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巨泉さんでも平穏死できない現実
2016年08月11日(木)
モルヒネの過剰投与で殺された、と書いてあるがモルヒネはそんな薬ではない。
その報道で、まだ黎明期にある緩和医療の推進が後退しないことを祈るだけだ。
〈先生からは「死因は〝急性呼吸不全〟ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです〉
これは7月12日に亡くなった大橋巨泉さん(享年82)の妻・寿々子さんが、その心情を綴った文章の一節である。さらにこう続く。
〈5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力も無く、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました〉
確かに3度にわたるがん手術と4回の放射線治療に加え、昨年の11月に発症した腸閉塞によるダメージは大きかった。だが、今年の4月に受けた在宅介護において医療機関のモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端に体力が低下したことも、死期を早めた可能性が少なからずある。
もしあの時、モルヒネを大量に投与されていなければ、もっと生きられたのではないか―。
冒頭の寿々子さんの言葉からは、そう悔やむ気持ちがひしひしと伝わってくる。
事の経緯を振り返る。巨泉さんが20年にわたり続けてきた、週刊現代コラム『今週の遺言』(6月27日掲載)の最終回にはこう書かれている。
〈3月27日に国立がん研究センター中央病院に緊急入院して検査をしたが、幸いがんは見つからなかった。(中略)CVポート(胸に埋め込む点滴補助器具)をすれば自宅での在宅介護で問題ないと言われ、がんセンターを4月5日に退院したのである。しかしこの在宅介護が大ピンチの始まりになろうとは神のみぞ知るであった。
退院した5日の午後、我が家を訪ねてきた在宅介護の院長は、いきなりボクに「大橋さん。どこで死にたいですか?」と訊いてきた。以前にも書いたようにボクは既に死ぬ覚悟はできていたのだが、「エッ?俺もう死ぬの?」と呆然とした。
次に「痛い所はありますか?」と訊くから「背中が痛い」と答えたら、直ぐにモルヒネ系の鎮痛剤のオプソやMSコンチンが薬局から大量に届いた。院長は毎日来るのだが特に何もしない。この頃からボクの記憶は曖昧になる〉
この原稿をもらった当時、事務所の社長であり巨泉さんの実弟の大橋哲也さんは、本誌に治療の内情をこう語っていた。
「がんセンターの先生からは『今のところがんはないので、まずは体力を回復させましょう』と言われていたのですが、この在宅介護の医者は『どこで死にたいですか?どうやって死にたいですか?』とばかり聞いてきました。がんセンターから兄のカルテが届いているはずなのに、読んでなかったのでしょうか……。
そして、『とにかく背中の痛みを抑えるために、薬を飲みましょう』とモルヒネ系の薬をどんどん送ってきたのです。その中には貼り薬もありました。
さらにこの医者は、『まあ、もって2~3ヵ月でしょう。私は専門医だから分かるんです』と言う。兄も私たち家族も、相当なショックを受けたのは言うまでもありません」
次の日から、巨泉さんはこの医者に言われた通りに処方されたモルヒネ薬を飲み始めた。するとこんな症状が出始めたという。
「薬を飲むまでは普通に歩いていたし、トイレも自分で行けていたのですが、飲み始めて2日目になると、フラフラして一人で歩けなくなりました。寿々子さんから電話がかかって来て、一人では抱えられないと言うから、飛んで行ったんです。
3日目になると二人がかりじゃないと支えられないほどになり、兄も『なんか変なんだよ。空を飛んでいるみたいだ』と訴えていました」(哲也さん)
終末医療に詳しい、帯津三敬病院の帯津良一名誉院長が解説する。
「医療麻薬として知られるモルヒネ系薬は、痛みをとる代わりに、副作用として意識障害や、呼吸抑制により心臓に負担がかかることがある。特に高齢者で体力が衰えている方は慎重に使う必要があります。服用量を間違えると死期を早めてしまう危険性もある」
