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巨泉さんを偲ぶ
2016年07月22日(金)
大橋巨泉さんが82歳でがんのため亡くなられた。
あの人の声や笑いやエッセーを見ることは無いと思うと寂しい。
思えば、一度だけ巨泉さんと会ったことがある。
あの人の声や笑いやエッセーを見ることは無いと思うと寂しい。
思えば、一度だけ巨泉さんと会ったことがある。
たしか今から、27年くらい昔の初夏の話。
私はオーストラリアのケアンズという町に居た。
シドニーで開催された世界消化器病学会の帰りに夜行電車でケアンズに寄った。
安ホテルで朝起きて新聞を広げると、地元のゴルフ場で第1回全豪シニアゴルフ大会
が開催されて、ギャラリーにはシャンパンをプレゼントするよ、と書いてあった。
本当かな?と思って行ってみた。
パラダイスパームスという豪華なゴルフ場だった。
そこで、世界最強のレフテイと言われていたボブチャールズという選手がいたので
帽子にサインをしてもらった。
彼について回っていると途中で大橋巨船さんと出くわした。
彼もこのトーナメントに出ているようだった。(プロアマだったかも)
たしかシングルの腕前と聞いていたが、プロの中に入るとさすがに見劣りする。
あるホールでは林の中に打ち込んでしまい、私の近くに転がってきた。
巨泉さんはハアハア言いながら、林の中に分け入りボールを林から出した。
正直、格好いいの反対で、格好悪い姿の巨泉さんを近くで見ることになった。
たしか演歌歌手も一緒だった。
ラウンド終了後の巨泉さんは明らかに疲れていた。
しかしまるで子供のように一生懸命に白球を追っていた姿が印象に残っている。
巨泉さんは本当にゴルフが好きなんだなあ、と思った。
その後、夏は北海道で、冬はハワイで暮らすと聞き、羨ましいと思った。
いつかそんな生活をしてみたいと憧れた。
政治家になっても、向かないと分かるとわずか半年で放り投げた。
利権にしがみつく人が多い中、ある意味、すがすがしさを感じたやめ方だった。
巨泉さんは自由奔放に、しかも明るく生きた人に見えた。
これは誰でもできることではなく、誰もが羨む生き方ではないのか。
そんな巨泉さんは胃がん、そして咽頭がんと12年間も闘っていたという。
やはりタバコが原因だったのか。
最後の3ケ月間は、在宅介護でモルヒネの後遺症に苦労したと報道されているが
在宅医療で、いったい何かあったのだろうか。
モルヒネは痛みを取る薬で毎日使っているが、そんなことは一度も経験がない。
だからヘンな報道だなあ、誤解を生まなければいいなあ、と思った。
いずれにせよ、あの豪快な人はもうこの世にいない。
子供の時は彼の魅力がよく分からなかったが、この年になると分かる。
しかし大阪人からすると、どこまでも東京の人、別世界の人、という存在でもあった。
東京の人が、やしきたかじんさんをあまり知らないことと同じであろうか。
ひとつの時代が終わり寂しい。
あの白球を追っていた日が懐かしい。
巨泉さんのご冥福をお祈りする。
私はオーストラリアのケアンズという町に居た。
シドニーで開催された世界消化器病学会の帰りに夜行電車でケアンズに寄った。
安ホテルで朝起きて新聞を広げると、地元のゴルフ場で第1回全豪シニアゴルフ大会
が開催されて、ギャラリーにはシャンパンをプレゼントするよ、と書いてあった。
本当かな?と思って行ってみた。
パラダイスパームスという豪華なゴルフ場だった。
そこで、世界最強のレフテイと言われていたボブチャールズという選手がいたので
帽子にサインをしてもらった。
彼について回っていると途中で大橋巨船さんと出くわした。
彼もこのトーナメントに出ているようだった。(プロアマだったかも)
たしかシングルの腕前と聞いていたが、プロの中に入るとさすがに見劣りする。
あるホールでは林の中に打ち込んでしまい、私の近くに転がってきた。
巨泉さんはハアハア言いながら、林の中に分け入りボールを林から出した。
正直、格好いいの反対で、格好悪い姿の巨泉さんを近くで見ることになった。
たしか演歌歌手も一緒だった。
ラウンド終了後の巨泉さんは明らかに疲れていた。
しかしまるで子供のように一生懸命に白球を追っていた姿が印象に残っている。
巨泉さんは本当にゴルフが好きなんだなあ、と思った。
その後、夏は北海道で、冬はハワイで暮らすと聞き、羨ましいと思った。
いつかそんな生活をしてみたいと憧れた。
政治家になっても、向かないと分かるとわずか半年で放り投げた。
利権にしがみつく人が多い中、ある意味、すがすがしさを感じたやめ方だった。
巨泉さんは自由奔放に、しかも明るく生きた人に見えた。
これは誰でもできることではなく、誰もが羨む生き方ではないのか。
そんな巨泉さんは胃がん、そして咽頭がんと12年間も闘っていたという。
やはりタバコが原因だったのか。
最後の3ケ月間は、在宅介護でモルヒネの後遺症に苦労したと報道されているが
在宅医療で、いったい何かあったのだろうか。
モルヒネは痛みを取る薬で毎日使っているが、そんなことは一度も経験がない。
だからヘンな報道だなあ、誤解を生まなければいいなあ、と思った。
いずれにせよ、あの豪快な人はもうこの世にいない。
子供の時は彼の魅力がよく分からなかったが、この年になると分かる。
しかし大阪人からすると、どこまでも東京の人、別世界の人、という存在でもあった。
東京の人が、やしきたかじんさんをあまり知らないことと同じであろうか。
ひとつの時代が終わり寂しい。
あの白球を追っていた日が懐かしい。
巨泉さんのご冥福をお祈りする。
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この記事へのコメント
私も…
不思議に思った
最期は 集中治療室だったんだ…と…
意識決定支援をするいろんな職種の方が きちんとサポートしてくださったんでしょうか…と…
30年くらい前のお話です
カナダに旅行に行った時 観光地には OKショップがあって
困ったことがあれば このお店に助けを求めて下さいと添乗員さんに言われました
56歳でセミリタイア宣言とか言ってましたが…
自分の人生
思い通りに生きるって 難しいですね
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年07月24日 07:59 | 返信
永六輔さんが、好き。どちらかといえば、ナゼかなと、振り返る都、イレブンpm.が、若い心には、抵抗感??!いっばい、だったと、振り返る。なんだか、女性が、飾り物あつかい、14さいから、働きたぼ多忙極めていた、心2は、あかん!いや❗️さけんていた気がします。
Posted by おこ at 2016年07月28日 08:43 | 返信
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