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誤嚥で病院に600万円
2016年08月15日(月)
一人で朝食を食べていて誤嚥し、看護師の過失が問われた。
「生きることは食べること」と講演してきたが、考え直さないといけない。
誤嚥事故訴訟:病院側と和解 遺族に600万円 /兵庫
神戸市須磨区の病院に入院していた認知症の女性(当時74歳)が看護の過失
による誤嚥(ごえん)がきっかけで死亡したとして、女性の次女(54)が病院を運営する
医療法人に損害賠償を求めていた訴訟は12日、神戸地裁(倉地康弘裁判長)で和解が成立した。
原告側弁護士によると、医療法人が600万円を支払う内容という。
訴状などによると、女性は2014年5月7日、高熱などの症状を訴えて入院。
同19日に朝食を1人で食べた際、誤って気管に入れて窒息を起こし、急性循環不全で死亡した。
同年8月に次女が慰謝料など770万円の支払いを求めて提訴していた。
次女は「人手不足はあると思うが、事故をなくすための対策を医療機関で考えていってほしい」と話した。【井上卓也】
〔神戸版〕
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
自分で食べて誤嚥した時に、病院内にいたら、
病院の管理責任が問われて賠償責任を負う。
在宅で誤嚥したら、在宅医が訴えらるのだろうか。
施設で誤嚥したら、施設管理者が訴えられるのか・・・・
私は、
「誤嚥しても食べなさい」
「生きることは食べること」
「誤嚥と誤嚥性肺炎は別物」
「誤嚥性肺炎は死因の3位で、仕方が無い」
「食べて誤嚥性肺炎で死ねたら本望じゃないか」」と、繰り返し
講演したり本を書いてきたが、どうやら考え直さないといけない。
この報道に従うと、私は何億円払っても足りない仕事をやっていることになる。
食べている患者さんが誤嚥性肺炎を起こすことは、まさに日常茶飯事である。
そもそも誤嚥は事故なのか?
対策を講じれば防げるのか???
私なんか、食事のたびに誤嚥しているが(いい加減に食べている)
自分で勝手にムセているので、文句を言って行くところなんて無い。
まだ食べられる人を絶食にして人工栄養をするにはこんな背景がある。
今後、ますます胃ろうや経鼻栄養や中心静脈栄養が増えることだろう。
このような報道を見るたびに、「もう医者を辞めようか」と本気で思う。
いやはや、たいへんな時代になってきた。
食支援も終わりが近い。
11月19日の日本口腔リハビリテーション学会での講演(→こちら)
もこの報道を受けて、考え直さないといけない。
みなさんはどう思います?
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この記事へのコメント
この様な事が続くと、病院を経営する人が居なくなるのでは?
Posted by 園田 at 2016年08月15日 04:53 | 返信
これからも、まだまだいろんな裁判が医療、福祉、介護の世界に広がっていくと思います。訴えられるのが当たり前の業界に。
Posted by 匿名 at 2016年08月15日 07:41 | 返信
おはようございます。
手術の初歩的なミスや看護の初歩的なミスなら、又は薬剤師の誤薬投与なら訴訟も
考えられるところですが、認知症とはいえ、患者さんが自分で食べていたわけだから、
場所が病院内というだけで、どうみても自失でしょう。
病院内で自殺でもしたら「自殺の可能性もあるのに、保護しなかった病院の過失」を言われているような・・・
24時間張り付いていることができないのは、患者さんの家族も裁判官も知っている
と思われるのですが、人間は誰でも死ぬのに「人の命は地球より重い」それを止めた
ものは、いかなる理由であろうが悪ような理論がまかり通っているのでしょうか?
対策として「24時間対応します。」とでもなれば、病院経営は成り立たなくなり、
しかも、他の病院も同様なことが強いられ、ますます医療費の高騰につながってし
まいます。
この裁判も、ぜひやり直して欲しい。
Posted by 廣田 祐次 at 2016年08月15日 08:25 | 返信
本当に 自分で食べて 誤嚥して…この判決が出たならば
訴えたもん勝ちか!?