寿々子さんと哲也さんは、がんセンターで「今のところがんの転移はない」と言われていたのに、モルヒネを投与されてから、日に日に弱っていく巨泉さんを見て不安を募らせていた。
見かねた寿々子さんと哲也さんはがんセンターの片井均医師と、長年にわたり巨泉さんを診てきた若山芳彦医師に連絡。二人の先生は異口同音に「痛み止め(モルヒネ)の使用法に問題がありそうだ」と、再入院をすすめた。
だがこの在宅医は、「薬を中止しよう」とは言わなかったという。
「毎日自宅には来るのですが何もしない。こんなにフラフラになって意識が混濁しているので、普通の医者なら『おかしい』と思うはずなのですが……。付き添いの看護師が脈を測ったりはしていましたが、この医師が問診することは、ほとんどありませんでした。それでいて『早いなあ、(寿命が)1~2週間になっちゃったかなあ』と言うのです」(哲也さん)
不信感を募らせた哲也さんが、知人に調べてもらったところ、この医者は元々「皮膚科の専門医」だったことが判明したという。それが現在は緩和ケアの病院で院長を務めていたのである。
この時点で寿々子さんと哲也さんは、「この在宅医に診てもらうのをやめよう」と決心していた。
ところが薬を服用してから5日目、在宅医から「今日がヤマです」と突然告げられた。
「最初は2~3ヵ月と言っていたのに、急に『今日が危ない』ですからね。翌日、別の病院に入院することを伝えても『そうですか』としか言わない。
もしあのまま薬を使い続けていたら、間違いなく死んでいたと思います。
処方する前から量がおかしいとは思わなかったか?素人では分かりませんよ。自宅には使わなかった30日分以上の薬が残っています」
巨泉さんのコラムの最終回には、こう記されている。
〈翌11日の朝、若山先生が同乗してくれた弟の車で家を出たのだが、突然ボクの意識は飛んだ。そのとき若山先生が的確な指示を出してくれて、途中の病院に緊急入院の形で担ぎ込まれたという。たった5日間で意識も薄れ、歩行もままならぬ体になったのだから恐ろしい事だ。
モルヒネ系の痛み止めの薬は体内に蓄積される事で知られるが、がんセンターではボクの体力に合わせて使っていたようだ。普通の病院なら、がんセンターからの資料を読めば理解できた筈なのだが、何故だか大量に渡されたのである。何しろ九死に一生を得たのだが、82歳の老人には大打撃であった。結局、緊急入院になったために、ノーチョイスで救命処置を受ける事になってしまったのである〉
結局巨泉さんは、集中治療室を出ることなく、息を引き取った。コラムの最終回が掲載された直後、この在宅ケアの医師から寿々子さんと哲也さんに連絡があったという。
「医者からは『申し訳なかった。てっきり(巨泉さんは)緩和ケアをするものだと勘違いしていた』と電話があった。
兄と私たち家族が望んでいたのは、最後に好きなことをして逝くことでした。でも結果として、兄は、最期においしい物を食べることも、ワインを飲むことも、ゴルフをすることも何も叶わなくなってしまった。まさか寝たきりになってしまうとは想像もしていませんでした」(哲也さん)
巨泉さんはかつて最初の胃がんを患った時に「がんを治すのは医者ではなく、自分自身の力です」と語っていた。
その言葉通り、4度のがんを乗り越えてきた。だが、結局最後はベッドに寝たきりのまま、亡くなってしまった。
本来なら「さようなら、逝ってくるよ」と軽口を言って旅立つはずだった。あのモルヒネの誤投与さえなければ……。巨泉さんと残された家族の無念はあまりに大きい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
週刊現代でも「モルヒネで殺された」と報道されているが
いったいどういうことだろう。
私なりに、巨泉さんの場合を解説してみたい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
1) 巨泉さんは、平穏死(安楽死?)を望んだが、現実は真反対の延命死になった!?
