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薬 過剰でもない過小でもない「中庸」とは
2016年08月30日(火)
公論9月号 薬とリスクと害
過剰でも過少でもない「中庸」とは
週刊誌の薬の過熱報道
6~7月にかけてある週刊紙が8回連続で薬の副作用特集を組み大きな反響があった。そして全国の医療現場は大混乱に陥った。その話題は薬だけでなく不要な手術にまで及んでいる。市民が内心感じている医療への疑問が一挙に焙りだされた。汎用薬の商品名が掲載されているので、実際にその薬を飲んでいる人の反応は大きかった。よく読めば薬局でもらう薬剤情報の副作用欄が強調されているだけなのだが、大きな活字になると影響力は実に大きい。当院においても「怖くなったのでやめたい」と申し出る患者さんが続出した。当然ながら、その薬をやめても問題なさそうな患者さんと絶対にやめてはいけない患者さんがいる。特に後者の場合は患者さんに納得頂くまで説明するのに相当なエネルギーを要した。
実は毎号、私自身のコメントも掲載されている。ショッキングな大見出しの横に登場するのであたかも私が薬を全否定していると受け取った人も多かったようだ。またこの報道内容をライバル週刊誌は『ねつ造だ!』と煽るなど報道合戦は過熱している。私は内心いいことだと思って眺めている。というのも私はこの2~3年、多剤投与や残薬、そして抗認知症薬の副作用などに取り組んできたからだ。だから企画に協力したのだが、荒っぽい編集に毎回驚いてもいる。
生活習慣病で医療機関からたくさんの薬を処方されている人には一連の報道は相当な劇薬となったようだ。当然医療界の反発や混乱も大きい。なかには厚労省の意図ではないかと勘繰る人もいたが、そもそも週刊誌とは単に売上を最優先に考えているメデイアである。2~3年前はがん医療を全否定した慶応大学の医師が受けに受けたことは記憶に新しいが、今年はどうやら生活習慣病薬を全否定する週刊誌が大受けする年のようである。
抗認知症薬の少量投与が容認
去る6月1日、厚労省から「抗認知症薬の少量投与を容認する」旨の通達が出た。たとえばドネペジルという認知症の進行を遅らせるという効能を謳った抗認知症薬の場合、3mgで開始した2週間後には必ず5mgに増量しなければならない。そんな「増量規定」という世にも不思議な規則が存在した。そして興奮や易怒性が出現した場合、3mgへ減量するという行為は、たとえレセプト摘要欄にコメントを書いても認めない都道府県があった。しかし6月1日の通達以降、その人に合った量を処方する医師の裁量がようやく認められたのだ。
他の3剤の抗認知症薬についてもドネペジル同様に3~4段階の「増量規定」があり、たとえ途中で副作用があっても最高容量まで到達させることが最高の医療であると多くの医師は洗脳されてきた。現在も大半の医師はそう信じている。しかし本来、脳に作用する抗認知症薬のような薬こそ個別性を重視したサジ加減が必要なはずだ。しかし患者さんの個別性を勘案した処方はこれまで認められていなかった。おかしな話である。
高血圧や糖尿病治療薬は病態に応じて適宜増減できるのに、なぜ抗認知症薬だけが医師の裁量権が無かったのか。そこで2015年11月に現場の医療・介護職や家族・市民が集まり「一般社団法人抗認知症薬の適量処方を実現する会」を設立した。私が代表理事を拝命し、その時のその人に適した量の抗認知症薬を使えるよう国に求めてきた。そして今回まさに我々適量処方が「実現」したわけである。
つまり1)興奮や易怒性を副作用と認めた。2)規定量ないし最高容量以下の少量投与を認めた。3)医師の裁量権が再確認された、わけである。易怒性は副作用とされていなかったのだが今回副作用と認められた。また少量投与自体は認められていなかったが「少量でも有効な症例がある」ことや「医師の裁量で適宜調節可能」であることなどが確認された。
リスクと利益の分水嶺が「中庸」