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年08月15日 08:40 | 返信
誤嚥で病院に600万円 ・・・・・・ を読んで
医療について素人である私が軽々にコメントする
ことは、慎重であるべきとは思いますが ・・・・・・・、
74歳の認知症患者の誤嚥事象で、600万円の和解。
70歳代の認知症・寝たきり・嚥下困難な患者の大腸
がん見落としで、180万円の慰謝料判決。
と、2件の実質的な医療側の敗訴の事例を紹介して
戴き複雑な思いを抱いています。
将来の患者として・・・・・、医療過誤や過剰医療から
私たちを護ってくれる司法に大いに期待する部分も
ありますが、一方において、高齢者の増加、認知症
患者の増大、がん患者の増大という現状と将来の日本
を考えた時、医療側にこのような厳しい判断が続くと
医療側が自己防衛に走り、高齢者や認知症患者の診察
・診療・治療に及び腰となることが心配されます。
もとより、医療過誤や過剰医療はあってはならない
ことではありますが、患者の状態は100人100様で
あり、医療には不確実な部分があり絶対確実という
ことはないのが現実と思っています。
そのような環境の中で、医療側にのみ100%を求
めること:診察の見落としや誤診、医療ミスや過剰
医療を厳しく糾弾することは、果たして正しい道な
のでしょうか???
現状でさえ、不足し勝ちな医療スタッフと医療資源、
今回のことのようなことが続けば、医療側が自己防衛
に走り、本来であれば受けることが出来る医療サー
ビスが受けられない事態が発生することが危惧され
ます。
医療側は間違わなくて当然、病を治して当然、
その一方で、医療側のミスや不作為・過剰については
それを絶対に許さない! というのでは、あまりにも
医療側に厳し過ぎるように思います。
では、誤診や医療ミスで自分が酷い目にあっても、あな
たは、全てをあるがままに受け容れるんですね?! と
問われれば、自信は揺らぎますが、医療側にあまりにも
大きな期待と責任と義務を課すことについては、皆んな
で考えて、社会的なコンセンサス(合意)を作る時に来
ているように思います。
長尾先生は、この2つの事例で、医療側に厳し過ぎる
司法判断を指摘されていることは理解想像に難くない
のですが、では実際にこのようなことが生じた時、どの
ように対応(対処)して行くのが、妥当なところと考え
て居られるのでしょうか?
Posted by 小林 文夫 at 2016年08月15日 10:22 | 返信
誤嚥で病院に600万円 ・・・・・・ を読んで (その②)
長尾先生は、本ブログで『おかしな医療裁判が相次
いでいる。誤嚥裁判で病院が600万円を賠償する
とのこと。これもトンデモ判決だが、いったいどう
なっているの? ここまで無知というか恥ずかしい
判決は無い。みなさんはどう思います?』と問い掛け
られていますが、この事象は、地裁(神戸地裁)段階
での和解勧告を病院側が受け容れて、相互の判断の
結果、600万円の和解金で協議が整った事例ですから
妥当な判断としか言えないと思います。
紹介戴いた範囲では分かりませんが、病院側(医療者
側)にそれなりの過誤・過失があったと言うことなの
でしょう。
今回の事例を読んでいて、私は、JR東海の認知症患者
の踏み切り立ち入り、人身事故裁判のことをしきりに
思い出しています。
監督責任を追及されていた長男さんが、“こんな不当な
判決を後世に残してはならない!”という強い信念を持
ち、一個人で巨大な組織〔JR東海〕に果敢に挑んで行き、
最終的に正義を勝ち取りました。
そのことで、多くの認知症患者が閉じ込められ、自由を
束縛されることから逃れることが出来、日本が収容所列島
となることを阻んでくれた・・・・・、と心から感謝しています。
もし、今回の誤嚥問題で、病院側に過失や過誤が無かった
としたならば、何故病院側は徹底して闘わなかったのでし
ょうか? 地裁の和解勧告を拒否して、病院側に不利な
判決が出たとしても、上級審に控訴して、病院側の言い分
を貫く道はあった筈です。
病院側がこの段階で、和解金600万円を支払う決断をした
ことから判断すると、何らかの負い目が病院側にあったと
思うしかないと思います。
もし、病院側が不当な提訴を思っていながらも、訴訟を
長引かせることの、労力や世間体を慮って安易にお金