あの世から「いやー、こんなはずじゃなかったよ」と笑顔で文句を言っているような気がする。
なにゆえに、ICUに3ケ月間もいらして、様々な管をつけての旅立ちになったのか。
タイトルに「巨泉さんでも」と書いたが、実は100人いれば100人とも穏やかな最期を願うも、
実際は、80人は叶わないのが現実である。
巨泉さんの場合は決して例外ではなく、一番よくある、極めてありふれたパターンなのだ。
決して人ごとではなく、自分に置き換えて考えてみて欲しい。
ではどうすればいいのか。
それは簡単なこと。
拙書「平穏死・10の条件」を読んで、そのとおり実行すればいいだけ。(宣伝ぽくて、スミマセン)
たったそれだけ。
巨泉さんは、10のうちほとんどの条件を満たしていなかったので、
自宅での穏やかな最期が、残念ながら叶わなかったと私は思う。
たとえば、巨泉さんはリビングウイルを書いていなかった。
ただそれだけもだいぶ違っただろうに・・・
2) モルヒネを大量投与した医師が悪いのか?
すべて週刊誌の情報しかないので、それをもとにした以下、勝手な考察だ。
記事を読んで一番違和感があるのは
・モルヒネを1ケ月分まとめて処方したこと。
ごく少量から開始してサジ加減をしながら1日単位で増量するので
処方するのは1週間単位であり、いきなり1ケ月処方はあり得ない。
単なるド素人医者??
・モルヒネの飲み薬と貼り薬がいきなり同時に処方されていたこと。
これも私にはあり得ない行為だ。
今週の週刊ポストの参考記事。
私もコメントを出している。→ こちら
モルヒネは決して危険な薬ではない。
私は毎日使っている。
3) 巨泉さんの奥さんの主張は、どうなのか。
奥さんと週刊誌には、モルヒネのネガテイブ報道になっている点に
もう少し配慮して欲しい。
素朴な疑問として
・なぜ、そんな診療所の医師に命を預けたのか、誰が選んだのか
・どんな気持ちでモルヒネ投与が始まったのか。
・そもそも、本当に過剰投与だったのか。
・もしそうであったとしてもそれで、ICUに3ケ月も居ることが現実にあるのか。
本人の想いと家族のそれは往々にしてすれ違うか、真反対である。
奥さんの主張はあくまで奥さんの主張であり、
一番尊重されるべきは、本人の意思である。
だからこそリビングウイルだ。
そんな論調は皆無である。
4) 病院のICUの医師について
一番素朴な違和感は、病院の先生が
・モルヒネの過剰投与がきかっけとなり、
・呼吸不全で亡くなった、としたことだ。
仮に過剰投与があったとしても(前医のミス)、末期がんであったことは
変わりないだろうし、死後に遺族にそれを公表させる意味はなんなのか。
また死因を「がん」ではなく、「呼吸不全」としたことも私には理解できない。
どう考えても、がん死ではないのか。
まとめ。
要は、本人、家族、在宅医、病院医の考えがバラバラであった。
4者4様のまったく異なる想いが、死後も続いている。
つまり同床異夢を「異床同夢」に変える機会は無かったのか。
アドバンスケアプラニングの必要性をこれほど考えさされる事例はない。
救急搬送の意味を考えたのか。
リビングウイルを知っていたのか。
医者選びは間違っていなかったのか・・・・
巨泉さんは失礼だが、図らずも自らが他山の石となってくれたような気がしてならない。
同時に、「平穏死10の条件」をもっと知ってもわらないと、という気になった。
最後に中国新聞に掲載された石飛先生の素晴らしい記事を紹介したい。→こちら
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この記事へのコメント
巨泉さん…
わたしには よくわかりませんが
ただ残念なことは 残された奥様が 納得されてないことです
おうちだろうが…
病院だろうが…
最期をお迎えする場所は どこでもいいんです
(わたしは ご自宅がいいと 個人的には思いますが)
在宅療養していて 状態が悪くなって
その時に 奥様は治療を望まれたから ICU入院になったんでしょうし…
3ヶ月 ICUでお過ごしになっているので
本当にモルヒネに殺されたのか疑問ですし…
ICUでは モルヒネを使用しなかったのかも疑問です(病院ですよね〜)
病気の進行もあります
人間…寿命ってのがあります
余命6ヶ月と診断されて
明日の朝 命が亡くなる現場を何度も見てきました
いろんなことが ハテナです
ただ…
残されたご家族みなさまは
巨泉さんの想いを抱いて 生きていかなくてはいけないんです
穏やかに お過ごしくだされば…と願っています
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年08月11日 07:21 | 返信
全文(記事紹介etc.)を読めてはいません。けれど、
>もっと生きられたのではないか..。
