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口から食べられなくなった時、どうするか

2016年07月29日(金)

産経新聞連載・親の介護シリーズ第6回は「口から食べられなくなった時、
どうするか」というテーマについて、日ごろの想いを抑えながら書いた。→こちら
3つの選択肢を用意したが、 もちろん「自然に任せる」がお勧めである。
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産経新聞・親の介護シリーズ第6回  老衰で食べられない時
                 胃ろう?点滴?自然に任す?
 
90歳を超えた人が徐々に食欲が低下して体重が減るのは自然の摂理です。どうしてこんな当たり前のことを書くのかと言えば「体重減少はがんのせいではないか?」と心配される50代、60代の子供世代が実に多いからです。胃カメラや大腸カメラ検査は可能ですが、本人にはそれなりの負担があります。特に大腸カメラは2ℓもの下剤を飲んで腸を空っぽにしなければ検査ができません。前処置のために命を落とすかもしれないような危険な検査は必要無いと思うのですが、聞き入れない子供世代もいます。もし進行がんが見つかっても手術に耐える体力が怪しい場合もあります。それでも種々の検査を希望される子供世代への対応に振り回されることが年々増えています。さらに現場が困っていることは「食べられないのに放っておいていいのか?」と怒鳴りこんでくる遠くの長男・長女への対応です。決して放っているわけではなく、介護スタッフは食材の工夫をしたり一生懸命に食事介助をしているわけです。しかし徐々に痩せ細っていく親の姿を見たくない、認めたくないのでしょう。医師や介護スタッフに「もっとたくさん毎日、点滴をしてくれ」と注文される人がいますが、介護保険の枠内でできる点滴回数には限りがあります。

口から食べられなくなった時に、口以外の経路から水分や栄養を入れる行為を「人工栄養」と呼びます。ひと昔前には、鼻から管を胃に入れて栄養剤を流しこんだり、頸や鎖骨の下の太い静脈から点滴で入れる高カロリー点滴が花盛りでした。しかし約20年前から胃ろうが広く普及して一時は40万人もの高齢者が胃ろう栄養となりました。もし人工栄養をするのであれば「胃ろう」が最も優れた方法です。しかし数年来のマスコミ報道を「胃ろう=悪」と誤解した子供世代が多いようで、「胃ろうは悪いものだから嫌だ。だから高カロリー点滴か経鼻栄養にしてくれ」と希望される人も。そもそも日本人は点滴が大好きな国民ですが理解に苦しみます。「高カロリー点滴さえしてくれたら親は死なないはず」という旨のことを言われる子供世代もいます。いくら胃ろうのメリットを説明しても聞き入れてくれない。病院でも同様のことが起きて仕方なく高カロリー点滴が施行されるもそのまま家に帰りたい、という相談が時々舞い込みます。私は「それなら胃ろうに変更してから家に帰ってきてください」と申し上げるのですが、議論はまた堂々めぐりになります。

胃ろうに「良い悪い」なんてありません。胃ろうという優れた人工栄養法をそれが似合う人にどのように使うのかというだけの話。多くの人は「一旦胃ろうを造設したら一生口から食べられない」と誤解しています。少しでも可能性があれば口から食べることを諦めてはいけません。生きるとは食べること。胃ろうにしても誤嚥性肺炎は防げません。もちろん90を過ぎての老衰や認知症終末期には「胃ろうをしない=人工栄養をせずに自然に任せる」という選択肢もあり、内心それがお勧めです。特に本人が人工栄養をしないで欲しいというリビングウイルを表明している場合は本来、本人の意思を尊重すべきです。しかしそれでも人工栄養を希望される子供世代がおられます。意外かもしれませんが医療関係者に多い。自分はイヤだけど親にはして欲しいと願うのです。

 
キーワード 胃ろう
胃内視鏡などを用いて腹部に穴を開けて胃袋に直接栄養を入れる管を造設する経腸栄養の一法。局所麻酔で20~30分程度でできる。胃が使えない場合は、食道や小腸に管を通す場合もある。

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この記事へのコメント

こんばんは、おつかれさまでございます。

まさに今、母親がマーゲンチューブ抜けて
口からの栄養です。

考えさせられますね。

Posted by 尾崎 友宏 at 2016年07月29日 01:40 | 返信

「今日が口から食べられる最後の日です」って言われたら、さあ、何を食べようかなあ。そんなことを考えながら毎日の食事に感謝。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2016年07月29日 05:39 | 返信

口から食べられなくなった時、どうするか
 ・・・・・・・・ を読んで


口から食べられなくなった時、どうするか? 
という問題については、何故食べられないの
か? をまず考える必要があると思います。

食道などの消化器官のトラブルで口から食物が
摂れない場合は、胃ろうなどを利用して栄養を
身体に補給することは必要なことと思いますが、
そのような物理的な問題がないにも拘わらず食
が細って来た場合は、身体が食物を少ししか必要
としていない! ということが本当のところと
思います。

人間誰しも永遠に生きれる訳ではありません。
人生の最終ステージ(収束)に向かって、外から
摂り入れるエネルギー〔食物〕や水分を少なく
して行き、枯れるようにして最期を迎えることが、
一番自然であり、一番苦しみの少ない最善の道だと
私は理解しています。 〔 ← 長尾先生の言われて
いるところの“平穏死”〕


長尾先生は本ブログで、“90歳を過ぎての老衰や
認知症終末期には「胃ろうをしない=人工栄養を
せずに自然に任せる」という選択肢もあり、内心
それがお勧めです。・・・・・・ と、穏やかな論を展開され
ていますが、高齢期(老齢期)に必要以上の栄養や
身体に入れることの弊害〔身体が水膨れしてしんどい
ことや腹水が溜まること、痰が喉に詰まりゼコゼコ
すること等〕を考えた時、『胃ろうをしない=人工栄養
をせずに自然に任せる』ことを強く推奨します!
と強く主張された方が良かったような気がしています。

長尾先生が日頃説いておられる“平穏死”を実現する
ためには、自然の摂理に従い、なるべく余計なことを
しないことが最善の選択肢! と言い切って欲しかった
と感じています。

Posted by 小林 文夫 at 2016年07月29日 08:57 | 返信

遠くの長男・長女の口出しが災いする(邪魔をしている結果となってしまう)事例を読む時に
思うことは、実態としては "無責任" だと率直に思います。実際に日常のアレコレを自分で
手を施す・世話をする、という事は "出来ない"のではなくて "しない "のだけれど、金銭的に
面倒を見て、采配を振るっていれば、それが介護であると勘違いしている(自負だけが強い)
そういった「他人に厳しく自分に甘く」という層が確実に存在すると思います。
"遠い" は便宜的であり、便利な距離なのでしょう。

Posted by もも at 2016年07月29日 08:53 | 返信

私の母(91歳)は最後の日の朝昼兼用の食事は、タラフク平らげました。
それで、トイレに行きたくなったのです。
私が買物に言っている間に、自分でトイレに行こうとして、大動脈解離で死にました。
あんまり、食べさせ過ぎたのかもしれません。
コレステロール値はそんなに高く無かったんですけど。200くらいだったと思います。
メバロチンも飲んでいたのに...。

Posted by 匿名 at 2016年07月30日 01:47 | 返信

元々の病気が根本にあるために、寝たきり生活が長くなった方は別として、人は老衰に向けて
自然に何かを削ぎ落としていくのだなぁと思うことがあります。けれど、身体を少しでも動かす
ことを当たり前に意識している時には、自然の摂理によって(経口栄養)物を食べることは本能
として、自発的に行うことができるように思います。途中で、自ずからの動作を諦めるとか
人を当てにするとか、簡単な表現にすると"怠惰"を自分に許してしまうことによって、バランスが
崩れていってしまうのではないでしょうか。人によって差があることは、仕方がないけれど、
人間、最後まで生きることには意志を持ち、少なからずでも、自発的な意欲が必要かも知れません。

Posted by もも at 2016年07月31日 01:16 | 返信

あのー ですね。
「遠くの長男・長女」という文言は誤解を招くと思います。
今後はたとえば「老いや終末期について考えていない人達」とでも表記していただけたらうれしいな、と希望します。

また、ももさんが書いておられますが、「実際に日常のアレコレを自分で手を施す・世話をする、という事は "出来ない"のではなくて "しない "」か否かは、その家族それぞれのありかたですから、他人様がとやかく言うことでないと思います。
もし、ももさんの論調で語るなら、親を介護施設に入れて食事や身の回りの世話をしない子供は、医療を含む介護施設の方針に何も言うことができないことになります。

私は親を介護施設に入れてきましたし、今後も私の親は介護施設で生活します。
けれども、
日本尊厳死協会へ登録を済ませている本人の希望を前提に、投薬内容や医療行為について、私はずっと本人および家族の希望を述べその希望に沿った投薬および医療行為がなされるように、すなわちどうしても必要でない薬は飲ませない、どうしても必要でない検査や医療行為は希望しない、という「口出し」してきましたし、今後もします。なぜなら、本人の人権を守るためにそうせざるを得ないからです。

私は特養や老健の施設職員からずいぶん嫌味を言われてきました。投薬内容や薬剤量の増減は必ず事前に私に報告してほしい、と言っているにもかかわらず知らされなかったことは何度もあります。私が処方薬のリストを要求すると、そんなヒマがあるなら自分で世話できるだろう、といった嫌味を言われてきました。特養や老健という「医者が支配している施設」は、「医者のやりかたに口を出すなら施設を出ていけ」なのです。ですから、特養や老健は「薬の人体実験場」と化するのです。

今、ようやく、安心できる施設にたどり着きましたが、それでも、「家族の多様性」を理解していない介護職員の浅薄な言葉に心が乱れることはしょっちゅうあります。

いろんな「家族」があります。
親との思い出は嫌なことばかりで良い思い出が一つもない子供もいます。
そういう子供に、毎日何時間も親と同じ部屋で同じ空気を吸って親の言いなりになって親が気に入るように身の回りの世話をしろ、というのは、その子供への虐待ではありませんか?

Posted by 近くにいるけど遠い長女 at 2016年07月31日 02:15 | 返信

先の件、生涯自分で食べることができるようにと願いたく、自戒を込めて。

Posted by もも at 2016年07月31日 07:51 | 返信

私は介護職をしてましたが、介護離職しました。
介護をちょっと長くしていると、知ったかぶりをしていろいろと言ってみたくなります(私がそうでした)。
親戚の方が胃瘻を付けないという選択で98歳で天寿を全うされた時には「良い選択だ」と私は言いました。
違う、親戚の方が胃瘻をされた時には、私は批判をしました。
昨年の今頃、父親が医師に余命宣告らしき事を言われた時、私は考えられない事を医師にいました。
「胃瘻を造設して下さい」と。
どんな認知症であろうと、どんな格好であろうと親には生きていてほしいと思いました。
又、その時はじめて、親を思われて胃瘻をされてる子供さんなり奥様の気持ちが分かりました。
宣伝する訳じゃないですが、その時の気持ちを私のブログに書いてますので、読んで頂ければ幸いです。

Posted by at 2016年07月31日 08:46 | 返信

日本人の美徳だと思う言葉「おかげさま」が好きです。柔らかな響き、他者を思いやる眼差し、
が感じられて、「おかげさま・お互い様・ありがとう」と良い関係性、コミュニケーションスキル
に繋がる言葉だと思います。日常会話であっても、道すがら「いいお天気ですね。お元気ですか?」
「ええ、おかげさまで。」とは常套句であっても、綺麗な会話です。
相田みつをさんの書「おかげさん」の文字は、その響きを視覚的に表現されていて、また相田さんの
お人柄が筆に宿っているような気がして、好きです。
おかげさま=感謝 は人の心を豊かにします。関係性を円滑にする以上に、自分のキャパシティーが
確実に広がっていくのです。自分にはない力が行き交う交流が、生活には必要だと思います。

Posted by もも at 2016年07月31日 12:25 | 返信

私は、基本的に経鼻経管栄養は拒否します。
経管栄養を行うなら、胃ロウにすべきだと考えています。なおかつ導入するなら、早い方が良いと思っています。その方が、穏やかに生活できると考えられるからです。経鼻経管では経口摂取は、リスクが高すぎます。胃ロウなら、口から食べさす事が可能です。

