- << 相模原事件の再発防止はできるのか
- HOME
- 措置入院よりも警察 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
被爆米兵12名
2016年08月01日(月)
広島に原爆が投下された時、日本軍の捕虜となり原爆投下で亡くなった
被爆米兵が12名いたことが、深夜番組を観ていたら報道されていた。
森さんという方が40年という年月をかけて彼らの身元を特定したのだ。
被爆米兵が12名いたことが、深夜番組を観ていたら報道されていた。
森さんという方が40年という年月をかけて彼らの身元を特定したのだ。
彼らの死亡診断書もちゃんと残っている。
一番若い兵士は、19歳のノーマンさんだった。
死亡日は8月19日(被爆後13日め)だった。
死亡場所は、陸軍病院だった。
彼らは、お墓を造って葬られた写真が残っている。
隊長さん(もう戦争は終わっていたが)、火葬と埋葬を指示したという。
71年前に造られた小さなお墓は、アメリカの被爆米兵の遺族にどう受け止められたか。
妹の部屋には、兄の写真がちゃんと飾ってあり、兄はいまだだに19歳のままだった。
アメリカのノーマンさんのお墓には、原爆のキノコ雲が掘られ、
そして米国のために闘った兵士として讃えられている。
当時、米兵捕虜をどう扱うかが広島の陸軍で議論されていたという。
国際法で捕虜は大切に扱うことを兵士たちは知って、実行していた。
ノーマンさんの実家はマサチューセッツ州で、幼馴染のもう一人の若者の実家はケンタッキー州。
その甥は叔父が丁重に扱ってくれた広島の人たちに涙を流し感謝した。
被爆米兵12人の死亡は、アメリカにとって不都合な真実だ。
米軍がそれを公表したのは実に38年後だった。
森さんは、たった一人で被爆米兵の遺族に、墓の存在を知らせて
現在も淡々と当然のことのように活動されているが凄い人だと思った。
米国人の56%は、原爆投下を正当化しているという。
しかし遺族にしたら簡単に語れる問題ではないだろう。
12人の米兵は米国が開発した兵器によって殺されたのだ。
アメリカの遺族たちは驚き、悩みながらも心を開いていった。
この話がドキュメンタリー映画になるという話が持ち上がった。
バリーさんという人により、映画は今年2月に完成した。
この映画のタイトルは「灯篭流し」。→こちら
森さんの想いが形になったのだ。
その後、オバマさんも広島に来られたことは承知のとおり。
オバマさんと抱き合った男性こそが、森さんだったのだ!
オバマさんが森さんにかけた言葉とは
「被爆米兵を調べてくれてありがとう」だった。
なぜあの男性が泣いていたのか、この報道で理解できた。
あれから2ケ月。
広島を訪問する人はたしかに増えているという。
しかし何か変わったのか?
アメリカ人にもこの心がこもったドキュメンタリー映画を広く観て欲しい。
被爆者に、日本人兵も米兵も市民も区別無い。
医療は、どんな人の命も大切にするのが仕事。
今日から71年目の8月に入った。
8月6日まで、あと5日だ。
こうした番組は昼間にも、何度も何j度も報道して多くの人に観てほしい。
一番若い兵士は、19歳のノーマンさんだった。
死亡日は8月19日(被爆後13日め)だった。
死亡場所は、陸軍病院だった。
彼らは、お墓を造って葬られた写真が残っている。
隊長さん(もう戦争は終わっていたが)、火葬と埋葬を指示したという。
71年前に造られた小さなお墓は、アメリカの被爆米兵の遺族にどう受け止められたか。
妹の部屋には、兄の写真がちゃんと飾ってあり、兄はいまだだに19歳のままだった。
アメリカのノーマンさんのお墓には、原爆のキノコ雲が掘られ、
そして米国のために闘った兵士として讃えられている。
当時、米兵捕虜をどう扱うかが広島の陸軍で議論されていたという。
国際法で捕虜は大切に扱うことを兵士たちは知って、実行していた。
ノーマンさんの実家はマサチューセッツ州で、幼馴染のもう一人の若者の実家はケンタッキー州。
その甥は叔父が丁重に扱ってくれた広島の人たちに涙を流し感謝した。
被爆米兵12人の死亡は、アメリカにとって不都合な真実だ。
米軍がそれを公表したのは実に38年後だった。
森さんは、たった一人で被爆米兵の遺族に、墓の存在を知らせて
現在も淡々と当然のことのように活動されているが凄い人だと思った。
米国人の56%は、原爆投下を正当化しているという。
しかし遺族にしたら簡単に語れる問題ではないだろう。
12人の米兵は米国が開発した兵器によって殺されたのだ。
アメリカの遺族たちは驚き、悩みながらも心を開いていった。
この話がドキュメンタリー映画になるという話が持ち上がった。
バリーさんという人により、映画は今年2月に完成した。
この映画のタイトルは「灯篭流し」。→こちら
森さんの想いが形になったのだ。
その後、オバマさんも広島に来られたことは承知のとおり。
オバマさんと抱き合った男性こそが、森さんだったのだ!
オバマさんが森さんにかけた言葉とは
「被爆米兵を調べてくれてありがとう」だった。
なぜあの男性が泣いていたのか、この報道で理解できた。
あれから2ケ月。
広島を訪問する人はたしかに増えているという。
しかし何か変わったのか?
