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大橋巨泉さんと高倉健さんの生き方

2016年09月10日(土)

スタッフが録画してくれた大橋巨泉さんの報道番組10編をそれぞれ数回づつ観た。
さすが巨泉さんだけあってさまざまなお宝映像があり、まったく飽きないし凄い人だ。
一方、2年前に亡くなられた高倉健さんのありし日の言葉を何度もかみしめていた。
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健さんも巨泉さんも同じ時代を生き抜いた。
ちょうど私からすれば親父世代の人になる。

健さんは83歳で、
巨泉さんは82歳で、
ともにがんで亡くなられた。


健さんは映画で、巨泉さんはテレビで活躍した。

健さんはできるだけ少ない言葉で、巨泉さんはできるだけ多くの言葉で伝えた。
「言葉」という道具の使い方が真逆だった。

健さんは笑うことは少なく、巨泉さんは笑っていないことが少なかった。
「笑顔」の意味がまったく違う二人。


健さんは我慢強い人間を演じ、巨泉さんは自由奔放な生き方を貫いた。

健さんは遅刻魔で、巨泉さんは時間に厳しかった。

健さんは生涯現役を貫き、巨泉さんは57歳でセミリタイアされた。


健さんは孤独を愛し、巨泉さんは仲間と遊ぶ時間を愛した。

健さんは日本の男を演じ、巨泉さんは日本の男を元気づけた。

健さんは戦争で闘った男にこだわり、巨泉さんは戦争の悲惨さを訴え続けた。


健さんは一度結婚したが子供は無く、巨泉さんは2度結婚し子供や孫に恵まれた。

健さんは映画でたくさんの人を殺し、巨泉さんはテレビでたくさんの人を世に出した。


でも、健さんも巨泉さんもすごく努力家で気配りの人。
ご両人とも才能がずば抜けていてオンリーワンの人。


健さんも巨泉さんもしっかり自分の死をイメージして生きた。
他人も大切にしてそして自分自身も大切にして生き切った。


孤独か、自由か。
寡黙か、雄弁か。

仕事か、遊びか。
義理か、お金か。

我慢するのか、我慢しないか。
不自由を楽しむのか、自由を謳歌するのか。

もし自分の親父をどちらか選べるのならどちらがいいのか。
どちらの生き方が、今の50台が目標とすべき生き方なのか。

ともに芸能界の人だから一般人が考えるのはおかしいかもしれない。
しかしあまりにも大きな2人の達人たちから私たちは何を学ぶべきか。

2人を比較することはヘンだし、意味が無いことかもしれない。
しかしどこまでも気になる昭和の男2人、なのだ。

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この記事へのコメント

ほんとに、

Posted by 尾崎 友宏 at 2016年09月10日 03:11 | 返信

おはようございます。

医師としても最高峰だと思っておりますが、分析力・文章力も最高峰だと感じ
入っています。
「健さんはできるだけ少ない言葉で、巨泉さんはできるだけ多くの言葉で伝えた。
「言葉」という道具の使い方が真逆だった。」は、なんと素晴らしい文章でしょう。
言葉少ない健さんの方がはるかに多くのメッセージを残していたのかも知れないと
私も思います。

Posted by 廣田 祐次 at 2016年09月10日 07:37 | 返信

この世代のかたがたが、あいついで、つぎつぎと、姿を消されています。
命の炎がふっと消える寸前まで、日本の昨今の気配に警鐘を鳴らしておられたように思います。
1947年から1952年にかけて、日曜午後7時半から30分、ラジオから『日曜娯楽版』がながれていました。
当時、投稿常連だった中学生、永六輔は高校生で番組の構成作家のひとりに。
長尾先生の文章タッチも、当時の三木鶏郎ばりに感じます。
番組のなかで「冗談音楽」が流れると、世相へのパンチのきいた風刺、権力への痛烈な批判が発せられ、
聴く者の喝采を浴びたものでした。
「言の葉」の威力を、まざまざと感じたものでした。

北朝鮮の「核能力」に、日本は24時間常時破壊措置命令を発したものの、見つけられない、当てられない、
打つ手なしと自衛隊幹部がぼやいています。
イージス艦が100隻、1000隻あっても無理だというのです。
「大統領が原爆慰霊碑に献花した象徴的な映像を、『これで原爆の問題は解決した』というイメージ」で、
「核なき世界」を実現してしまった国がありました。
「さすが謝罪を要求しない大人の日本人」とちやほやされたくないと、国民的同調圧力を嘆いていた
長崎の被爆者の言葉が、今、ずさりと突き刺さります。
キューバのカストロも、皮肉っていましたね。
こちらの三代目首領様は、「最大限の言葉」で抗議した」そうですが、
国連核禁止条約に一貫して抵抗してきた日米同盟。
対北朝鮮では「国際社会の一員」たる中国に、「責任」を押し付けるだけです。

毎日新聞の特ダネによると、自公政権は原発電力会社の廃炉、事故賠償のため、
大手以外の新電力会社の電気料に負担上乗せする方針を固めました。
また、大手電力は、原発訴訟禁止法案や運転差止め損害賠償法案を与党に求めています。
日本は現時点で、核弾頭6000発分の材料を保存しているとか。
原発ゴミを、400年は電力会社が責任をもち、その後100000年は国が責任をもつ。
自民総裁任期も、100000年後まで延期してほしいですね。

Posted by 鍵山いさお at 2016年09月10日 01:59 | 返信

先生はたぶん作詞家でも成功されたでしょうね。いい意味で医者らしくないですね。
巨泉さんは遊ぶのが下手な日本人に人生の楽しみ方、趣味や娯楽の大切さを伝承した一方で、徹底した反戦の信念は最後までブレずに貫きました。
見た目のイメージとは違って真面目で妥協を許さない傑人だったと思います。

Posted by マッドネス at 2016年09月10日 07:03 | 返信

健さんは、普段は饒舌な方であったと何かで読みました。シャイな性格であられたのは確かだと
思いますが、役柄を意識し、また江利チエミさんとのやむを得ない離婚も、後のスタンスに影響を
与えたそうですし、そのような印象を受けます。ですが、いずれにしても律儀なお人柄は間違い
ないとお見受けします。
大橋巨泉さんが、一世風靡なさった時代を覚えてはいますが、幼かったので詳しくは知りません。
大胆な発想とお人柄が、TVや業界に旋風を巻き起こした方でいらしたと、今になって分かります。
けれど虚像と実像を承知した上で、演じ続ける御仁が、かつては存在した時代であった、と
ふと思いました。
エンターティナーを演ずる巨泉さん風、と 実のところは寡黙で控えめな、健さん風と
どちらも実感として御自身を顧みての物思いかな..と、そんな風に読み取りました。
どちらも本物だと思います。

Posted by もも at 2016年09月10日 08:08 | 返信

東京都の豊洲新市場問題をめぐる奇奇怪怪!
わが倭国の無責任体系は、近代日本思想家によれば、つまるところ「天皇制」に起因する。
甘利は目覚めて、アベ高笑い。
防災政務官。革靴に水入るを嫌って、負んぶされ。
一部芸能人の、次々降って湧いてくる話題をメディアが追い駆け回し、世論が「健全な」方向に誘導される。
テンポが速い、速すぎる。

「私は昭和7年(1932年)、満州国建国の年の生まれですが、連日のように新聞に大きな活字の見出しが躍っていた昭和12年頃も、今と同じようにテンポが速かった。7月に盧溝橋で日中両国軍が衝突したと思ったら、あれよあれよという間に戦線が拡大して、その年の末には南京が陥落。その日5歳だった私は、たまたま父に連れられて大きな街まで行ったんです。すると、花や電球で飾られた花電車が出ていて、花火が上がり、みんなが手に手に提灯をぶら下げて『万歳』『万歳』と歓呼している。街中がお祭り騒ぎの賑わいでした。そんなふうにみんなが興奮していた状態が、どうも現在と重なってしまうところがあります。」
「ひとつのニュースが一週間と経たないうちに興奮のうちに消費され、次にはもっと刺激の強いものを、もっと大きなニュースをと、さらなる刺激を求めるようになる。これはもう、浄土になんか逝っていられない勢いです。」
巨泉、健さん世代の警句だ。まだ健在だが。

Posted by 匿名でごめん at 2016年09月12日 03:51 | 返信

本当に速いテンポの情勢変化には、心がざわつきます。
北朝鮮の核弾頭ミサイルが、現実味を帯びてきたからでしょうか。
今日の NHK Newsを見ていたら、別なトピックにも拘わらず
印象に残る映像を頭の中で辿ると、戦争色で纏められていた感が
あって、とても嫌な気持ちが澱んでいます。
日中に北のミサイル映像が繰り返され、夜のNewsでは、自衛隊機が
沖縄基地のための工事車両を空輸する、とか
パラリンピックの話題でも、アメリカ軍の負傷兵カムバックの道筋
過程が話題に。リハビリとスポーツ → パラリンピックという行程に
国(軍)がバックアップし、トラウマを回復する、という行までは、
なんとなく...そうなのか...位な感覚でしたけれど、その中の2割りの
人は戦争に復帰するというNewsでした。
どんな感想、という意識も無かったのですが、時間が過ぎてみて
後味に残るのは「戦争突入」か、のような不穏な空気を感じてしまったの
かも知れません。その感覚が、勘違いであって欲しいと、今思っています。

Posted by もも at 2016年09月12日 11:57 | 返信

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