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自殺した中一少年

2016年08月29日(月)

いじめが原因で中一の少年が自殺した。→こちら
子供の自殺は9月1日がダントツに多い。
自殺した少年は本当に辛かった、と思う。
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こんなニュースを聞いて、人によって反応は様々なだろう。
子供の自殺って聞いても、ピンと来ない人が多いのではないか。


実は、私も小学校6年生の時、毎日自殺を考えていた。
同級生たちのいじめと担任教師からの虐待、暴力が辛かった。

毎日、どうやって死のうかばかり考えていた。
小学生だって、本気で自殺を考えるのだ。

学校の休み時間が怖かった。
同級生のコブラツイストや担任の教師の投げ飛ばしやビンタが怖かった。

当時(50年近く前)は、「いじめ」とか「虐待」という概念は無かった。
子供心に、なんでこんな目にあうのだろうか、と理不尽な思いはあった。

助けてくれる人はいなかった。
なにせ担任教師に虐待されるのだから相談する教師もいない。

いつの世にも「いじめられっ子」はいるし、仕方がないのかなと思う。
いじめ易い子はいるし、私はその典型だった。

子供の自殺は本当にもったいないこと。
周囲の配慮しかないのではないか。

そういえば18、19のやさくれていた時も自殺を考えていた。
原付バイクで120km出しては、「いつ死んでもいい」と思っていた。

これは”やけくそ”という感じだ。
どうでもいい、死んでもいい、という刹那気分だけで生きていた。

尾崎豊はのたち回って本当に死んでしまい、
ビートたけしは死にそこなって奇跡的に生き返った。


自殺はいけない、と患者さんに諭しながらも自分が考えたことが何度かあった。
プライベートで辛いことがあって、そのその苦しみから逃れたかっただけである。

今、58になり、自殺したいとはあまり思わない。
もういつ死んでもいい年頃になったので、今、わざわざ自分で死ぬ必要はないからだ。

合理的になった。
ズル賢くなった。

先日、三島由紀夫の自決ビデオを観た時、そう思った。
「もったいないという名の欲望」が自分の中で立派に育っていた。


先日、母親の遺品を整理していた時、「いのちの電話」のノートが出てきた。
母親はボートレースなどの公営ギャンブルで働く傍らボランテイアをしていた。

子供ながら、「いのちの電話」の相談ボランテイアをしていたことは知っていた。
「なんでそんなことしてるのかなあ」と、さして気も留めずにずっといた。

母親のノートには、相談内容のメモ書きが並んでいた。
その膨大なメモ書きを見た時に、発作的に涙が溢れた。

そんな風に見えなかった母親の心の中にも『誰かの力になりたい」という想いがあり、
地味ではあるが結構長期間、そんなボランテイアをしていたことを誇りに思ったからだ。


この歳になってはじめて、なぜ自殺がいけないのか自分の言葉で言えるようになった。
でもそんな自分の言葉を自分自身が忘れそうになるし、それが人間なのだろう。


夏休みは遊ぶためにある。
だから十分遊べば、それが夏休みの宿題、でいいじゃないか。

この2日間、8月31日と9月1日。
日本中の子供には要注意である。

毎年、9月1日には100数十人の子供が自殺している。













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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

最近、縁あって話した若者、現職・ピカピカの新社会人(介護職)の男子が印象深かった。
体格や雰囲気からは、10代後半と20代前半とは大して見かけは変わらなく、ジャストの
年齢は言い当て難い。周囲に笑顔を振りまく好感度をよそに、会話をしようと思い話しかけるが、
相手からは、言葉がポツリポツリとしか出てこない。他愛もない会話をしようと思ったのだけれど、
"自分を表現する" ということには縁遠い様子。周囲に気を使い、無難に振る舞う様は、とても
大人びて見えたのだけれど、会話にならないという稚拙さに正直驚きました。
察するに、それまでの学校での人間関係の複雑さが見てとれました。気を使って過ごすことには
慣れていて、ある趣、自分自身を押し殺して過ごす事が、当たり前できたのかも知れません。
現代の学校生活・人間関係の荒廃ぶりは、想像を絶する状態なのかも知れません。