の文言を読み、打ち込みを始めました。
"○○しなければ、もっと生きられたのではないか?" というのはどうなのか..。
印象ですが、美容整形手術を終えた患者さんが、出来栄えを見て「もっと美人になる筈だったのに」
と言っているように聞こえました。
平穏死10の条件、がタイトルに挙がるのを読み、なお腑に落ちます。
他力本願しておきながら、悪く廻れば人のせい、のような話なのでしょうか。
故.M.逸見さん遺族もそうでした。スキルス性の癌であっても、
道が決められずに、ジタバタしていた印象を受けていました。
悪い結果は全て人のせい、では不幸な気持ちを招くかも知れません。
これは病気に限らず、だと思います。
Posted by もも at 2016年08月11日 09:10 | 返信
緩和
治療法
が
必要に、なるか
どうか
かいもく
想像 不可
父親は 晩年 覚悟して 、阪大入院
すいぞう 癌 は 見つかりにくい こと
で あからさ
Posted by おこ at 2016年08月11日 10:54 | 返信
父親は自分の 身体が、若い医師の たまご
の 研究に なれば、いい、と
いった、ある意味、
お人好し
でした、
じつは、
手術に 当たる までに
医師から、
家族の人
きてんか。 と、医師 から、
あった旨、父親から 母親に
母親から おぎようこに
➖なにしろ おこ は 生死に かかわる 経験では
先輩 父親の 病 では、家族として 医師 と 対応
する 、させる、には、
絶好な そんざい
続き
おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by おこ at 2016年08月12日 09:06 | 返信
すいぞうがんは、
ほかの 癌 に 比べて
見つけ にくい
それば、あやが おうにも
理解
するに、しても、
糖尿
で
ながく 入院
なぜ おうだん が
でるまで
わからなかったのはなせ
お聞き(^o^)したかった、
お人好し の 父親に、 代わって
聞きたい こと おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by おこ at 2016年08月12日 01:11 | 返信
石飛幸三先生のホームのお話し、かつて読売新聞でも連載されていて、その時初めて知り、感銘を受けました。自分も枯れるように眠るように死にたいな、死ぬのが避けられないのならば、って思いました。https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20110630-OYTEW51468/
私は今50歳ですが、今自分が死ぬとは思っていません。
20歳の時も30歳の時も、今自分が死ぬとおもったことはありません。
同じように80歳になっても90歳になっても、今自分が死ぬとは思わないのではないかな、と思います。
ですが、お墓に行けば、今でも案外色んな年齢で人は亡くなっているってことが墓石に書いてあります。
避けられない死というものに関して、自分の場合を考えて周囲(家族や親戚)に言っておかなければならないな、と思いました。長尾先生の本を目立つところに置いておく、ということから始めようかな。
Posted by 匿名希望 at 2016年08月12日 06:10 | 返信
終末期
の帯津良一医師
が、特に モルヒネ
使用の
副作用
について
述べて
いる
私の父も
モルヒネ
投与
に
よる
意識
障害
残念
痛くても
選択
として
ふくさよう副作用
ふくめ
医療
サイド
に
患者
を
主人公
と、して
意見
の
選択
のチャンスを
^o^^_^^_^^_^
なを
父の最後は
無惨
なかなか
死
に至らない
と
胸の上に
洗濯板
のような、もの
を
乗せ
その上に
若い医師
がイタの、
上
でぴょんぴょん
する
まるで
医師
大学病院
の
例の白い巨塔
モデル
かの
大阪大学
病院
阪大
最後
の止めは
医師
の
殺人
父が、若い医師のたまご
に役立てば
と
言って、いた
結果
父は意識
さえ
あれば
➖ おい、おい、殺して
まして 板乗せ、ぴょんぴょん
跳ねろ
とは
言って、なうぞ
と
言ったに違いない
母は
死後
医療側に
あたまを
下げられても
母
終末につきあった
母は、
申し出
に応じたくない
あんた
から断わって
頼まれる
^_^^_^
^_^^_^
少なくとも
私と母は
阪大
が大嫌い
おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by おこ at 2016年08月22日 11:50 | 返信
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