アメリカ人にもこの心がこもったドキュメンタリー映画を広く観て欲しい。
被爆者に、日本人兵も米兵も市民も区別無い。
医療は、どんな人の命も大切にするのが仕事。
今日から71年目の8月に入った。
8月6日まで、あと5日だ。
こうした番組は昼間にも、何度も何j度も報道して多くの人に観てほしい。
- << 相模原事件の再発防止はできるのか
- HOME
- 措置入院よりも警察 >>
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
死ぼう診断書
が
存在する、
はな
話に びっくり
ヒストリ ファミリー
は、
語らずして
NHK
ばんぐみ
いま アル
こじんが 辿り
ある人は
かなり 過去
辿り
ただ、かならずいわゆる
1910年から1945年 の 間
の なに を してるか
戦争
遺骨
さがした
、、。
なんだか、ぶろく 拝見して
ほっとしましたよ
?。。、
おおこらど
おぎようこ
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by おこ死 at 2016年08月01日 07:09 | 返信
被爆
問題は、
いつも 焼野 に ひとりぽっち の 夢にうな
される、 大学生時代
の 下宿生活
広島から来た
彼女は
被曝 二世
被爆 手帳
もたさ れ
持っいる、
下宿
で
お世話担った、友人
被曝
はなし ヒロジマ
その後
はだしの ゲン
に
感服
マンガ は 禁止 だったから 。、
おこらんど
おぎようこ
墨あそび 詩あそび 土あそび
Posted by おこ at 2016年08月01日 12:27 | 返信
いろいろな原発 核 との 出会い
人類の歴史上 ノーベル賞の アインシュタイン
キュリー婦人 湯川秀旗さん 直接あった 湯川さんは
とっても 反省され、世界に責任あると 平和な、、
偶然
お会いし おはなしする機会
NHK番組
(^o^)なんのために 研究されているん
ですか。?
公開の
若い広場
定期に 放送。
出るように言われて
引き受ける!
おこらんど
おぎようこ
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by 被曝問題 おこ at 2016年08月01日 01:06 | 返信
>被爆者に、日本人兵も米兵も市民も区別無い。
>医療は、どんな人の命も大切にするのが仕事。
文章の印象からして、過去の戦禍中・ひめゆり部隊を連想しました。
広島の慰霊碑前にて、オバマ大統領とハグし、語りながら涙していた森さんのインタビューを
Newsで見ました。世界の人が認めて下さる『日本人らしさ』を、これからも育んでいくことが
日本国内にとっても、世界平和のためにも、最も大切なことなのではないでしょうか。
日本料理・日本国内の建物・富士山・日本人のマナーの良さ・繊細な技術・科学 etc.
世界が認める『日本』に、誇りと自信を持って邁進する時なのではないでしょうか。
と同時に、穏やかで緩やかな世相を造るのは、我々個人の身近なところから、という気もします。
Posted by もも at 2016年08月01日 11:26 | 返信
小学校4年生だったと記憶しています。
家に誰もいなくて、何となく本棚を物色していて、
土門拳のヒロシマの写真集をふと手にして何となくページをめくり、
生きているけど身動きできない身体の傷にウジがわいている写真があって、
悲しくて怖くて恐ろしくてなぜか申し訳なくて、
一人でボロボロ涙をこぼしました。
もう50年以上昔のことです。
年をとりました。
その写真集はまだ家にあります。
けれど、手に取る勇気がありません。
Posted by 匿名 at 2016年08月02日 12:54 | 返信
先日は胃瘻の事で、是非私の体験した事を皆様に読んで欲しいと思い投稿させて頂き、掲載して頂いたのに、ブログのアドレスが間違っていました。
申し訳ありません、心よりお詫び申し上げます、このブログのアドレスが本当です。
さて、先程日本で先進国首脳会議が開催されました。
先進7か国に共通してるのは民主主義であり、すなわち言論の自由があると言う事です。
残念ながら、先進7か国の中で日本だけが自らの手で民主化出来ませんでした、アメリカにしてもらったのです。
原爆で亡くなられた方々には、心より哀悼の意を表しますが、あの原爆で日本の軍国主義に終止符が打たれて、沢山の命を救った(あのまま戦争してたら、もっと沢山の命が失われたでしょう)と私は思っております。
今は、安倍総理大臣の悪口を言おうが罪にはなりません、民主主義とは素晴らしいのです。
総理大臣(三木総理)が総理大臣(田中角栄氏)を逮捕できる国なんて、素晴らしいですよ。
これは、あくまでも私の個人的な考えです。
Posted by 博 at 2016年08月02日 09:17 | 返信
確かに 苛酷な
こと 向き合う
には 勇気が、いらる!。、、
死と 向き合う こと が ありますと
否応なしに 惨酷な こと
昔の こと
昨日の こと
の ように
井戸のみず
汲み 揚げる ように
むーみん
星の王子さま
おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび
つつく
Posted by おこ at 2016年08月02日 09:44 | 返信
"戦後71年めの夏" でありながら、安穏とした平和感に浸ることができない現状を嘆かわしく
思います。フォークソングにありましたが「戦争が終わって、僕らは生まれた。戦争を知らずに
僕らは育った。大人になって歩き始める、平和の歌を口ずさみながら..」と爽やかに歌声が響いた
あの時代の方が、平和を享受した最もいい時代だったような気がします。
こんなにも戦争を現実的に、「戦争が起こるかもしれない」と憂いの気持ちを抱く時代が来ようとは
思いもよらないことでした。
Posted by もも at 2016年08月02日 08:56 | 返信
土門拳氏の作品は、芸術的にも、思想的にも、歴史的にも素晴らしい作品ですね。
たしか、視力が衰えてから撮られた作品と、お伺いしました。
そのお弟子さんの篠山紀信氏は、女性専門ですね。
匿名から匿名への返信 at 2016年08月03日 07:47 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: