問にどう答えたらいいのか、一瞬悩む。というのも彼らは医療における「無駄」や「延命」という言葉の意味を真剣に考えたこともなければ、ただ「今後経済が大変」という理由で極論を投げかけて来るからだ。しかしその割には例えば「リビングウイル」という基本的な言葉すら聞いたことが無いのでどこから教えればいいのかいつも悩む。
彼らの口からは“胃ろう”や“人工透析”という言葉が必ず出る。そこで私は“胃ろう”栄養で生きている先天性食道閉鎖症で小児や神経難病患者さんの話をする。また“人工透析”を受けながら活躍している人の話をする。「“胃ろう”や“人工透析”が無駄な医療であるという考えは間違いで、本人の尊厳を損ねている場合が問題」と説明する。「無駄な延命治療」という言葉はあまりにも単純で暴力的だ。本人がちっとも無駄と思っていなければ決して無駄とは思わない。その人を満足、幸せにするために医療はある。そして世界に冠たる国民皆保険制度もそのためにある。
多剤投与という確かな無駄
高齢になるほど病気の数が増える。そしてそれに比例して投薬数も増えてしまう。これは現代医療が“臓器別縦割り”で成り立っている限り宿命と言える。総合診療医の養成が急がれるとよく言われるが、私の学生時代から言われ続けてきた。つまり30数年前から謳われても牛歩の歩みなのである。80代の高齢者に10~20種類以上もの投薬は稀ではない。今春の診療報酬改訂では減薬が評価されたがどれだけの実効性があるのかは不明である。医療の進歩や医学界の縦割りに切り込むことは、医療側の努力だけでは無理ではないか。各医学会が製薬会社に依存した“診療ガイドライン”を掲げているが、もし医療訴訟が起きた場合、ガイドラインに従っているかが必ず争点となるからだ。むしろ多剤投与の怖さを国民に広く啓発すべきで診療報酬誘導だけでは難しい。多剤投与はそれほど根が深い。
しかし多剤投与や残薬問題は、どんな患者さんにとっても間違いなく「無駄」と言っていい。だから強力に取り組むべきであろう。お薬手帳が義務づけられているが薬局ごとに発行していいのであれば、意味がない。投薬情報を一元化してお薬手帳を持参しないと投薬できないくらい厳しくしないと意味がない。台湾の健康保険証は銀行のかっシュカードのようだが、ICチップに薬剤情報が全て入力されているのでどんな医療機関でも重複投与のチェックが容易である。マイナンバーよりもこちらを先にやるべきであると思うのは私だけだろうか。さらに「無駄な検査」も相当ある。重複して同じ検査をすれば誰がなんといっても無駄である。こうして考えると正真正銘の無駄、グレーゾーン、そして安易に無駄とはいえないものの3類型があると考える。今後の医療経済を論じる場合、この3者を明確に区別して行わないとおかしな話になる。
待ったなしの正念場
「終末期医療には金がかかる」と多くの人が思っている。メデイアも同じ。たしかに最期に病院で管だらけになればそうかもしれない。この40年間の日本の医療の実態そのものではあった。しかしこの5年、「平穏死」という思想の普及で病院における終末期医療も空気が多少なりとも変わりつつある。もちろん平穏死という願いが叶い易い在宅医療の普及も急がれる。
私は「人間の尊厳と経済は両立する」と常々述べてきた。しかし多くの医療経済学者も政治家もメデイアも「両者は相反するもの」という前提で「無駄な医療」の議論をしているような気がしてならない。スパゲッテイ症候群も胃ろうも人工透析もあくまでも人間の尊厳という視点で分析すべきである。さらに優れた諸医療の“やめどき”を、尊厳という視点から真剣に議論する時期ではないか。すると自ずと尊厳と経済は自然と両立するようにできていることに気がつくはずである。
近著「病気の9割は歩くだけで治る」が半年以上、アマゾンの医療部門1位になっているが、もっと運動に力を入れるべきであるという想いで書いた。お薬の前に、運動療法と食事療法になぜもっと力を入れないのか不思議でならない。お金がかからない「養生法」を国民運動とすべきではないのか。日本経済や国民皆保険制度は待ったなしの大きな曲がり角に来ている。
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この記事へのコメント
「無駄な延命治療」という言葉はあまりにも単純で暴力的だ。本人がちっとも無駄と思っていなければ決して無駄とは思わない。その人を満足、幸せにするために医療はある。そして世界に冠たる国民皆保険制度もそのためにある。
・・・・・・けして揚げ足をとるつもりはなく・・・・・・・
この逆の、「無駄な延命治療」ではない(「不治かつ末期」ではない)にもかかわらず本人が治療を拒否する場合、周囲の人々はどのように対応すべきなのでしょうか?