一連の活動を通じて感じたことは、抗認知症薬に重篤な副作用があることを知らない臨床医が多いことだ。また残念なことだが最低限の検査も行わず、物忘れ=抗認知症薬といった構図が少なからずある。また薬剤過敏性を特徴とするレビー小体型認知症には少量の抗認知症薬が適量となることが多いのだが、それを無視したプロモーションが今日も繰り広げられている。一方、ピック病には興奮系薬剤である抗認知症薬は適応が無いばかりか禁忌である。しかし現実には結構処方されている。抗認知症薬には易怒性や興奮以外にも吐き気や歩行障害、そして高度徐脈という重篤な副作用もある。私も心拍数20にまで下がった人が、ドネペジルを中止しただけで数日後に自然に回復した症例を経験した。もし副作用であると気がつかずにいたらそのまま亡くなっていただろう。そう思うと今回の通達と抗認知症薬の副作用の啓発は急ぐべきである。脳に作用する薬の適正使用が当会の今後の大きな課題となる。またどれくらいの個体差があるのか、至適容量設定の標準化や少量投与のエビデンス構築なども求められる。
今回、抗認知症薬の適量処方が認められた。しかし主作用と副作用のバランスを考慮するなかで、どんな量を「適量」と考えるべきなのか。また至適容量設定の具体的手順だけでなく、さらには抗認知症薬の“やめどき”に関する議論も始まるだろう。認知症は一般の開業医も外来や在宅で相当数を診ている。どんな薬にも必ず「害」がある。そして害の一部である「リスク」や「副作用」と呼ばれるものは、確率の問題でもある。しかし当然利益もあるわけで、本来はリスク(害)と利益を天秤にかけて評価すべきものである。つまり薬を全否定するだけでは現代人は必ず損をする。今、必要なことはリスクと利益の分水嶺はどこなのか、を見極めることさ。薬は過剰でも過少でもよくない、つまり「中庸」を探し求める作業こそが今後の老年医学の大きな課題になる。
過剰でも過少でもない「中庸」とは
週刊誌の薬の過熱報道
6~7月にかけてある週刊紙が8回連続で薬の副作用特集を組み大きな反響があった。そして全国の医療現場は大混乱に陥った。その話題は薬だけでなく不要な手術にまで及んでいる。市民が内心感じている医療への疑問が一挙に焙りだされた。汎用薬の商品名が掲載されているので、実際にその薬を飲んでいる人の反応は大きかった。よく読めば薬局でもらう薬剤情報の副作用欄が強調されているだけなのだが、大きな活字になると影響力は実に大きい。当院においても「怖くなったのでやめたい」と申し出る患者さんが続出した。当然ながら、その薬をやめても問題なさそうな患者さんと絶対にやめてはいけない患者さんがいる。特に後者の場合は患者さんに納得頂くまで説明するのに相当なエネルギーを要した。
実は毎号、私自身のコメントも掲載されている。ショッキングな大見出しの横に登場するのであたかも私が薬を全否定していると受け取った人も多かったようだ。またこの報道内容をライバル週刊誌は『ねつ造だ!』と煽るなど報道合戦は過熱している。私は内心いいことだと思って眺めている。というのも私はこの2~3年、多剤投与や残薬、そして抗認知症薬の副作用などに取り組んできたからだ。だから企画に協力したのだが、荒っぽい編集に毎回驚いてもいる。
生活習慣病で医療機関からたくさんの薬を処方されている人には一連の報道は相当な劇薬となったようだ。当然医療界の反発や混乱も大きい。なかには厚労省の意図ではないかと勘繰る人もいたが、そもそも週刊誌とは単に売上を最優先に考えているメデイアである。2~3年前はがん医療を全否定した慶応大学の医師が受けに受けたことは記憶に新しいが、今年はどうやら生活習慣病薬を全否定する週刊誌が大受けする年のようである。
抗認知症薬の少量投与が容認
去る6月1日、厚労省から「抗認知症薬の少量投与を容認する」旨の通達が出た。たとえばドネペジルという認知症の進行を遅らせるという効能を謳った抗認知症薬の場合、3mgで開始した2週間後には必ず5mgに増量しなければならない。そんな「増量規定」という世にも不思議な規則が存在した。そして興奮や易怒性が出現した場合、3mgへ減量するという行為は、たとえレセプト摘要欄にコメントを書いても認めない都道府県があった。しかし6月1日の通達以降、その人に合った量を処方する医師の裁量がようやく認められたのだ。
他の3剤の抗認知症薬についてもドネペジル同様に3~4段階の「増量規定」があり、たとえ途中で副作用があっても最高容量まで到達させることが最高の医療であると多くの医師は洗脳されてきた。現在も大半の医師はそう信じている。しかし本来、脳に作用する抗認知症薬のような薬こそ個別性を重視したサジ加減が必要なはずだ。しかし患者さんの個別性を勘案した処方はこれまで認められていなかった。おかしな話である。
高血圧や糖尿病治療薬は病態に応じて適宜増減できるのに、なぜ抗認知症薬だけが医師の裁量権が無かったのか。そこで2015年11月に現場の医療・介護職や家族・市民が集まり「一般社団法人抗認知症薬の適量処方を実現する会」を設立した。私が代表理事を拝命し、その時のその人に適した量の抗認知症薬を使えるよう国に求めてきた。そして今回まさに我々適量処方が「実現」したわけである。
つまり1)興奮や易怒性を副作用と認めた。2)規定量ないし最高容量以下の少量投与を認めた。3)医師の裁量権が再確認された、わけである。易怒性は副作用とされていなかったのだが今回副作用と認められた。また少量投与自体は認められていなかったが「少量でも有効な症例がある」ことや「医師の裁量で適宜調節可能」であることなどが確認された。
リスクと利益の分水嶺が「中庸」
一連の活動を通じて感じたことは、抗認知症薬に重篤な副作用があることを知らない臨床医が多いことだ。また残念なことだが最低限の検査も行わず、物忘れ=抗認知症薬といった構図が少なからずある。また薬剤過敏性を特徴とするレビー小体型認知症には少量の抗認知症薬が適量となることが多いのだが、それを無視したプロモーションが今日も繰り広げられている。一方、ピック病には興奮系薬剤である抗認知症薬は適応が無いばかりか禁忌である。しかし現実には結構処方されている。抗認知症薬には易怒性や興奮以外にも吐き気や歩行障害、そして高度徐脈という重篤な副作用もある。私も心拍数20にまで下がった人が、ドネペジルを中止しただけで数日後に自然に回復した症例を経験した。もし副作用であると気がつかずにいたらそのまま亡くなっていただろう。そう思うと今回の通達と抗認知症薬の副作用の啓発は急ぐべきである。脳に作用する薬の適正使用が当会の今後の大きな課題となる。またどれくらいの個体差があるのか、至適容量設定の標準化や少量投与のエビデンス構築なども求められる。
今回、抗認知症薬の適量処方が認められた。しかし主作用と副作用のバランスを考慮するなかで、どんな量を「適量」と考えるべきなのか。また至適容量設定の具体的手順だけでなく、さらには抗認知症薬の“やめどき”に関する議論も始まるだろう。認知症は一般の開業医も外来や在宅で相当数を診ている。どんな薬にも必ず「害」がある。そして害の一部である「リスク」や「副作用」と呼ばれるものは、確率の問題でもある。しかし当然利益もあるわけで、本来はリスク(害)と利益を天秤にかけて評価すべきものである。つまり薬を全否定するだけでは現代人は必ず損をする。今、必要なことはリスクと利益の分水嶺はどこなのか、を見極めることさ。薬は過剰でも過少でもよくない、つまり「中庸」を探し求める作業こそが今後の老年医学の大きな課題になる。
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この記事へのコメント
先日の "抗認知症薬・適量処方を実現する会" セミナー・河野先生御講演の中で
前医が処方した薬を抜く(止める)時にも、素人判断では上手くいかない、と
仰っていたのが印象に残りました。熱が出たり、急激な身体症状の変化が起こって
減薬が怖くなり元に戻してしまう例もあるそうです。
少しずつ抜いていく、少しずつ変えていく、と正に匙加減が肝心だそうです。
Posted by もも at 2016年08月30日 09:02 | 返信
薬はさじ加減が大事なのでしょうね。
健康は若い人は、お薬は無用ですけれど、中高年になりますと、遺伝子によっては、高脂血症、血圧、糖尿病などの薬が必要になります。
薬の性質をよく知って、患者さんの努力とお医者さんの協力で「その人その人に適切な量」を試しながら服用するしかないのですね。
適量と言うか、中庸というか、いい加減というか、よくわかりませんけれど。
Posted by 匿名 at 2016年08月30日 10:19 | 返信
>一連の活動を通じて感じたことは、抗認知症薬に重篤な副作用があることを知らない臨床医が多いことだ。また残念なことだが最低限の検査も行わず、物忘れ=抗認知症薬といった構図が少なからずある。
母(89歳)は、3年前にリバスタッチを処方され、規定どおりに18mgまで増量された頃、嘔吐と食欲不振の症状が生じました。当初、胃腸炎かと思いましたが、極度の食欲不振は3カ月にも及び、毎日エンシュア2缶で生き延びました(少々の食事+エンシュア2缶で、1日1000kcalくらい)。
主治医(画像診断も長谷川式もせずリバスタッチを処方)は、「特に悪いところはなく、なぜ食欲不振が続いているかわからない。」と言いました。
同じ頃、母はリバスタッチによる皮膚のかぶれが酷く、私は痛々しく思って、貼るのをやめてしまったのです。そうしたら、食欲が戻ったのでした。
その当時は、主治医も私も、食欲不振の原因がリバスタッチにあるのかもしれないということに思い至りませんでした。主治医は、「奇跡の回復だ。春になったから食欲がわいてきたのかなぁ。」と言いました。私も、そうなのかなと思ってしまいました。
私が、あの食欲不振はリバスタッチの副作用ではないかと思うようになったのは、つい2~3日前です。8月21日の品川でのセミナーに出席して、長尾先生と河野先生のお話をお聞きし、また、その少し前の長尾先生のブログを読み返したりしていて、やっぱりリバスタッチだ!!と思うようになりました。他に心当たりはないのです。
もともと、母は食欲旺盛でした。食欲不振から回復した後も、好き嫌いを言わずバランスの良い食事をよく食べます。おかげで、血液検査の結果も、ほぼ正常値の範囲に入っています。腎機能も肝機能も正常値です。この夏も夏バテ知らずで、とても元気です。
母の場合、リバスタッチで皮膚がかぶれてしまったために、命拾いをしました。アリセプト等の飲み薬だったら、私はそのまま服用させ続け、大変なことになっていたと思うと、ぞっとします。
ちなみに、父は、主治医(母とは別の医者。やはり、画像診断、長谷川式せず。)にアリセプト10mg+メマリー10mgを処方されていて食欲不振となり、いろいろあって昨年亡くなりました。以前コメントを書かせていただきました。私がもっと早く抗認知症薬の副作用に気づいていれば、父は亡くなることはなかったと思います。
食欲不振は高齢者にとって重篤な副作用です。体力が落ちて、体の動きが悪くなり、寝たきりにつながります。免疫力が低下して、合併症や感染症を発症しやすくなってしまいます。抗認知症薬はそのようになってまで服用すべき薬でしょうか?
>今回の通達と抗認知症薬の副作用の啓発は急ぐべきである。
まったく同感です。地元の医師が心もとないので、長尾先生のところにアリセプト相談が殺到し、河野先生のところに遠方からの患者が殺到するのですよね。
私の区の高齢者福祉課認知症対策係は、町ぐるみで認知症の人を見守る「くるみプラン」と自慢げに標語を掲げていますが、区も医師も意識が低く、町ぐるみで高齢者を見殺しにする「くるみプラン」ではないかと思ってしまいます。
私が、多剤処方や抗認知症薬の副作用に関心を持ったのは、昨年父が体調を崩してからですが、これらのことはもっと以前から問題となっていることで、しかも命に関わることなのに、あまりにも進展が遅くて、高齢者医療、介護の世界はどうかしていると思わざるをえません。また、抗認知症薬は、処方する必要のない人にまで処方しているようにも思います。医療というよりビジネスのにおいがします。
Posted by NERI at 2016年08月31日 03:33 | 返信
ほどほど
ぼちぼち
と
いった
感じ
ですかね、、、
おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび
Posted by おこ at 2016年09月10日 03:17 | 返信
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