Posted by 小関洋 at 2016年07月31日 06:52 | 返信

長女様;
長尾先生が仰っているのは、貴方の事を仰っているのでは無くて、実際の在宅医療で遭遇する親子のことや、老人ホームでの、胃瘻や点滴の話をなさっていらっしゃるのだと思います。
貴方は、司法書士と言う立派なお仕事を人一倍こなして、老人ホームに預けていらっしゃるお父様もお見舞いして、投与されているお薬の事も、きっちり観察してホームのお医者さんに文句を言っているのですから、立派じゃないですか?
論点がずれているような気がします。
長尾先生が、仰っていることも事実ですし、貴方の生き方も正しいと思います。
私は、父を病院に入れてしまって、最後は中心静脈栄養で父を苦しませて死なせました。
そのあと、兵庫県介護支援専門員協議会で長尾先生のお話を伺って「私は父を溺れさせて殺したのだな
あ」と気が付きました。長尾先生は「末期がんの患者さんに胃瘻をすると、癌細胞に栄養が行って終って、かえって患者を苦しませる」と仰ったので初めて胃瘻のお話を聞いて凄い事を仰るお医者さんだなあと思いました。でも「癌ではない、ちょっと弱ったお年寄りには胃瘻も悪くは無い」と仰っています。
長女様も、頭が良すぎる方のありがちで、なんでもご自分を非難されているような被害妄想なところがあると思います。そういわれたことはありませんか?
貴方は司法書士としても、長女さんとしても立派に生きていらっしゃると思います。

Posted by 匿名 at 2016年07月31日 11:22 | 返信

分かった。長尾先生は「近くにいるけど、遠い長女さん」がプリプリ怒ってコメントしてくれるのを期待してわざと「医者や介護チームの邪魔をする息子や娘がいる」と仰っているんじゃないでしょうか。
必ず、毎度毎度貴方がプリプリ怒って「私は親を施設に入れていますけれど、ちゃんと子供としての責任をはたしています」とコメントなさるのが分かっていますからね。

Posted by 匿名 at 2016年08月01日 08:33 | 返信

おはようございます。
日々 いかされ
ている
ふ 、し、ぎ
死は 過去 の
いつ あっても
おかくない、
経験
いっぱい
だけど
いま
ある
いのち。、。?。。?、、。、

交通事故
頚髄

10代

苛酷な
労働

おんなノコ
として

値打ち
低い!?
女性だから 可能だった

こども 亡くした こと
おおきく
のしかかる
はやすぎた 父親 の 看取り

しゅうまつに
こども
3にん 不当な
切断
だんぜつ
つらい つらい 尊厳死と
いわゆる
家族
トラブル
、、、、、、
こころ の 底に 今もある
わだかまり 、。。

つづく

おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび

厳しい あつさ
日々
工夫
暑さに やられない
くふう

Posted by おこ at 2016年08月02日 06:25 | 返信

komachiさま、言い忘れていましたけれど、長尾先生は、医療関係者や、介護関係者だけでなく、komachiさまみたいな法曹関係者の斬新な感想が面白いと思っているのだと思います。
これからも、成年後見制度の矛盾とか、法律の網の目の破れみたいなお話を聞かせて下さい。
先日のコメントで、私の気持ちが全部申し上げられなくて、まあ明日にでも死んだら困ると思って、コメントしました。
「巻子さんの言霊」のお話なんか伺うと、いつ交通事故に会って、怪我をしたり、障害者になったり、死んだ理するかも知れませんからね。

Posted by 匿名 at 2016年08月09日 12:04 | 返信

ふむふむ。
自然に任せるという選択肢、
長尾先生のお勧め。
私は聖書的死生観で生きていること、
そして独身者なので、
自分に延命を望む家族が、
自分の老後にはいないだろうということ。
自分一人で、この世の去り方を決めておける、
というのはラッキーなことかも知れぬ、と最近思うようになりました。
自分の真の国籍は「天国」であり、
この世では「寄留者」に過ぎない、という、
クリスチャンの人生観でもって、最期を迎えたい場所。
それは私の場合、自宅ではなく、
キリスト教系の施設や病院が幸せ。。かもしれない。←まだ自信はない。

Posted by 國本 直子 at 2022年10月05日 10:01 | 返信

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