無駄な延命治療ではなく不治かつ末期でもなく、治療すればまだ飲食可能で風呂も楽しめる、にもかかわらず、「もうほっといてくれ、余計なことはするな」と。
「ほっといてくれ」という理由は、
①医者や看護師などの「命令する人」にいじられたくない(医者を信用していない)
②「治療」は痛いから、不快であるから嫌だ
③もう年だから、何をやっても若い時みたいに元気になれないのがわかってる
④・・・これが、阿呆な老人によくあるタイプですが・・・「ほっといてくれ」というとなんかカッコいい=自分は生きていてもしょうがないんだ、というポーズ・甘ったれ。
家族である私は、もう、うんざりしています。
私の本音は
「死にたきゃ死んでいいよ。誰もお願いして生きててほしいなんて思ってないよ。あんたの人生、生きるも死ぬるもあんた次第だよ。あんたがフツーに死んでくれれば私はホットする。」
実際に私が言ってることは
「食べたくても食べれなかった人だっているでしょ、生きたくても死んでった人はたくさんいるでしょ、いずれ、何をしたって食べれなく飲めなくなるんだから、その時まで一所懸命生きないと、もったいないよ。」
私はけっして、「生きててほしいのよ、お願いだから元気になって」なんて言いません。
そんなこと言ったら、ず~っと恩着せがましく「オレは死にたいのにお前が懇願するから生きてやってるんだ」って、なにかにつけて支配しようとする。
老人とは、支配欲に満ち溢れた自分勝手自己中心なんでもかんでも責任転嫁する化け物。
そういう化け物にならない年の取り方を、どうか本にしてください。
物理的な医療・介護は最低限であっても今後も提供されるでしょう。
しかし老人特有の、というより、慣習的に許容されてきた「老人のわがまま」について、個別対応しているヒマも人手もなくなっています。
「老害」を介護する余裕なんてありません。
「治療拒否」っていうのは(健常な成人であれば)本人の問題なのに、「医療を受けさせない周囲の人間が悪い」という非難を受けます。私自身も経験しています。
そういった「とばっちり」を受けないためには、強制的に入院させるしか、選択肢が無い場合も出てきます。
入院先は、地獄の精神病院、しか、選択肢がない場合もあるんですよ。
Posted by 匿名 at 2016年06月26日 02:26 | 返信
暴れてる認知症の高齢者。たとえ精神病院でも入院させとけば家族やかかりつけ医は非難はされないのでしょう。認知症で食べれなくなった高齢者を入院というのも同じ。とりあえず入院させとけばいいというのは長年にわたる日本医療の伝統的な責任回避の手法。老いという現実からの逃避。
Posted by マッドネス at 2016年06月26日 06:09 | 返信
ICチップは大嫌いです。しかも病気の管理を一元化できない弱点は、医師会側にあるのでは
ありませんか?今回は「薬」についてを一元化と仰っているのは理解できますが、何かと共通に
したくない理由は、大病院側にもあるように思います。
何かとウヤムヤ、グレーゾーンを必要としているところは、世間にありますよね。
ブログ締め括りにあります「養生法」には賛成です。健康番組も多岐に渡っていますから
内容をまとめて頂けたら助かります。
Posted by もも at 2016年06月26日 10:51 | 返信
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