(600万円)の支払いで決着を見たとしたら、その態度
こそ問題と思います。
長尾先生が今回のブログで問題にすべきは、600万円の
和解金の是非ではなく、地裁レベルの和解勧告に唯々諾々
と応じた病院側の対応だと思います。
病院側に何か問題があったのであれば、妥当な決着と
思います。
病院側に何も落ち度がないのに、このような和解に応じた
ということであれば、今回の病院の対応は将来に大きな
禍根を生じたと言わざるを得ないと思います。
Posted by 小林 文夫 at 2016年08月15日 11:04 | 返信
8/13ブログ上で掲げた訴訟と、今回の訴訟とは、似ているようでいて異なるものではないで
しょうか。着目すべきは訴えられた相手が、前者では在宅医であり、病気の見落としについて、
今回は病院が訴えられているのであり、看護の過失を問うものです。
裁判についての詳細は分からない上でのコメントなので、一般論になりますが、患者側が訴状には
死因となった状況を争点にしていたとしても、訴えたい内容は病院の体質であり、日頃の看護への
不満が発端ということも考えられると思います。
身内が入院した時に、病院ごとに雰囲気や看護の質が異なるのを経験していますが、院内での様子、
ふとした時に、気の毒な状況に置かれたままの患者さんを見掛けることも度々ありました。
世の中には、良心的な病棟・担当者が頑張っていることも想像はできますが、劣悪・怠慢な状態の
病院も中にはあることでしょう。
一般人が医療訴訟を決断するとは、相当な労力・体力・精神力を必要とするものと想像します。
「これだけは許せなかった」とか「今後、二度とこのような事が無いように」とか、社会への
問題提起も含めて、起こされる裁判もあると思います。
療養病床への入院しか選ぶ道が無い時に、病院を選り好みできる余地など皆無であり、
ここしかない、と苦渋の決断を強いられる家族もあると思います。他の選択肢が無かったから
どんな状態の看護でもいい、という気持ちでは無いと思います。
Posted by もも at 2016年08月15日 10:49 | 返信
訴訟って、素人が一人でできるものではなく、どうしても弁護士を頼むので原告はカネがかかる。(勝てば弁護士代金はとれるのだったかな?)
カネがかかるだけじゃなくめんどくさいし、やたら時間かかるし、いわば公共の場でのケンカだから精神的にものすごくしんどい。長い間、ず~っと闘う意思を持続していなければできない。
特に、患者が原告となる医療訴訟って、まず、勝てないって言われている。
だから、患者側が原告となって医療訴訟を起こすこと自体が、たいへんな作業なのです。
原告である患者側は、自分の全人生をかけて訴訟を起こしていると思います。それだけの、晴らさねばならぬ恨みがあるってことです。カネを得ることが目的ではないと思います。
Posted by 匿名 at 2016年08月16日 01:16 | 返信
読了後の最初の感想は、(小林さんと同じく)病院側が和解に応じたってことは(文言外の)過失があったのであろうな?と。
原告側は「病院側は母親が入所していた老人ホームから、食事に全面介助が必要であるとの申し送りを受けていた」と指摘。「1人での食事は誤嚥の危険性が極めて高いことは予見可能だったのに、看護師は朝食提供後、別の場所に移動して(女性を)放置していた」と主張。
次女(多くの一般人も同じく)は「病院は介護施設からの連絡に基づき、食事全面解除すべきだった」と思っている。(病院側から「しない・出来ない」旨を伝えていれば・・・別な展開に)
長尾先生の感覚(医療者側)では、(急性期医療が求められる)病院では入院患者の食事に1対1で見守り隊を貼り付ける訳にもいかず・・自分で食べて誤嚥した人まで医療過誤???ということでしょうか?
患者側が医療の実情をもっと理解すべきですが・・・裁判に訴える以外に、(例えば)「診療報酬に食事介助オプションをつけろ。」だとか、「患者側が食事介助者を病院の食事時間ごとに派遣会社経由で手配する人を病室に入れさせろ。」という行動をとることは期待できませんので、やはり医療サイドで改善して頂かないと。
Posted by アソシ at 2016年08月16日 10:13 | 返信
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