Posted by もも at 2016年08月30日 12:36 | 返信

先生がブログをお書きになった29日…
早朝 幼なじみの お姉ちゃんが自殺した

歳は40代前半て…
10年間 うつ病で苦しみ 最近 統合失調症ではないかと薬の調整をしていた

おかあさんは…
「薬に殺された!!」と叫んでいた

副作用がキツかったんです

昨日は…
倒れている…というおかあさんからの一報を受けて
119番から始まり
お姉ちゃんがおうちに帰ってくるまでの6時間〜
本当にキツかった

不審死扱いになる
警察が入るって こういうことか…と身を持って体験した

死んじゃったという悲嘆を
さらに 悲しみを深めることを警察はしてくる

検死…現場検証…
何度も同じことを聞く
いろんなものを写真に収めていく

事件性があるかどうかの判断だから仕方がないと思うけど…
残された家族はボロボロになる…

「なんで 気がついて あげれなかったのか」
残された者が自分を責める…

ず〜っと泣いて…
泣いて…泣いて…

時間を戻すことはできない

今日が通夜で
明日が告別式…

絶対に…
自殺はダメだよ

薬って なんだ!?

まもなく
最期を迎える予定がおありの方は
絶対に 在宅医…24時間 診てくださる先生を探すべき!

Posted by 匿名 at 2016年08月30日 07:22 | 返信

コミュニケーションの基本は自己覚知。いかに自分自身と上手に向き合っているか。自分自身から逃げない。自分の良い面、悪い面といかに向き合うか。ではないでしょうか。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2016年08月30日 08:36 | 返信

 50年前、上履きは池に投げ込まれ、約束した場所には誰もいず、子供世界の王様・女王様に気に入らないと認定されると、あらゆる機会にいろんなことが起こった。でも、宿題の答えを見せて欲しいときは、笑顔でやってきて、こちらも勘違い。しかしまた始まる。標的は、私だったり、他の子に順次移っていったりとしていく。誰かが、担任の先生に相談しても余計、陰湿にひどくなるばかり。その年だけで、担任の先生は3回変わった。そういう学年だったので、上級学校に進もうが大差はない。生き延びるために選んだ方法は、読書と「一人でもいられること」。今も昔も大差ない気はするが、辛い気持ちの子供たちには、「一人でもいられる」という勇気を出すと、同じ勇気を出して頑張っている人に巡り合える可能性があるということ。
 大人は、集団行動を子供に求めすぎてはいけない。逃げ場のない地獄に転ずる。50年前の「反省会」という名の子供相互つるし上げ教育の恐ろしさを覚えてい居るならば。

Posted by 樫の木 at 2016年08月30日 11:19 | 返信

おはようございます。
本当にこの時期は心配ですね。

ですが、スクールカウンセラーさんによるとこの時期は人数が増えるから
フォーカスされるだけで夏休みのこの時期以外でもティーンエージャーの
自殺はオープンになれないだけで結構あるとおっしゃっていました。

今日、明日悲しい事件が起こらない事を祈ります。

追伸 昨夜さて、私の学生時代のこの時期は何していたかなと思いを巡らせていると
徹夜に近い状態で夏休みの友や溜めていた日記や漢字の書き取り(しかも、時期的にお盆ぐらいのもの)に
いそしんでいた頃の記憶が走馬灯の様に蘇ってきました。

タイムマシーンがあれば当時の自分の宿題を手伝いに行ってあげられるんですけど。
幸せな学生時代だったんだと思います。当時は9月1日台風で休みにならんかなとか
そういう事ばかり考えていましたが。なつかしい思い出です。

Posted by 匿名 at 2016年08月30日 11:21 | 返信

子育て中にPTA役員として、「いじめ問題を考える」を担当した経験があります。
子どもが学ぶ場所・学校が変化してきていると肌で感じていました。
「いじめ」という言葉が生まれたのは、鹿川くんの自殺:教師も加担した葬式ごっこ 事件だと
思います。顧みると1986年(昭和61年)の出来事でした。事件を報じた新聞記事の切り抜きが
あります。今も探せば、ファイルに持っていると思います。山形県マット死事件も記憶にあります。
鹿川くん事件と、どちらが先だったのか忘れていましたが、1993年(平成5年)の事件だったようです。
この頃が、急激に子どもらが変化した、何か異変が起こり始めていた時期だと思っていました。
(長尾先生が過去に、その時代以前に、体罰を受けていたという事実には驚きました。)
子どもを持つ立場でしたから、当時、とてもショッキングな出来事だったのだと思います。
後に、幼女連続殺人事件:M(1988~1989年) や 神戸での遺体切断事件:S(1997年)もありました。
子どもが育つ場所=学校という環境 が顕著に変化し始めたのが、この頃でした。
そして猟奇的殺人犯罪が始まったのは、後者の事件が始まりだったと、記憶しています。
一般人である主婦でも、これだけ鮮明に印象に焼き付いているのですから、そのような
ターニングポイントは、有識者・専門家であれば、なお更承知している事項ではないでしょうか。
結局社会的に、何も手を施していない実態なのだと思います。
根本、本質を洗い直さなければ、少子化社会であるにも拘わらず、子どもの命が危ういのです。
妙な方向にばかり目を向けて暴走する政治・政治家には『目を覚ませ!!』と叫びたくなります。

Posted by もも at 2016年08月30日 09:27 | 返信

長尾先生が、何で担任教師に苛められたのか、不思議です。私のまわりでは、親や教師であったら、教師仲間だと言うことで、かわいがられた子供の話も多いです。長尾先生は、知能が高すぎて担任にとっては煙たかったのでしょうか。
能の無い教師にとっては、知能の高いこどもや、学歴の高いPTAは、苦手なのかもしれません。
学歴が高くても、ある政治政党に、入っている両親の子供は優遇されたみたいです。
私の学年では、新設の薬学部に入学して、自殺した女性とか、アメリカ留学で、性犯罪にあって、数年後に、自殺した女性がいます。「ノルウェイの森」のヒロインです。
私の学年は、団塊の世代ですから、教育も杜撰でしたし、巨大な鰯の群れのような感じです。
人間は煙になってみないと評価できないと申しますが、でも長尾先生が、子供時代に、虐められたなんて聞くと、子供の自殺は止めなければいけないと思いますね。
虐められたからこそ、今の有能な医師が居るのかもしれませんね。
取り留めも無い事を言って済みません。

Posted by 匿名 at 2016年08月31日 02:39 | 返信

暴力の たいけん 体験
けっこう 聴きます。
ひとりは、全盲で、盲学校
で、弱視の 同級生に
まど まど から
つるされた とか。。
怖かったことでしょう。
もう ひとりは、
下校時
クラスの ボスから
何の理由なく
薮 に 連れ込まれ

棒 で 叩いたり 殴られたり
クラスの出来る女の子
が、助けて、くれたと
学校へ 親父さんが、
駆け込んでか、
女の子
が、見方
したせいか、
ぷつり と なくなった
ボスの 勢力図
変化
見事に 旧ボスは、
見る影
みすぼらしく
見えた、とか!
もう 1人は、男性
担任に
セイ的
嫌がらせ、受け
女のこ の ように
可愛い と 言われ

実際 可愛い かった とか
それが 嫌で ワザ
と 汚くしたくて
顔の肌に キズ
つけた と
すざまじい
体験

おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび

Posted by おこ at 2016年09月01日 10:47 | 返信

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